1/ワンテール島 -11 齢六十の大ベテラン

 港湾都市ウォーラートは、広い。

 さすがに三十万都市であるネウロパニエとは比べるべくもないが、勾配の激しい地形が実際以上に広大に感じさせている。

 喫茶店で水分を補給し、露店を冷やかし、名跡を辿り、ウォート・ビーチの北から大きく張り出したハラト岬で絶景を楽しんだあと、今朝到着した港へと立ち寄った。

 時刻は既に午後六時を過ぎ、西日が沈みかけている。

「──そこの。一つ尋ねたいのだが、よいか?」

 ヘレジナが、樽に腰掛け一服していた若い船乗りの男性に声を掛けた。

「おう、構わんぜ。なんだ嬢ちゃん」

「嬢ちゃんではな──まあ、いい。ワンテール島へ行きたいのだが、どうすればいい。定期便は出ているのか?」

「ああ、ワンテール島なあ」

 男性が、ぷかりと煙を吐く。

「定期便は出てるが、月に一度だぜ。あんなとこに何しに行くのか知らんが、次は夏の後節十五日だ。ちいと待つな」

「夏の後節十五日、でしか!」

 今日の日付は、夏の中節二十七日。

 つまり、次の便は、十八日後ということになる。

 プルが尋ねる。

「あ、……の! ど、どうしてそんなに、便数がす、少ないんです、……か?」

「あっこの海域な、魔獣が多いんだよ。人口は千人程度。自給自足もできてるし、観光客は別ン島行くだろ。月に一度、生活必需品を届けるだけで、なーんも困らねえの」

「なるほどな。そういうことか……」

「魔獣も、新月の日にだけは大人しくなるからな。毎月十五日にサッと運んでサッと帰る。べつに閉鎖的な島ってんでもねえんだけど、正直、ウォーラートとはそれくらいの付き合いしかねえな」

「困りました……」

「さ、さすがに、十八日も待てない、……もんね」

「一度渡ったら、帰れるのはまた一ヶ月後。それもきついな」

 定期便で向かうとすれば、ウォーラートに帰り着くのは秋の前節十五日だ。

 北方大陸最北の地であるトレロ・マ・レボロへ向かい始めるには、いささか不安の残る日程となってしまう。

「しみません。定期便以外でワンテール島へ向かう方法、ありませんか?」

「そら、ないことはねえよ。船乗りごと船を借り上げればいいだけの話だ。ただ、危険とわかって依頼するからにゃ、だいぶおぜぜは必要だぜ」

「金で解決できる話か。なら問題はあるまいな」

「なんだ、金持ち御一行か? なら、駄賃をくれたらいい船紹介してやんぜ」

「ああ、こいつで構わんか?」

 ヘレジナが、財布から百シーグル銀貨を取り出し、指で弾く。

 船乗りの男性がそれを受け取り、

「へへ、まいどあり」

 と、樽の上から飛び下りた。

「あんたらみてえに、船借り上げてエニマグナ諸島を遊覧しようって金持ちは、それなりにいんのよ。でも、ワンテール島となると、船持ち側が承知しねえ。だから、少々金にがめつい命知らずに吹っ掛けんのがいちばんいい」

