1/ワンテール島 -5 アーウェンへの道行き(3/5) 騎竜車改造計画
手拭いを肩に掛けながら、四人部屋の扉をノックする。
「戻ったぞい」
ぱたぱたと足音がして、扉が開かれた。
「お、おかえりなさい、か、かたな。さっぱりした……?」
「バッチリよ。宿は湯船に浸かれるのがいいよな。体を拭うだけだと、どっかに汚れが残ってる気がしちまう」
「わ、わかるー……。でも、の、野宿でお風呂は、む、難しい、……かも」
「そう言や、俺の世界にはドラム缶風呂なんてのもあったな」
地図を広げていたヘレジナが顔を上げた。
「ドラム缶とはなんだ?」
「金属製の樽──みたいなもんか。水を入れて、真下で火を焚く。底にはすのこを敷いて、火傷はしないようにしてな」
「熱そうでし……」
「俺も経験はないんだが、満天の星空の下で入るシーンを見たことがあってさ。あれは確かに気持ち良さそうだった」
「な、なんだか、すてき……」
「なるほど」
ヘレジナが、小さく頷く。
「街道から離れていて、かつ清水が近くにあれば、やってできないこともないな」
この世界には、沸騰術という便利なものがある。
安全かつ手軽に水の温度を上げられるため、実現はそう難しくもなさそうだ。
「ひ、ひとが入れるくらいの大きな樽があれば、再現できる、……かな。ど、どう……?」
「いいでしね!」
プルの提案に、ヤーエルヘルが同意する。
「冬場なら雪で風呂を沸かしたりできるらしいぞ」
「ほう、それは風情があるではないか!」
ヘレジナが雪風呂に食いついた。
気持ちはわかるが、雪ってあまり綺麗じゃないって聞くよな。
「の、……野宿でもお風呂に入れる、の、できたら嬉しいな……。ま、毎回は無理でも」
「地図を見て、なるべく水場に近いところを通ればいいんでしよ。少々お高くても、詳細な地図を買っていけば」
「ああ、それよさそうだな」
「──あ!」
プルが、何かに気付いたかのように声を漏らした。
「どした?」
「み、水とか飼い葉を売ってる旅人のお店、で、たまに大きな空の樽、う、売ってた! あれ、お風呂だったんだ!」
ヘレジナが、感心して頷く。
「なるほど。無駄に大きな樽だと思っていたら、人が入るためのものだったのですね。巨大なわけだ」
「なるほどー。あちしがナナさんと旅をしていたときは、徒歩か馬車でしたから、ぜんぜん知りませんでした」
「人が入れるサイズだもんな。騎竜車じゃないと置き場がないか」
騎竜車には、便壺を埋め込んだ簡易的なトイレまで設置されている。
ここに風呂まで備わるとなれば、下手なキャンピングカーより快適だ。
「ちょいと頑張れば、ベッドだって置けるんじゃないか? 四人分詰め込むんなら、幅はだいぶ狭くなると思うけど」
「い、行ける、……かも」
「確かにな。ずっと乗り続けられるとは限らないと思い、今まで毛布だけでやり過ごしてきたが、金はまだあるのだ。アーウェンへ渡航しているあいだ、リンシャで改造を頼んでもよいかもしれん」
「騎竜車改造計画、でしね!」
「ネウロパニエを出立して、もう十日か。ここまでの長旅は初めてだったから、〈ここがこうだったらいいのに〉って改善点も随分見えてきた。それが解決できるんなら、少々の出費は惜しくないな」
プルが、嬉しそうに微笑む。
「お、お風呂に、ベッド。す、住めちゃうね……」
「ここにエアコンがあればマジで完璧」
「えあこん、って、部屋の温度を調節する、き、機械、……だっけ」
「そうそう。よく覚えてたな」
ハノンへの道行きで話したきりだと思うのだが、よほど印象深かったのかもしれない。
「涼しくできるの、すごいでしよね。風を起こすだけではないのでしょう?」
「どのような仕組みなのだろうな」
