2/エン・ミウラ島 -13 701号

「──…………」

 スゥ、と。

 瞬時に神眼を発動し、無駄を削ぎ落とした走法で魔獣へと迫る。

 なまくらの長剣を抜き放ち、魚人の魔獣へ燕双閃・自在の型を仕掛けようとしたとき、俺と魔獣のあいだに滑り込むものがあった。

 それは、プルと同年代の少年のように見えた。

 運動している物体を即座に停止させるほどの腕力が俺には備わっていないため、ギリギリで長剣の軌道を変更し、半月を描くように長剣の腹で思いきり床を叩く。

 両手が痺れるのを自覚する。

「や……め、ッ!」

 普通に、やめろと言いたかったのだろう。

 だが、斬殺をギリギリ免れたとなれば、言葉が詰まるのも当然だった。

 俺は、魚人の魔獣に八割ほどの注意を向けながら、少年へと話し掛けた。

「どうして庇う」

「はッ! ……はっ、は、……待って。こ、呼吸、整える……」

「──どうした、カタナ! その魔獣は!」

「だ、大丈夫でしか……!」

「わ、わ、……気を付け、……て!」

「……今のところ大人しい。大丈夫だ。この子が説明してくれるらしい」

「はあ、……はァ、ふゥ──……」

 少年が深呼吸をし始めたとき、背後からパタネアの声が響いた。

「ライくんッ!」

「パタ、……ネア?」

 パタネアが、魚人の魔獣も意に介さずにこちらへ駆け寄り、真正面から少年を抱き締めた。

「ぎゅむ!」

 身長差から、その豊満な乳房が少年の顔面に押しつけられる。

 正直に言おう。

 超羨ましい。

「ライくん! やっぱり生きてた! ライくん、……ライくんだ……!」

 少年が、二重の意味で顔を真っ赤に染めながら、必死でパタネアの腕をタップする。

「パタ姉、そろそろ窒息しちゃうぞ……」

「あっ」

 ナナイロの言葉で我に返ったパタネアが、慌てて少年を離す。

「ご、ごごごご、ごごめん! もう会えないかもって、思ってたから……」

「ひッ、ひ、ふゥー……!」

 ラマーズ法じみた呼吸法を何度か行い、少年がようやく平静を取り繕う。

「──パタネア、無事でよかった。まさか、こんなところで再会できるなんて」

「こっちの台詞だよ……」

 浮かぶ涙を指先で拭いながら、パタネアが尋ねる。

「それに、ここは? その大人しい魔獣のことも気になるし、いろいろ聞かせてほしい。あたしたちは、みんなを助け出すためにここまで来たんだから!」

「……わかった」

 少年が、子供たちに指示を出す。

「全員、子供部屋で遊んでてくれ。僕はパタネアたちと大事な話があるから」

 一部の子供たちからブーイングが上がるが、比較的年かさの子供たちが素直に頷き、小さな子たちを誘導し始める。

「すごいな……」

 完全に統率が取れている。

 少年が苦笑した。

「こんなん、大したことないさ。長く一緒に暮らしてただけだ。701号、七人分の紅茶を頼むよ」

「──…………」

 701号と呼ばれた魔獣が、頷きもせずにきびすを返す。

「地下とは言え、今日は満月でしのに……」

「701号は、満月を克服した個体なんだって。僕もよくは知らないけど、それで子供たちのお世話係になってる」

「なるほど……」

 番号が付けられている。

 と言うことは、魚人の魔獣は自然発生ではなく、誰かが意図的に生産していることになる。

 きな臭くなってきた。

「まず、僕から自己紹介だね」

 少年が立ち上がる。

「僕は、ライナン=ゼンネンブルク。パタネアの従弟に当たる」

 そして、三十年後には、マナナの祖父となるわけだ。

「俺は、カタナ=ウドウ。剣術士だ」

「ヤーエルヘル=ヤガタニでし。徒弟級の魔術士でし」

「ぷ、プル、……でっす。治癒術士……」

