2/エン・ミウラ島 -8 北の入り江

「おれも、エン・ミウラ島にそんな詳しいわけじゃないけど……」

 そう言ってナナイロが案内してくれたのは、北の入り江が一望できる断崖だった。

 高台ゆえに風が強く、少々肌寒いくらいだ。

 入り江にはかつて集落があったのか、あるいは倉庫か何かなのか、朽ちかけた掘っ立て小屋が点在している。

 現状、動くものはない。

「……黒ずくめは小屋の中、かもな」

「そう、……かな。そうかも……」

 プルが曖昧に頷く。

「例の黒ずくめに関しては、何一つとしてわからぬままだ。取っ捕まえて尋問すべきであろう」

「ナナイロは、黒ずくめに会ったことあるのか?」

「あるぞ」

「どんな様子でしたか?」

「うーと……」

 ヤーエルヘルの問いに、ナナイロが言葉を探す。

「あいつら、一言も喋らないんだ。逃げる人、刃向かう人を叩きのめして、淡々と連れてく。脅しもしなければ、仲間同士で会話もしなかった」

「海賊ってそういうもん?」

「わかりません。さすがに海賊に会ったことはないでしから……」

 そりゃそうだ。

「なんでもいい。他に気付いたことはあるか?」

「そうだなー」

 しばし思案し、ナナイロが答えた。

「あいつら、さらう人を選んでるみたいだったぞ」

「選り好みしてた、ってことか」

「うん。子供なんかは見逃して、大人ばっか狙うんだ。だから、子供が残ってる」

「ほう、人道的なところもあるではないか」

 プルが尋ねる。

「で、でも、島の子供って、あ、あの子たちで全員じゃない、……よね?」

 それは、俺も疑問に思っていたことだった。

 数が少ないし、ナナイロより年かさの子供がいないのは不自然だ。

「うん。黒ずくめは選んでさらうんだけど、魔獣はもう、目についた島民を手当たり次第に捕まえるんだ。おれより大きい子は、小さい子をかばって連れてかれた」

「そっか……」

 皆、勇敢な子供たちだ。

「あいつら、力が強いから、一度身動きを封じられたらカタナ兄でも抜け出せないと思う。気を付けてほしいぞ……」

「ああ、わかった」

 魚人の魔獣は、膂力に長けている。

 肝に銘じておこう。

「しかし、なんとなく入り江に船が停泊してるイメージだったんだが……」

 海賊船の姿はどこにもない。

 入り江どころか、断崖から見渡せるすべての場所に船影はなかった。

「黒ずくめって、どこから来たんだ?」

 プルが、水平線に視線を送る。

「ほ、本隊がべつにいて、ひとと、物資を、運んできてる、……とか」

「でも、エン・ミウラ島の北は魔獣の海域でしよ?」

「そーなのか?」

 ナナイロが、きょとんと目をまるくする。

 知らなかったらしい。

「彼奴らが魔獣使いであれば、すべて解決するではないか。自分たちの船を襲わないよう命令しておけば、それで済む」

「──いや」

 ヘレジナの意見に反駁する。

「それも考えにくい」

「どーゆーことだ? カタナ兄」

「魔獣の数が多すぎるんだ。魔獣使いが使役できるのは、一人につき一体まで。さっき、俺とプルが魔獣除けのテストをしたとき、何体の魔獣に襲われたと思う?」

「……その言い草だと、随分と多そうであるな」

「少なく見積もって、百体以上だ。黒ずくめが魔獣使いなら、やつらは最低でも百人以上いることになるだろ。しかも、南の浜辺にいたのがすべてじゃない。そう考えると、黒ずくめの人数があり得ない数になっちまうんだよ」

