1/ワンテール島 -15 海水浴(上) 水着姿の天使たち

 森を抜け、崖を渡ったその先に、岸壁に挟まれたその砂浜はあった。

 なるほど、これ以上ないほどのプライベートビーチである。

 俺は、さっさと水着に着替えると、焼けた砂の上で正座し、寄せては返す波を見つめていた。

 平常心。

 平常心だ。

 高鳴る鼓動を鎮めるように、深く、深く、深呼吸を行う。

 岩陰で着替える三人の姦しい声がかすかに届く。

 意識しないように努めていても、つい耳を澄ませてしまいたくなる。

「わわわわわわわわー……」

 耳を塞いだり手を離したりを素早く繰り返しながら、周囲の音を遮断する。

 そんな奇行を重ねていると、

「──お、……おお、お待た、せ。か、かたな……」

 背後でプルの声がした。

「……改めて、これは、人前では着られん。岸壁に囲まれていてよかったぞ」

「ず、ずれまし……」

 ヘレジナとヤーエルヘルもいる。

 水着姿の三人が、そこにいるのだ。

「……その。振り返ってもよろしくて?」

「お前に見せるために着たのだ。好きにしろ」

「──…………」

 もしもの時のために、正座のまま、ちょこちょこと振り返る。

 そこに、いた。

 思いのほか際どい水着の美少女が三人、もじもじと立っていた。

「おー……、う」

 ヤーエルヘルの水着は上下純白で、下には可愛らしいパレオを巻いている。

 上はチューブトップとなっており、〈左右に分かれている〉の言葉の通り、左右の胸のあいだに大胆な隙間が開いていた。

 その部分を編み上げているのだから、実に煽情的だ。

 ヤーエルヘルの平坦な胸では、よほど締め付けなければ容易にずれてしまうだろう。

 危険だ。

 危険だが、ここには俺たち以外の人間はいない。

 俺が目を逸らせば済むことだろう。

 パレオに隠されるようにして伸びたしっぽは思いのほか短く、その毛並みから、猫と言うより犬科の動物を思わせた。

 ヘレジナの水着は、大胆な赤だった。

 美しい金髪には、やはり鮮やかな赤が映える。

 浅く切れ上がったボトムスに、中央で捻った形のトップス。

 スレンダーなシルエットと、かすかに割れた腹筋が、健康的な魅力を醸し出していた。

 元の世界の基準に照らし合わせても大胆な露出度で、各所がかなり際どい。

 特に、健康的な小尻を包む布が狭く、Tバックとまでは言わずとも八割ほどが露出していた。

 ウォート・ビーチで着られないわけだ。

 プルの水着は、艶めいた黒だった。

 透き通るほど白く、それ故にほんのり淡く色づいた肌を、黒の水着が煽情的に彩っている。

 だが、本題はそこではない。

 紐なのだ。

 首の後ろと背中だけではなく、左右の布を連絡する紐が中央で結ばれたトップスは、そこが解ければ容易に乳房がまろび出る仕様となっている。

 ボトムスも同様で、左右のどちらかが解ければ、確実に脱げてしまうことだろう。

 これ、何かの弾みで解けたりしたら──

「──ッ!」

 俺は、反転して駆け出すと、顔面から海へと飛び込んだ。

 冷たい。

 塩辛い。

 だが、それくらいの上書きは必要だった。

「か、かか、かたな……!?」

「カタナさん! ど、どうしましたか……?」

「い、いったん待ってくれ。落ち着くまで」

「ふふん」

 ヘレジナが、勝ち誇ったようなドヤ顔を浮かべる。

「プルさま。ヤーエルヘル。やつは、私たちの水着姿に、今まさに悩殺されているのですよ。私たちの勝利です」

「こ、こ、こうふん、……して、る?」

「するに決まってるだろ!」

「え、えへへ……」

「ふふーん」

「う、うう、う、うへへ、へへへ、うへへへへへ……」

 勝利の笑みを浮かべる三人を尻目に、九字を切る。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前……!」

