2/エン・ミウラ島 -14 3042号

 僅かに湾曲した通路を行く。

 ナナイロが、拳闘術の真似事をしながら、言った。

「パタ姉のとーちゃんだからって、悪いことは悪い! 悪いことは止めないと、パタ姉が悲しむよな!」

 帽子の上からナナイロの頭に手を乗せる。

 そして、その小さな頭を、痛くない程度に鷲掴みにした。

「うんうん、よくわかってるな。パタネアが悲しむような真似は、絶対にしちゃいけないよなあ……?」

「うぐ」

 幾度もの心当たりに、ナナイロが口をつぐむ。

「わかればいい、わかれば」

 ぽむ、ぽむ。

 ナナイロの頭を軽く撫で、前方へと意識を戻す。

 ライナンは、最奥に部屋があったと言っていた。

 その中で魔獣が群れを成していた、とも。

 遺物三都の地下迷宮を思い出す。

 その最奥の部屋こそが魔獣の生産施設であることは、ほぼ間違いないだろう。

 そして、ジーンが、今回も同じ手を使う可能性は高い。

 北の洞窟に入ってから、701号を除き、ただの一体も魔獣に出会っていないのだから。

「──…………」

 足を止める。

 内周側に扉があった。

「こ、……この扉、おっきい……」

「でしね……」

「では、ここがライナンの言っていた最奥の部屋とやらか」

「恐らくな」

 ほぼ確実な推測として、遺跡の通路は円形であり、この扉は螺旋階段と対称の位置にある。

 最奥と表現するのは自然に思えた。

「……か、かたな。気配、わかる……?」

「──…………」

 神眼を発動する。

 狭窄した視野が晴れ上がり、五感のすべてが鋭敏になる。

 だが、俺の鼓膜を震わせるのは、自分たちの衣擦れや鼓動、呼吸音ばかりだった。

 神眼を切り、首を横に振る。

「……何も感じ取れないな。扉の先に何もいないのか、息を潜めてるのか、単に扉と壁が分厚くて音が届かないのか。どれもあり得る」

「ふむ……」

 ヘレジナが思案し、言葉を紡ぐ。

「最悪の場合を想定しておくぞ。扉の向こうに数百体の魔獣。そして十数名、あるいは数十名の黒ずくめが待ち受けていた場合──」

 そこまで口にした瞬間、


 ──大扉が、音もなく開いた。


 大扉の向こうは、直径数百メートルの巨大な球を地面に押しつけたかのように、全体的に僅かに窪んでいた。

 故に、すべてが見渡せる。


 魔獣、

 魔獣、

 魔獣、

 魔獣、

 魔獣──


 間違いなく千体は下るまい。

 そして、

「──伏せろッ!」

「ぎゅむ!」

 ナナイロを押し倒すように伏せる。

 俺たちの頭上を、十数本の光の矢がかすめていった。

「あ、……あっ、あぶぶ!」

 視線を上げる。

 窪みの内側に都合良く建てられた塔の上に、合計十七名の黒ずくめが立っている。

「出し惜しみなしだな、こりゃ」

 ヘレジナが、ぼそりと言う。

「──カタナ。わかっておるな」

「ああ」

 言葉はいらない。

 互いに何が最善手か、わかっている。

 そして、それを相手が理解していることを、信じている。

「ふッ!」

 ヘレジナが、全力の体操術で以て、十数メートルを一息で跳躍する。

 宙を舞うヘレジナに数本の光矢が放たれるが、当たるはずもない。

 幾体もの魔獣の頭部を踏みつけ、ヘレジナが姿を消したのは、ちょうどホールの中央だった。

「へ、ヘレジナさん……!」

「ジナ姉!?」

「三人とも、壁に隠れてくれ。光矢が当たらないように」

「う、……う、うん……!」

 プルとヤーエルヘル、ナナイロが、通路の壁に身を隠す。

 これで、三人に光の矢は届かない。

 北の入り江と比較して、圧倒的に三人を守りやすかった。

 既に神眼は発動している。

 ヘレジナが視界から消えた以上、黒ずくめが狙うべきは俺だ。

 十三本の光矢が、こちらへ迫る。

 だが、たとえ師範級の光矢術と言えど、この距離から的に当てるのは容易ではない。