「な、なるほどー……」

「命知らずはいいが、腕は確かだろうな」

「大ベテランだ、問題ねえだろ。船は少々ボロいがな。ま、ついてこいよ。船乗りの酒場まで案内してやる」

「ああ、頼んだ」

 軽く右手を上げ、船乗りの男の後についていく。

 繁華街から大きく離れ、案内されたのは港の端の端だった。

 雑多なビアガーデンといった風情で、粗雑なベンチに赤ら顔の男性たちが腰掛け、ジョッキを傾けては笑い合っている。

 海風を浴びながら飲む酒は、さぞ美味いだろう。

「おーおー、まだ夕方だってんのに出来上がってんな」

「席が外なんでしね。面白いでし!」

「夏の、天気のいい日だけな。この時期は気持ちいいんだ、これが」

 言いながら、船乗りの男性が給仕の女性の肩を揉む。

「おい、ボスコの爺さん来てるか」

 給仕の女性が男性の手を払い除け、笑顔で答えた。

「ああ、来てる来てる。店内のほうにいるよ!」

「了解、あんがとよ」

 給仕の女性の尻を撫でようとして爪先を思いきり踏まれつつ、男性がニヤリと笑う。

「行こうぜ、中だ」

 その様子に苦笑しつつも、男性と共に開けっ放しの扉をくぐった。

 店内は、思わず笑ってしまうほど乱雑だ。

 床に直接座りながら盤上遊戯に興じている客がいたかと思えば、二階へ通じる階段で逆さまになりながら寝こけている人までいる。

「……ウガルデの店が上品に見える日が来るとはな」

「給仕が大変そうでし……」

 日常茶飯事なのか、委細気にせず男性が店内を見渡す。

「ああ、いたいた。ボスコの爺さん!」

「ああン?」

 度数の高そうな酒をちびりと飲っていた老人が、胡乱げに顔を上げた。

 室内であるにも関わらず掛けていたサングラスをずらし、船乗りの男性を睨みつける。

「ああ、小僧か。どうした」

「老眼で見えねえのにサングラス掛けてんじゃねえよ」

「黙れ。こいつは儂のスタイルだ」

「はいはい、仕事持ってきてやったぜ。今度おごれよ」

 そう言って、船乗りの男性が俺たちを振り返った。

 一歩前に出て、営業モードで会釈する。

「こんばんは。お話、よろしいでしょうか」

 ボスコと呼ばれた老人が、再びサングラスをずらす。

「また、上品なやつらを連れて来たな。完全に浮いちまってる」

「金持ってんぜ、たぶん。適当に吹っ掛けてやんな」

 俺の肩をぽんと叩き、船乗りの男性が店を後にする。

 軽く手を振り、ボスコへと向き直った。

「──で、どこ行きたいんだ坊主ども。金さえ積めば、どこへだって乗せて行ってやるぜ」

「ええ。ワンテール島へ」

「ほう」

 ボスコがグラスを傾ける。

「あの馬鹿が儂んとこ連れて来たのも納得だ。まあ座れや」

「はい、失礼します」

 ボスコからいちばん近い席に、四人で腰掛ける。

「ワンテール島について、どのくらい知ってる」

「いえ、あまり。かつてはエン・ミウラ島と呼ばれていたことくらいで」

 ボスコが目を見開く。

「儂の父親世代の話だぜ。むしろ、よく知ってたな」

「まあ……」

 道理で、エン・ミウラ島の名で探し歩いても見つからないわけだ。

「ワンテール島ってのは、このウォーラートからいちばん近い孤島だ」

 プルが、意外そうに繰り返した。

「ち、……近いんです、か?」

「ああ、近い。風にもよるが、最短距離を航行すれば四時間程度よ。ちいとそこらの坂を登れば、すぐ見える」

 ふと、ハラト岬からの遠望で目にした島影を思い出した。

「もしや、岬からも見えるのか」

「お前らが南を見てたんなら、そいつがワンテール島だ」

 まさか、そこまで近いとは思いもしなかった。

「この近さにも関わらず、ワンテール島への定期便は月に一度。理由は単純だ。本島とワンテール島のあいだ──かなりワンテール島寄りの海域に、魔獣の巣があんのさ。それも、超弩級の大物だ」

「大物、でしか……」

「ああ、鯨の魔獣だ。大型船をも凌ぐ、影のような漆黒の巨体。このあたりでは〈黒鯨〉と呼ばれて恐れられている。また、黒鯨は、他の海の魔獣も呼び寄せるらしくてな。災厄竜の次くらいには厄介だろう」

 災厄竜。

 飛竜や騎竜といった益竜とは異なる、その地に災厄をもたらす竜のことだ。

 地竜や、あの炎竜が、それに当たる。

「なら、ワンテール島の人たちも船を出せないのでは?」

「それが、島の南側には魔獣の影も形もねえのよ。ワンテール島の北にゃ、渦を描く海流がある。黒鯨や海の魔獣どもは、この海流を、ぐるぐるぐるぐる飽きもせず泳いでやがるらしい。さほど流れは強くないが、抜け出そうとしているあいだに魔獣に捕まれば終わりだ。そんなんだから、誰も行きたがらねえわけよ」

 当然だ。

 俺が船乗りだったとしても、わざわざ行きたいとは思えない。

 遠回りをすれば定期便の便数を増やすこともできるのかもしれないが、現状では不便もないため、そのままにされているのだろう。

「──で、だ」

 ボスコが、サングラスを上げる。

「お前ら、いくら出す」

「あー……」

 難しいところだ。

「相場がわからないので、難しいですね。ボスコさんに提示していただけるとありがたいのですが」

「チッ」

 舌打ちをし、ボスコが顎を撫でる。

「お前らの財布の中身がわかんねえと、吹っ掛けにくいんだがな……」

 ボスコが、俺たちを、じろじろと値踏みする。

 しばしの逡巡ののち、言った。

「……まあ、往復で一万ってとこか。ねえならモノでも受け付けてるぜ。没落貴族かなんかだろ、お前ら」

 ボスコの視線はプルへと向けられていた。

 ある意味、惜しくはある。

「なんだ、一万でいいのか」

「……は?」

 ヘレジナが、俺の足元の大荷物を開き、エルロンド金貨の入った革袋を取り出した。

「受け取れ、前金だ。他の客に見えんようにな」

 そう言って、金貨を一枚、ボスコの手に忍ばせる。

 ボスコが、サングラスを上げてまじまじと観察したのち、前歯で金貨を噛んだ。

 噛んだ場所を確認し、呟く。

「……メッキじゃねえな」

「遺物三都の地下迷宮で見つけたものだ。以前、あそこで冒険者をやっていてな」

「チッ、倍額言っときゃよかったか」

「今更撤回はさせんぞ。だが、色くらいはつけてやろう」

「そいつはありがたいね」

 ボスコの様子を見て、念を押す。

「それでは、お願いできますか?」

「ああ、請け負った」

 グラスの中身を一気にあおり、ボスコが立ち上がる。

「明日の夜明け、十一番港へ来い。準備は整えておく」

「はい」

 ひらりと手を振り退店していくボスコの背中を見て、ヤーエルヘルが感心したように言った。

「海の男ってかんじでしね!」

 プルが小首をかしげる。

「な、……なんで、そろそろ夜なのに、さ、サングラスかけてるん、だろ」

「カッコつけたいお年頃なんだろ」

「明らかに、齢六十を超えていると思うのだが……」

「男はいつだってお年頃なんだよ」

 たしかに大ベテランには違いない。

 少々変人であることを除けば、だが。

「ともあれ、ワンテール島へは行けそうだな。よかったよかった」

 ヤーエルヘルの頭を、帽子の上から撫でる。

「ナナさんのこと、すこしでもわかればいいな」

「はい!」

「あ、あと、……誰もいないビーチ、み、見つけられたら、いいな。ふへ、へへへへ……」

 思わず礼拝のポーズを取る。

「あって、……くれ!」

「なに、観光客はおらんのだ。誰もいない砂浜の一つや二つ、あるだろう。カタナよ、覚悟しておけ」

「ずっとドキドキしとるわ……」

 昼間に出会った男性は、恋人とその妹の水着を無事に堪能できたのだろうか。

 道を示してくれて、ありがとう。

 俺も、あなたに続きます。

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