「悪い。俺もよくわからん」
エアコンを仕組みまで理解して使っている人は、どれほどいるのだろうか。
ヘレジナが、鷹揚に微笑む。
「なに、そんなものだ。私たちとて、術式にどのような意味があるかなど、さほどわかってはおらん。実際に術式を開発するのは、魔術研究科にいたような学士たちだからな」
「やっぱ、ホイホイ作り出せるようなもんじゃないんだな」
「も、もちろん、簡単な応用くらいなら、できる、……よ? ハノンソルで、な、ナクルが、前だけ照らす灯術、、使ってた、よね」
「ああ、使ってた使ってた」
懐かしいな。
ナクルのやつ、真面目に教室へ通っているだろうか。
またカジノに入り浸っていないことを祈ろう。
「術式をすこしいじったり、効率を上げたりすることは個人でもできまし。騎竜車で言うなら、ベッドを据え付ける程度のことは不可能じゃない。でしが、騎竜車そのものを作り上げることは研究者、学士にしかできない──みたいな感じでし」
「なるほどな。わかりやすいわ」
ヘレジナが、開いていた地図の一点を指差した。
「恐らく、明日の昼にはリンシャへと到達するであろう。ついに海が見られるぞ!」
プルとヤーエルヘルが歓喜の声を上げる。
「海か。余裕で十年は行ってないな……」
「カタナとヤーエルヘルは、海を見たことがあるのだったな。噂通り、水は塩辛いのか?」
「半端じゃないぞ。海水を煮詰めれば塩が取れる。それだけ塩が溶け込んでるってことだ」
「たぶんでしけど、ヘレジナさんが想像してる十倍くらいしょっぱいでしよ」
「そんなにか……」
「はい。そのままでは飲めないくらいの濃い塩水でしから」
プルが尋ねる。
「や、ヤーエルヘルは、トートアネマとか、る、ルルドカイオスとかは、行ったことがある、ん、だっけ……」
「はい、東部は大体。代わりに、西部へはあまり来たことがなかったのでしが」
「ナナイロさん、戻りづらかったんだろうな。たぶん」
「いま思うと、そうだったのかもしれません……」
「エン・ミウラ島、絶対に見つけような。名前がわかってるんだから、行きゃすぐわかるはずだ」
「はい!」
ヤーエルヘルが、笑顔で頷いた。
「あ、マッサージしましよ。ヘレジナさんとプルさんには、さっきしました」
「お、さすらいのマッサージ師さん。ゴリッと頼むわ」
「はあい!」
「たまにカタナが代わってくれるとは言え、ずっと御者台に座っていると、さすがに腰が痛くなるのでな。マッサージはありがたい」
「ち、治癒術、痛みは取れても疲労は取れないから……。や、ヤーエルヘルのお仕事は、じゅ、重要」
「えへへー……」
その様子を微笑ましく思いながら、ベッドにうつ伏せになる。
ヤーエルヘルが、太股の裏に腰を下ろすのがわかった。
「肩から行きましよー」
「お願いします、マッサージ係さん」
「はあい」
ヤーエルヘルの小さな手のひらが、やわやわと肩を刺激する。
それが、心地良い。
「──ああ、そうだ。
「あるぞ。海水浴、というものだな。聞きかじりではあるが」
「なるほど」
これは、下心ではないぞ。
純粋な体験として、三人に海水浴を楽しんでほしいだけだ。
胸中で言い訳をしつつ、提案する。
「せっかくの海だし、皆で泳いでみるってのはどうだ?」
「ほう」
その手があったか、とばかりに、ヘレジナが幾度か頷く。
「い、い、いいね! お、泳ぐのはじめて……」
「パレ・ハラドナの宮殿にプールなんかはなかったのか?」
「お、大きなお風呂とかは、あったけど……」
「泳げる泳げない以前に、泳ぐ環境がなかったんだな」
「内陸に住んでいて泳げる者がいるとすれば、河川や湖の傍に住む人々くらいのものだろう」
「ヤーエルヘルは海水浴──」
言い掛けて、彼女の種族を思い出す。
