1/ワンテール島 -18 声を封じた書物
島民の女性に案内された先は、町外れにある一軒の小さな診療所だった。
女性が、診療所の扉をノックする。
「──おーい、マナナちゃん! 連れてきたよ!」
「あーい」
しばらくして顔を出したのは、銀髪の、すらりと背の高い女性だった。
「お、アンタらが客人だね」
「ああ。泊めていただけるとのことで、やってきた次第だ。すまんな、夜分遅くに」
「いいっていいって。どうせ酔っ払いどもに捕まったんでしょ」
「料理は全部美味かったし、みんな優しかったですし、久し振りに気持ちよく酔えましたよ」
マナナと呼ばれた女性が、からからと笑う。
「あはは、敬語はナシナシ。うちのが年下でしょ、たぶん」
「カタナはちょうど三十だって言うし、マナナちゃんと大して──」
「お、ば、さ、ん?」
「気にしてるんなら、さっさと身を固めなよ!」
「うっさいな、もう……」
「ともあれだ。お客さん来るたび頼んじゃって申し訳ないけど、今回もお願いね」
「それは気にしないで。ベッド余ってる家なんて、そうないでしょ」
「ありがとうねえ」
女性が、こちらへと向き直る。
「ま、そういうわけだから。お腹が減ったら、またおいで」
「はい、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「また厄介になるぞ!」
「ポニーニワインも美味しかったでし!」
「き、機会があったら、ラーツァの作り方、お、教えてもらえたら、……なんて」
「ああ、もちろんいいとも。また明日ね!」
そう言って、島民の女性が来た道を戻っていく。
マナナが診療所の扉を開いた。
「じゃ、入って入って。虫に刺されてもつまんないだろ」
「だな。自己紹介は中でしようぜ」
「どうぞどうぞ」
マナナの後に続き、診療所へと入る。
診療所の待合室は意外と涼しく、お香のような匂いがした。
飯場でも見掛けた不可思議な模様のキルトが装飾として使われており、アーウェンが極西の島国であることを思い起こさせる。
「適当に座って。茶なんて上等なもんはないけど、果汁を水で割ったのがある。酔い覚ましにはいいよ」
「すまん、頼めるか。ぐでんぐでんと言うほどではないが、多少酔ってはいる」
「あいよー」
マナナが水差しとグラスを持ってきて、俺たちの前で注いでくれる。
口をつけると、ほんのり甘かった。
「うちは、マナナ=ゼンネンブルク。この島で唯一の治癒術士だよ。そうは言っても、級位はさほど高くないんだけどね。本島で四年学んで、ギリギリ師範級に届かないくらい。アンタらは?」
「私は、ヘレジナ=エーデルマン。剣術士をしておる」
「カタナ=ウドウだ。同じく剣術士」
「プル、……でっす! ま、マナナさんと同じく、治癒術士……」
「へえー、治癒術士か。いいね。滞在中に厄介な怪我人が来たら、手伝ってよ」
「は、はい! もちろん」
「あちしは、ヤーエルヘル=ヤガタニ。徒弟級の魔術士でし」
「──ヤーエルヘル」
その名を聞いた瞬間、マナナが驚いたように目を見開いた。
マナナの反応に、思わず問う。
「もしかして、聞き覚えあるのか?」
マナナが、真剣な様子で目を伏せ、肯定する。
「まあ、ね。そうか。本当に来るのか……」
ぶつぶつと呟いたのち、俺たちの顔を順々に見渡していく。
「てことは、あんたらがワンダラスト・テイルってわけだ」
「え!」
ヤーエルヘルが、驚愕の声を上げた。
「待て、何故その名を? 飯場では見掛けなかったように思うが……」
マナナが、そっと腕を組む。
「ナナイロ=ゼンネンブルク。聞き覚えあるでしょ」
「は、はい! あちしたち、ナナさんの足跡を探しにこの島まで来たんでし!」
「ナナイロさんね、いるよ。この島に。偽名使って住んでる」
「……はい?」
思わず、妙な声が漏れた。
ヤーエルヘルが、呆然と言葉を漏らす。
「本当……、でし、か?」
「ああ、もちろん。アンタらのことも、ナナイロさんから聞いたんだもん」
「なるほど──」
納得しかけ、慌ててかぶりを振る。
待て。
何かがおかしい。
「え、……えっ?」
プルが、驚愕に、自分の口元を隠す。
「な、ナナイロさん、どうして、わ、わ、わたしたちのこと……?」
「ああ、そうか!」
一瞬気が付かなかったが、違和感の正体はそれだ。
「ヤーエルヘルのことは、知ってて当たり前だ。でも、どうして、俺たちのことまで言い当てられる……?」
ヘレジナがマナナへと詰め寄る。
「どういうことだ、マナナ!」
「ま、待って待って! 矢継ぎ早に聞かれてもわからないって!」
「す、すまん……」