「そうなると、そもそも使役できてる現状がおかしいということになりまし。魔獣使いでもないのに魔獣を従えていることになりましから」

「魔獣使いでなくとも使役できるのであれば、プルさまの意見は通る。だが、不自然な点があまりにも多すぎるな」

「ま、ますますわからなくなっちゃった。黒ずくめの正体……」

「なに、取っ捕まえて吐かせればよいのです」

「ナナイロ、入り江の洞窟の場所ってわかるか」

「ごめん、わかんないぞ。おれ、このへん来たの初めてだし……」

 ヘレジナが薄い胸を張る。

「それも、取っ捕まえれば解決である」

「それはその通りでしけど……」

「いつまでもここにいたところで、何も進まん。さっさと入り江に突撃しようではないか」

 不本意ながら、ヘレジナの言葉は的を射ている。

 このまま待っていたところで、事態が大きく動く当てはない。

 結局、行動するしかないのだ。

「……わかった。作戦通り、三人で固まっててくれ。俺とヘレジナが、絶対に守るから」

 プルたちに別の場所で待機してもらうという案は、真っ先に出た。

 だが、正体のわからない黒ずくめが跋扈し、満月で凶暴化した魔獣が徘徊しているとなれば、離れ離れになるのは得策ではない。

 俺とヘレジナ、どちらかが三人を守り、どちらかが単身乗り込む案は、すぐさま却下された。

 つまり、五人で吶喊するより他に道はないのだ。

「よし、行こう」

 皆が頷くのを確認し、断崖を後にする。

 入り江に足を踏み入れれば、間違いなく接敵するだろう。

 この三人を、傷つけさせはしない。

 高台を下り、木々の生い茂る東側から入り江を臨む。

 最も近い掘っ立て小屋まで、目算で二十メートルほどはある。

 作戦はこうだ。

 まず、ワンダラスト・テイルの最高戦力であるヘレジナが、単身で掘っ立て小屋を制圧する。

 黒ずくめがいれば捕縛し、いなければ中継基地として利用する。

 基本的にはこれを繰り返し、想定外の事態が起これば都度対処する。

 単純だが、相手の情報が少なすぎて、他に取れる手がなかった。

「──…………」

 ヘレジナが、俺の顔をじっと見つめる。

 俺は、周囲を油断なく見渡すと、そっと頷いてみせた。

 瞬間、ヘレジナの姿が目の前から掻き消えた。

 神眼がなければ目視できないほどの速度で、ヘレジナが掘っ立て小屋を強襲する。

 ほんの数秒後、ヘレジナが俺たちを手招いた。

 プル、ヤーエルヘル、ナナイロの順で、三人が駆け出す。

 俺がしんがりを務め、掘っ立て小屋へと迅速に侵入すると、天井の隙間から陽射しが漏れるほどに朽ちかけた部屋の中でヘレジナが片膝をついていた。

「カタナ、これを見ろ」

 ヘレジナの視線を辿り、部屋の隅を見る。

 そこは、真っ黒に汚れていた。

「これは?」

 同じように覗き込んだプルが、答える。

「に、煮炊きのあと……。出た生ゴミを、め、面倒がって燃やすと、煤になって壁とか床を汚す、の」

「寝床はありませんが、他にも生活の痕跡がありまし。誰かがここに住んでることは間違いないでしょう」

「不在、か……」

 パタネアたちの方へ行っていなければいいのだが。

「では、次の小屋へ行くぞ」

「ああ」

 この手順を繰り返し、掘っ立て小屋を一つ一つ調べていく。

 小屋は、全部で十四棟。

 すべてを調べ終えるまで、三十分とかからなかった。

「……誰もおらんか」

「出掛けてるみたいだぞ……」

 ヘレジナとナナイロの呟きを受けて、プルが窓から海を覗く。

「ど、洞窟のほうに行ってる、……とか」

「だとすると、困りましたね。あちしたちは洞窟の入り口もわかっていないのに……」

「ど、どうしようか……」

「決まっておりますとも」

 ヘレジナが不敵な笑みを浮かべる。

