2/エン・ミウラ島 -12 神代の遺跡
今から六十年後、俺たちが海水浴を行う岩壁の狭間の海岸から、時計回りにエン・ミウラ島の外周を行く。
そこは、足場の悪い断崖ばかりが延々と連なる危険なルートだった。
当然、崖際を歩けるはずもなく、その内側に繁茂する見通しの利かない森を行くこととなる。
俺は、しんがりを務めながら、先頭を歩くヘレジナに声を掛けた。
「気を付けろよ。草むらに分け入ったら、いきなり崖って場合も考えられる」
「……あり得るな。了解した。速度より安全を重視することとしよう」
「ああ、そうしてくれ。落ちた先で魔獣に囲まれたら、いくらヘレジナでもおしまいだ」
「──…………」
想像したのか、ヘレジナが一瞬だけ足を止めた。
「そうですね。島民のあたしでも、さすがにこんなとこ歩いたことないので……。小舟で島を一周したときの記憶だと、ここで落ちたら岩に叩きつけられるか、そのまま海に落ちるか。いずれにしても上がってくるのは難しいです」
「……もうすこし内周を歩いてよいか?」
「そ、そうして、……ね?」
「はい……」
それから、道なき道を二時間ほど歩いた頃だった。
「──む?」
ヘレジナが立ち止まり、幾度も左右を確認する。
「ジナ姉、どうした……?」
「草木のあいだが広い。道のようにも見える」
「ええと……」
ヘレジナの真後ろを歩いていたヤーエルヘルが、屈み込んで地面を確認する。
「……このラインだけ、雑草の生育が悪いように見えまし。単なる獣道かもしれませんが、黒ずくめの使っているルートである可能性もあると思いまし」
「おお!」
思わず歓喜の声を上げたナナイロを、パタネアがいさめる。
「ナナイロ。しーだよ、しー」
「ご、ごめんだぞ……」
「道に沿って、海のほうへ歩いてみよう。ヘレジナ、行けそうか?」
「ああ、問題ない。明らかに視界が開けている。人であれ獣であれ、行き来があるのは確かであろう」
道なき道から、道へと入る。
「あ、……歩きやすい、かも」
無遠慮な下生えや、肌を引っ掻く低木、目の高さの枝葉などのない道は非常に歩きやすく、人の手による管理が行われていることを窺わせる。
道は徐々に下っていき、やがて──
「──……つ」
夏の太陽の眩しさに、俺は思わず右手を翳した。
森を抜けたのだ。
下ろした目蓋を開いていくと、そこは、反り立つ断崖からはみ出すように形作られた細い岩場だった。
足場は決して良いとは言えないが、ナナイロのような子供でも無理なく歩ける程度には道の体裁を成している。
「──そうだ、思い出しました。このまま進むと北の断崖の真下に出るんです。道みたいになってて歩けそうだなって思ったんですよ。まさか、森から繋がってたなんて」
「この先に、隠された洞窟がある。間違いなさそうだな」
「ああ。先程の騒ぎで、黒ずくめどもは、自分たちに仇なす者の存在を知った。ここから先は危険が伴う。私とカタナから決して離れぬように」
「は、はい! わかりました」
「わかったぞ!」
「気を付けてくだし。相手は光矢術士でしから……」
「光矢、……術士?」
パタネアが、呆然とその単語を繰り返す。
「パタ姉? どうかしたか……?」
「あ、いえ。父は治癒術士でしたけど、島一番の光矢術の使い手でもあったんです。級位まではわかりませんが……」
「……確かに、黒ずくめどもの光矢術は達人並みであったな」
「あれ、そんなにすごかったのか?」
「ああ。光矢術は、距離と共に威力が減衰し、また命中率もガクンと落ちていく。〈数撃ちゃ当たる〉とはよく言うが、高さの異なる対象に、あの距離から一発でも命中させた。その事実こそが腕前の証明となる。恐らくは師範級であろうな」
「師範級の光矢術士が最低でも一人、か」
「師範級に限らなければ、他にも三名。ここまで光矢術士ばかりが揃っていると言うのも珍しい」
魔術有利の原則。
いつかヘレジナが言っていた、魔術士と武術士が真剣勝負を行う際にどちらが有利かを表した言葉だ。
近距離での攻撃しかできない以上、武術士は魔術士に対し圧倒的に不利となる。
この原則は、奇跡級上位を標榜する俺たちにすら正しく適用されるだろう。
「さっきみたいに高台に陣取られると厄介だな……」
「なに、その場合は私が単身で洞窟の位置を見定めればよいだろう。その後は適当に撃たせ、
「了解」
作戦としては妥当だ。
と言うより、こちらから打てる手が少ないため、他に選択肢がない。
「地形的に、カタナでなくとも背後からの奇襲に気付くことはできるだろう。光矢術から身を隠せる岩場も多い。カタナ。私のすぐ後ろで神眼による索敵を頼む」
