1/ワンテール島 -9 ウォート・ビーチ
甘辛くスパイシーなアーウェン料理を堪能し、再び外へ繰り出すと、夏の強い陽射しが墨のように濃い影を落としていた。
今朝降り立った港湾から北へ歩くこと十五分、ウォート・ビーチは程近い。
「わ、わ! ま、真っ白な砂……!」
プルが、はしゃいだ声を上げる。
まだ午前中だと言うのに、ウォート・ビーチには既に海水浴客の姿があった。
波打ち際で水を掛け合う子供たち。
パラソルの下で読書をする男性に、敷いた布の上で日光浴をする女性──その光景は概ね俺の知るビーチリゾートと相違ない。
世界が変わっても、海ですることは大して変わらないらしい。
異なる点があるとすれば、水着が少々地味なことくらいだろうか。
いわゆるビキニなどの露出度の高い水着はさほど見られず、色合いも穏やかだ。
「み、みんな大胆でしね……!」
「うむ。女人が人前でへそを出すとは、なかなかにけしからんな」
「……へそを出すのって駄目なのか?」
「く、国による、かなって。パレ・ハラドナでは肌を、さ、晒す機会がなかったから、他の国より、て、貞淑なの、……かも」
「ああ、たしかに。内陸だしな」
ヘレジナが、にやりと笑う。
「しかし、感心であるな。あの乳のでかい女人あたりに見惚れるかと思いきや、冷静な立ち振る舞いではないか。ナイスバディとやらに目を奪われたら、尻を蹴り飛ばしてやろうと思っていたぞ」
「俺には視線の自由もないのか……」
「ない」
「ひどい」
しかし、俺が巨乳や巨尻に目を奪われなかったのは、他に理由がある。
「まあ、別に──」
言い掛けて口を閉ざす。
しまった。
余計な口を叩くところだった。
「べ、……べつに、なあに……?」
「なんでしか?」
「言い掛けたのであれば、全部言え。気になるではないか」
三人の視線から圧を感じる。
絶対に口を割らせる、という強い圧だ。
「ぐ……」
仕方がない。
「……別に、あの程度の露出なら、大して」
かなり抑えめなほうだし、思わず目が行くというほどではないだろう。
俺の言葉を聞いて、ヘレジナが目を剥いた。
「あ、あれでか! 日本の女人はどうなっておるのだ!」
「いや、人にもよるからな! あれより控えめな水着を着る人もいるけど、逆に、上下だけでなく左右に分かれてる水着を着る人もいるっつーか……」
ヤーエルヘルが、不思議そうに、俺の言葉を繰り返す。
「左右、でしか?」
「だから、こう──」
自分の胸元に手を当て、ジェスチャーで説明する。
「こっちと、こっちを、紐で繋いだ感じの」
三人が、ざわめく。
「ほ、ほぼ裸ではないか!」
「だ、だだだ、だい、……たん!」
「しかも、人前で、でしよね……」
「痴女ではないか!」
「痴女じゃない、痴女ではない」
言われてみれば、露出部分は下着と変わらない。
それどころか、物によっては下着よりも際どいものもあるだろう。
感覚が麻痺していたのかもしれない。
ヤーエルヘルが、頬を軽く染めながら俺の袖を引く。
「……え、と。カタナさんは、あちしたちが、それを着てるのを見たかったのでしよね」
「い、いやいやいや! さすがにビキニを着てほしいとまでは思ってないって!」
特に、ヤーエルヘルは十二歳だ。
子供にビキニを着せて喜ぶ三十路とか、世間が許しても、俺自身の良識が許さない。
──と、一瞬思ったのだが、よく考えたらヤーエルヘルって見た目が幼いだけで俺より年上なんだよな。
「……いや、いいのか?」
「ど、どっちなんでしか……」
「──…………」
しばし沈思黙考し、
「──やっぱ駄目だ!」
結果、良識が勝利した。
「上下はまだしも、左右に分かれてる水着は禁止です! お兄さん、許しませんよ!」
「で、……でも、それくらいじゃないと、か、かたなは、こうふんしないんだ、……よね?」
「まず、興奮させようとするな」
「え、……えー……?」
プルが不満げに口を尖らせる。
「俺は、さ。三人と一緒に海で遊べれば、それで満足なんだから……」
いい感じにまとめようとしたところで、今度はヘレジナが眉をひそめた。
「……それはそれで面白くないな」
「出たよ、天邪鬼」