 三分間ほど下半身を海水で冷やしていると、我が相棒がようやく落ち着いてくれた。

「フゥー……」

 砂浜で待つ三人の元へと、のそりと戻っていく。

「際どすぎるだろ! よく売ってたな! ありがとうございます!」

 三人が互いに顔を見合わせ、満足げに笑みをこぼす。

「こ、こうふんさせられて、よかったー……」

「でしね! 恥ずかしいでしけど、勇気を出してよかったでし!」

「まったく。お前と来たら、私たちの魅力にめろめろであるな」

「実際そうかも……」

 これまでの旅ではなるべく考えずに来たものが、水着で一気に弾けた感がある。

 結局のところ、俺は一介の男であり、三人は妹なんかではなくて、一人一人が魅力的な女性なのだ。

 俺は、その事実から目を背けていたのだろう。

 心地よい今の関係に甘んじていたかったのだ。

 プルが、腕で陽射しを遮りながら、言った。

「あ、遊びたい、なー……。わたしたち、う、海での遊び方って、わかんない……」

「ああ、もちろん教えるぞ。遊び方はいろいろあるが、まずは全身海に浸かってみようぜ。ゆらゆら揺れてるだけでもけっこう楽しいもんだから」

「ほう。この広さ、この深さの水に浸かることなど、そうはない。貴重な経験だな」

「今日も、あ、暑いし、全身入ったら、気持ちよさそう……」

「なら、まずは手足からだな。いきなり冷たい水に飛び込むと、心臓に負担がかかるらしい」

「先刻、悪い見本を見せられたばかりだがな」

「あれは勘弁してくれ……」

「ふふん。詳らかに説明しない私の慈悲に感謝するのだな」

「それはマジありがとうございます」

 プルとヤーエルヘルには、できれば知られたくない。

「み、みんな、いこ!」

 プルが、待ちきれないとばかりに波打ち際へと駆けていく。

 そのとき、

「──ふぎゃん!」

 足を滑らせたプルが、顔面から砂浜に突っ込んだ。

 それだけなら、いい。

 それだけなら、いつものことだ。

 だが、結びが軒並み甘かったらしく、いくつかの紐が解けて水着が脱げかけていた。

「カタナ! 後ろを向いていろ!」

「あ、……ああ!」

 さすがにこれを凝視するのは不味いだろう。

 ヘレジナの言葉に素直に従い、俺はすぐさま後ろを向いた。

「ぜ、ぜんぶ脱げた……」

「私が結ぶべきでしたね……」

「て、手分けして結びまし!」

「うう。……か、かたな。見た……?」

「……どこを?」

「ぜ、全体的、に……」

「脱げかけたところで後ろ向いたから、まあ、そこまで致命的な部分は見てないと思う。たぶん」

「そ、……そか」

 気まずいが、それどころではなかった。

 心の中で九字を切り、必死に平常心を保つうち、ヘレジナとヤーエルヘルが水着の紐を結び終えたようだった。

「もーいーでしよー」

「ふー……」

 改めて振り返る。

「紐、危険だな」

「す、すーごく、……危険」

 プルが不器用だっただけ、という気がしないでもないが。

「ほら、海に浸かるぞ! さすがに暑くなってきた」

「ああ、そうだな。水着を買ってまで海へ来たのだから、堪能しなければ嘘だ」

 ヤーエルヘルが、爪先を海水に浸す。

「ひや。けっこう冷たいでし……」

「岸壁の狭間だ。日陰があるから、仕方あるまい」

「ほ、ほんとだ。ちょっと、つ、冷たい、……かも」

「一度入れば、案外平気なんだよ。むしろ、今度は出たときが寒い」

「ふしぎでしー……」

 四人横並びになって、ゆっくりと海へ入っていく。

「全身浸かる前に──、そうだな」

 俺は、両手で海水をすくい、プルの肩にそっとかけた。

「ひゃん!」

「貴様! プルさまに何を!」

「いや、見てただろ。肩に水かけただけだぞ」

「目にも留まらぬ速度で破廉恥を行ったのかと」

「……さてはヘレジナ。はしゃいでるな?」

「ははは、はしゃぐに決まっておろう!」

 素直だ。

 皆が素直に楽しんでいる様子を見ると、こちらもさらに楽しくなってくる。

「まあ、こうして水の温度に体を慣らしていくわけだが──」

「ほほう。では、ヤーエルヘルよ」

「はい」

「こうしてくれる!」

 ぱしゃ!

