1/ワンテール島 -8 港湾都市ウォーラート
「や、っと……、着いた……」
朝焼けに目元を隠しながら、ヘレジナがタラップを降りていく。
その足元はふらついており、大丈夫だとは思うが、いちおう隣を歩くことにした。
「わ、地面が揺れてまし……!」
「ほ、ほんとだ。ふしぎ……」
「揺れてることに慣れ過ぎたから、逆にそう感じられるんだな。大丈夫だ、すぐ治るから」
徒歩で運べるものを目一杯詰め込んだ大荷物を背負いながら、陸へと降り立つ。
周囲を見渡しながら、呟いた。
「ここが、アーウェン……」
より正確に言えば、海洋国アーウェンの東端にある港湾都市、ウォーラートだ。
アーウェンの玄関口と称されるこの街は、ウージスパイン西海岸のすべての港と海路で連絡している。
一介の港町であるリンシャとは規模が桁違いだった。
「……すまん、カタナ。荷物を任せてしまって」
「気にすんな。つーか、たまには背負わせろ。女の子に大荷物背負わせてると、通行人に冷たい目で見られてる気がするんだよ……」
「ほう。お前にも、人の目を気にする繊細さがあったのだな」
「お、なんだ? お姫さま抱っこして運んでやろうか、あァん?」
「……ここで〈やってみろ〉と言ったが最後、本当にされそうで恐ろしいのだが」
「やるぞ。恥も外聞もない鵜堂 形無を御所望らしいからな」
「すまん、すまん」
ヘレジナが苦笑する。
「まず、宿を取りませんか? エン・ミウラ島のことを調べるにしても、拠点は必要でし。それに、見つかったとしても、すぐに出発できる体調ではありませんし……」
ヤーエルヘルが、配慮の篭もった視線をヘレジナへと送る。
「大丈夫──と言いたいところだが、そうだな。島と言うからには、また船に乗らねばならんだろう。二晩続けて海の上は、さすがにつらい」
「き、決まりー……。まず宿を取って、そ、それから散策、……しよう!」
「さんせー」
無数の船舶が威圧的に並ぶ港湾を離れ、白亜の街を遠望する。
傾斜の多い土地に、白く統一された建造物群が立ち並び、美しく輝いていた。
「きれいな街でしね……!」
「ヘレジナ。坂道多いけど、平気か?」
「ふふん、侮るな。既に船は降りた。私の気分と体調は、右肩上がりに復調しておる」
「そっか」
思わず笑みがこぼれる。
この様子なら大丈夫そうだな。
「──しかし、この荷物。この負荷。そして、この坂道。ヒドゥンハン山での水瓶運びを思い出すな」
「あ、……あれ、いつも、すーごい心配だった……」
「はい。特に、雨の日なんか……」
ラーイウラでの出来事を思い出す。
プルとヤーエルヘルには、本当に心配を掛けたな。
「ジグのやつ、教室開かなくて正解だ。あんなんやってたら死人が出るわ」
「あれは、私たちが一ヶ月で強くなりたいと無茶を言ったが故のカリキュラムであろう。あの男のことだ。相手に合わせた無理のない指導も、やろうと思えばできるだろうさ」
「ま、それもそうか」
肩と両足にかかる負荷を心地よく感じながら、ウォーラートを行く。
あの水瓶運びを今やれば、随分と楽に感じるんだろうな。
あれから鍛え込んだ自覚がある。
ジグには到底及ばないが、肉体的にもすこしは強くなれたはずだ。
白亜の街で宿を探しながら、俺はそんなことを考えていた。
「──エン・ミウラ島?」
宿屋の店主が、俺の言葉を繰り返した。
「ああ。アーウェンにある島だと思うんだが……」
「エン・ミウラ島、エン・ミウラ島──聞いたこたあねえな」
「そうでしか……」
ヤーエルヘルが、残念そうに口を開く。
「そもそも、アーウェンにある島ではないんでしょうか」
「いや、アーウェンのどっかだと思うぜ」
店主の言葉に、プルが目をまるくする。
「わ、わかるんです、……か?」
「エンって冠詞がついてるだろ。こいつは、本島の南にあるエニマグナ諸島のことだ。エニマグナ諸島のミウラ島ってこったな」
「ほう、それは良いことを聞いた」
エン・ミウラ島は、アーウェンにある。
その確証が得られただけでも収穫だ。
店主に一礼する。
「ありがとう、助かった。ついでになんか作ってくれないか? 朝食には遅くて昼食には早い、半端な時間だけど」
「ああ、いいぜ。食いたいもんはあるか」
ヘレジナが目を輝かせる。
「海の傍なのだ。やはり新鮮な海の幸であろう!」
「あー……」
店主が、困ったように首の裏を掻いた。
「あんたら旅人だろ。たぶん、アーウェン出身でも、ウージスパイン出身でもねえな」
プルが小首をかしげる。
「ど、どうして、わかるんですか?」
「ここら出身なら、知ってるからだよ。ウォーラートは漁港じゃねえんだ」
「漁港じゃない、でしか?」
「ああ。漁業じゃなく、貿易と観光業で食ってる。ろくな魚獲れねえからな」
「海なのに、魚が獲れんのか……」
「ここらの海、綺麗だろ。海水は透き通ってるし、砂浜は白い。見目が良い代わりに、栄養がないんだよ」
なるほど。
プランクトンがいないからこそ、澄んでいるわけだ。
「だから魚が住めないってことか……」
「そういうこった。加工品なら腐るほどあるが、どこでも食える缶詰食いたいわけじゃねえだろ? 新鮮な海の幸をたんと味わいたいんなら、アーウェンでもウージスパインでも、ちっと南に下らなきゃな」
ヘレジナが、見るからにがっかりした顔をする。
「楽しみにしていたのだが……」
「そいつは、エン・ミウラ島とやらまで取っておきな。エニマグナ諸島周辺の海域は、こっちとは違って栄養豊富だ。どの島も漁業で生計立ててるくらいだからな。嫌ってほど食えるさ」
店主が、日焼けした赤い顔を笑顔に歪ませた。
「ま、観光でもしてけよ。たっぷり泳いで、飽きたら街を散策する。そいつが夏のウォーラートの遊び方だぜ」
「ふむ。では、水着とやらを売っている店はどこにある?」
「ウォート・ビーチ沿いになら、いくらだってあるぜ。ビーチは、港から北へ向かえばすぐに見えてくる。しかし兄ちゃん、きれいどころ揃えて海水浴たあ、いい身分だな!」
豪快に笑う店主に、苦笑で返す。
「こう見えて、俺の立場はミジンコ以下。毎日こいつらに虐げられているんだよ……」
「こ、コラ! 適当言うでない!」
「はっはっは、冗談冗談」
「仲がよくて何よりだぜ。だが、ビーチにゃナイスバディがぼんぼこいるから、目移りしてやるなよ? 頬を腫らして帰ってきても、湿布はないからな」
「──…………」
ナイスバディ。
その単語が、右から左へ向かって脳裏を駆け抜けて行った。
「……カタナ」
「か、かたな……」
「カタナさん……」
三対の冷たい視線が、俺の顔を中心にして交錯する。
「貴様、失礼なことを考えたな」
「考えてねえよ! 一瞬だけナイスバディに想いを馳せただけだ!」
「馳せるな!」
「不可抗力だろ!」
店主が呆れたようにエプロンの紐を結び直し、言った。
「はいはい、ごちそうさん。んじゃ適当に作るぜ。新鮮な魚はなくても、アーウェン料理ってなもんがある。話の種に食って行きな」
「はい、お願いしまし!」
「お、お願いし、……ます!」
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