2/エン・ミウラ島 -2 パタネア=ゼンネンブルク
診療所の付近では、虫の声ばかりが静寂を彩っていた。
だが、人の気配がある。
神眼を発動し、鋭敏になった感覚でその人数を探る。
たったの一人だ。
ともすれば荒くなる呼吸を無理矢理に押し殺し、こちらの様子を窺っている。
「──ナナイロ」
「なんだー、カタナ兄」
「診療所の扉が、薄く開いてる。あそこに誰かいるな。誰だと思う?」
「そんなんわかんのか!」
「まあな」
小声でそんな会話を交わしていると、
「──な、なな、な、ななななな」
四つ股に先の分かれた鋤を手に、一人の女性が扉から躍り出た。
「なな、なナナイロを離してくださいッ!」
「パタねえーッ!」
ナナイロが、パタ姉──パタネアの胸に飛び込んでいく。
「ナナイロお……!」
パタネアが、豊満な胸でナナイロの顔を押し潰した。
「ぶきゅ!」
完全に呼吸を塞がれたナナイロが、パタネアの二の腕を慌てて叩く。
だが、パタネアは気付かないようで、
「し、し、心配したんだからあ……!」
と、目元に涙を滲ませながらナナイロを抱き締め続けた。
見かねたプルが、恐る恐る声を掛ける。
「え、……と。その。な、ナナイロ、息が……」
「わあ!」
パタネアがナナイロを離し、放り出していた鋤を慌てて拾う。
「な、何者ですか! あなたたちはあ!」
「あー……」
なんと答えればいいのやら。
迷っていると、ヘレジナが高らかに名乗った。
「我ら、流浪の旅人! 名をワンダラスト・テイルという!」
「旅人お……?」
パタネアが、これ以上ないほど胡散臭い目で俺たちを睨む。
「どっから来たんですか! 港に知らない船なんてなかったし!」
「あ」
そうだ、失念していた。
エン・ミウラ島の人々から見れば、俺たちは唐突に降って湧いた存在だ。
船もなしに現れては、疑われるのも当然である。
プルとヘレジナ、ヤーエルヘルが、すがるように俺を見る。
仕方がない。
いつもの、口から出任せだ。
「──西に、浜辺があるでしょう。岸壁の狭間の」
「ありますけど……」
「沖で、船が魔獣に襲われたんです。魔獣を蹴散らしながら、なんとか小舟であの浜辺まで」
仮に浜辺へ行くことになっても、小舟は流されたのだろうと言えばいい。
復活したナナイロが、得心が行ったという顔で頷いた。
「そーなのか! だから、西の遺跡にいたんだな!」
「そうそう」
「パタ姉! おれ、カタナ兄たちに魔獣から助けてもらったんだぞ! お礼言って、お礼!」
パタネアが、目をまるくする。
「そッ」
「そ?」
「そおだったんですか! すすすすみませんすみません! ナナイロの命の恩人とは露知らず! ありがとうございますううう!」
額が地面につくんじゃないかってくらい、深々と頭を下げられる。
「あ、いえ、そこまで恐縮なさらなくても」
「や、やめてください敬語なんて! 本来であれば、お礼の宴を開くところなのに、人もぜんぜん足りなくて! ううう……!」
「あー……、と」
困ったように苦笑していたマナナが、パタネアの前へと進み出る。
「落ち着いて、パタネア。事情はナナイロから聞いたよ。大変なのはわかってる。だから、あんたが音頭を取らなきゃならない。そうだろ?」
「──…………」
パタネアが、マナナの顔を見て、一瞬固まる。
「……? どうかしたかい?」
「あ、い、いえ……」
パタネアが、子供がするように、スカートの裾を掴む。
「でも、あたし、ドジで鈍臭くて何もできなくて、そろそろ三十路で……」
マナナが、からからと笑う。
「奇遇だね。うちもそろそろ三十路だよ」
「ああ、俺もちょうど三十路。仲間仲間」
「み、三十路仲間……!」
「さ、外で騒いでいても仕方ないだろ。入っていいかい?」
「あ、はい!」
パタネアが鋤を壁に立て掛け、診療所の扉を開く。
「皆さん、ゼンネンブルク診療所へようこそ! 治癒術士がいないので、今は診療できませんが……」
「だ、だいじょうぶ、……でっす! わたしと、ま、マナナさん、治癒術士……」
「なんとお! すみません、怪我人が二人いるので治療をお願いできませんか!」
プルとマナナが、力強く頷く。
「ああ、もちろん」
「す、すぐ案内してください! 早いほうが、ぜ、ぜったい、いいですから!」