 危険なのは二本のみ。

 うち一本を回避し、もう一本をなまくらの長剣の腹で受けた。

 数本が魚人の魔獣に命中し、苦悶の吐息が響く。

 魔獣が、来る。

 無数の魔獣が、満員電車から押し出されるように、こちらへと迫りつつあった。

「──一匹たりとも通さねえよ」

 俺は、可能な限り上体を低くし、真正面の魔獣の脛を叩き折った。

 ここまでの乱戦となれば、燕双閃・自在の型は必要ない。

 振れば、当たる。

 であれば、どう振るかが重要だった。

 魔獣は、死ねば、黒い粘液となる。

 だが、死なない限りは骨格を保ったまま、障害物となり得る。

 俺がここですべきことは、魚人の魔獣の殲滅ではなく、無力化だ。

 魚人の魔獣が、次から次へとこちらに迫る。

 最初に無力化した魔獣たちが踏まれ、潰され、やがて命を落とし、黒い粘液と化す。

 そして、乗り越えてきた魔獣たちを無力化し、また新たに障害物として設置する。

 その繰り返しだった。

 時折、光の矢がこちらへ放たれるが、そのほとんどは魔獣の背中を灼くばかりだ。

 魔獣たちは、光矢術に対する肉壁でもあった。

 そこへ、

「──戻っ、……たッ!」

 激しく息を切らせたヘレジナが、魔獣の壁を跳び越えて帰還する。

「ここは頼む!」

「ああッ!」

 無力化した魚人の壁を叩き斬り、粘液と化す屍を跳び越えて、俺はホールへと身を躍らせた。

 ──壮絶だった。

 思わず、口の中で〈マジかよ〉と呟いたくらいだ。

 千体以上いたはずの魚人の魔獣たちが、既に半分ほど粘液と化していた。

 ヘレジナは、先刻の入り江で、魚人たちに共通する癖や弱点などを既に見切っていたのだろう。

「負けてらんない、──なあッ!」

 周囲すべてが敵。

 それは、ある意味で気楽だった。

 ホールを大回りで駆け抜けながら、魔獣どもに致命の一撃を食らわせ続ける。

 作戦は単純だ。

 ヘレジナが魔獣を殲滅し、俺が三人を魔獣から守る。

 ヘレジナが疲弊すれば、戻って俺と役目を交代する。

 あとはこれを繰り返すだけだ。

 入り江で黒ずくめから光矢の一撃を食らったのは、魔獣の数が予想以上だったことと、そもそもが不意打ちだったことが大きい。

 どこから放たれるかさえわかっていれば、奇跡級上位を標榜する俺たちにとっては、素直に当たることのほうが難しい。

 三、四十体ほどの魔獣をなんとか仕留め、息が切れる前に扉へと戻る。

「──ヘレジナ、交代頼む!」

「相分かった!」

 魔獣の数を減じれば減じるほど、こちらは有利になっていく。

 最初に仕留めきれなかった時点で、黒ずくめたちに勝ち目はなかった。

 魔獣を一体残らず殲滅しきったのは、それから三度ほど交代を挟んだあとだった。

「……やばー」

「し、しごいでし……」

「ふへ、へ。か、かたなも、ヘレジナも、す、すごー……い、んだから!」

 三人の前にヘレジナと共に立ち、黒ずくめからの光矢を警戒する。

「──魔獣、もう出さないのか?」

「──…………」

 理解したはずだ。

 魚人の魔獣も、光矢術も、俺たちにはなんら意味を成さない。

 ふと、手前にいた黒ずくめの一人が、言った。

「──3042号、やれ」

 何を。

 そう思った直後、腰のあたりを強く殴られたような気がした。

「え──」

 ヤーエルヘルの、驚いたような声が、不思議と耳に残った。

「……──た」


 痛い。

 痛い。

 痛い。

 数本の鋭い爪のようなものが、腹から生えていた。


「──ナナさんッ!?」

 爪が抜き取られ、俺は、片膝をついた。

「かたな……ッ!」

 プルが、即座に治癒術をかけてくれる。

 なら、問題ない。

 平気だ。

 俺は、背後を振り返った。

「──…………」

 ナナイロの目が、海よりも深い澱んだ青に染まっていた。