「ふふん。私たちがどんな水着を選ぼうと、私たちの勝手であろう。お前は私たちの水着姿を妄想して、悶々としておればよい」
「ぐ……ッ」
それはその通りだ。
まさか、俺が皆の水着を選ぶわけにも行くまい。
「そうでしね! カタナさん、楽しみにしててくだし!」
「う、……うん! か、かたなを、こうふん、させてみせる!」
「ああ、変な方向に盛り上がりが……」
半分嬉しいのが情けない。
「──そ、そだ。水着を買いに行く前に、あ、足だけ、浸かってみたい、……かも」
プルの言葉にヘレジナが頷く。
「いいですね。この暑さですし、足先だけでも気持ちがよいでしょう」
四人で砂浜に下り、靴を脱ぐ。
「あつ!」
「はちちち……」
プルとヤーエルヘルが、焼けた砂の上で飛び跳ねていた。
「大丈夫か? 早く浸かろうぜ」
「ああ、カタナの言う通りだ。プルさまの治癒術があるとは言え、やけどをしてもつまらない」
靴を両手に持ったまま、両足を海水に浸す。
「あ、……き、きもちー……」
「全身浸かりたくなりましねー……」
「た、たしかに。泳ぎたくなるひとたちの気持ち、わ、わかるー……」
プルが、俺とヘレジナを見た。
「で、でも、ふたりとも、すごい。あんなに熱いのに、へ、へいきそうだった……」
ヘレジナと顔を見合わせる。
「痛みとか熱さには慣れてるからなあ」
「同じく、です。正直に申し上げまして、船酔いのほうが億倍つらかった……」
「それだけ、大変な思いをしてきたのでしね。あちしたちのために……」
「──…………」
思わず、視線を水平線へと逸らす。
はい、照れてます。
プルが、俺とヘレジナの手を、優しく取った。
「……か、かたな。ヘレジナ。いつも、ありがとう。本当に、ありがとう……」
「ありがとう、ございまし……」
──嗚呼。
その言葉だけで、報われる。
頑張ってきてよかったと、心の底から思える。
当たり前だと思っていたけれど、そうではない。
この三人のために、身を、命を削ってきたことを、誇りに思えた。
視線を戻し、微笑む。
「……どういたしまして」
「ああ。どういたしまして、だ」
そう言って、笑い合う。
そして、照れくささを押し隠すように、言った。
「ほら、味見してみろよ。気になってたんだろ?」
「あ。そ、そうだった……」
「想像の十倍は塩辛いという話だったが……」
「舐める程度にしとけよ。手ですくって飲むと、十中八九吐き出す」
「それほどか」
「で、では、失礼し、しまして……」
プルが、人差し指で海に触れ、それをぺろりと舐めた。
「しょぱ!」
「たったのそれだけで、ですか!」
「へ、ヘレジナも舐めてみて。す、すす、すごい、……よ!」
「では、私も」
ヘレジナも同様に、海水を舐める。
「──ぺっ、ぺっ! なんだこれは!」
「すごかろ」
「エル=タナエルがさじ加減を間違えたとしか思えん……」
「あちしも、最初びっくりしました。ここから見える水、ぜーんぶ同じ濃さなんでしよ」
「ほんとに、ふ、ふしぎ……」
プルが、潮風に白髪をなびかせながら、遠く水平線を臨む。
「せ、世界って、ほんとにまるいんだ、……ね」
「ああ」
改めて水平線を臨む。
そこで、ふと違和感を覚えた。
水平線とは、丸みを帯びて見えるものだったろうか。
幾度かまばたきをして、水平線を凝視する。
だが、結果は変わらなかった。
水平線が、湾曲して見える。
「──サンストプラって、地球より小さいのかもしれない」
「そうなのか?」
「感覚的なものだから、ハッキリとは言えないけどな。地図の縮尺と実際に移動した距離から考えても、北方大陸自体そこまで広くは感じてなかったし」
「地球とやらは、どれほど大きいのだ……」
半ば呆れたように、ヘレジナが呟いた。
「な、なんだか、わくわくする、……ね!」
「いろんなところ、行ってみたいでし!」
すっかり旅人が板についてしまった。
無事に地球へ帰り着くことができたら、一度日本を旅して回るのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、しばらくのあいだ四人で水平線を眺めていた。
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