「はい! ええと、マナナさんと……?」
「ぷ、プル、でっす!」
「プルさん! では、患者の元へ案内します! ナナイロ、他の人たちに果実水を出してあげてね」
「わかったぞ!」
六十年前のゼンネンブルク診療所は、俺たちの知るものと間取りこそ同じものの、家具やその配置、匂いに至るまで、何もかもが異なっていた。
塗装の行われていない木材は真新しく、建ててからさほど時間が経っていないことが窺える。
パタネアがプルとマナナを連れて二階へ向かうのを横目に、俺たちは待合室のソファに腰掛けた。
「まってろ! いま、美味しいの持ってくるかんな!」
「ああ、こぼさぬようにな」
「おれを誰だと思ってる!」
「ナナイロ=ゼンネンブルク、でしよね」
「そのとーり!」
ナナイロが、待合室の奥へと消えていく。
俺も、ヘレジナも、気付いていた。
一階の病室──昨夜俺たちが泊まった部屋へと続く廊下から、無数の低い視線がこちらを覗き込んでいる。
「……これは、どう反応するのが正解なのであろうな」
「そうだな……」
俺は、交渉事は得意だが、マナナのように子供の相手に長けているわけではない。
「ま、流れに任せようぜ。品定めしてんのかもしれないしな」
「そうか。では、そのように」
「……?」
ヤーエルヘルが小首をかしげる。
「こっちの話、だよ」
「なんか、ずるいでし……」
「ふふん。悔しければ、ヤーエルヘルも修練を積むことだな」
「むー」
やがて、ナナイロが、水差しと人数分のグラスをお盆に乗せて戻ってくる。
一度に七人分も運んできたものだから、数と重みでお盆はぐらぐら、手はぷるぷるだ。
「……の、お、おー……」
「お、おいおい。危ないって」
ナナイロを手伝おうと、腰を上げる。
「だめだ、カタナ兄! これはなー! パタ姉に与えられた、にんむなんだよ!」
「任務だったのでしか……」
「任務であれば仕方があるまいな」
ふらふらとこちらへ歩いてくるナナイロを、固唾を呑んで見守る。
だが、
「──のわッ!」
ナナイロが、絨毯の端に足を滑らせて、派手にお盆をぶちまけた。
ヘレジナとアイコンタクトを交わす。
以心伝心。
ヘレジナはナナイロの元へ向かい、俺は水差しとグラスに意識を集中した。
神眼を発動し、まずは空中でグラスを回収する。
七個のグラスをひょいひょいと掴み取りながら、決して割らぬよう、互いに触れぬよう、小脇と指に挟み込んでいく。
最後に、水差しに爪先を差し出し、そのまま乗せてバランスを取った。
神眼を切る。
地面に倒れ込む寸前でヘレジナに受け止められたナナイロが、こちらを呆然と見つめていた。
「すげー……」
「しごいでし!」
「そ、それはいいんだが、水差しを──」
言い掛けた瞬間、
「わ、すごいのー!」
「ね、ね、兄ちゃんたち軽業士?」
「しゅごーい……!」
ナナイロより幼い子供たちが、次々と俺たちを取り囲んだ。
「ああ、うん。ありがとうな。そろそろ水差しを」
「おらおらー! 見せもんじゃないぞ! がお!」
「ななおおかみだー!」
「にげろー!」
ナナイロと子供たちが、俺の周囲をぐるぐると回り始める。
「水差しを……」
「あ! し、しみません! いま取りまし!」
ヤーエルヘルが、ようやく水差しを手に取ってくれた。
「ふー……」
右足を下ろし、グラスをテーブルに一つずつ置いたあと、ソファに腰掛けようとする。
だが、それは、左足に抱き着いた幼い男の子によって阻まれた。
「……えー、と?」
四歳か五歳ほどと思われる男の子が、無言で俺の体を登り始める。
放っておくのも気が引けたので、そのまま抱き上げて肩車をしてあげた。
「おー……!」
頭上で男の子が歓声を上げる。
「あ、ずるいのー!」
「ぼくも、ぼくも!」
途端に、軽く十名を超す数の子供たちが、俺の周りを取り囲んだ。
「こらー! カタナ兄たちは疲れてんの! ひとやすみの邪魔しないんだぞ!」
「えー!」
「ずるー! ずるいー!」
俺は、思わず苦笑した。
「わかった、わかった。順番な!」
これだって、考えようによっては鍛錬だ。
ひとしきり待合室を練り歩いたあと、次の子供を肩車する。
「ふむ、随分と懐かれたではないか」