「ヘレジナ=エーデルマン。剣術士。そして、このワンダラスト・テイルのリーダーでもある」

 不思議そうな表情を浮かべるライナンに、補足する。

「俺たち四人の──いや、五人のパーティ名だよ」

「!」

 ナナイロが目をまるくする。

「おれ……?」

「五人目のメンバー、だろ」

「──うんっ!」

 満面の笑みで頷き、ナナイロが立ち上がった。

「おれは、ナナイロ=ゼンネンブルク。きおくそーしつの美少女だぞ!」

 ああ、そうか。

 ナナイロは、ライナンが第一次討伐隊として姿を消したあとに拾われたから、彼とは初対面なのだ。

「半年くらい前に、北の森の近くで倒れてるのを見つけて。記憶が戻るまで、あたしの妹ってことにしたんだよ!」

「そっか。よろしく、ナナイロ」

「よろしく!」

 そのとき、701号が、隣の部屋からお盆を持って戻ってきた。

 盆の上のティーカップからは、ほのかに湯気が立ちのぼっている。

「ありがとう、701号」

「ありがとうございまし!」

「──…………」

 皆が口々に礼を言うなか、俺は701号の様子を観察し続けた。

 701号も、他の魔獣も、外見上の違いはほとんどない。

 異なる点と言えば、子供たちが作ったと思しきビーズのネックレスをしているくらいだろう。

 そして、その事実は、取りも直さず701号が子供たちに慕われていることの証左でもあった。

 ひとまず、信用しよう。

 そう思った。

「──それじゃあ、最初から。第一次討伐隊がどのような運命を辿ったのか、僕の知る限りのことを伝える」

「うん、お願い。わからないことが多すぎて……」

 ライナンが紅茶で唇を湿らせたあと、口を開いた。

「第一次討伐隊二十二名は、魔獣の巣があると思しき北の入り江へと向かった。そこには確かに、数十体の魔獣がたむろしてた。魔獣も、その頃はまだ701号みたいな魚人型じゃなかったからね。剣術士と槍術士、魔術士で、師範級が合わせて五人もいたから、正直敵じゃあなかったよ。僕の出番なんてないくらいだったな」

 無言で続きを促す。

「そこで、ジーンおじさんが言ったんだ。魔獣の巣を叩かなければ意味がない。幸い、自分は、巣らしき洞窟を知っている──って」

「お父さんが……?」

 ジーン。

 パタネアの父親であるのなら、フルネームはジーン=ゼンネンブルクだろう。

 島で唯一の治癒術士であり、光矢術士。

 彼に関しては謎が多い。

 黒ずくめの一人として子供たちをさらってみたかと思えば、パタネアはその場に残し、誘拐した子供はこのように手厚く保護している。

 行動の裏にある理由が、まったく読めなかった。

「そして、案内されたのが、この神代の遺跡だった。動揺する僕たちの中で、ジーンおじさんは一人だけ冷静だった。一度来たことがあるからだろうって、僕は思ってた」

「魔獣は、遺跡の中にいたのか?」

「いたけど、魔獣の巣ってわりに数は少なかった。入り江のほうが多かったくらいだ。さっさと原因を叩いて、酒場で一杯やろうって雰囲気になったのを覚えてる」

「ジーンさんの様子は?」

「珍しく乗り気だった。討伐隊の面々も、悪く言えば無愛想なジーンおじさんが打ち上げに来るって言うんで喜んでたよ。たぶん、油断させようとしていたんだと思う。後から考えれば、だけどね」

「──…………」

 構図がわかってきた。

「そして、最奥と思しき部屋へ入った瞬間だった。そこには、数え切れないほどの魔獣が群れを成していた。そのとき、急に悲鳴が上がったんだ」

 ライナンが目を伏せる。

「魔獣からの攻撃だと思った。でも違った。たぶん、ジーンおじさんの隣にいた僕だけが気が付いた。ジーンおじさんが、前を向いたまま、光矢術で背後に無差別攻撃を図ったんだ」

