2/エン・ミウラ島 -3 第一次討伐隊
焼けた石を水に落とした瞬間を切り取ったような音と共に、大岩が半ばほど寸断される。
その切り口は、あまりの高熱にガラス化していた。
二十秒が過ぎ、神剣の炎が消える。
視野に残像が焼き付いていた。
「──…………」
パタネアは呆然とし、
「──そっか、そういうことか」
マナナは一人、何事かを納得している様子だった。
「武器だけではない。私も、カタナも、奇跡級の剣術士である。悪いようにはすまい」
ヘレジナの言葉に、パタネアが深々と頭を下げる。
「すみません、侮ってました。たった五人で何が変わるんだって」
「そら、疑うのは当然だろ。唐突に現れた怪しい五人組を無条件で信じるほうが心配だ。特にパタネアは、子供たちの命を預かってる。そのくらいでいいんだよ」
「……あたしたちにできることなら、なんだって手伝います。だから」
パタネアが顔を上げ、真剣な瞳で俺たちを見つめた。
「この島を──エン・ミウラ島を、救っていただけないでしょうか!」
プルが、微笑む。
「は、……はい! わたしたち全員、さ、最初から、そのつもりです!」
「ああ。俺たちは、たぶん、そのために導かれたんだ」
「……ありがとう、ございます!」
パタネアが、浮かびかけた涙を拭う。
俺は、ナナイロに視線を向けた。
俺たちを導いたのは、運命の女神などではない。
未来の、この少女だ。
ナナイロは、この先、どのような人生を歩むのだろう。
答えはとうに出ている。
その事実が、どうしてか、切なく感じられた。
「光る剣も見られたことですし、戻りましょっか。大丈夫だとは思いますが、悪党どもに見られたらたいへんですから」
「ああ、了解」
折れた神剣を鞘に戻し、診療所へと戻る。
待合室のソファに腰掛けると、ナナイロが、口をつけて減ったぶんの果実水を皆のグラスに注いでくれた。
「のめのめーい! 果実水ならたくさんあるぞ!」
「ありがとうございまし!」
「あ、ごはんはちょっと待っててくださいね! お話が終わったら、ありものでパパッと作っちゃいますから!」
プルが、グラスを手に取りながらパタネアに告げる。
「て、手伝います! これでも、わ、わたし、お料理得意なので!」
「いいんですか! 甘えちゃいますよお!」
「はい! よ、よかったら、エン・ミウラ島の料理、教えてもらえたら……」
「もちろん! 秘伝のレシピ、お教えします!」
「や、やったー……」
パタネアが、全員の顔を見渡す。
「──それで、あたしたちが置かれてる状況、でしたね」
「ああ。正確に把握しないことには動きようがないゆえな」
「わかりました」
こほんと咳払いをし、パタネアが続ける。
「このエン・ミウラ島は、もともと、海の魔獣のよく出る島なんです。と言っても、だばーっとたくさん襲ってくるわけじゃないですよ。月に一度か二度は上陸してきて、人を襲う。とっても危ないので、島の男たちはみんな、剣術や槍術を学ぶほどです。ただ──今から一年くらい前でしょうか。魔獣の出てくる頻度が増えてきたんです。それも、今まで見たことのないような姿で……」
先刻の魔獣を思い出す。
「人と魚の中間、みたいなやつか?」
「いえ、当時は別でした。蟲みたいな、鳥みたいな、獣みたいな、すべてが合わさって、でもすべてが別の姿をしていて、少なくとも海の魔獣とはとても呼べないもの。海の魔獣というのは、たいてい、タコとかイカとかクラゲみたいな感じですから」
なるほど、容易に想像できる。
「そいつらは、決まって、島の北のほうから現れました。その数は、日に日に増えていきました。それで、島の腕利きを集めて討伐隊を結成したんです。討伐隊には──」
パタネアが、遠い目をする。
「この島で唯一の治癒術士であった、あたしの父もいました」
「パタネアさんのお父さん、でしか……」
「ええ」
憔悴した瞳で、パタネアが微笑む。
「この第一次討伐隊は、結局、戻っては来ませんでした」
「──…………」
マナナが、ぽんとパタネアの背中を叩く。
「まだ、わからない。そうだろ?」
「……はい」
「確認なんだけどさ。その第一次討伐隊に、ライナンって人はいなかった?」
パタネアが目を見張る。
