2/エン・ミウラ島 -9 不意打ち
俺たちは、掘っ立て小屋を出ると、西側の岸壁へと向かった。
黒ずくめたちがいないことは既に確認済みであるため、身を隠す必要はない。
「見た感じ、洞窟とかなさそうなんだよな……」
巨岩の陰を覗き見ながら呟くと、プルが答えた。
「ぱ、パタネアさん、隠された洞窟って、……言ってた」
「隠された、か……」
どういう意味なのだろう。
「言葉の通り、誰かが意図的に隠したということではないか?」
「洞窟の入り口って隠せるもんか? よほど小さいならわかるけど、人を担いだ魔獣が通れるくらいの大きさはあるだろ」
背の低い立木の枝葉をどかしても、白い岸壁が覗くばかりだ。
入れそうな穴は、見当たらない。
自然、俺たちの視線は、海の方へと吸い寄せられる。
「海側からしか行けず、また船から死角となる場所であれば、島民が知らなかったことも納得できまし」
「でも──」
ナナイロが言い淀む。
「……深いぞ、ここ。おれの首くらいまでありそう」
行って行けないことはない。
だが、大きな問題がある。
海水に胴まで浸かった状態で、十全なパフォーマンスを発揮できるはずがないのだ。
「どうする、ヘレジナ」
「水着は干したままにしてきてしまったしな……」
あったら行くのか。
プルが、たしなめるように言う。
「さ、さすがに、海に入るのはだめ、……だよ。昨日、は、入ったから、わかる。い、いくらヘレジナでも、胸まで水に浸かって戦えるわけ、ない」
「それは、そうですが……」
魚人の魔獣は、泳げる。
それどころか、陸上よりも自在に動くことができる可能性すらある。
何も考えずに突っ込むのは、蛮勇というものだ。
「──…………」
思案する。
事は慎重に決めなければならない。
三人を無闇に危険に晒すような真似は、してはならない。
その上で、取るべき方法は一つだった。
「どした、カタナ兄。いいアイディア出たか?」
「いいアイディアかはともかくとして、まあ、これ以外にはなかろうってのは一つ」
「ほう、言ってみろ」
俺は、小さく頷いた。
間違ってはいないはずだ。
「──このあたりの魔獣を一掃してから、ゆっくり探すんだ。満月の日の魔獣なら、挑発すりゃあ絶対乗ってくる。水中が危険なら、陸上で相手取っちまえばいいだろ」
「たしかに……!」
ヤーエルヘルが、幾度も頷く。
「言われてみれば、他にないと思いまし。危険なようでいて、現状最も安全な策でしょう。あちしは賛成でし」
「なら、おれも賛成だぞ。よーわからんし!」
「わ、わたしも、……賛成! う、海に入るより、ぜったい、いい!」
「決まりだな」
ヘレジナが双剣を抜き放つ。
そして、眼前に灯術の光球を作り出した。
「準備がよければ、彼奴らを呼び出す。問題はないか?」
その言葉に、俺たちは小さく、しかし確かに頷いた。
「よし」
双剣を握ったまま、ヘレジナが裏拳で光球を殴りつける。
光球は放物線を描き、さざ波一つ立てずに海中へと没した。
「万が一もある。退路を常に意識しておけ」
ヘレジナがそう言った瞬間、
──カッ!