「お父さん、が……?」

「──…………」

 ナナイロが、パタネアの手をそっと握る。

 パタネアが、その手をぎゅっと握り返すのが見えた。

「隊士たちがバタバタと倒れていく。ほとんどの隊士が、死角からの遠距離攻撃だと勘違いしてた。実際には、治癒をするふりをしたジーンおじさんによるゼロ距離射撃だったのに。僕は叫んだ。犯人はジーンおじさんだ、って。でも、錯乱してる皆にその言葉は届かなかった。僕も、いつしか意識を失って──」

 そこまで言って、ライナンが周囲をぐるりと見渡した。

「気付けば、この部屋にいた」

「ひ、……ひとり、で?」

「うん、一人で。それに、この部屋も最初は質素なものだった。衣食住に入浴といった最低限の生活は保証されてたけど、娯楽が一切なかった。正直、気が狂いそうだったな」

「どうしてライくんだけ……」

「……最初は、他の部屋で、皆も同じように幽閉されてるのかと思ってた。でも、誘拐された子供たちがこの部屋へ運ばれてくるようになって、気が付いた。僕は、子供としてカウントされてたんだ」

「ああ……」

 ライナンは、確かまだ十四歳だ。

 子供と判別されるのも頷ける。

 であれば、わかることが一つあった。

「ジーンは──パタネアのお父さんは、本来、大人だけを誘拐するつもりだった……?」

「僕はそう考えてる。何らかの理由で、大人だけを捕らえる必要があった。だから、子供をさらってきてしまったときは、この部屋に入れて保護してる。この部屋、気付けば勝手に増築されてるんだ。最初は牢屋じみた狭い部屋だったのに、今や島の子供が全員入っても平気なくらいに広くなってる。お風呂は大浴場になってるし、遊具もある。監禁されていることと両親に会えないことを除けば、子供たちにとって最適な環境かもしれない」

 ヘレジナが、腕を組みながら言った。

「……妙だな。ジーンからは、島の子供に対する敵意が一切感じられん。それどころか、積極的に保護に動いているようにも思える」

「動機は怨恨じゃない。それだけは間違いなさそうだな」

「だが、大人ばかりを捕まえてどうしようと言うのだ。まさか、鞭を振りながら過酷な労働に従事させているわけでもあるまい」

「正直、わからないよ。僕たちはこの部屋から出られない。ジーンおじさんの目的も、何もかも、想像するしかない」

 確かに、その通りだ。

 形はどうあれ、ライナンたちはこの部屋に幽閉されていたのだから。

「ライナン。なんでもいい。他に知ってることはないか?」

「あるには、……ある。と言っても、701号を介した情報になるから、どこまで信頼していいか難しいんだけど」

 ヤーエルヘルが、どんぐりまなこをまるくする。

「701号さん、話せるのでしか?」

「字は読めるみたいでね。本の文字を拾いながら、幾つか断片的に。701号って名前も、彼女自身が名乗ったんだ」

 彼女。

 性別があったのか。

「……すこし、信じられない情報かもしれない。それでもいい?」

「ライくん、言っちゃって! いまさら何を聞いても、あたしたち、ビックリなんてしないから!」

「わかった」

 ライナンが、言いにくそうに口を開く。

「──あの黒ずくめ、ね」

「ああ」

「全員、ジーンおじさんらしい、んだ」

「……は?」

 ヘレジナが、呆れたように目を見開いた。

「ぜ、全員、ジーン、……さん? ど、どういう、こと?」

「わからない。701号との意思疎通は、けっこう難しくて……」

「──…………」

 頭の中で情報をまとめ、組み上げていく。

「ライナン。君の知ってることは、これくらいか?」

「うん。おおよそ話したつもり」

「わかった」

 ぬるくなっていた紅茶を啜り、なんとか言葉を絞り出す。

「恐らく、ジーンさんは、元からこの遺跡に入り浸っていた。そして、何らかの目的で魔獣の生産を開始した。魔獣の外見や知能が進化していることから、大人だけに備わっている要素がこの変化には必要だったんだろう。この際、成功例か失敗例かはわからないけど、満月を克服した701号という個体も産まれた。黒ずくめが全員ジーンさんだってのは、あの光矢術を見ればなんとなく納得できるような気もする。仮にジーンさんが海賊で、仲間に光矢術を教えたとしても、あそこまで威力の揃った光矢を正確に放つことはできないだろ」

