2/エン・ミウラ島 -5 満月の魔獣

「──満月の日の魔獣、ですか」

 簡単な朝食ののち、パタネアが神妙に答えた。

「実を言うと、詳しくはわからないんです。なにせ、昼間のうちに、地下室のある家に篭もってしまいますから。満月の日以外は、無抵抗であれば大人しくさらっていく。ですが、満月の日にはどう出るかわからない。満月の日に壊された家も多いので、やはり凶暴化はしているんだと思います」

「そっか」

 対処法があると言っても、地下室に隠れるだけでは、いつ見つかるかもわからない。

「実は、魔獣除けの魔術具──みたいなもんがあってさ。テストしてないから、効果のほども定かじゃないんだけど」

「えっ、そんなものが!」

「あとで魔獣の前で使ってみる。効果がありそうだったら、渡すよ」

「あ、ありがとうございますう! 何から何まで!」

「まじゅうよけー?」

 肩車をしている女の子が首をかしげるのが気配でわかった。

「じゃー、地下室にいなくていいの?」

「やったー!」

 子供たちが喜びに沸く。

「こらー! カタナ兄たちが、効果をたしかめてからだぞ! 今から喜んでたら、ぬか喜びになるかもだぞー!」

「えー!」

「やだやだ!」

 ナナイロの言葉に、今度はブーイングが上がる。

 そりゃ、地下室なんかに一昼夜も篭もりたくはないよな。

 特に今の時期は、熱気もすごいだろうし。

「とは言え、いきなり北の入り江に吶喊は問題あるよな。入り江以外に必ず魔獣がいるところって、心当たりないか?」

「そうですね。やはり、海辺でしょうか。魔獣はたいてい、海のほうから現れるんです。あの見た目ですし、水棲なんでしょうね」

「なるほど、了解」

 皆の顔を見渡し、数瞬思案する。

「魔獣除けの効果を試すだけなら、全員で行く必要はないよな。ヘレジナとヤーエルヘルは、皆を見ててくれるか?」

「相分かった」

「しみません、力になれなくて……」

「戦力にはなれなくたって、やれることはたくさんあるだろ。子供たちのこと頼むぜ」

「──はい!」

 ヤーエルヘルが、大きく頷いた。

「そうだぞ、ヤー姉! ヤー姉はいちばんおっきいんだからな!」

 ナナイロの中で、ヤーエルヘルは子供枠に入っているようだった。

「はい、頑張りまし。ナナさんに、二度と無茶をさせないように」

「もうしないってば!」

「本当に?」

「──…………」

 ナナイロが目を逸らす。

 マナナが、呆れたように言った。

「ヤーエルヘルちゃん、よーく監視しとくんだよ」

「わかりました!」

「うえー……」

「正直助かります! 二階で休んでる方たちは病み上がりですし、他の家も子供の面倒で手一杯ですから……」

 パタネアの言葉に、プルが頷く。

「ち、治癒術だと毒素を抜くことができないから、膿むと、ど、どうしても、治りが遅くなっちゃうんです。で、でも、消毒とかしっかりしてたので、数日あれば完治する、と、思い、……まっす!」

「ええ、診療所の娘ですからね。それくらいは!」

「ま、経過観察と継続治癒くらいはうちがやっとくからさ。プルちゃんは自分の仕事に専念しな」

「は、はい! よろしくお願い、します!」

 プルが、深々と頭を下げた。

「んじゃ、さっさと確かめてくるか。早いほうがいいだろ」

「う、うん」

 肩車をしていた女の子を下ろし、近くの子供たちの頭を撫でながら立ち上がる。

「かたなー、ぷるー、おしごとー?」

「ああ、お仕事だ。すぐに戻ってくるからさ」

 幼い男の子が、俺のズボンを握り締める。

「やだ、いかないで……!」

「──…………」

 ああ、そうか。

 子供たちは、そう言って帰ってこなかった人々を、幾度も見てきたのだ。

 俺は、そっと男の子を抱き上げると、言った。

「大丈夫だ。俺、けっこう強いから」

「そーだぞ! カタナ兄は災厄竜を倒したこともあるんだぞ!」

 パタネアと子供たちの目が点になる。

「……へ?」

「竜……?」

「うそだー!」

 これは、厄介なことになりそうだ。

 男の子をパタネアに押し付け、プルの手を取る。

「とにかく行ってくる! 港から西回りで海岸を歩いてみるわ。二時間で戻る。戻らなかったら何かあったと思ってくれ」

 ヘレジナが頷く。

「ああ、了解した」

「気を付けてくだし!」

 俺とプルは、騒がしくなり始めた診療所を、慌てて後にした。

 屋内からもかすかに聞こえていた蝉の声が大きく響き渡り、湿度を伴った熱気が肌にまとわりつく。

 今日も暑くなる。

 そんなことを予感させる空気が、島を満たしていた。

「ふ、ふへへ。そ、そんなに慌てなくったって、い、いいのにー……」

 プルが、肘でつんつんとつついてくる。

「うるさいな。炎竜殺しの話になると、こう、ムズムズして落ち着かなくなるんだよ。褒められて嬉しくないってわけじゃないんだが……」

「もっと、じ、自慢したっていいと思う、……よ?」

「あー、無理無理。竜殺しの自慢とか、できる気がしねえわ」

 パタパタと手を振ったあと、遠くの空をぼんやりと見つめる。

「前みたいに、自分の実力じゃないとかなんとか拗ねてるわけじゃないんだよ。白き神剣を使ったとしても、プルの策に頼ったとしても、炎竜を退治したのは確かに俺だ。自分で自分を認めることは、ちゃんとできてるさ。ただ──」