「え、ライくん……? ライくんのこと、知ってるんですか?」
「……まあ、ちょっとね」
「ライくん、まだ十四歳だったんです。行くんだって聞かなくて。あのとき、あたしが止めてれば……」
「それは違うよ、パタネア。男には、男を見せたい時があんのさ。それは誰にも止められない。止めたら恥を掻かせることになる」
「──…………」
「それと、一つ朗報だ」
「朗報……?」
「──第一次討伐隊は、全滅してない。必ず帰ってくる」
何故、断言できるのか。
なんとなく心当たりがあった。
「マナナ。それって、もしかして──」
マナナが、俺を見ながら、人差し指を口の前に立てた。
「……その、どうしてわかるんですか?」
「女の勘──だと、ちょいと弱いかな。根拠はちゃんとある。でも、こればかりは言えないんだ。信じてほしい、としか言えない」
「信じます!」
マナナが驚く。
「いや、信じろとは言ったけどさ……」
「人は、信じたいものを信じればいいんです! あたしは、父やライくんが生きてるって信じたい! だめだったときは、そのとき考えればいいんですよお!」
「──…………」
ナナイロが、どや顔で言う。
「パタ姉はこーゆーやつなんだぞ!」
「……ああ、知ってる」
マナナが、そっと顔を伏せ、目元を擦った。
マナナは一人暮らしだ。
家族はない。
きっと、かつての祖母を思い出したのだろう。
「ごめん、話の腰を折ったね。続きいいかな」
「あ、はい!」
心配そうにマナナを見つめていたパタネアが、改めて背筋を伸ばした。
「第一次って名前でわかる通り、討伐隊は何度も結成されました。魔獣はどんどん形を変えて、知能が高くなっていきました。たしか、第三次討伐隊かな。そのうちの一人が、隊が全滅する前に命からがら生き延びたんです。その人が言うには、北の入り江に隠された洞窟があって、その奥が魔獣の巣になっているようだ、と」
「それで、どうしたんだ?」
「さすがに島民だけじゃ手に負えないってことで、本島に応援を頼むことにしたんです。でも、魔獣が増えすぎたことで、いつの間にか船を出すことすらままならなくなっていて。その頃には漁も沿岸で済ませることが多くなっていたので、気付かなかったんです」
「……完全に、孤立してしまったのでしね」
「はい……」
「しかし、魔獣は襲い来る。遠慮などしてはくれまい」
「それでも、半年くらい前までは、なんとか撃退できてたんです。あいつらが、来るまでは」
「例の、悪党──でしか?」
「はい。あたしたちは、黒ずくめって呼んでます。全員黒いマントを羽織って、顔まで隠しているので。黒ずくめたちは、北の入り江から魔獣と共に現れるんです。海賊なのかなんなのか、魔獣を従えることができるみたいで……」
「魔獣使いってことかな」
「わかんないです。その頃には、魔獣たちも今の姿──人と魚のあいのこみたいな見た目になっていて、ただ襲うだけでなく、みんなをさらうようになりました。黒ずくめも、魔獣も、一度にさらう数がそう多くないことだけは幸いでしたけど……」
プルが、確認のために問う。
「そ、それは、北の入り江に、……ですか?」
「はい……」
パタネアが、ナナイロに視線を向ける。
「だいたい、そのくらいの時期かな。北の森の近くで拾ったのが、ナナイロです」
「拾われたぞー!」
「たぶん、どこかの船が魔獣に襲われて、浜辺に流れ着いて。魔獣に追い掛けられたか、黒ずくめのほうか──とにかく森まで逃げ延びたんだと思います。カタナさんたちと似てますね」
妥当なところだ。
ありそうな話だからこそ、出任せに使ったのだし。
「ところで、ナナイロって名前は?」
「はい、あたしが付けました!」
パタネアが自慢げに豊かな胸を張る。
「きっと、本当の名前があるんでしょうけど、呼び名がないと不便ですから」
「め、珍しい響き、です、……よね。アーウェンではよくある名前、なんですか?」
プルの質問に、パタネアが頬を弛める。
「えっと、病気で亡くなった母の名前をもじったんです。ナナミって名前だったんですけど、あたし、この〈ナナ〉って響きが好きで。あ、マナナさんも〈ナナ〉ですね!」
「……うん」
マナナが、愛おしげに口を開く。
