1/ワンテール島 -16 海水浴(下) 思い出ひとつ、胸に抱いて

「では、やってみたい人!」

「はあい!」

「は、はい!」

「せっかくだ、試してみるとしよう」

「よし、早かった順だ。ヤーエルヘルから行くか」

「やったー!」

「じゃ、すこし深いとこまで行くぞ」

「はあい」

 ヤーエルヘルの手を引き、彼女の胸の高さほどの深さで止まる。

「俺の手を握って」

「はい」

 彼女と手を繋ぎ、その手を水面の高さまで持ち上げる。

「どうしたらいいんでしか?」

「えーと、このまま浮かべるか?」

 ヤーエルヘルの頭上にハテナが灯る。

「うかぶ……?」

「人間って、そもそも水に浮くようにできてるんだよ。このまま繋いでるから、力を抜いてみてくれ」

「力を抜く……」

 ヤーエルヘルが、不器用に脱力してみせる。

 だが、一向に浮き上がらない。

 手を引いて歩いたほうがいいのだろうか。

「よし、わかった。ヤーエルヘル、足を動かさないでいてくれ」

「はい」

 ヤーエルヘルの両手を握ったまま、後ろへ下がっていく。

 すると、流れに乗るように、ヤーエルヘルの下半身がぷかりと持ち上がった。

「わ、浮いてまし!」

 水面に浮き上がったパレオの下から、しっぽが可愛らしく覗いている。

 しっぽもたいへん愛らしいが、褒めたら褒めたでセクハラになりそうだ。

「そうそう、いいぞ。そこで足をバタバタ動かしてみてくれ」

「はい!」

 ヤーエルヘルの足が暴れ回り、周囲に海水が飛び散る。

「お、いいな。上手い上手い。ただ、上下を意識すると、もっといいかもな」

「上下、上下……」

 跳ねる水の量が少なくなる。

 まだまだ泳ぐのは難しいが、これは遊びの一環だ。

 この程度でいいだろう。

「……は、……はァ……」

 ヤーエルヘルの息が上がり始めたところで、プルとヘレジナの元へと引っ張っていく。

「とまあ、これがバタ足だ」

「泳げました!」

「お、お疲れ、さまー……。つ、次は、わたし!」

「おう、来い来い」

 同じく、プルに丁寧に指導していく。

 だが、

「ぶくぶくぶくぶく……」

 何故沈む。

「お、おお、泳げない……」

「力抜いてるか?」

「ぬ、抜いてるよー……」

「うーん……」

 手を引くより、おなかを持ち上げたほうが、泳いだ感が出るだろうか。

「プル。腹を腕で支えてみようと思うんだけど、いいか?」

「うん。い、いいよー……?」

「では失礼して」

 プルのおなかに触れる。

「ひひゃ!」

 くすぐったかったのか、プルが身をよじった。

「え、えっちー……!」

「いや、先に触るって言っただろ!」

「ふへ、へへへ。冗談……」

「──…………」

 イラッとしたので、おしおきをすることにした。

「プー、ルー、クー、トー、さー……ん?」

 両手をわきわきさせてにじり寄っていく。

「ふ、ふぎゃ……」

「こうしてくれるわ!」

 横っ腹をメインに、プルをくすぐり倒す。

「やっ! ふひ、いひひひひ! ひゃん! へ、へんなとこ! ひゃめ、やめへー!」

 砂浜のほうから野次が飛ぶ。

「コラ、破廉恥漢め! プルさまに何をする!」

「へ、へんたーい! でし!」

「む、仕方ない。ここらで許してやろう」

 プルを解放する。

「うひ、ひ、ひー……」

「ほら、大丈夫か?」

「う、うん。ふへ、へへへへ……」

 妙に嬉しそうなプルの手を取り、砂浜まで連れて行く。

「まったく。お前でなければ手足を斬り捨てているところであるぞ」

「……実際、ちょっとやり過ぎた気はしてる」

 真夏の太陽がそうさせたのだ。

 そういうことにしておこう。

 そして、最後はヘレジナの番だ。

「見ていて、おおよそ理解した。足で水を掻き、その勢いで前へ進むのだな」

「お、さすがだな」

「ふふん。伊達に奇跡級上位を標榜しておらんわ」

「まずは、ゆっくり、足を動かしてみてくれ」

「ああ」

 ヘレジナの動きは、水の中でも流麗だ。

 俺の手の代わりにビート板を持たせれば、普通に泳げるくらいには研ぎ澄まされている。

 初めてとは思えなかった。

「……なんか、十分も教えたら普通に泳げるようになりそうだな」

「そうであろう、そうであろう。どれ、私の本気を見せてやる」

