2/エン・ミウラ島 -15 当たり前の願い

 場を沈黙が支配する。

 十七番目のジーンが右手を上げると、あまりにも都合よく建っていた塔がすべて床に飲み込まれていった。

「──あんたも、魔獣、なのか?」

「違う。〈私〉の死体を見ればわかるだろう?」

 十六人の死体へと視線を向ける。

 黒い粘液の海に倒れ込んだジーンたちは、そのままだった。

「私は、この機会をずっと待っていた。すべてを終わらせる機会だ。君たちには礼を言わねばなるまいな」

「何が礼だッ! たとえ悪とて、仲間であったのだろう! 自分であったのだろう! それを裏切り殺して澄まし顔か!」

「なに、私の話を聞けば納得してもらえるだろうさ」

 十七番目のジーンが、大仰に両腕を広げてみせた。

「──ジーン=ゼンネンブルクの罪を」

「罪……?」

「ああ。本物オリジンの──そして、複製の私たちの、罪だ」

 そして、十七番目のジーンは話し出した。

 すべての真実を。

「ナナミ=ゼンネンブルクが亡くなったのは、今からおよそ五年前。ゼンネンブルク診療所が開業してすぐのことだったらしい。血液の病だ。治癒術ではどうにもならぬ。オリジンとパタネアは、さぞ悲しんだだろう。だが、この二人には決定的に異なる部分があった。パタネアは強く、オリジンは弱かった。オリジンは、心のどこかで、ナナミの死を受け入れられなかったのだ」

「──…………」

 それは、仕方のないことかもしれない。

 シィの死を受け入れて前へ進んだイオタのように、強い人間ばかりではないのだ。

「今から一年とすこし前、オリジンはたまたまこの遺跡を発見した。オリジンは元より神代に興味を持っていてな。ロンド古語も、簡単なものであれば読めた。読めてしまった。それが悲劇の始まりだ」

「読めて、……しまった?」

「ああ。気付かなければ、知らなければ、何も起こることはなかった。だが、オリジンは理解してしまった。この遺跡が、なんのためにあるものか」

「もったいぶるな! この遺跡はなんなのだ!」

「──願望器。なんでも願いを叶える魔術装置だ」

 プルが、驚いたように口を開く。

「ね、……願いを、なんでも……?」

「ああ、なんでもだ。もっとも、即座に叶えられるわけではない。あの装置は、その万能が許す限り、願いを叶えるために動き続ける。そして、願いを叶えるまでは止まらない。止まることができないのだ」

「そ、そんなの、暴走してるようなものでしよ!」

「その通りだ。だが、オリジンは願望器に入った。ナナミを蘇らせるために」

 十七番目のジーンが虚空を見つめる。

「ナナミを蘇らせるまで、オリジンは願望器から出ることはできない。故に、最初の複製として一番目ケレスが産み出された。彼は、オリジンの願いに最も忠実だった。その代わり、魔術の腕前はオリジンに遠く及ばなかった」

 一番目ケレス

 ライナンと共に第一次討伐隊に志願したのは、本物のジーンではなく、最初のクローンだったのだろう。

「私たちを見ればわかる通り、魔獣ではなく複製培養でナナミを造り出す道もあったはずだ。だが、オリジンは魔獣にこだわった。ナナミの遺体は荼毘に付し、海に還してしまっていたし、たとえそれが可能であったとしても、一卵性の双子のように似ている別人にしかならないと考えたからだ。その点で、魔獣は都合がよかった。複製とは異なり、知識だけでなく記憶を埋め込むこともできたからな」

「なら──」

 周囲を見渡す。

 魔獣の死骸たる、黒々と輝く粘液を。

「俺たちが、殺してきたのは」

「ああ。ナナミのなりそこないだ」

「──……」

「──…………」

 後悔はない。

 たとえ、あの魚人の魔獣たちがナナミさんだと知っていたとしても、俺とヘレジナは同じように躊躇なく殺しただろう。

 だが、それでも。

 何も思わないほど、何も感じないほど、俺たちは冷徹にはなれない。

 簡単に割り切ることなど、できない。

「まずオリジンと一番目ケレスが行ったのは、魔獣を進化させ、人間に近付けることだった。その過程で半端な魔獣が溢れ出し、島民を襲い始めた。だが、それは都合がよかった。ナナミの生成に必要なものは、彼女の肉体と精神だ。たとえ完璧な肉体を作り上げたとて、精神をそのまま蘇らせることはできない。ナナミの行動から逆算するしか方法はなかった。だから、ナナミと接し、触れ合った島民の記憶が大量に必要だったのだ。ナナミは多くの島民から篤い信頼を寄せられていたと聞く。大人ほど、彼女と接した記憶が多くあるはずだ。子供の記憶は鮮明だが、ねじ曲がりやすい。そのため、対象は十五歳以上とした」