 右手からは武器のように鋭い爪が伸び、俺の血をぱたぱたと滴らせている。

「──ふんッ!」

 こちらを振り返ることなく、ヘレジナが冷静に光矢術をすべて散らす。

 さすがだ。

 黒ずくめたちの目的がこちらの動揺を誘うことだと、早い段階で見抜いていたのだろう。

「……何をした」

 煮えたぎる。

 魔獣の屍より、遥かに黒く。

 傷の痛みより、遥かに熱く。

「ナナイロに、何をしたッ!」

 手前の黒ずくめが、再び無慈悲に言い放つ。

「3042号、殺せ」

「あ──」

 頭痛に耐えるように頭を押さえながら、ナナイロがその場で両膝をつく。

「あ、──ああああ、ああ、あああああああああ……!」

「ナナさん……」

「おれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれはおれは」

 予感がしていた。

 扉の鍵が反応していたのは、ナナイロだった。

 ナナイロとこの遺跡は繋がっていたのだ。

 そして、ナナイロは、北の森でパタネアに拾われた。


 ナナイロ=ゼンネンブルクは、


 ──魔獣だったのだ。


「おれはおれはおれはおれは、おれは、おれは、おれは、おれは、おれはああッ!」

 ナナイロが、振り絞るような悲壮な笑顔で、ヤーエルヘルを見上げた。

「……おれは、なんなんだ?」

「──っ!」

 ヤーエルヘルが、たまらずナナイロを抱き締める。

「あなたは、ナナイロ=ゼンネンブルク」

 言い聞かせるような口調で。

 有無を言わさぬ声色で。

「パタネアさんの、妹さん、でしよ」

 そして、どこまでも優しい笑顔で、ヤーエルヘルがナナイロを肯定する。

「ああ」

 ヘレジナが、黒ずくめたちを見据えたまま、頷く。

「お前は、ナナイロ=ゼンネンブルク。ワンダラスト・テイルの五人目のメンバーだ」

 俺の治癒を終えたプルが、落ちた帽子をナナイロにかぶせる。

「わ、……わたしたちの、仲間、……だよ」

「で、でも! おれ、カタナ兄を……!」

「カタナ兄を、なんだって?」

 ぐわし。

「ぷぎゅ!」

 ナナイロにアイアンクローをかけたまま、言う。

「お前に刺されたくらいで俺が死ぬかよ。かすり傷、かすり傷。それもプルが治してくれたから、とっくに傷一つないぞ。気にすんな」

「が、……がだなにい゙ー……」

 ナナイロの両目から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。

「爪、あとで切らないとでしね」

「す、すーごい、不精したひとみたい……」

「プル。治癒術、いつもありがとうな」

「い、いえいえー……」

 ナナイロを解放し、黒ずくめたちを振り返る。

「──最後の策もこの通りだ。ここからどうする? ジーンさんよ」

「──…………」


 そのとき、

 最奥にいた黒ずくめが、

 そっと右手を上げた。


 幾条もの光矢が放たれる。

 だが、それは、俺たちを狙ったものではなかった。


「──が、……ッ!?」

「はぐッ……!」

「な、なにを……ッ!」

 十七人いた黒ずくめたちが、たった一人の光矢術によって、正確に心臓を射抜かれていく。

 十七人が一人になるまで、ほんの数秒しかかからなかった。

「どう、……いうこと、だ?」

 師範級ではない。

 確実に、奇跡級の光矢術だ。

「お前……ッ」

 ヘレジナの顔が怒気に染まる。

「自己紹介をしておこう」

 残った一人の黒ずくめが、覆面を剥ぐ。

 そこには、どこかパタネアの面影を残す五十代ほどの男性の顔があった。

「私は、ジーン=ゼンネンブルク=ケレスバルマ。オリジンを除き、十七番目の──最新にして最後のジーン=ゼンネンブルクだ」

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