 ヘレジナが、ヤーエルヘルに水を飛ばす。

 とは言え、その勢いは弱く、しっかりと手加減したものだ。

「ひや!」

「さあ、お前もかけてくるのだ!」

「えへへ、行きましよ!」

 ヘレジナとヤーエルヘルが、ぱしゃぱしゃと水を掛け合う。

 微笑ましい光景だ。

「おいおい。その程度じゃあ、海で遊んだとは言えねえな」

「そ、そうな、の?」

 俺は、三人からすこし距離を取ると、全身のばねを使って思いきり水を跳ね上げた。

「わぷ!」

「うおッ!」

「わあ!」

 三者三様の悲鳴が上がる。

「と、こんな感じに──」

「ふ、……ふふ、ふ。そういうことか」

 顔面で思いきり水を受け止めたヘレジナが、両手を水面に浸す。

「お返しだ、カタナッ!」

 それなりの量の海水が、俺の眼前にぶちまけられた。

「ぶはッ!」

「そら、皆も続け!」

「え、えーい!」

「失礼しまし!」

「やべ」

 三人の猛攻から、慌てて逃げていく。

「そっ、それそれ、それー……!」

 揃って俺を狙ったかと思いきや、

「隙ありでし!」

「ふぎゃ!」

「ヤーエルヘル、貴様! よくもプルさまを!」

「ふふふ、自分以外はすべて敵! これが海水浴なんでしね!」

 このように、仲良く仲間割れを始めたりもする。

「よし、共闘だ! ヤーエルヘルを沈めろー!」

「おう!」

「わ、三人掛かりはひどいでしよー!」

「じゃ、じゃあ、わたしは、ヤーエルヘルチーム……」

「まさか、この前衛二人に勝てるとでも?」

「海の中とは言え、腐っても奇跡級上位。本気を出せば海水の一滴とてこの身に触れさせはせんわ」

「大人げないでし!」

 舞い散る海水が、夏の陽射しにきらめく。

 皆の笑い声が響く。

 まるですべてが泡沫の夢の如く、楽しかった。

 水の掛け合いに疲れ、皆で浅瀬にゆらりと腰を下ろす。

「先に言っとくけど、あんま砂浜から離れんなよ。急に深くなってることあるから」

「こ、こわ……」

「なに。わざわざ沖まで行かずとも、こうして座っていられるくらいが心地よい」

「涼しくて気持ちいいでしー……」

〈冷やす〉という行為の難しいサンストプラでは、暑さから逃げる方法が少ない。

 真夏に涼しいと感じるのは、パレ・ハラドナ出身の二人にとって新鮮な感覚だろう。

「な、夏になれば泳げるの、いいな。わたしも、う、海の傍で生まれたかった、……かも」

 海の傍で生まれ育ち、健康的に日焼けしたプルを想像する。

 悪くない。

「──ふと大事なこと思い出したけど、大丈夫だったわ」

「気になるではないか。言え」

「こんだけ天気いいんだし、日焼けが大変だなって思ったんだよ。でも、よく考えたら、日焼けって軽度の火傷じゃん。治癒術で治るよなって」

「う、うん。治せる……」

「なら、よかった。あれ地味に痛いからな」

 皆が肌を真っ赤にして痛がるさまは、あまり見たくはない。

「こうして波に揺られてるだけでも楽しいでしけど、他に遊び方はあるのでしか?」

「そうだな。パッと出てくるのは砂遊びとか、泳ぎの練習とか。ヤーエルヘルって、耳に水が入っても大丈夫なのか?」

「あ、はい。大丈夫でしよ。そうでないと髪も洗えませんし……」

 そりゃそうだ。

「なら、バタ足の練習でもしてみるか。海水だし、水に顔をつけるのはナシで」

 海水は目に沁みる。

 目が赤くなっても治癒術で治るだろうが、そうならないに越したことはない。

「ば、ばたあしって、なにー……?」

「……あー、そうだな」

 見せたほうが早いか。

「軽く泳いでくるから、見ててくれ」

「ほう。カタナは泳げるのだな」

「日本人の平均くらいにはな」

 遠浅の砂浜をすこし奥まで進み、胸くらいの高さになったところで足を離す。

 クロールで、円を描きながら、ほんの二十メートルほど泳いで三人の元へ戻ってきた。

「──と、こんな感じだ」

「わ、すごいでし!」

 ヤーエルヘルが、ぱちぱちと拍手をしてくれる。

「す、すーごい、ね! 泳ぐのって、あ、あんな感じなんだ……」

「俺、手と足を両方使ってただろ。でも、何か浮くものさえ掴んでれば、足の動きだけで前に進める。これをバタ足と呼びます。足をバタバタさせるから、だろうな」

「ふむ、なるほど……」

 ヘレジナが大仰に頷いた。

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