水中で、光球が爆ぜるのがわかった。
影の魔獣を撃退した時のことを思い出す。
しばしして、岩陰から十数体の魚人の魔獣が顔を出した。
もし泳いでいれば、確実に見つかる位置だ。
魔獣の群れは、俺たちを捕捉すると、水面下の影となって滑らかにこちらへと向かってくる。
やがて、ぱたぱたと海水を砂に染み込ませながら、一体ずつ陸に上がり始めた。
その動きは、やはり鈍重だ。
思った通り、やつらのホームグラウンドは水中なのだろう。
「──カタナ、皆を頼んだ。なるべく討ち漏らさぬようにするが、絶対とは言い切れん」
「わかってる」
ヘレジナが、魔獣の群れに向かって歩き出す。
瞬間、
踏み込んだ砂が爆裂し、
ヘレジナは高々と宙を舞っていた。
魔獣の群れの背後に着地し、再び砂を巻き上げながら彼らの合間をするりと通り抜ける。
恐らく、神眼を発動した俺にしか視認できなかっただろう。
流れるように、数体の魔獣の急所のみを掻き斬り、穿ち、刺し貫いていく。
神業だ。
同じ奇跡級上位でも、当然ながら優劣はある。
俺は、炎竜を屠った。
だが、白き神剣を以てしても、ヘレジナ=エーデルマンに勝利することはできないだろう。
そのくらい、実力に明確な差があった。
まばたきのうちに十数体の魔獣が沈黙し、徐々に黒い粘液と化していく。
だが、それで終わりではなかった。
沖合に、無数の頭部。
百や二百では済まない数の魔獣が、こちらへ向けて行進を始める。
「カタナ! さすがに全員は相手できん! 何体か行く!」
「ああ!」
何体か。
ヘレジナは、そう言った。
これだけの数を相手取り、ほんの数体しか討ち漏らさないと言ったのだ。
そして、それは事実だった。
無数の魔獣の合間を、金色の影が駆け抜ける。
その度、魚人の魔獣は倒れ伏し、黒い粘液へと姿を変えていく。
標的をこちらに変えた四体の魔獣を仕留めながら、俺はヘレジナの圧倒的な力量に驚嘆していた。
だが、
「──……ッ」
ヘレジナの動きが鈍り始めていることも、同時に理解できていた。
無酸素運動には限界がある。
持久力にもだ。
あれだけの動きを永遠に続けることは不可能である。
次々と現れる無数の魔獣。
ヘレジナが仕留めた魔獣の数は、とっくに三百を超え、もはや数え切れないほどになっていた。
果ての見えない戦闘によって砂浜が真っ黒に染まったころ──
前触れもなく、
唐突に、
幾本もの光の矢が砂浜へと降り注いだ。
「な──」
そのうちの一本が、ヘレジナの肩を貫く。
「ぐ……ッ!」
ヘレジナが、双剣の片方を取り落とした。
「ヘレジナ!」
不味い。
光の矢を放ったのは、いつの間にか高台に姿を現していた数名の黒ずくめだった。
「退くぞ!」
「……ああ!」
「ヤーエルヘル、先導してくれ! 岸壁沿いだ!」
「はい!」
黒ずくめの魔術を警戒しながら退路を確保する。
岸壁沿いを選んだのは、魔獣に囲まれないための措置だ。
一度に相手取る魔獣の数が半減すれば、それだけ余裕が生まれる。
右腕を力なく垂らしながら、左手だけで道を作ったヘレジナが、俺たちと合流する。
「ち、剣を取り落とした。この腕では拾えん」
ヘレジナは手負いだ。
拾いに行きたいが、黒ずくめからの光矢術がある以上、そうも行くまい。
「……悪い、安全が優先だ。いったん離れるぞ」
「ああ、わかっている」
プルに治癒を頼む時間も惜しい。
その場を逃げるように後にし──
「──ッ!」
気付かなかった。
間に合わなかった。
ナナイロが、退路とは正反対の方向へと駆け出したのだ。
「な……ッ!」
「ナナさん!」
ナナイロに続こうとするヤーエルヘルを制する。
「俺が行く。プル、ヘレジナを治してやってくれ」
「は、……はい!」
しばしここで粘る覚悟を決め、ナナイロを追う。
ナナイロは、魔獣の群れに躊躇なく突撃すると、双剣の片割れを拾い上げた。
魔獣が腕を振り上げる。
神眼を発動し、地を這うように駆ける。
振り下ろされた腕を長剣で弾き、ナナイロを抱えて反転する。
別の魔獣の爪が、俺の背中を切り裂いた。
痛みが走るが、まだ浅い。
動きを阻害するには至らないと判断し、皆と合流する。
黒ずくめが光の矢を放つ。
でたらめに狙いをつけた矢は、俺たちに命中することなく、逆に数体の魔獣を穿った。
好機だ。
「──走れッ!」
俺の指示を受け、四人が駆け出す。
巨岩や小屋を遮蔽物として利用しながら、俺たちは這々の体で逃げ出した。
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