「うちは、アンタらが来たら渡してほしいって、本を受け取っただけだからね」
「本?」
「ああ。二冊の本と、なんかよくわかんないもの。なんなら、今持ってこようか?」
「お願いしまし!」
「はいはい、ちょっと待ってな」
マナナが診療所の奥へと向かう。
やがて両手に抱えてきたのは、大小二冊の本と、円形に革の貼られた鈴のないタンバリンのようなものだった。
「はい、これ」
ヤーエルヘルがそれらを受け取り、膝の上に置いた。
「ええと……」
文庫本程度のサイズの小さな本を開く。
「これ、ワンダラスト・テイルの伝説みたいでし」
「六十年前の、ってことか?」
「でしね」
「こ、……こっち。大きい本、ひ、開いてみて、……いい?」
「はい、もちろん」
プルが、大きな書物を受け取り、開く。
そこに描かれていたものは、まるで、回路のような複雑な紋様だった。
めくっても、めくっても、似たような紋様が現れる。
「……じゅ、術式、……かも?」
「なんの術式か、わかるか?」
プルが首を横に振る。
「う、ううん。見たことない、術式。な、なんだろう、これ……」
「銀琴と共に見つかったハサイ楽書にも似ている。彼の書物も、すべてのページにこのような紋様が描かれておった」
「あー、それね」
マナナが、そっと書物を閉じる。
「ほら、表紙に
「ふむ。と言うことは、この本自体が魔術具に近い性質のものなのか」
「か、紙でできた魔術具なんて、は、初めて見た……」
マナナが興味深そうに言う。
「なんかよくわかんないけど、うちも一緒に見てていい? ずっと気になってたんだ」
「はい、もちろん! ずっと保管しててくれて、ありがとうございまし」
「いいよ、別に。大叔母の頼みだからね」
大叔母。
「たしか、祖父母の兄弟のことだよな」
「そうそう。ナナイロさんは、うちのばーちゃんの妹らしいんだよ」
「そうだったんでしか!」
「その縁もあって、預かってたってわけさ」
「なるほどな」
タンバリンに似た円盤を手に取る。
「──これも、裏側に術式っぽいのがあるな。あと、何か嵌められそうな穴も」
「
「そ、そうかも」
書物を手に、プルが立ち上がる。
「マナナさん。な、何か、燃えないものか、場所って、ありますか……?」
「だったら暖炉がいいな。灰は掃除してあるし、激しく燃えても大丈夫だよ」
「あ、ありがとうござい、……ます!」
プルが、書物を暖炉に設置する。
俺は、そのすぐ傍、燃え上がっても問題のない位置に円盤を立て掛けた。
「え、……と。ま、
「ああ、いつでも来い」
「問題ありませんとも」
「お願いしまし……」
マナナが、楽しげに呟く。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
プルが、書物の表紙に埋め込まれた
次の瞬間、書物がチリチリと焦げ始めた。
「わ」
プルが、慌てて手を引く。
大丈夫か。
そう口にしようとしたとき、くぐもったような声が響いた。
『──あー、あー、テストテスト。これ、ちゃんと録音されてっか確認できないのがな』
幾分しわがれた女性の声。
その正体は、すぐにわかった。
「ナナさん!」
ヤーエルヘルが、周囲を見渡す。
だが、誰の姿もない。
「……ああ、そういうことか」
俺は、ナナイロさんの言葉を遮らないよう、革の貼られた円盤を指差した。
円盤がスピーカーの役目を果たし、録音されたナナイロさんの声を再生しているのだ。
声は続く。
『よう、ヤーエルヘル。いつぶりかまではわかんねえけど、久し振りだな。そこにはたぶん、仲間もいるだろう。なあ、カタナ。プルとヘレジナも元気か?』
「……!」
思わず目を見張る。
間違いない。
ナナイロさんは、俺たちのことを知っている。
『おれは、島のどっかにいる。ここまで来て探せなんて言わないぞ。マナナにでも案内してもらいな。ただ、おれに会う前に済ませてほしいことがある』
「──…………」
ヤーエルヘルが、ナナイロさんの声に真剣に聞き入っている。
一言一句聞き逃すまいと。
『西の森に、神代の遺跡があるんだ。神隠しの遺跡だ。これもマナナに聞きゃわかる。その中央に埋め込まれた
神代の遺跡。
飯場の女性が言っていたものだろう。
『そうそう。今おれの声を再生してる円盤があるだろ。それは、
ある程度話し終えたのか、ナナイロさんが息をつく。
『──さて、そろそろ時間か。じゃあな、ワンダラスト・テイル。すぐに会えるさ』
その言葉を最後に、声が、ぶつりと途切れた。
同時に、書物が燃え尽き、灰となる。
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