2/エン・ミウラ島 -6 魔獣除けの効果
港から、海岸線を、西へ向かって歩いていく。
石造りの港はすぐに途切れ、しばらく岩場が続いていた。
足元に気を付けながら三十分ほど歩いた頃、
「──か、かたな」
プルが、小声で海を指差した。
水面に、墨をこぼしたような影が見える。
魚影としては明らかに巨大だった。
「プル、魔獣除けの準備」
「うん!」
プルが、自分の鞄から、魔獣除けの円盤と
「まず、石を投げて魔獣の注意を引きつける。こっちに近付いてきたら、魔獣除けの効果を試そう。通じなきゃ、魔獣は俺がどうにかする」
「わ、わかった……」
水際から離れると、砂から石へと粒子が粗くなっていく。
俺は、こぶし大の石を幾つか拾い上げ、可能な限り高く放り投げた。
「よッ、と!」
──どぷん!
水飛沫も高らかに、石が水底に沈んでいく。
狙いは甘くて構わない。
魔獣が気付けばそれで良いのだ。
それを何度か繰り返していると、水面下の影がこちらへと近付いてきた。
全身から水を滴らせながら這い上がってきたものは、あの人間とも魚ともつかない魚人の魔獣だった。
それが、八体。
思いのほか数が多いが、さしたる問題はない。
「プル」
「は、……はい!」
プルが、魔獣除けの中心に
だが──
「……効かない?」
魚人の魔獣には、なんの変化も見られない。
真っ赤に充血した瞳から海水を垂れ流しながら、無言でこちらへ近付いてくる。
「こ、壊れて、……る?」
「未来のナナイロさんが、故障したもん渡すかな。過去で役に立ったからこそ、わざわざこの魔獣除けを作ったんだろ」
「そ、それはそう……」
だが、稼働していないことは事実だ。
俺は、腰に提げた長剣を抜き放つと、正眼の構えを取った。
すこし重い。
ラーイウラで使用した薄刃の長剣は、ジグに蒸発させられてしまった。
あの感触を恋しく思いながら、すぐ傍にまで近付いていた魚人の魔獣に向けて長剣を振り下ろす。
燕双閃・自在の型。
右へ避けようとする気配を、神眼で鋭敏に察知する。
俺は、一閃の最中に長剣を寝かせると、燕返しの要領で、魔獣の首を直角の軌跡と共に半ばほど寸断した。
長剣の切っ先が骨をかすめ、硬い感触を返してくる。
絶命すれば黒い粘液に変わってしまう魔獣とて、骨格がないわけではないのだ。
ぼたぼたと真っ黒な血液を垂れ流す首筋を、魚人の魔獣が両手で押さえる。
その隙を突き、魔獣の右側へと大きく踏み込むと、たった今斬り裂いた箇所とは反対側を掻き切った。
そして、魚人の魔獣の頭部へ向けて、渾身の回し蹴りを叩き込む。
筋肉という支えを失った魔獣の首は、意外なほどあっさりと折れた。
「全滅させるまで、いったん様子を見よう」
「き、きき、気をつけて、ね」
足元で黒い粘液へと変貌していく魔獣から視線を外し、残りの七体を観察する。
今日は、満月。
東方に座す月はまんまるだ。
真円を描く月の下、魔獣たちが迷わずこちらへ向かってくる。
目の前で仲間が殺害されたにも関わらず、その足取りに躊躇は見られなかった。
それどころか、目を爛々と輝かせながら、鋭利な爪を備えた腕を喜々として振り回している。
狂戦士のようだ、と思った。
「プル、なるべく離れるな。そのほうが守りやすい。怖かったら目閉じてろ」
「だ、だいじょうぶ……!」
距離を取ってしまえば、プルが狙われた時に対処できない。
近くにいてくれたほうが安全だ。
プルに攻撃が届く前に、すべて仕留めてしまえばいいのだから。
仲間だったはずの粘液を踏みしめながら、二体の魔獣が同時に襲い掛かる。
片方は俺を、もう片方はプルを狙っている。
俺を狙う魔獣は無視して構わない。
プルを狙う魔獣に対処すれば、自然と回避できるからだ。
俺は、プルの肩へと振り下ろされる鉤爪を、渾身の突きで弾いた。
すぐさま引き抜き、その勢いで首筋を寸断、胸を蹴り飛ばして距離を作る。
最初に俺を狙っていた魚人の魔獣が体勢を整え、俺の顔面に拳打を放つ。
