1/ワンテール島 -14 ワンテール島

 ワンテール島の港は、リンシャと比べてすら大きくはなかった。

 千人ほどの人口を賄う漁港としては、それで必要十分なのかもしれない。

 船の姿はほとんどなく、漁に出ていることが窺える。

「さ、着いたぜ」

 乗組員が設置したタラップを歩き、漁港へと下りる。

「実に快適な船旅であったな!」

「今の航海を快適と言い張るたあ、嬢ちゃんは大物だな」

「で、あろう?」

 プルが微笑む。

「よ、酔わなかった、……もんね!」

「乗った直後に目を閉じる! この方法は今後徹底していくぞ」

「でも、本当に酔わなくてよかったでし。ヘレジナさん、すごく苦しそうでしたから……」

「乗り物酔いって、ひどい時はマジでひどいからな……」

 病気ではないため、苦しみのわりに皆から心配されにくいのも、また理不尽なポイントだ。

「ンで、どんくらい滞在すんだ。一泊につき千──と言いたいところだが、一週間までなら追加料金はなしでいいぜ。世話にもなったしな」

「実を言えば、まだ決めてないんだよ。目的が済めばすぐに帰るし」

「目的ねえ。こんな田舎の島に何があるとも思えねえが、ま、追求はしねえよ。ただ、気を付けろよ」

 すこし緊張する。

「……何かあるのか?」

「ねえんだよ、宿屋が。当然だろ」

「ああ……」

 そっちね。

 来島する人のほとんどいない島で宿屋を経営する物好きがいるはずもない。

「ま、多くが気のいい連中だ。誠意を持って頼めば、どっかしら泊めてはくれるだろ」

 ボスコが、街の方向を顎で示す。

「ほら、見てるぜ」

 俺たちを射抜く低い視線には、既に気が付いていた。

 今日は、夏の中節二十八日。

 定期船でもない船が唐突にやってきたのだ。

 それは目立つに決まっている。

「儂らはユアン号で過ごす。お前らは好きにしろ。帰りたくなったら、言え。すぐさま船を出せるかは、風の機嫌によるがな」

「ありがとう。帰りも頼むわ」

「おう」

「じゃ、……じゃあ、また!」

「ありがとうございました!」

「達者でいろ。風邪でも引かれては困る」

 栄えあるユアン号に乗り込みながら颯爽と手を上げるボスコに背を向け、ひなびた港町のほうへと歩き出す。

 すると、こちらを窺うように見ていた数名の子供が、興味津々と言った様子で駆け寄ってきた。

「ねーねー! どこから来たの? なにしに来たの?」

「きたのー?」

 プルが、膝を屈め、子供たちと視線を合わせる。

「わ、わたしたち、ウォーラートから来た、……の。ひとをね、さ、探しに」

「だれー?」

 ヤーエルヘルが言葉を引き継ぐ。

「ナナさん──ナナイロさん、でし。この島で生まれ育ったひとなんでしが、知りませんか……?」

「ナナイロ?」

「へんな名前!」

「しらなーい」

「そ、……そっか。ありがと、ね?」

 いちばん小さな子の頭を撫でて、プルが微笑んだ。

「では、人の集まる場所を教えてくれんか。食事のできる場所であれば、なおよい」

「えっと、はんばかなあ」

「飯場……」

「うん。いまごろ、かーちゃんたちが仕込みしてる」

「なら、悪いんだけど、そこまで案内してくれないか?」

「いーよー」

「こっちこっち!」

 小走りに先導する子供たちに合わせ、早足で歩き始める。

 子供たちが飯場と呼ぶ建物は、港沿いにあった。

 看板などは掲げられてはいない。

 必要もないのだろう。

「かーちゃーん! お客さん!」

 風通しの良い扉をくぐると、魚臭さが鼻をついた。

 塗装の剥げたタイルの上に無数のくたびれた椅子とテーブルが設えられており、その一角で女性たちが操術で魚を捌いている。

「お、なんだいなんだい。珍しいねえ!」

「どうも、ウォーラートから来ました」

 女性の一人が、俺たちを手招く。

「よくもまあ、新月でもないのに来られたもんだ。入れ入れ、腹ァ減ってないかい?」

「早朝に、干し肉と果実を食べただけだ。正直小腹は空いているな」

「仕込み中だから大したモンは作れないけど、どれ、鯖でも焼いてやろうかね」

「おお、海鮮か! これを楽しみにしてきたのだ!」

 プルが、自分用の財布を取り出す。

「え、……と。お、おいくらになります、か?」

「いーのいーの、金なんてさ。この島にいりゃ使い道なんてないんだから!」

「太っ腹でし!」

 子供たちが、声を揃える。

「いーなー、さば! いーなー」

「かーちゃん、腹へった!」

「あんたらは朝ごはん食べたばっかでしょ!」

 皆が、からからと笑う。

 俺たちもつられて笑みを浮かべた。

 温かい島だ。

 女性が生け簀から鯖を取り出し、あっと言う間に捌いて炎術で火を通す。

 小骨まで丁寧に抜かれた鯖が、皿の上で、ジュウジュウと音を立てながら脂を滲ませた。

「わあ! す、すーごく、いいにおい……!」

「捌いて塩焼きにしただけの手抜きだけどね。ま、新鮮さだけは保証するよ」

「そこらに塩があるから、塩気が足りなきゃ振りなさい」

「ありがとうございまし!」

 塩焼きにされた鯖の身を、フォークでほぐして口へと運ぶ。