「それは、……確かにそうなのだが」

「ここは神代の遺跡だ。しかも絶賛稼働中。常識は捨て去ったほうがいいと思う」

「そ、……そうだ、ね」

「信じようと、信じまいと、その前提で動いたほうがいいと思いまし。純粋魔術に理由はありません。ただ、なんとなくできそうだと思っただけで、彼らは神すら作ってしまったのでしから」

「……わかった。皆の言う通りだ」

 残った紅茶を一気に飲み干して、ヘレジナが立ち上がる。

「さて、行くとしよう。パタネアには悪いが、お前の父親は尻百叩きだ。一発たりとも減免せんぞ」

「──…………」

 パタネアは、数秒だけぽかんと口を開いたあと、満面の笑みを浮かべて言った。

「……父を、よろしくお願いします!」

「相分かった」

 ヘレジナが、鷹揚に頷く。

「となれば、パタネアとナナイロにはここで子供たちを見ていてもらうべきであろうな」

「え!」

 パタネアが不満げに眉をひそめる。

「だ、大丈夫ですよ! 覚悟はできてます!」

「そうだぞ!」

「せっかくのセーフハウスだ、使わない手はないだろ。もともと俺たちだけで片を付ける予定だったんだ。ここには魔獣除けもないから、ナナイロも平気だろうし」

「お、おれ、五人目のメンバーなのに……」

「うッ」

 それを言われると弱いが、ナナイロの身の安全が最優先だ。

「……悪い、ナナイロ。ここで待っててほしい」

「うー……」

 ナナイロは聡明だ。

 俺が、何故ナナイロを連れて行かないか、彼女自身がいちばんよくわかっている。

「……わかったぞ」

 ナナイロが、不承不承に頷く。

「そうと決まれば、さっさとジーンをしばきに行こうではないか」

「でしね!」

「う、……うん!」

 ティーカップをソーサーの上に置き、立ち上がる。

 出入口へ視線を向けると、扉は既に閉じていた。

 自動的に閉まるものらしい。

 扉の隣には、あの艶めいた白いタイルが設置されている。

「──……?」

 おかしい。

 俺は、この扉を、魔力マナで稼働する自動ドアであると考えていた。

 だが、こちら側にも同じタイルがあるとなれば、ライナンたちはいつでも脱出できたことになってしまう。

「……あ、あれー……?」

 タイルに手を触れ、魔力マナを込めていたプルが小首をかしげる。

「これ、せ、半輝石セルじゃない……?」

「──…………」

 やはりだ。

 この扉は、魔力マナで開く仕掛けではない。

「──ナナイロ! こっち来てくれ!」

「なんだー、カタナ兄」

 お茶菓子を食べていたナナイロが、口元に食べかすをつけながらやってくる。

「このタイルに触れてみてくれ」

「いいぞ」

 ナナイロが、白いタイルに手のひらを押しつける。

 その瞬間、扉が自動的に開いた。

「やっぱり……」

 部屋に入るときもそうだった。

 このタイルに、ナナイロが触れる。

 その行為が鍵となっているらしい。

「どういうこと、でしか……?」

「わからん。わからんけど、わかったことは一つある」

「?」

「ナナイロがいないと、この遺跡の扉は開かないっぽいな……」

「!」

 ナナイロの目が、きらきらと輝き始めた。

「パタ姉! おれがいないと扉開かないんだって! やっぱ、おれも行ってくる!」

「ナナイロ、平気……?」

「へーきへーき! カタナ兄たちが守ってくれるもん。な!」

 すこしでも安心できるよう、力強く断言する。

「ああ。約束する」

「私たちに任せておけ」

 パタネアが微笑みを浮かべ、言った。

「わかりました。ワンダラスト・テイルの皆さんを信じるって、あたし、とっくに決めてますから!」

 深々と頭を下げるパタネアと、心配そうにこちらを見つめるライナンに軽く手を振り、俺たちは部屋を後にした。

「──…………」

 何故、ナナイロが遺跡の鍵になっているのだろう。

 まだ言語化はできない。

 だが、どこか嫌な予感がした。

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