 すこし、言葉を探す。

 頭の中でしばらく堂々巡りを繰り返したあとに出てきたのは、シンプルな一言だった。

「……小っ恥ずかしい」

 散々考えてそれかよ、とは自分でも思う。

 俺の言葉を聞いて、プルが微笑んだ。

「か、かたならしい、……かも」

「……そうか?」

「は、恥ずかしがり屋さー、……ん」

「お、横っ腹が寂しいのか」

 両手をわきわきさせて、プルへと迫る。

「きゃ、きゃー……!」

 プルが、楽しげに嫌がるふりをする。

 軽く追いかけっこをしたあと、どちらともなく横並びで歩き始めた。

「──こ、ここが六十年前だなんて、ふしぎ。ぱ、パレ・ハラドナには、わたしと同じ年頃のお爺さまが、い、いるんだ、……よね?」

「確かに。そう考えると、なんか変な気分になってくるな。距離があるから会うことは不可能でも、今、同じ時を生きてる。頭では理解してても、心が追いつかない」

 六十年前。

 この世界サンストプラと地球が物理的に繋がっているかはわからないが、六十年前と言えば、俺どころか両親すら影も形もない頃だ。

 そこから自分が産まれることを考えると、奇跡を超えた何かを感じざるを得なかった。

 町の中心部まで足を伸ばすと、壊されている住居が幾棟も目についた。

 壁に穴が開いている程度のものから、徹底的に破壊を受けたものまで、多岐に渡っている。

 風雨に晒されボロボロになったぬいぐるみが、痛々しかった。

「──…………」

 プルが、ぬいぐるみの傍で屈み、その頭を優しく撫でる。

「……どの家にだって、お、思い出はあるのに。悲しい、……ね」

「ああ……」

 人だけではない。

 物だけではない。

 それが、思い出だ。

 子供の背を比べた傷だって、どこかにはあったかもしれない。

 それが永遠に失われてしまったことに、他人事ながら心がざわめいた。

「でも、生きてりゃ思い出はまた積み上げられるさ。そのためにも、皆を助けてやらなきゃな」

「う、……うん。ワンダラスト・テイルの伝説、よ、読んどいて、よかった。まだ、間に合う。それがわかってるから、ぱ、パタネアさんたちを、まっすぐ励ませた……」

「ナナイロさんに感謝、だな」

「うん……」

「──…………」

 ナナイロのことを考える。

 あの、快活で、面倒見の良い少女のことを。

「ど、どうした、……の?」

「ナナイロの未来は、もう決まってる。これから先、どう生きるのか。生きたのか。魔術研究科に所属して、純粋魔術を研究した咎で追い出され、ヤーエルヘルと出会って旅をする。ナナイロの人生が幸福だったのか、それはわからない。ただ、もう決まってしまってることが──どう言ったらいいんだろう。悲しいでも、切ないでもなくて……」

 適当な言葉が見つからない

 この感情の置き場を、自分でもよくわかっていないのだ。

「悪い。なんか変なこと言ってるな、俺……」

「う、ううん」

 プルが、首を横に振る。

「す、すこし、わかる、……よ。生きることは、選択すること。ど、どんなに悩んでも、ナナイロがどうするかは、既に決まってる。ほ、ほんとは、子供には無限の可能性がある。でも、その可能性が、失われてるって感じるの、……かなって」

「ああ……」

 そうだな。

 俺の、この複雑な感情を、半分くらいは言い当てている気がする。

「で、でも、だいじょうぶ!」

「──…………」

「考えてみて、か、かたな。わたしたちの生きる時代に、六十年後から、み、未来の島の子供が来るかもしれない。わたしたちのすべての選択が、もう、終わった時代から」

 プルが一歩先んじ、俺の前に立つ。

 そして、振り返り、こちらを見上げた。

「たとえ答えが決まってても、わ、わたしたちのすることは、変わらない。その子が未来を知ってても、知らなくても、ただ、選択し続けるだけ。選択の先に訪れる未来は、常に一つ。それは、確定していても、不確定でも、同じこと、……だよ」

 プルの言う通りかもしれない。

 ナナイロの未来を知っているからと言って、彼女を不自由だと憐れむのはお門違いだ。

 彼女は、選択の果てに未来を選び取る。

 それが、たまたま、俺たちの知る現在へと繋がるだけなのだ。

「えー……」

 痒くもない後頭部を掻きむしる。

「まーた余計なこと考えちまったな。嫌な癖だぜ、まったく」

「いやじゃ、ないよ?」

「……そうか?」

「かたなは、優しすぎるだけ、……だから」

「──…………」

 思わず、プルから目を逸らす。

 ああ、照れてるさ。

 プルも、それをわかっているから、くすくすと優しく笑っている。

「──ほら、行くぞ! 二時間以内に帰らないと、あいつらに心配かけるだろ」

「は、はあい……!」

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