1/ワンテール島 -10 水着店の店先で

「こ、これは! 本当に、こんな布きれだけを巻き付けて外を歩く女人がおるのか!」

「ぱ、パレ・ハラドナで着てたら、憲兵に捕まっちゃう、……かも」

「あちしの下着より小さいでし……」

 水着店の前のベンチに腰掛けたまま、店内の会話に耳をそばだてる。

 正午の陽射しがぎらぎらと照りつけるが、そんなことは気にもならなかった。

 ヤバいことになっている気がする。

 いや、確実にヤバいことになっている。

 だが、この水着店は男子禁制だ。

 ずかずかと立ち入って止めることは許されない。

 当然、喜びも大きいのだが、それ以上になんらかの罪を犯しているような許されがたい気持ちがあった。

「……どうなっちゃうんだ、マジで」

 思わず漏れた胸中を誰かに聞かれてはいまいかと、周囲を見渡す。

 すると、隣のベンチに腰掛けていた男性と目が合った。

「──…………」

「──……」

 会釈を交わすと、男性が遠慮がちに話し掛けてきた。

「……その。あなたも、恋人をお待ちで?」

「あー、……いや。恋人ではないんですが……」

 愛想笑いを浮かべる。

「友達以上、恋人未満、……のような?」

「ええ、まあ。概ねそんな感じで……」

 俺たち四人の関係は、なんとも表現しにくいものだ。

 苦笑を返していると、男性が言った。

「すみません。店内から、恋人とその妹の会話が漏れ聞こえてきていまして。どうにも落ち着かないものですから、雑談に付き合っていただけないでしょうか」

「ああ、それはもう、願ったり叶ったりです。俺も、まさしくその状態だったもんで……」

 このまま三人の会話に聞き耳を立てていると、ヘレジナの作戦通りに悶々とし続けてしまいそうだった。

「僕たち、クルドゥワから観光で来たんです。あそこ、岩場ばかりなので、海水浴なんて初めてで。まさか、水着が、こう、なんと言えばいいのか──」

 男性が、目を逸らしながら言葉を継ぐ。

「端的に言って、ここまで煽情的なものとは思ってなくて……」

「……物によっては下着より布面積が狭いそうですよ」

「お、……っふ」

 奇声を誤魔化すように咳払いし、男性が続ける。

「……こほん、失礼。しかし、すごいものですね。水着って免罪符があれば、あんな大胆な恰好で街中を歩けてしまうんだから」

「冷静に考えりゃ、半裸ですからね……」

「まったく、まったく」

「正直言って、衆目に晒したくはないですよ。ただでさえヤバい会話が漏れ聞こえてきてるし……」

「ああ、わかるなそれも。でも、せっかく買うわけですしね。泳がないと損でしょう」

「ええ、まあ。なので、人の多いウォート・ビーチは避けて、南のエニマグナ諸島へ行こうかと思ってて」

「エニマグナ諸島──本島の南だったかな。たしかに、ウォート・ビーチよりは人は少なそうだ」

 男性が、なるほどと頷く。

 期待薄だが、いちおう尋ねておこう。

「そうだ。エン・ミウラ島って御存知ないですか?」

「エン・ミウラ島……」

「実を言うと、その島が目的でアーウェンまで来たんですよ」

 地元の人間である宿の店主が知らなかったのに、観光客の男性が知っているはずがない。

 そう思っていたのだが、

「ええと、少々お待ちを」

 男性が荷物を漁り、パンフレットを取り出す。

 多色刷りの、色鮮やかで目に楽しいものだ。

 表紙に〈人歴1130年版〉と書かれているのが、ちらりと見えた。

 去年に出版されたものらしい。

「これ、アーウェンのガイドなんですよ。ウージスパインで買ったんだけど、その名前、どっかで見掛けた気が……」

「え、本当ですか?」

 思わず腰を浮かす。

 しばらくして、

「あったあった。ここですよ」

「マジっすか!」

 パンフレットを覗き込む。

 勉強の甲斐あって、共用語もすこしは読めるようになってきた。

 男性の指の先には、〈ワンテール島〉と記載されている。

 その下に括弧して、

「旧、エン・ミウラ島。名前変わってたのか……!」

「それで物珍しくて覚えてたみたいですね」

 随分前に改名されたのだとすれば、宿屋の店主が知らないのも道理だ。

「ありがとうございます! めちゃくちゃ助かりました!」

「いえ、こうして隣に座ったのも何かの縁ですよ。その島で、水着、堪能してきてくださいね」

「──…………」

 思わず素に戻る。

「どうしました?」

「……実を言うと、すげー複雑な気分なんですよね」

「ほう」

「俺たちは旅人でして。連れが三人、全員女の子なんです」

「なかなかやりますね……!」

「それほどでも」

 苦笑し、続ける。

「ただ、その。……見た目が全員、幼いんですよ」

「実年齢は、そうではないんですか?」

「ええ。一人は二十八歳で、一人は十五歳。一人は年齢不詳なんですが、正直言って、全員少女にしか見えないと言いますか……」

 十五歳にしては幼い印象を受けるプルが最も年上に見えるのだ。

 他の二人はお察しである。

「ははっ、いいじゃないですか。本物の子供に手を出しているわけではないんでしょう?」

「それは、ええ。間違いなく」

「なるほど。あなたの葛藤もわかりますが、それは相手に失礼ですよ」

「失礼、……ですか?」

「すこし言葉が強くなるかもしれませんが──」

 そう言って、男性が真剣に語り始める。

「見た目の年齢だけを重視して、彼女たちが生きた年輪を軽視しているように聞こえてしまいますね。たとえ見た目が子供であろうと、大人は大人。子供扱いするべきじゃあない」