「……それで、ライナンさんは、一人だけ幽閉されたわけでしか」

「その通りだ」

 悪びれもせず、十七番目が続ける。

 もっとも、彼がしたことではないから、当然ではあるのだが。

「島民の記憶を抽出することで、研究は飛躍的に進んだ。形態も、単なる合成獣キメラから人間に近くなり、平均的には知能も上がり続けた。だが、研究はここで行き詰まった。701号のような、魔獣としての本能を持たぬ個体が一度生まれたくらいで、以降は鳴かず飛ばずだ」

「……当然だ。できるはずがないんだ」

 十七番目が、俺の言葉を鼻で笑う。

 それは、どこか自嘲めいた仕草だった。

「オリジンは、データが足りないと考えた。そもそもの方法が間違っているとは考えられなかったらしい。結果として、討伐隊のみならず、二番目ハラクマから十七番目ケレスバルマまでの自分を造り、島民をさらい始めた」

 この時点で、黒ずくめという存在が島民に認知され始めたのだろう。

「時折、なりそこないが指示に反して子供を連れ帰ることがあった。ナナミは子供が好きで、慕われていたのだと聞いていた。連れ帰った子供は遺跡の位置を知ってしまっているため、そのまま帰すことができなかった。しかし、満月の日に限っては、ジーンたちも子供の誘拐──と言うより保護に尽力することとなった。満月で理性の利かなくなったなりそこないどもが、子供に何をするかわからなかったからだ」

 思い出す。

 今日の誘拐は、そのためだったのか。

 ジーンたちは魔獣除けの存在を知らなかった。

 であれば、満月の日に地下にも篭もらずのんきに過ごしている子供たちに気付き、保護しようとするのは当然と言えた。

「なら、パタネアだけを縛って放置したのは?」

「オリジンの意向だ。彼は、自らの願いが醜悪であることを理解している。自分の娘にだけは、自分の行いを知られたくないのだ」

「そうか……」

 理解、できてしまう。

 ジーンの行動原理は、どこまでも人間らしい。

 そして、どこまでも愚かだった。

「話を戻す。研究は徐々に実を結び始めた。魚人ではなく人型の魔獣が、ぽつぽつと産まれ始めたのだ。だが、何かを得れば何かを失う。外見が近ければ知能が弱く、記憶を引き継げば不安定ですぐに崩れる。そのような環境で唯一、ほぼ完全な人間として産まれたのが、3042号。お前だ」

「おれ、が……?」

「だが、結局はお前も成功とは言いがたかった。外見は子供であったし、ナナミとしての記憶も引き継がなかった。お前を森に放置したのは、複製のうちの誰かだろう。恐らく、オリジンの情を引き継いだ八番目タウラあたりだろうな。遺跡に留まっていれば、解析のために解剖された可能性もある。だから、それでよかった。お前はナナミではない。そうだろう?」

「おれは……」

 ナナイロが、顔を上げる。

「おれは、ナナイロ=ゼンネンブルクだ。3042号でも、パタ姉のかーちゃんでも、ない」

 十七番目のジーンが、ほんのすこし笑ったように見えた。

「私にはわかっていた。この行為には終わりがない。願望器は、オリジンを永遠に生かしたまま、心が擦り切れたとてナナミの偽物を生産し続けるだろう。何故なら、ナナミは死んだのだから。仮に、奇跡的にナナミそっくりの個体が生まれたとして、オリジンは納得するだろうか。するまい。彼にとっての本物は、彼が造ったものではないのだから。ナナミの両親が出会い、愛し合い生まれた、この世で唯一の存在なのだから」

「──…………」

 嗚呼。

 どうしてなのだろう。

 どうして、亡くなった大事な人と会いたいという当たり前の願いを抱いただけで、こんな悲劇が起こってしまうのだろう。

 願うことは、罪なのだろうか。

 祈ることは、罪なのだろうか。

 俺にはわからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る