2/エン・ミウラ島 -7 五人目
診療所の扉を開くと、待合室が騒がしかった。
「──はい、忘れ物はないですか! 大切なもの、必要なもの、自分で持つんですよお!」
「はーい!」
「わかってるよー」
パタネアの確認に、子供たちがわいわいと言葉を返す。
待合室のソファには、まだ顔の青い中年の女性と、老齢に差し掛かった男性の姿があった。
プルとマナナが治療した人たちだろう。
ヘレジナがこちらに気付く。
「おお、プルさまにカタナ。戻られましたか」
マナナとヤーエルヘルも、ヘレジナに続いてこちらを振り返る。
「よかったよかった。あと十分遅けりゃ、ヘレジナちゃんが探しに行くとこだよ」
「危なかったでし。入れ違いになるところでした……」
「悪い。魔獣除けの検証に、思いのほか時間がかかってな……」
ナナイロが、俺のシャツの裾を引く。
「なーなーカタナ兄! その魔獣除け、使えんのか?」
「結論から言うと、使える。ちゃんと効果あったぞ」
「本当ですか!」
パタネアに頷く。
「効果範囲も広めだから、地下室に篭もる必要もなさそうだ。ただ、もしものことを考えると、地下室のある家で過ごしたほうがいいとは思う。すぐ逃げ込めるようにな」
子供たちから歓声が上がる。
命あっての物種とは言え、嫌なものは嫌に決まっている。
「なら、ダーニャさんちをお借りしましょう! あそこのおうち、とても大きいですから。代わりに地下室は、もともと使われてなくてボロボロで」
マナナが同意する。
「地下室を緊急避難先として使うんなら、妥当なとこじゃない? いくら範囲が広くたって、一ヶ所に固まってたほうが安心なのは違いないし」
「ですね!」
「──あ、そ、そだ」
プルが、鞄から魔獣除けを取り出す。
「この、ま、魔獣除けなんですけど、近くにいると──」
──トンッ
プルの言葉にかぶせるように、心臓が軽くノックされる。
「ギャッ!」
ナナイロが、潰されたカエルのような声を上げた。
「……とまあ、こんな感じで変な振動が来るんだ。この振動で魔獣を遠ざけてるっぽい」
「なんだか、くすぐったいかんじでしね。落ち着かないかも……」
「な、な、な、なんだいまのはー!」
がるるると威嚇をしながら、ナナイロがパタネアの背後に隠れる。
──トンッ
「にぎゃーッ!」
そして、二度目の振動の直後、あっと言う間に診療所の外へと駆け出ていった。
「パタネア!」
「はい!」
パタネアと共に、ナナイロを慌てて追い掛ける。
夏が色濃い屋外に出ると、魔獣除けから隠れるように、ナナイロが診療所の壁に貼り付いていた。
「ナナイロ、どうしたの?」
パタネアが、ナナイロに視線の高さを合わせる。
「胸が、ざわわ! めきょめきょ! がいーんってしたぞ!」
「大袈裟な……」
「あたしは、トンッてしただけだったけどな。へんな感じだけど、嫌ではないかも」
「おれ、苦手だあ……」
「まあ、好みの分かれる感覚ではあるよな。もしくはナナイロが特別に敏感──」
「んぎゃ!」
ナナイロがさらに逃げていく。
「……え、今震えたか?」
「わ、わかりません……」
二十メートルほど離れた位置で、ナナイロが振り返る。
「だ、だめだこれ。おれ、傍にいるの無理だぞ……」
パタネアが、困ったように言う。
「ナナイロ、なんだか合わないみたいですね。風が吹いただけで痛む病気もありますし、感覚の鋭さは人それぞれなのかもしれません」
「しかし、どうすっかな。これだと、ナナイロは皆と一緒の家にいられないぞ」
「はい……」
軽く思案する。
「ナナイロだけ隣の家にいてもらう、とか」
「すみません。ダーニャさんちのあたり、家と家とがかなり離れていて……」
「駄目か……」
魔獣除けの恩恵を受けるためには、魔獣除けの近くにいなければならない。
だが、ナナイロはそもそも魔獣除けの近くにはいられない。
根本的な問題だった。
「……その」
ナナイロが、遠慮がちに手を挙げる。
「おれ、カタナ兄たちについてっても、いいかな」
「俺たちにか?」
パタネアが慌てて言う。
「ダメだよ、ナナイロ! 北の入り江は危険なんだから!」
「でも、おれひとりで別の家の地下室だなんて、絶対嫌だぞ……」
「だったら、あたしも一緒に!」
「パタ姉は、他の子たちの面倒があるだろ。目を離したら探検に行っちゃうような子だっている。マナナが手伝ってくれるとしても、大人の数、ぜんぜん足りてないもん」
「それは……」
パタネアが消沈していく。
「だったら、カタナ兄たちと一緒のほうが安全だと思う。すごく強いし……」
