1/ワンテール島 -17 英雄ワンダラスト・テイル
砂浜から港町へ戻る頃には、既に日が落ちていた。
来島者があったことは既に知れ渡っているらしく、
「ああ、あんたらが客だな。ようこそ、ワンテール島へ!」
「飯場の女将がはりきってたぜえ!」
と、道行く島民が次々と声を掛けてくれる。
軽く挨拶を返しつつ、皆と顔を見合わせて微笑んだ。
「随分開けた島だよな。こういう離島って、もっと排他的なもんかと思ってた」
「そうだな。皆、人懐こくて快い人々だ。それだけ平和なのかもしれん」
「ふ、……ふしぎ。すぐ傍に魔獣の、す、巣が、あるのに……」
「ここが、ナナさんの故郷なんでしね……」
他の建物より一際明るく騒がしい飯場の扉をくぐる。
「こんばんはー」
その瞬間、
「──お、ようやく主役の登場だよ!」
割れんばかりの拍手が飯場に轟いた。
「うお」
「わ!」
「す、すごい……!」
「どういうことだ、これは……」
「さーさー、どうぞ!」
「すわってー!」
少年少女に手を引かれ、中央に近い席へと腰掛ける。
「おい兄ちゃん! 酒は行ける口か?」
「ええ、まあ。多少は……」
「よォ──し! 島の地ビール、たんと飲んで行きな!」
「は、はい。ありがとうございます……」
その勢いに、思わず圧倒される。
「女の子はどうしようかね。ポニーニワインがあるけど、まだ早いかしら」
「い、いえ、大丈夫です! ポニーニワイン、の、飲んでみたい、でっす!」
「あちしもでしー!」
「私は地ビールが気になるな」
「んじゃ、兄ちゃんと金髪の嬢ちゃんにビールだビール! ジョッキで持ってこい!」
「あいよ!」
あっと言う間にビールとワインが目の前にどんと置かれる。
木製のジョッキは異様に大きく、軽く一リットルは注がれていそうだ。
「──さ、飲め飲め! 今宵は宴よお!」
「いや、駆け足過ぎるでしょ。まだこの子たちの名前だって聞いてないのよ!」
「あー、そうだったそうだった」
既に出来上がりつつある赤ら顔の男性が、ふざけて舌を出してみせた。
「そんなわけで、自己紹介お願いできる?」
「あ、はい」
腰を上げ、飯場を埋め尽くす百名弱の人々に向けて声を張り上げる。
「えー……、はい。カタナ=ウドウ、旅人です。いちおう剣術士です」
「おー、剣術士!」
「いいぞ、兄ちゃん! 魔獣が来たら頼んだぜ!」
「ええ、そりゃもう。こんな宴まで開いてもらったら、魔獣の十体や二十体」
「がはは、大きく出るじゃねーか!」
「この島、師範級の武術士いないからね。教室も開けないんだよ。代わりに腕のいい光矢術士が師範をしてくれてるから、魔獣が出ても大丈夫だとは思うけど」
「暇があったら、うちのガキどもに稽古つけてやってくれや!」
次に、プルが立ち上がる。
「プル、……でっす! ち、治癒術士なので、け、怪我とかしたひとがいたら、え、え、遠慮なく、どうぞ!」
「治癒術士たあ、すごい子が来たな!」
「うちの島にゃ、一人しかおらんからね。もしもがあったら頼むわい」
「は、はい!」
プルが腰を下ろすのと入れ替わりに、ヤーエルヘルが席を立つ。
「あちしは、ヤーエルヘル=ヤガタニと申しまし。ちょっとナマリがありましけど、気にしないでくだし。いちおう、徒弟級の魔術士でし!」
「あら、可愛いわねえ」
「いいぞ、ヤーエルヘルちゃん!」
「あんま飲みすぎんなよー!」
最後に、ヘレジナがおもむろに腰を上げる。
「そして、トリを飾るのはこの私だ。ワンダラスト・テイルのリーダー、ヘレジナ=エーデルマン。カタナと同じく剣術士である!」
──その瞬間、波が引くように、島民が静まり返った。
「ど、どうした。何か変なことでも口にしたか……?」
島民の一人が、呟いた。
「……ワンダラスト・テイル?」
「ああ。遺物三都でのパーティ名なのだが」
「事前に調べてきたわけじゃあ、ねえよなあ」
「調べるとは、何をだ?」
──わっ、と。
島民たちが、一斉に歓声を上げた。
「ワンダラスト・テイルの再来だァ──ッ!」
「すげえ、こんな偶然あんのかよ!」
「酒だ酒だ、酒持ってこい!」
皆のボルテージがガンガンに上がっていく。
「ま、待った! 待った待った待った! えっと、ど、どういうことですか!」
盛り上がる島民を引っ捕まえて、そう尋ねた。
「やーね、この島に昔、ワンダラスト・テイルって五人組の英雄がいたのよ」