予測軌道に刃を置くと、拳の勢いそのままに、魔獣の腕の肉が綺麗に削げた。
その場に屈み込んで足払いをし、転倒した魔獣の腹部に長剣を突き刺す。
心臓を狙い打つことは難しくとも、腹部であれば間違いなく内臓がある。
致命傷だ。
胸を蹴り飛ばした魔獣が、崩れた体勢を元に戻して再び襲い来る。
突き刺した長剣もそのままに斬り上げると、縦一文字の深い傷が刻まれた。
魚人の魔獣の力量さえわかってしまえば、プルを守りながらでも対処はできる。
六体目の魔獣を絶命させた時のことだった。
「──か、かたな! 向こう!」
プルが海を指差す。
最初、その意図がわからなかった。
そのくらい自然に、海の色が変化していたのだ。
「……えーっと、もしかして」
視界のあちこちで、海面が盛り上がる。
現れたのは、無数の魔獣たちだ。
数えたくもないが、軽く百体は超えている。
「よし、逃げるか」
「う、うん!」
ヘレジナは、魔獣の百や二百ならば問題はないと言った。
それは事実だ。
ただし、俺単独の場合、白き神剣を武器とし、かつ守るべき対象がいなければ、という但し書きがつく。
俺より実力のあるヘレジナであればともかく、現状、百体以上の魚人の魔獣を相手取るのは無理があった。
海に背を向け、走り出す。
当然ながら、魔獣を引き連れて町へ向かえるはずもない。
「西の森へ行くぞ! あそこで撒く!」
「はいっ!」
魚人の魔獣の動きは、相変わらず鈍重だ。
だが、十体程度であればともかく、あの数で押し寄せられてはたまらない。
必死に足を動かしながら、これからどうすべきか頭を悩ませていると、
──トンッ
心臓を優しく指で弾かれたような感覚があった。
「!」
俺も、プルも、思わず立ち止まっていた。
「……なんだ、今の」
振り返る。
魔獣の群れが動きを止めていた。
──トンッ
二度目の振動。
その瞬間、すべての魔獣が苦しげにうめきながら、慌ててきびすを返した。
波が引くように、あっと言う間に魔獣の姿が見えなくなる。
「魔獣除け──、か?」
「た、たぶん……」
プルが、手にしていた魔獣除けを俺に差し出す。
「ま、魔獣除けが、ね。振動したの。トンッ、て……」
「魔獣の嫌う音でも出たのか……?」
「わ、わかんない、……けど」
プルが微笑む。
「効果、あ、ありそう……!」
「効果があるのはよかったけど、なんですぐ振動が起こらなかったんだ? 今も静かだし……」
「魔獣に、は、反応してる、……とか」
「だったら、戦ってるときに動いてもよさそうなもんだろ。不安定なのは困る」
「たしかに……」
昨夜、ゼンネンブルク診療所の柱時計に合わせた懐中時計で、現在の時刻を確認する。
「──まだ、一時間あるな。しばらく様子を見てみよう。この魔獣除けが使い物になるのかどうか、見極めないと」
「そうだ、……ね」
浜辺から離れ、木陰に腰を下ろす。
しばし二人で海を眺めていると、
──トンッ
また、心臓が揺れる。
さらに数度の稼働を経て、気付いたことがあった。
「これ、ランダムっぽいな。平均して二、三分に一度、振動する。連続することがあれば、間が空くこともある」
「そ、それで、だったんだ……」
プルが、納得したように頷く。
「じゅ、純度の低い
「つまり、設計通りってわけか」
「……たぶん」
「効果範囲も広いみたいだし、数分に一度動けば十分だ。これなら安心して北の入り江に向かえるな」
腰を上げ、軽く伸びをする。
「──うっし、戻るか! どんくらい時間が残されてるかわからない以上、可能な限り迅速に動かんと」
「うん……!」
プルが、鞄に魔獣除けを仕舞う。
いちばん恐ろしいのは時間切れだった。
そうなれば、このエン・ミウラ島だけではなく、未来そのものが改変されてしまう可能性すらある。
俺たちの〈現在〉が確定したものであるとは限らないのだ。
俺とプルは、可能な限りの早足で、診療所への道を引き返した。
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