 美しく水を蹴っていた足が、天井知らずに勢いを増していく。

 体操術だ。

 ほとんど一瞬で加速したヘレジナの頭頂部が、ミサイルのように俺の鳩尾にめり込む。

「ぐぼッ!」

「わぶ!」

 そして、そのまま押し倒されるように、海に沈んだ。

 慌てて立ち上がり、顔を拭う。

「──わ! あわ! た、たす……!」

 眼前で、ヘレジナが派手に溺れかけていた。

「あ、馬鹿! お前!」

 慌てて矮躯を抱きすくめ、水から離すように抱え上げる。

 ヘレジナが、俺の頭に、しっかと抱き着いた。

「う、うう……! カタナぁ……!」

「調子に乗りすぎだな。胸くらいの高さでも、パニックになると人って溺れるから」

「ご、ごめんなさい……」

 ヘレジナが、しおらしく謝る。

 よほど怖かったらしい。

「まあ、無事ならいいんだが──」

 俺の視界を塞ぐように、水着越しの胸が押しつけられているこの状況をなんとかしたい。

「……ちょーっと、離れてくれるか」

「わっ、わあ!」

 恐怖を煽らないよう、ヘレジナを慎重に下ろしていく。

「はい、二人連続でもう限界です。一周泳いでクールダウンしてきます」

「あ、ああ……」

 確実に紅潮している頬を冷やすように、顔を洗う。

「……その、すまん」

「いえ、ごちそうさまです……」

 アクシデントのたびに泳ぎに泳いでなだめつつ、楽しい時間は過ぎていった。




 四人で作った砂の大山が、西日に照らされ影を伸ばす。

 波によって徐々に浸食され、崩れていくのを眺めながら、俺はゆっくりと伸びをした。

「遊んだなー……」

 皆の顔を見渡す。

「ここまで四人でガッツリ遊んだのって、実は初めてじゃないか?」

「そ、そう、……かも。移動ばっかり、だったし。ね、ネウロパニエでは、みんなで遊んだけど、よ、四人では、初めて……」

「でしね。楽しかったー……」

「遊ぶ、というのも、なかなかに疲れるものだな。下手な修練のあとより体が重いぞ」

「水に浸かってるだけでも、思った以上に体力使うんだよな」

「そういうものか」

「さすがに、今日は、トレーニングはいいや。疲れた……」

 プルが、白髪を指に巻き付ける。

「お、お風呂入りたい、ね。髪、きしきししてる……」

「それさえなければ最高だったのですが……」

「あと、水着の中に砂が入ってて、ちょっと気になりまし。着替えるとき、たいへんかも」

「すこし裸で乾かしたほうがいいやもしれんな」

「──…………」

 聞いてはいけないことを聞いてしまった。

 覗きのような真似はしないが、さらに悶々としてしまいそうだ。

「それで、カタナよ。満足したか?」

「ああ、したした。鬱屈してた高校生の頃の俺が、ようやく成仏したような気分だ……」

 まさか、異世界に飛ばされた挙げ句、可愛い女の子三人と海で遊び倒せるだなんて、高校時代の俺には想像もつかなかったことだろう。

「カタナが幾度も泳ぎに行かざるを得なくなったのは、なかなか愉快だったぞ」

「ぐ」

 仕方ないだろ。

 下半身に言ってくれ。

「あ、……あれ、なにやってた、の?」

「へんなタイミングで、いきなり泳いでましたよね」

「あれはな──」

「こら、言うな!」

「ははっ! 言わん言わん。カタナの名誉のためにもな」

「……?」

「???」

 プルとヤーエルヘルが、揃って小首をかしげる。

 そのままの君たちでいてくれ。

「──…………」

 夕焼けが目に沁みる。

 今日が終わる。

 まだ遊びたいと泣く頑是ない子供の気持ちを、ふと思い出した。

「……そろそろ、戻るか。飯場に行って、今日の宿を探さないとな」

「ああ、そうだな」

 ヘレジナが腰を上げる。

 ヤーエルヘルが、西日を背負いながら呟いた。

「あちし、今日のこと、一生忘れない気がしまし」

「う、うん。わたし、も……」

「私もだ」

「……ああ。俺も」

 ただ、皆で遊んだだけ。

 それだけの一日が、こんなにも愛おしい。

 俺たちは、後片付けを済ませると、後ろ髪を引かれる思いで砂浜を後にした。

 思い出一つ、胸に抱いて。

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