「そうか、難しいわな……」
「はい。帽子のまま水に入るわけにも行きませんし……」
「エン・ミウラ島が小さな島なら、誰にも見られずに泳げるプライベート・ビーチがあるかもしれない。その場合に備えて、水着だけでも買っておくのもいいよな」
ヘレジナが不思議そうに小首をかしげた。
「せっかくの海だ。海水浴をしたい気持ちはわかるが、妙に前のめりではないか?」
「──…………」
ちと強引過ぎたか。
「や、ヤーエルヘル。み、みみ、水着って、どんなの? 濡れてもいい服って、よくわからなくて……」
「はい。体に貼り付くと泳ぎにくいでしから、下着に近いものでしね。女性でしと、胸元と腰回りだけを隠す感じの」
「──…………」
「──……」
後頭部に二人分の視線を感じる。
「破廉恥漢め」
「ゔッ」
否定できない。
「ふ、ふふふ、うふふふへへへ、ふへ、へへへへへ……」
プルがまた壊れた。
最近よく壊れるな、この子。
「見たいのか、貴様」
「……ま、まあ。見られるもんなら」
「誰のが見たいのだ。言ってみろ」
「──…………」
言葉に詰まる。
だから、話題の矛先を僅かに逸らした。
「──ほら。短いあいだだったけど、ネウロパニエで学生になったろ。国も世界も違えど、俺の知る学校と何も変わらなかった。青春を、もう一度味わうことができた」
「──…………」
顔を上げる。
ヘレジナが、〈まずは聞いてやる〉と言いたげに、腕を組んで仁王立ちしていた。
「それで、な。一つ、やり残してる青春イベントを思い出したんだ。知っての通り、海水浴だよ。それも、ただの海水浴じゃない。可愛い女の子と共に行く、嬉し恥ずかしドキドキ海水浴だ。学生時代にできなかった青春を取り戻すことができる。そう考えると、口が勝手にな……」
「なるほど、な」
「か、かたな……」
「カタナさん……」
「それで、誰の水着が見たいのだ」
「ぐッ」
逃がしてくれなかったか。
仕方ない。
嘘偽りなく、正直な俺の気持ちをぶつけよう。
「……できるなら全員のが」
「ほう、ほう、ほう。プルさまのみならず、私、さらにはヤーエルヘルまでもか。イオタのことを言えんではないか。好色め」
「女の子を海水浴に誘っといて、〈あ、お前の水着には興味ないんで〉って言い放つやつのが最低最悪だろ!」
「そっ、それは、……そう」
三人の、特にヤーエルヘルの水着姿を変な目を見るつもりは毛頭ない。
だが、それはそれだ。
俺の心の隅に残っていた高校生の心が、こう叫ぶのだ。
水着回最高、と。
「プルさま、ヤーエルヘル、如何いたしましょう」
「き、着まっす! ぜ、ぜったい、着ます!」
「おお……」
俺以上に前のめりな子がここにいた。
「あ、あちしも泳ぎたいでし! ただ、耳としっぽがあるので、人のいない場所に限りましが……」
「ふふん」
ヘレジナが片方の口角を吊り上げる。
「仕方があるまい。カタナがそれほどまでに見たい見たいと懇願するのであれば、私としてもやぶさかではない。その水着とやら、買って行こうではないか」
「あざっす!」
ああ、高校生の頃の俺よ。
お前の暗い青春は、俺が取り戻してやるからな。
「では、リンシャかアーウェンで探してみまし?」
「そ、そうだね。ど、どんな水着、ある、かなあ……?」
「──…………」
海水浴のときばかりは、四人兄妹のお兄ちゃんもお休みだ。
たまには荷を下ろして、ただの鵜堂 形無として楽しもう。
そんなことを考えていると、やがて、ヤーエルヘルのマッサージが俺の意識を刈り取っていった。
水着姿の皆の夢を見たのは言うまでもない。
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