「──…………」

「それに、ウォート・ビーチではなく、人目の少ないビーチへ行くんでしょう? なら、それこそ世間体を気にする必要はない。あなたをロリコン扱いする人は、どこにもいません。彼女たちを等身大の女性として見てあげるべきじゃないでしょうか」

「……ッ」

「──っと、すみません。余計なことを言っちゃいましたかね」

 俺は、男性の両手を取った。

「ありがとうございます! そうだ、その通りだ。俺は、心のどこかで、プルとヤーエルヘルを〈子供〉という枠組みに押し込めていた。でも、違う。あいつらは、言葉でくくれるまとまりなんかじゃなくて、立派な個人なんだから……」

「そう、その意気です!」

「心のどこかにあった罪悪感が、ようやく消えてくれました。素直にあいつらの水着を拝めそうです。本当に、ありがとうございました!」

「いえいえ。女の子が、意を決して、自分のために水着を選んで着てくれるんです。なら、まずは素直に喜ぶこと。それが、彼女たちに対する誠意だと思いますよ」

「はい!」

 目から鱗だった。

 だが、本当にその通りだ。

 プルたちは俺のために──俺だけのために水着を着てくれる。

 ならば、照れて斜に構えたり、罪悪感で目を背けたりするのは、失礼以外の何物でもないだろう。

 簡単なことだった。

 俺は、素直に喜べばよかったのだ。

 男性としばらく雑談を交わしていると、やがて、姉妹らしき女性二人が店内から姿を現した。

 視線が吸い込まれるほど、その胸は豊満だ。

「ごめーん! 待ったでしょ」

「……すみません。姉が、優柔不断で」

「大丈夫、大丈夫。待つのも楽しかったからさ」

 男性が、俺に耳打ちをする。

「……大きいでしょう」

「──…………」

 無言で親指を立てる。

「──いやはや、すまんすまん。だいぶ時間を食ってしまったな」

「しみません、なかなか決められなくて……」

「ご、ごめんね、かたな。で、でも、すーごいの、買ったから!」

 続いて、三人が姿を見せる。

 ヘレジナの腕には、紙袋が抱えられていた。

 この小さな紙袋に、三人分の水着が入っているのだ。

「ああ。すげえ楽しみだよ」

「……?」

 俺の態度の変化に、皆が小首をかしげた。

 男性に耳打ちをする。

「……可愛いでしょう?」

 男性が、無言で親指を立てた。

「んじゃ、行こうか」

 男性とハイタッチを交わし、不思議そうな表情を浮かべる女性陣を余所に、互いに反対方向へと歩き始める。

 三人が、小走りで俺に追いついた。

「か、……かたな。あのひとと、仲良くなった、の?」

「珍しいではないか。ならば、食事でも一緒にとればよかったものを」

「あの人にはあの人の戦いがあるんだ。邪魔をしてはいけない」

「戦い、でしか……?」

「男の戦いさ」

 三人の頭上に疑問符が浮かぶ。

「──ああ、そうだそうだ。それより、エン・ミウラ島のことがわかったぞ」

「え、ほんとでしか!」

「名前が変わってたみたいだ。今の名前は、ワンテール島。この名前で聞き込みすれば、たぶんわかると思う」

「す、すす、すごい! わ、わたしたち、水着選んでただけなのに……」

「素晴らしい情報収集力ではないか!」

「いや、さっきの人がたまたま知ってただけだからな」

 能力と言うより単なる運だ。

「ところで、どんな水着を買ったんだ?」

 ヘレジナが口角を上げる。

「ふふん、気になるか」

「気になりますねえ……」

「随分と素直になったではないか。善哉善哉」

「え、えっと、ね──」

 ヘレジナが、プルの唇に人差し指で触れる。

「プルさま、ここは秘密にしておきましょう。そのほうが期待が高まると言うもの」

「た、……たしかに!」

「えへへ、秘密でしー!」

「……まあ、一つだけ言っておこう」

 ヘレジナが、どこか遠い目をして言った。

「私には、これを、ウォート・ビーチで着る勇気はない」

「──…………」

 ごくり、と喉が鳴る。

「あ! こ、こうふんしてる……!」

「し、して──」

 男性との会話を思い出す。

「……して、る」

「!」

 俺の素直な言葉に、プルが目をまるくした。

「かたな、す、すなお……」

「……思い直したんだよ。俺のために水着を着てくれるのに、嬉しくないって虚勢を張るのはやめようってな」

「ふふん、殊勝な心掛けではないか。よろしい。眼福を約束してやろう」

「ああ、楽しみにしてる」

「はい!」

 素直になるのは、案外気持ちがいいものだ。

「──いよっし! ウォート・ビーチでは泳げないから、適当に散策しようぜ。ワンテール島へ行く方法は、遊びながら探せばいいだろ」

「そうしまし!」

「つーか、まずは何か飲ませてくれ。直射日光にじりじり焼かれて、そろそろ汗すら出なくなってきた……」

「わ! い、急いで、き、喫茶店探そう!」

「アーウェン特産のポニーニという果物が、果汁が多くて美味いと聞いたぞ。そのままかぶりついてよし、搾ってジュースにしてもよし」

「いいな、それ頼もう」

 こうして、俺たちは、観光気分でウォーラートを練り歩くのだった。

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