「おう」
しんがりから、ヘレジナのすぐ後ろへと隊列を変える。
「皆、できる限り頭を低くしててくれ。そのほうが守りやすい」
「わ、わかったぞ!」
「わかりました……!」
波打つように張り出した岩壁に隠れながら、僅かずつ歩を進めていく。
神眼による索敵を適宜行うが、俺たち以外に人の気配を感じ取ることはできなかった。
やがて、北の断崖の真下へと辿り着いたとき、違和感のある音が耳朶を打った。
「──静かに」
人差し指を唇の前に立て、神眼で以て音の正体を探る。
風の音。
だが、僅かに、ペットボトルの口元に息を当てたときのような反響音が鳴っている。
ヘレジナを腕で制し、十歩ほど先んじる。
そこに、あった。
巨大な岩陰に隠れるようにして開いた、高さ2メートルを超える洞窟の入口だ。
虚穴の奥まで気配を探る。
だが、知覚できる範囲には、フナムシ以外の生物は存在しないようだった。
「入口があった。誰もいない。今のうちに入っちまおう」
「──…………」
皆が、こくこくと無言で頷く。
全員が洞窟の中へと身を滑らせたあと、俺は言った。
「パタネア。灯術頼めるか」
「は、はい!」
プルには治癒術に専念してほしいし、ヤーエルヘルは現状
パタネアかナナイロかで言えば、パタネアのほうが灯術係に適しているだろう。
パタネアが右手を頭上に掲げると、球状の発光体がその先に浮かび上がる。
灯術の光が洞窟内を明るく照らし出し、驚いた数匹のフナムシが奥へと逃げて行くのが見えた。
「ヘレジナ、今度は俺が先導する。ヘレジナはしんがりを頼む」
「相分かった」
パタネアが、ぐるりと周囲を見渡す。
「まさか、こんなところに洞窟があったなんて……」
「魔獣の巣ってわりに静かなもんだな。聞こえるのは、風が反響する音と、あとはせいぜい虫の蠢く音くらいだ」
「も、森もそうだったけど、むし、やだねー……」
「そんな場合か」
プルの脳天に、優しくチョップをお見舞いする。
「あだ」
「パタネア、灯術を先行させてほしい。できるか?」
「わかりました!」
灯術で作られた発光体が、俺の前方数メートルでピタリと止まる。
パタネアの意のままに動く術式らしい。
「よし」
数秒に一度、一瞬だけ神眼に切り替えつつ、ひどく空気の湿った洞窟を進んでいく。
異変はすぐに、目に見えて表れた。
「……人工物?」
進めば進むほど、天然の岩肌が、石積みの壁へと置き換わっていくのだ。
「も、……もしかして、神代の、い、遺跡……?」
呟くようなプルの疑問に、パタネアが答える。
「このエン・ミウラ島は、もともと神代の遺跡の多い島です。正直ビックリではありますけど、地下に遺跡が広がってたとしても不思議ではないのかなって……」
「でも、納得の行くことは多いでし」
「ヤー姉?」
「あちしたちは以前、神代の迷宮に挑戦しました。そのとき、見たんでし。蟲の魔獣を産む壁を。魔獣の生産施設を」
「ああ。それならば、魚人の魔獣の異常な数にも納得が行く。ここは、魔獣の巣ではない。あれに近しい施設なのだろう」
「ここで、あの魔獣を産んでたのか……」
ナナイロが、自分の両腕を抱くようにして、ぞぞぞっと震えた。
神眼による警戒を続けながら、一本道の遺跡を行く。
道は僅かに傾斜し、進めば進むほど地下へと潜っていくように思われた。
体感で小一時間ほど進んだ頃、唐突に景色が変わった。
「螺旋階段だ……」
「地下へ地下へ、か。地竜窟を思い出すな」
「さ、災厄竜は、さすがにいないと思う、……けど」
「い、いたら人なんて住めてませんよお!」
そりゃそうだ。
地殻を穿つような、長い、長い階段を下りていく。
やがて辿り着いた最下層には、これまで以上に驚くべき光景が広がっていた。
「──なんだ、ここ」
壁を有機的に彩る無数のチューブ。
石積みの壁は金属製のものへと立ち替わり、千年もの時をまったく感じさせないほどに真新しく磨き込まれている。
にも関わらず、ふと顔を上げれば壮大な天井画が鮮やかに描かれており、不協和音じみた違和感がこの空間を満たしていた。
神話とSFが半端に融合したような世界観の遺跡だ。
「ふし、ふしぎな、場所……」
「長らく人の手に触れられず、地下深くにあるから風化もしない。ここは、現存する遺跡の中で、神代の面影を最も色濃く残した場所かもしれません。学術的価値は計り知れないと思いまし……」
「神代、ほぼそのままの遺跡か……」
非常に興味深い。
時間と余裕さえあれば調べて回りたいくらいだが、今は事態の解決が最優先だ。
