1/ワンテール島 -終 ナナイロ=ゼンネンブルク
「──…………」
目を開くことで、自分が目を閉じていたことに気が付いた。
周囲が薄暗い。
あの強烈な光が残像として残っているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
「──みんな、大丈夫か?」
それぞれに声が返ってくる。
「う、……うん。な、なんと、か……」
「私は問題ない」
「うちも、大丈夫。すこし驚いたけど……」
だが、腕の中のヤーエルヘルだけが沈黙していた。
「ヤーエルヘル……?」
右手で頬を軽く叩くと、反応があった。
大丈夫、生きている。
ただ気を失っているだけのようだ。
プルが、ヤーエルヘルの額に触れた。
「ま、……
ほっと息を吐く。
「なら、よかった……」
マナナが頭上を見上げる。
「なんでかわかんないけど、天井が塞がってるみたい。道理で暗いわけだ」
開き戸の失われた扉の向こうには、しっかりと日が射している。
視力に問題はなさそうだ。
「いったん外に出ようぜ。状況を確認したい」
皆が頷く。
俺は、ヤーエルヘルを両手で抱えながら、釣り鐘型の建造物から歩み出た。
「……は?」
思わず、声が漏れた。
遺跡が赤く染まっている。
西日だ。
外は、既に夕刻を迎えていた。
「どういうことだ……?」
「ゆ、夕方になるまで寝てた、……とか?」
「──…………」
確認すべきことがあった。
「マナナ、ヤーエルヘルを頼めるか」
「構わないよ」
マナナの背にヤーエルヘルを預け、愛用の懐中時計を取り出す。
「──違う。時計の針は、十一時半を指したままだ。寝てたわけじゃない」
「どういうこっちゃ……」
「あ、あれ?」
プルが、ヤーエルヘルの左手を取る。
「ヤーエルヘル、う、腕に何か、巻いてる……」
それは、鏡のように磨き込まれた黄金の腕時計だった。
文字盤部分には半球状の蓋が被されており、指し示している時刻はわからない。
「おー、すんごい綺麗じゃん。ヤーエルヘルちゃん、こんなのしてたっけ?」
ヘレジナが、不可解そうに口を開く。
「いや、しておらん。そもそも、これはヤーエルヘルの持ち物ではない。長く旅を共にしているのだ。そのくらいはわかる」
「うん……?」
マナナが大きく首をかしげた。
考えれば考えるほど、何もかもが理解しがたい。
そんなときだった。
「──や、やめろー! いい加減ついてくんな、このおーッ!」
遺跡の入り口から、甲高い声が響いた。
ただごとではない様子だ。
「子供……?」
遊びに来て、何かに巻き込まれたのだろうか。
「カタナ、往くぞ。遊びか何かであれば、それでよい!」
「ああ!」
体操術による人外の速度で一瞬にして視界の外へ消えたヘレジナを追い、声の方角へと駆け出す。
ポケットから取り出した義術具を右手に装着し、即座に神剣を抜き放った。
「──勢ッ!」
遥か先で、ヘレジナの掛け声が響く。
間違いない。
敵意を持った何かがいるのだ。
俺は、神剣の柄を握ったまま、右手の人差し指と小指を立てた。
慣れた動作だ。
次の瞬間、
──キュボッ!
折れた神剣の先に白い炎が揺らめき、瞬時に刀身を成す。
半ばほどで朽ち折れた太い柱の向こうにいたのは、髪の毛を二つくくりにした小さな女の子だった。
その子だけではない。
ぬらりと粘液を体表から滴らせた人型の異形が十数体、女の子とヘレジナを取り囲んでいた。
異形たちは、その両手から伸びた鋭い爪を構え、臨戦態勢であることが窺える。
「覇ッ!」
ヘレジナの双剣が、眼前の異形を斬り裂く。
異形の動きは鈍重だ。
ヘレジナ一人であれば、苦もなく全滅させられる。
だが、女の子を守りながら戦うとなれば、途端に勝手は違ってくる。
「──カタナ、頼んだ!」
「応ッ!」
俺は、二人に襲い掛かろうとしていた異形に向けて、白き神剣を斜めに振り下ろした。
スコールの一瞬を切り抜いたような音が響き、異形の肉体がずれ、地面に崩れ落ちる。
焦げた傷口が泡を噴き、一瞬、不快な臭気が鼻をついた。
異形の断面は黒く、その肉体が見る間にどろりと液化していく。
魔獣だ。
だが、詳しく調べている暇はない。
ヘレジナが自由に動けないのであれば、俺が異形を殲滅するのみだ。
人差し指と小指を立て、白き神剣を維持しながら、異形を次々と斬り伏せていく。
恐ろしいのは見た目だけで、さして強くはない。
プルたちがこちらへ辿り着く頃には、ほぼすべての異形を片付け終えていた。
「──……ふう」
呼吸を整える。
「か、かたな! ヘレジナ!」
折れた神剣を鞘に収めながら、プルを安心させるように親指を立ててみせる。
「余裕!」
「よ、よかったー……」
マナナが、爪先で、かつて魔獣だった粘液をつつく。
「……なにこれ。黒くてでろでろしてるけど」
「ああ、魔獣の残骸だな。人と魚のあいのこみたいな姿をしてた」
「はー……」
マナナが周囲を見渡しながら、吐息を漏らした。
「すッ──」
少女が言葉を溜めたあと、思いきり声を張り上げる。
「……げえー! なんだお前ら! いきなり現れて助けてくれやがって! すげーじゃん!」
少女が、かぶっていた帽子を落としながら、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございました!」
少々元気過ぎるきらいはあるが、素直な良い子だ。
「いえいえ、どういたしまして」
帽子を拾い、頭に乗せてやる。
油断なく周囲に気を配りながら、ヘレジナが尋ねた。
「お前、島の子か」
「そうだぞ」
「今の魔獣はどこから来た。町は無事か?」
「だいじょーぶじゃないに決まってんだろ! お前ら、なんにも知らねーのな」
「待った」
マナナが、視線の高さを少女に合わせる。
「アンタ、どこの子だい? 島の子供はたいてい知ってんだけど……」
「なんだー、このねーちゃん」
少女が小首をかしげたあと、俺たちを次々に指差していく。
「てか、お前ら誰だ! 名前をたずねるなら、先に名乗るのがれーぎだぞ!」
「ふむ。とうに島中に知れ渡っているかと思いきや、そうでもないのだな」
ヘレジナが、胸を張りながら得意げに言う。
「我ら、ワンダラスト・テイル! 野暮用にてこの島に立ち寄った旅人だ」
「へんな名前」
「ぐッ!」
思わぬ反応に、ヘレジナがダメージを受ける。
「名乗られたからにゃー、名乗り返さねーとな! おれは──」
少女が、脱いだ帽子を人差し指で回しながら、言った。
「おれは、ナナイロ=ゼンネンブルク! このエン・ミウラ島に住んでる、きおくそーしつの美少女だぞ!」
「──…………」
「──……」
「──…………」
誰しもが言葉を失う。
それは、決して出てくるはずのない名前。
ヤーエルヘルの、師の名前だった。
「な、なんだよー!」
ナナイロと名乗った少女が、戸惑うように口を尖らせる。
──運命の歯車がカチリと噛み合う音が、聞こえた気がした。
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