「この島に巣食ってた悪党と魔獣をしばき倒したんだと!」
「島の名前も、その英雄が由来なんだよ。この島、大昔にはエン・ミウラ島って呼ばれてたんだけど、ワンダラスト・テイルにあやかって改名したのさ」
皆が、目をまるくする。
「なんと!」
「す、すす、すーごい偶然……!」
「すごいでし!」
「マジかよ……」
興味深い偶然だ。
「それって、何年くらい前のことなんですか?」
「たしか、六十年くらい前のことさね。うちの爺サマは会ったことあるとかないとか」
「じゃあ、ナナさんも知ってるかもしれませんね!」
「かもな。会えたら聞いてみようぜ」
「はい!」
ヤーエルヘルが、満面の笑みで頷いた。
「おーい、ティスアリができたよ! どけてどけて!」
昼間飯場で会った女性たちが、巨大な皿を幾つも運び込んでくる。
アーウェン料理特有の香辛料が鼻腔を刺激し、思わず唾液が溢れ出そうになった。
ティスアリ。
皿を覗き込むと、それは、ほぐした白身魚を押し麦と炒めた焼き飯のような料理だった。
香味野菜によって彩りもよく、見た目だけでも食欲をそそる。
「まだまだあるから、ティスアリだけでお腹いっぱいにするんじゃないよ! ラーツァと、トスル鍋だってあるんだから!」
「よくわからんが、とにかく美味そうだ。堪能させてもらうぞ!」
「ああ、たんとお食べな!」
女性たちが、豪快に笑う。
「──あ、ポニーニワイン美味しいでし!」
「わ、わたしも、飲んでみよ……」
プルが、薄桃色のポニーニワインに口をつける。
「あ、……お、おいしい! 花みたいな、いいにおいがするー……」
「ふむ、地ビールもなかなか行けるな。各地で味が違って、なかなか面白いものだ」
「じゃ、俺も」
巨大なジョッキを両手で支えながら、地ビールをあおる。
すこし黒みがかったワンテール島の地ビールは、ラーイウラで飲んだものよりまろやかで、苦味が薄かった。
「うっわ、飲みやす! これぐいぐい行けちゃうぞ……」
「度数も低いし、飲みやすいおかげで、飲み過ぎる男が多いのなんのって。あんたはほどほどにしときなさいよ!」
島民の女性に、背中をばしばし叩かれる。
「う、うっす! 酒に強いってほどでもないんで、気を付けます」
地ビールにポニーニワイン、ティスアリ、ラーツァ、トスル鍋──飲んだことのない酒、食べたことのない料理の数々に舌鼓を打ちながら、宴は進んでいく。
「──おう、カタナ。どの子が本命だ? あァん?」
明らかに酔っ払った中年の男性が、背後から俺の肩を組む。
「はは、あははは……」
答えづらい質問を。
「どの子でもないんなら、うちの娘がちょうど二十歳でよお。一度会って──」
ふと、視線を感じた。
「──…………」
「──……」
「──………………」
三人が、圧の篭もった視線で男性を見つめていた。
「……あー、いや。冗談、冗談」
「ちなみに婿も受け付けておらんからな」
「はい……」
男性が、苦笑しながら離れていく。
「よし、興も乗ってきたところだ。ここは一つ、さらに場を盛り上げてやるとしよう」
そう言って、ヘレジナが立ち上がる。
「──これより、私とカタナとで演武を行う。本来は見世物ではないのだが、なんの見返りもいらんと言われてはさすがに心苦しい。話の種に見物していけ」
「ヨッ、待ってました!」
「やれやれー!」
期待に騒ぎながら、島民たちが座席をずらし、飯場の中央にスペースを設けてくれる。
「ヘレジナ。何合にする?」
「数合では見応えもあるまい。百合程度にしておこう」
「あいよ、了解」
折れた神剣を抜き、正眼に構える。
「おいおい、カタナ。剣くらい買い替えろ!」
「それで大丈夫なのー?」
「錆びたのでよければ、うちに一本あるぞ! ワンダラスト・テイルの剣術士が使ったって業物よ!」
苦笑し、言葉を返す。
「いいんすよ、こいつで。使い慣れてるのがいちばんだから」
ヘレジナが双剣を抜き放ち、見慣れた構えを取った。
「では、軽く百合。怪我を負っても酒のせいにはしてくれるなよ?」
「当然」
頷き、神眼を発動する。
演武とは言え、本気の手合わせだ。
燕双閃・自在の型。
初手から放った必殺技を、ヘレジナの双剣が大きく弾く。
燕双閃・自在の型は、距離を取る以外にも、二撃目を放てないほど強く弾くことで対処が可能だ。