 火の通った身が、舌の上でほくほくと崩れる。

「──うっま。焼き魚なんて久し振りだわ」

 ウージスパインで食べた海産物は、缶詰であったり、燻製であったり、干物であったり、輸送のための加工がなされたものばかりだった。

 冷蔵、冷凍のできないサンストプラの地では、シンプルな焼き魚こそが、海沿いでしか食べられない最高の贅沢なのかもしれない。

「美味しいでしー……!」

「あ、脂乗ってて、とろけ、……るう!」

「うむ、美味である!」

「着いて十分くらいだけど、もう来てよかったって感じしてるわ……」

「わ、わかるー……」

「わかりまし!」

「あら! そんだけ喜んでもらえると嬉しいねえ。あたしらは飽きるほど食べてるモンだけど、ウォーラートでは違うんだね」

「ああ、いや、俺たちウォーラート出身じゃないんですよ。旅人なんです」

「へえー、旅人さん」

「こっちの二人は内陸出身なんで、新鮮な海の魚を食べるのは初めてで」

「そいつは不憫だ。滞在中は、嫌ってほど食っていきな!」

「ああ、そうさせてもらおう!」

 仕込みをしている中でも若い女性が、俺たちに尋ねる。

「ところで、この島くんだりまで何をしに来たの? 観光なら他の島へ行くでしょう」

 食べる手を止め、答える。

「ええ。実を言えば、人捜しに。来てるかどうかもわからないんですけどね」

「へえー、名前は?」

「ナナイロ=ゼンネンブルクって女性です。たぶん、今は六十か七十か……」

 三十年前の時点で魔術研究科の教授職に就いていたのだから、そのくらいだろう。

「ナナイロ、ナナイロ──あんたたち聞き覚えある?」

「ないわね」

「ないねえ……」

「そうでしか……」

 ヤーエルヘルが、すこしだけ肩を落とす。

「でも、この島出身なのは間違いなさそうだね。ゼンネンブルクって姓、多いから」

 良いことを聞いた。

 少なくとも、見当違いをしているわけではなさそうだ。

「ワンテール島を離れて長そうだし、答えはすぐには出ないわな。じっくり腰据えて探そうぜ」

「……はい!」

 鯖の塩焼きを完食したヘレジナが、女性たちに尋ねる。

「数日滞在しようと思うのだが、どこかに泊めてくれる家はないか?」

「うちは、四人は無理だねえ」

「物置小屋なら空いてるけど、そこに四人詰め込むのは可哀想だ。あんたらだって、ベッドがあったほうがいいだろう?」

「そうだな。雑魚寝でも構いはしないが、あるならあるに越したことはない」

「あたしらだけじゃ、さすがにね。この飯場には島のいろんな人が集まるから、聞いておくよ。当てはないこともないし」

「いきなり押し掛けて申し訳ないけど、お願いできますか」

「ああ。せっかくの客人だ、もてなしてやらなきゃね!」

 思わず小さく頭を下げる。

「ありがとうございます。なんか悪いなあ……」

「いーのいーの! 人が来ることなんてまれだから、あたしらも楽しいのよ。非日常に飢えてるのさ、みんな」

「あなたたちが来たこと、すぐに島中に知れ渡る。たぶん、泊まる場所はすぐに見つかると思うよ」

「よ、よかったー……」

 プルが、小さな胸を撫で下ろす。

「夕方にでも、また飯場に来てちょうだい」

「わかりました。ところで、その──」

 さりげなさを装い、尋ねる。

「この島に、人の来ないビーチってあります?」

「お、海水浴かい」

「かわいこちゃん三人も引き連れちゃって、まあ!」

「ははは……」

「海岸に沿って西に一時間も歩けば、岸壁のあいだに砂浜があるよ。あたしも若い頃は、旦那とそこでいちゃいちゃしたもんさ」

「あら青春! 詳しく聞かせて」

「あとでね!」

「でも、森にはあまり立ち入らないほうがいいわよ。この島、神代の遺跡が多くてね。物珍しいのはいいんだけど、ちょっと危ないから」

「あと、間違っても北の入り江には近付くんじゃないよ! あそこ、魔獣の巣なんだ。幸い、街のほうへ来ることはほとんどないけどね」

 危うく魔獣の海流に呑まれそうになった身としては、決して近付きたくはない。

「ありがとうございます。西のほう、行ってみますよ」

「ウフフ、楽しんでおいでよ。若いんだから!」

「それはもう、期待期待で」

「夏の日の思い出、いいわねえ……」

 鯖の塩焼きを残さずたいらげ、礼を言って飯場を後にする。

 長話がつまらなかったのだろう、子供たちはいつの間にか他の遊びに夢中になっていた。

「──よし!」

 早くも準備体操をすることで、有り余る衝動を鎮めにかかる。

 プルが、頬を染めながら言った。

「……ど、どど、どきどきしてきた。かたな、こ、こうふんするかな……」

「正直、する予感しかしない」

「もしがっかりなどしてみろ。つい斬り掛かってしまうかもしれんぞ」

「こわ……」

「えへへ。しこしでも、日頃のお礼になれば嬉しいでし」

「なるなる。絶対なる」

「やったー!」

 そんな浮かれたやり取りを交わしながら、俺たちは、海岸線に沿って西のほうへと歩き始めた。

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