「不可抗力とは言え、派手にやっちまったからな……」
「似合うぞ、カタナ」
「似合いまし!」
「……喜んでいいのか、それ」
複雑だ。
「どれ、子供たちよ。私も肩車をしてやろう。カタナだけでは順番が回ってこないであろう」
「えー」
「えー……」
「うー」
子供たちが一斉に眉をしかめる。
「な、なんだと。私では不満だと言うのか!」
「だって、ひくい……」
「よりたかみをめざしたい」
「し、し、身長は仕方があるまい! 私とて高身長に憧れたこともあるが、伸びなかったのだ!」
「ナナとかわんない……」
「変わるわ!」
確かに、ナナイロよりは高い。
ほんの十センチほどだが。
「たくもー! ごめんな、ジナ姉。カタナ兄も」
ヤーエルヘルが、愛おしげに微笑む。
「ナナさんは、みんなのお姉さんなのでしね」
「とーぜん! へへー、ヤー姉わかってんなー!」
「えへへ」
「そら、部屋戻んないとがぶがぶするぞー! がおがお!」
「きゃー!」
「にげろー!」
「かまれるぞー!」
ナナイロが、捕まえた子供たちを甘噛みしながら、皆を部屋へと連れて行く。
まだ十歳くらいだろうに、皆の姉として慕われているさまを見て、微笑ましい気分になった。
「──ありがとうございます、プルさん! マナナさん! だいぶ膿んでいたので、本当に助かりましたあ!」
「いや、うちは大して。プルちゃんがすげーのなんのってさ」
「ふへ、へへへ。お、お役に立てて、よかった、……でっす!」
治療を終えた三人が、二階から戻ってきた。
「……お疲れさん。プル、マナナ」
「なんか、カタナたちのがお疲れに見えるけどねえ」
髪を手櫛で整える。
「子供たちに揉まれましてな……」
「うむ。活力溢れるよき子らだ」
「でしょお!」
パタネアが満面の笑みを浮かべる。
「子は島の宝ですよ! 悪党どもの手に渡してはいけないんです!」
俺は、果実水をひとくち飲むと、パタネアに尋ねた。
「──ナナイロから、おおよそは聞いた。ただ、曖昧な部分もあったからな。このエン・ミウラ島が置かれてる状況、改めて聞かせてもらえないか」
「それは、もちろん構いませんが……」
パタネアが、今度は顔を曇らせる。
ころころと表情のよく変わる人だ。
「……申し訳ないです。この島のことに巻き込んでしまって」
「いいんでしよ。あちしたちがこの島へやってきたのは、きっと──エル=タナエルの導きでしから」
ヘレジナが、薄い胸を張る。
「その通りだ。島も何も関係あるものか。巻き込まれたのは皆同じ。なれば、手を取り合い、解決を目指すべきであろう。幸い、私たちは荒事に慣れておるしな」
「カタナ兄も、ジナ姉も、す……ッげーんだぞ! 特にカタナ兄なんか、びかびか光る剣でバケモンどもをばっさばさだぞ!」
パタネアが、きょとんと目をまるくする。
「光る剣──ですか?」
「ああ、そういうのを持っててな。危ないから屋内じゃ使えないけど」
マナナが、興味深げに身を乗り出した。
「へえー、どんなもん? 外でなら見せてもらえる?」
そう言えば、マナナは見ていなかったっけ。
「べつにいいけど、直視はするなよ。太陽を肉眼で見るのと大差ないから」
「え、すっご」
ソファから立ち上がり、皆で診療所の外へ出る。
日は既に落ち、周囲は薄暗い。
俺は、安全を確認したあと、折れた神剣を抜き放った。
「間違っても触れようと思うな。プルの治癒術でもすぐには完治させられない怪我を負う可能性がある」
「は、はい……!」
「脅してくるねえ」
万が一に備えてか、ヘレジナが二人の前に出る。
「事実、そうなのだ。見ればわかる」
俺は、神剣の柄を握りながら、右手の人差し指と小指を立てた。
爆発音を逆再生したような音と共に、灰燼術の白い炎が揺らめき立つ。
炎は神剣に纏わりつき、即座に白き刀身を成した。
「──あッ、つ!」
「こ、この距離から……!」
熱と光に目を細める二人を見て、ナナイロが胸を張る。
「な! な! すんげーだろだろ!」
「──…………」
周囲を見渡し、手頃な岩に目をつける。
俺は、その岩へ向けて、白き神剣を大上段から振り下ろした。
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