「うちの名前は、ばーちゃんが付けてくれたんだとさ」
「お友達になれそう!」
「はは……」
「それに──」
パタネアが、目を細める。
「マナナさん、若い頃の母にそっくりなんです。瓜二つって言ってもいいくらい。性格なんかはぜんぜんなんですけど、その。顔とか雰囲気が」
「へえー、そうなんだ」
マナナとナナミさんには、当然ながら血縁がある。
外見が似ていてもおかしくはないだろう。
パタネアが、真剣な瞳に戻って言った。
「──あとは、断続的にみんながさらわれてって、今に至ります。大人は、さっき治療してもらった人たちを含めて、五人。子供は二十九人。抗うことも、逃げ回ることも、もうできない。絶望しかない状況でした……」
ヘレジナが不敵に笑う。
「なるほどな。助け甲斐があるではないか。ここから盤面を引っ繰り返すことができれば、それこそ島の歴史に名が残るというものだ」
「それはもう! 子々孫々まで語り継ぎますよお!」
状況は、おおよそわかった。
「明日になったら動き始めよう。定石で言うなら、まずは偵察からかな」
「了解でし!」
「う、うん! わかった……」
「なに、偵察などと言わず、そのまま北の入り江に突っ込めばよかろう」
「いやいやいや! みんなの強さはわかったけど、さすがに無茶ですよお! 明日は満月、魔獣がいちばん活発になる日なんですから!」
今日は、夏の中節二十九日。
満月は明日に迫っていた。
「さ、ひとまずごはんにしましょうか! と言っても、材料は、保存食の魚と麦、果実くらいしかないですけど……」
「十分十分」
「お手伝いします、……ね!」
「お願いします!」
プルとパタネアが、連れ立って待合室の奥へと向かう。
マナナが、組んだ膝に肘をつき、心なしか楽しげな様子で言った。
「──さーて、こいつは大変だぜ。ワンダラスト・テイル」
「まあ、なんとかなるだろ。今までだって、どうにかしてきたんだ」
「マナナよ。ウージスパインでこの男がなんと呼ばれているか、教えてやろう」
「ちょ、言うなよ!」
俺の言葉を無視し、ヘレジナが続けた。
「炎竜殺し、だ」
「炎竜──」
「ごろしィ!?」
マナナとナナイロが素っ頓狂な声を上げる。
「あー……」
あまり知られたくなかったのに。
痒くもない頬を掻く。
「災厄竜を退治したのだ、こやつは」
「……まじで?」
「まじでし!」
「とんでもねー!」
「ただものじゃないのはわかってたけど、そこまでとはね……」
「──って、なんでマナナが知らないんだよー!」
ナナイロが突っ込んだ。
「うち、ワンダラスト・テイルの一員じゃないもん」
「え、違うのか?」
「うちは、たまたま一緒に巻き込まれただけの、ごくごくフツーの一般人。すごいのは四人だけ。だから、ワンダラスト・テイルが五人だなんて、何かの間違いなんだ」
「マナナ……」
自嘲の含まれたマナナの様子を、すこし案じる。
「おっと、気は遣わなくていいかんね。うちはうち、カタナたちはカタナたち。ここに線引きがあるのは当然だろ。まあ、うちとしては──」
待合室の奥の部屋に視線を向けながら、マナナが言った。
「パタネアに会って、話ができただけで、もう満足だからさ」
「お、マナナもパタ姉好きか!」
「ああ、好きだよ。大好きだね」
「なかま!」
「仲間はいいんだけどさ、ナナイロ。どうしてうちだけ呼び捨てなん?」
ナナイロが小首をかしげる。
「なんとなく……」
「ま、いーけどさ。──ッと!」
「んわ!」
マナナがナナイロを抱え上げ、肩車をした。
「お姉さんとして頑張るのはいいさ。でも、大人がいる時くらい、甘えておきな。あんたはまだガキなんだから、それでいいんだよ」
「──…………」
ナナイロが、マナナの頭を抱き締めた。
「よーし! マナナ号はっしーん! ヤー姉をひきつぶせー!」
「うおおおおーッ!」
「何故っ!」
その様子を微笑ましく眺めながら、俺は思った。
マナナが一緒にいてくれて良かった。
俺たちだけでは、きっと、ナナイロの心までをも気遣うことはできなかっただろうから。
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