「──…………」
聡明な子だ。
俺たちの力量も、人手が足りていないことも、すべて理解した上で提案している。
「……ナナイロ、カタナさんたちについていきたいだけじゃないよね?」
「う」
ナナイロの反応に、パタネアが悲しそうな顔をする。
「嘘、ついたの?」
「ついてない! あれ、本当にだめなんだぞ! ついてってみたい気持ちはあるけど、パタ姉に心配かけてまではしたくない。信じてほしいぞ……」
その言葉を聞いて、パタネアが微笑んだ。
「信じます。ごめんね、意地悪なこと聞いたね」
「ううん、おれこそ。みんな平気なのに……」
「誰かが平気なことでも、誰かはだめ。そういうこと、たくさんあるから。だから、ナナイロも気にしなくていいからね」
「うん……」
二人のやり取りを聞きながら、俺は覚悟を決めていた。
「……わかった。ナナイロ、一緒に来い」
「カタナさん……」
パタネアが、不安そうに俺を見た。
「ナナイロは、俺たちが守る。安心しろ──って、ただ言葉で言っても難しいよな。白き神剣に必要な
俺は、近くの樹木の前に立ち、葉を十枚ほど失敬した。
「見ててくれ」
十枚の葉を投げ上げ、神眼を発動する。
ふわり、ゆらりと揺れ落ちる、掴みどころのない宙空の葉。
俺は長剣を抜き放つと、そのすべてを縦に両断してみせた。
「──…………」
「──……」
葉を幾枚か拾い上げ、パタネアとナナイロに見せる。
「大道芸だけど、こんくらいならできる。おまけに、ヘレジナは俺より強いんだ。多少は信じられるか?」
「すげー……!」
「それでも、心配です。けど……」
パタネアが、気丈な瞳で俺を見つめた。
「カタナさん。ナナイロを、お願いできますか」
「ああ、約束する。傷一つなく帰す」
「よろしく、お願いします!」
パタネアが深々と頭を下げると同時に、マナナの声が周囲に響いた。
「──おーい、全員準備整ったよ!」
皆が、診療所からぞろぞろと現れる。
「ナナさん、大丈夫でしか……?」
「うん、大丈夫だぞ」
様子のおかしいナナイロに気を遣ってか、魔獣除けはまだ待合室にあるようだ。
「カタナ。そろそろ入り江に向かおうと思う。準備はできたか?」
「ああ」
俺は、ナナイロの背後に回ると、その両肩に手を置いた。
「それと、ナナイロも同行することになった」
「なったぞ!」
「えっ!」
プルが目をまるくする。
「魔獣除けの振動が、どうしても駄目らしいんだよ。一人で放り出すよりは、俺たちと一緒のほうが絶対にいい」
「そ、それは、そうかも……」
ヘレジナが、胸を張って言う。
「私は構わん。そも、私とカタナがいれば、大抵の相手には遅れを取らんのだ。これは驕りではなく、事実である」
ナナイロが、そっと目を伏せる。
「……ごめんな。おれ、お荷物になっちゃうけど」
その言葉を聞き、ヤーエルヘルがナナイロの手を取った。
「お荷物は、あちしもでしよ」
「そーなのか?」
「はい。だから、気にしないでくだし。なるべく一緒にいて、カタナさんたちが守りやすいようにしましょうね」
「わかった!」
「ふうん……」
マナナが、感心したように腕を組む。
「なるほどね。ワンダラスト・テイルの五人目は、うちじゃあなくてナナイロってことか」
「おれが?」
「だってそうだろ。うち、パタネアと一緒に子供たちの世話しなきゃなんないもん。頑張りたまえ、英雄ども」
「おれ、そんな……」
ナナイロが、戸惑いながら、ヤーエルヘルの顔を見上げた。
「ナナさんが仲間なら、あちし、とっても嬉しいでし!」
それは、未来を知っているが故の言葉だ。
大人になったナナイロと共に二十年の時を過ごしたヤーエルヘルの、心からの喜びだ。
プルが微笑む。
「そ、そっか! な、ナナイロが五人目、……だったんだ」
「面白いことになってきたではないか」
ナナイロに左手を差し出す。
「一緒に島を救おうぜ、ナナイロ」
残った右手で俺の手を握り、ナナイロが満面の笑みで頷いた。
「うんっ!」
俺とヤーエルヘルのあいだで安心しきった表情を浮かべるナナイロを見て、改めて誓う。
絶対に守る。
この子を傷つけさせてなるものか。
「パタネア。マナナ。行ってくる」
「ああ、行っといで。油断はしないでおきなよ」
「ナナイロを、島を、よろしくお願いします……!」
俺たちは、二人の言葉に無言で頷くと、診療所を後にした。
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