「へ、ヘレジナ。考えがある、……の?」

「はい。手当たり次第に探せばよいのです」

 思わず口を挟む。

「いや、無策にも程があるだろ。黒ずくめはいなくても、魚人の魔獣はいるんだぞ」

「魔獣如き、と言っておるのだ」

 ヘレジナが、俺の顔を見つめる。

「カタナ、正直に言え。先刻、百体余りの魔獣に取り囲まれた際、脅威を感じたか?」

「いや」

「プルさまを守る必要がなければ、どちらが勝利していたと思う」

「……俺だ」

「まじかよ」

 ナナイロが、呆れたような、感心したような声を漏らす。

「魔獣が弱い、と言っているのではない。私たちが強い、と言いたいのでもない。あれらは遅いのだ。カタナはハィネスの神眼故に、私は体操術に長けているが故に、相手にならん。ひどく相性の良い相手なのだ」

「──…………」

「もし魔獣に襲われたとしても、私が攻め、カタナが皆を守れば、千や万でもいない限りは問題ない。それだけの数を相手取るには、さすがに体力が続かんのでな」

 ヘレジナは、決して、驕り高ぶっているわけではない。

 自身と相手の力量を冷静に鑑みた上での発言だ。

「なるほど。むしろ、戦力の不明な黒ずくめたちがいないうちに、というわけでしね」

 ヤーエルヘルの言葉に、ヘレジナが頷く。

「その通りだ。私は、洞窟の入り口を捜索すべきと進言する。他に意見はあるか」

 ナナイロが、恐る恐る手を上げた。

「黒ずくめを待つ──じゃ、だめなのか?」

「駄目とは言わん。それも立派な意見だ。ヤーエルヘル、メリットとデメリットを提示できるか」

「はい!」

 ヤーエルヘルが、元気よく返事をする。

「メリットは、魔獣と相対せずとも洞窟へ入れる可能性があることでし。場合によっては、最も安全な手段と言えるかもしれません」

「おー! いいじゃん!」

「もちろん、デメリットはありまし。それは、黒ずくめたちがいつ帰ってくるかわからないこと。一時間や二時間ならいいでしょう。でしが、夜まで帰ってこないことも、数日ここを空けることも考えられまし。いずれにしても、かなり腰を据える覚悟が必要かと」

「あー……」

「それに──」

 ヤーエルヘルが、こちらを見上げる。

 頷き、口を開いた。

「時間が、な。あんまりないかもしれないんだよ」

「時間?」

 ナナイロが小首をかしげる。

「俺たちが、この島にいられる時間だ。具体的にはわからない。だが、間違いなく制限時間がある」

「……えっと、どういうことだ? よくわからないぞ……」

「そうだな……」

 しばし思案し、言葉をまとめる。

「──俺たちは、エン・ミウラ島を救ってくれと頼まれてここに来た。時間が来れば、俺たちはこの島から消える。いつ消えるかは俺たち自身にもわからない。だから、なるべく早く全部解決したいんだ」

 可能な限り噛み砕いたが、これで伝わるだろうか。

 ナナイロが、しばらく考え込んだあと、尋ねた。

「誰に頼まれたんだ?」

 まさか、未来のナナイロとは言えない。

 後々のことを考えると伝えるべきなのかもしれないが、少なくとも今ではないだろう。

「長くなるから、後でいいか?」

「……わかったぞ」

 ナナイロが、引く。

「時間がないなら、ジナ姉の手で行くしかないな。ちょっと怖いけど……」

 ヤーエルヘルが、ナナイロを安心させるように、その手を取った。

「大丈夫でしよ、ナナさん。カタナさんが守ってくれましから」

「うん! 頼んだぜ、カタナ兄!」

 信頼の篭もった言葉に、力強く頷いてみせる。

「おう、任せとけ!」

「か、かたなも、ヘレジナも、怪我したら、す、すぐに治すから……!」

「はい。その時はよろしくお願い致します」

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