だが、狭い空間で、この形の対処法を選ぶことは読んでいた。
神剣を弾かれた勢いのまま、遠心力を利用してヘレジナの頭部へと蹴りを放つ。
ヘレジナが身を屈め、蹴りを回避する。
そして、体操術を駆使した人外の速度で、俺の背後から舞うような二閃を繰り出した。
崩れた体勢に、致命の一撃。
ここまでの流れは想定済みだ。
俺は、そのまま膝を折ると、地を這うほどに姿勢を低くした。
二閃が頭上で交錯する。
それを確認し、ブレイクダンスの要領で、ヘレジナの両足をすくいにかかった。
跳躍してくれればと思ったが、当然、甘くはない。
ヘレジナは、左足と右足を交互に上げ、体勢を崩さぬままに俺の蹴りを避けてみせた。
放たれる右の一閃を神剣で受け、左の一閃を首を傾けて避ける。
そのまま、鍛え上げた体幹で無理矢理に体勢を整えると、改めて対峙した。
この間、僅か数秒。
再び鍔迫り合い、百合を終えるまで、三十秒とかからなかった。
「──と、こんなもんか」
「わりと本気で打ち込んだのだが、さすがだな。鍛錬の成果が出ている」
「俺なりに頑張ってるもんで」
俺とヘレジナが剣を鞘に収めた瞬間、飯場に歓声が轟いた。
「すッ、……げー! かっくいー!」
「剣術士てえのは、すげえもんだなあ……」
「いや、爺ちゃん。剣術士がすごいんじゃなくて、二人がすごいんだと思うよ」
「さすが、ワンダラスト・テイルの再来だな!」
「やー、どうもどうも」
拍手に包まれながら、元の席へと戻る。
やがて夜が更け、解散の雰囲気となったとき、昼間に飯場で会った女性の一人が声を掛けてきた。
「──ああ、そうそう。あんたらの泊まるとこだけどね」
「あ、そうだ。忘れるところだった」
「あ、危なかった、……ね!」
「あはは、大丈夫大丈夫、野宿なんてさせないよお。郊外に、島唯一の診療所があってね。そこに頼んであるから!」
「なるほど、診療所か。であればベッドもあるだろうな」
「ゼンネンブルク診療所ってとこ。ちょい片付けしたら案内するから、待っておいで」
そう言って、女性が飯場の奥へと姿を消す。
ヤーエルヘルが、ぽつりと呟いた。
「ゼンネンブルク……」
「な、ナナイロさんの姓、多いって、い、言ってたもんね!」
「ゼンネンブルク姓のどこかと血縁があればよいのだが」
「そうだな。明日は、島中のゼンネンブルクさんを尋ねてみようか」
「はい!」
まだまだ飲む気満々の一部の男性たちを除き、飯場に集まった島民たちが徐々に解散していく。
先程の女性に先導されながら、俺たちは飯場を後にした。
「いやー、楽しかった! いろいろありがとうございます」
「いいよいいよ! 飯場か酒場に行ったら、何かしら食べさせてもらえる。朝でも昼でも遠慮せずにおいで」
「ええ。お言葉に甘えさせてもらいます」
ワンテール島の夜は、暗い。
だが、そのぶん、沈まぬ月が美しく輝いていた。
月があまりに明るいため、星々は少々鳴りを潜めているが、それでも天の川を目視することくらいはできる。
「それにしても、ごめんねえ。騒がしかったでしょう」
「いやいや、楽しかったぞ。この島の人々は、随分と親切なのだな」
「みんな、好きなようにやってるだけさ。こんな島をわざわざ訪れる悪人なんざ、そうそういやしないからね」
女性が、俺とヘレジナに視線を向ける。
「演武、すごかったよお。あんたら、あれかい。奇跡級ってやつかい」
「ええ、まあ。いちおうは」
「へえー、いるんだね! 生きてるうちに奇跡級の剣術士と会う機会があるなんざ、思いもしなかったよ」
ヘレジナが薄い胸を張る。
「わりと珍しい故、自慢してもよいぞ」
「それはもう! 別人とは言え、あのワンダラスト・テイルと同名なんだ。それだけでも自慢の種にはなるさ。ほんと、偶然ってのは面白いね」
「でしね。英雄のワンダラスト・テイルさんたち、会ってみたかったでし」
「六十年も前のことだからね。さすがにポックリ逝ってるんじゃないかしら」
プルが目を伏せる。
「す、すこし残念、……かも。会ってみたかった、な。五人組だったんです、……よね?」
「ああ、そう聞いてるよ」
「さすがに人数までは揃わなかったか」
そこまで同じだったら、少々気味が悪かったかもしれない。
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