「……しっかし、困ったな」
螺旋階段を下りきった先にあったものは、左右に分かれる丁字路だった。
「二手に分かれるわけにもいかん。そして、どちらへ行くべきかの指針もない。勘で決めるしかあるまい」
「そうだな。現状、神眼での索敵でも何も引っ掛かってないし」
「では、コインで決めるとするか。表が右、裏が左だ」
ヘレジナが、革財布から1シーグル銅貨を取り出し、指で弾く。
「──裏だ。左へ行くぞ」
「了解」
再び、俺を先頭、ヘレジナをしんがりとして、遺跡の内部を探索していく。
通路は直線ではなく、僅かに右側に湾曲している。
歩けども歩けども景色が変わったようには思われないため、曲率は一定だ。
もしかすると、このまま円を描くように一周し、あの螺旋階段のところまで戻るのかもしれなかった。
そんなことを考え始めたときだ。
「──……!」
声がした、気がした。
甲高い、子供の泣き声のように思えた。
足を止め、神眼を発動し耳を澄ます。
そして、左側──外周側の壁に耳を寄せた。
間違いない。
「子供が、いる。外周側の壁の向こうだ。扉を探そう」
「ほ、ホントですか!」
「ああ」
俺が頷くと同時に、パタネアが駆け出す。
だが、そこで素直に抜き去られるほど甘くはない。
俺は、神眼を即時発動し、パタネアの手首をしっかと握った。
「どわ!」
「気持ちはわかるけど、独断専行は駄目だ。ナナイロのこと言えないぞ」
「言えないぞー!」
「そ、そうですよね。すみません……」
「とにかく、外周側だ。扉を見落とさないようにしてくれ」
「はい!」
有機的に張り巡らされたチューブや、薄く発光する機械じみたもの。
それらが彩る壁は、さながら機械生命体の体内といった風情だ。
扉は、思いのほか早く見つかった。
「──あった!」
「よ、……よかった! 開けよう!」
「はい!」
力いっぱい頷いたあと、パタネアが固まる。
「……これ、どうやったら開くんでしょう」
扉らしき凹みには、ノブも取っ手も何もない。
つるつるとしたものだ。
だが、扉のすぐ隣には艶めいた白いタイルが設置されており、ちょうど手のひらが収まるサイズに見えた。
「もしかしたら、その隣の板に
「あ、なるほど」
パタネアが、タイルに手を当て、目を閉じる。
しかし、
「……開きません!」
「見ればわかる。
「けっこう込めたんですけど……」
「んじゃ、おれもやるぞ!」
ナナイロが手を伸ばし、タイルに触れる。
その瞬間、前触れもなく、扉が左の壁へと収納されていった。
「……へ?」
「開いた! ナナイロ、えらい!」
「お、おう……」
「子供たちは──」
ナナイロの頭上から、室内へと顔を覗かせる。
そこに広がっていたのは、あまりにも意想外な光景だった。
まず目についたのは、天井から吊り下げられた豪奢なシャンデリアだ。
煉瓦造りの壁に囲まれたこの空間をシャンデリアが明るく照らし出し、その下には使いやすそうな丸テーブルが幾つも並んでいる。
六人は座れるソファが壁際に何台も設置されており、めいっぱい書物の詰め込まれた本棚の周囲には、色鮮やかな表紙の絵本が何冊も散らばっていた。
そして、何より、ここには子供たちがいた。
泣いている子もいれば、それを慰める年上の子もおり、大人しく読書に勤しむ子や、俺たちの存在に気付き笑顔で駆け寄ってくる子供もいる。
その数は、俺たちが診療所で見たよりも遥かに多い。
目の届く範囲だけでも数十名はいるのではないだろうか。
「みん、……な……」
パタネアの頬を、一筋の涙が伝う。
「──みんなッ! よかった、本当に……!」
パタネアが感激と共に部屋へ駆け入ると、さすがに俺たちの存在に気が付いたのか、子供たちが歓声を上げて集まってきた。
何度も肩車をしてあげた、先程誘拐されたばかりの男の子の姿もある。
無事だったのだ。
俺は、その事実に心の底から安堵すると、パタネアと子供たちのやり取りを見守ることにした。
「パタ姉! ……パタ、姉……っ!」
「来てくれた……!」
「うああ、ああ、ぶああああああ……ッ!」
パタネアもまた、マナナと同じように、子供たちに心から慕われている。
血筋なのかもしれなかった。
「よかったぞ……」
一歩引いてその様子を見ていたナナイロが、浮かぶ涙を必死で拭っていた。
そのとき、
部屋の奥にある扉が、
音も立てずに開かれた。
──顔を出したのは、あの魚人の魔獣だった。
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