1/ワンテール島 -4 アーウェンへの道行き(2/5) 操風術
その日は、朝から雨が降っていた。
豪雨というほどでもなく、ぬかるみに車輪を取られることもなかったが、車内はひどく蒸していた。
「あづー……」
気温はさほど高くないのだが、湿度がひどい。
シャツが素肌にべたべたと貼り付いて不快だった。
「暑いでし、ねー……」
「……ほ、ほんと、……蒸す、ね」
俺も、プルも、ヤーエルヘルも、恐らくはヘレジナも、今日は汗だくだろう。
「──…………」
ちら、と二人の様子を見る。
二人とも肌着で、かつそれが肌に貼り付いているものだから、下着事情が丸わかりだ。
男性として興奮すると言うより、保護者目線で気まずいのだが、理由ありきの恰好である。
結果、注意することもできず、目を逸らしながら悶々とするしかないのだった。
「プル、あれ頼んます……」
目を逸らしたまま、プルに頭を下げる。
「う、うん。わかった……」
プルが、人差し指を立て、くるくると回す。
それを合図に、騎竜車内の空気が回転を始めた。
操風術と呼ばれる魔術だ。
元より前部扉から後部扉へと風は吹き抜けているのだが、御者台との高さの違いもあって、その勢いはささやかだ。
プルの操術によって作られた風が、汗で濡れた肌を程よく冷やしていく。
「涼しい……」
「涼しいでしー……」
だが、騎竜車は、高校の教室を半分に割った以上の広さがある。
それだけの空間の空気を掻き混ぜ続けるためには、相当な
「も、も、……だめ」
プルが、ほんの五分ほどで白旗を揚げた。
「こ、これ以上、むりい……」
「十分、十分。ありがとうな」
すこしは生き返った心地になれた。
その様子を見て、ヤーエルヘルがぽつりと口を開いた。
「……その。あちしがやりましょうか?」
「大丈夫か? 操術、得意じゃないんだろ」
「練習しないと、上達しませんし……」
確かにその通りだ。
「じゃ、じゃあ、わ、……わたしの代わりにお願い、で、できる……?」
「はい!」
ヤーエルヘルが、プルと同じように、人差し指をくるりと回す。
必ずしも不可欠な所作ではないが、意識を回転へと向けるガイドとして役に立つらしい。
次の瞬間、
──轟ッ!
暴風が、騎竜車内を駆け抜けた。
「おわ!」
「わっ!」
あまりの強風に、荷物が跳ねる。
樽が倒れ、飼い葉が散乱し、俺たちの体すら一瞬浮き上がるほどだった。
「わ、わ、止まって! 止まってくだし!」
ヤーエルヘルが操術を打ち切ると、一瞬で風が止んだ。
後に残ったのは、狂風に荒らされた車内ばかりだった。
「ご、ごめんなし……!」
「おい、何があった! すごい音がしたぞ!」
ヘレジナが御者台から車内を覗き込む。
「涼しくしようとしたんでし……」
「それが、どうしてこうなるのだ……」
呆れ顔のヘレジナに、告げる。
「まあ、これも操術の練習だ。こっちはこっちで片付けとくから、ヘレジナは御者に集中しててくれ」
「……ああ、わかった。練習はもちろん構わんが、気を付けるのだぞ?」
「はい……」
ヘレジナが御者へと戻る。
「か、片付けよ、……っか。かたな、重いの頼め、る?」
「まかせとけ」
「ごめんなし、ごめんなし……」
「いいって」
ヤーエルヘルの頭に、ぽんと手を乗せる。
それに、今の出来事で思いついたことがあった。
「これ、案外武器になるかもしれないぞ」
プルが小首をかしげる。
「武器……?」
「開孔術といい、白き神剣といい、俺たちには非致死性の攻撃手段が足りない。神剣に灰燼術を纏わせずに戦うか、ヘレジナが手加減するか、それくらいだろ」
「た、たしかにそう、……かも」
「でも、操術でこんだけの風が起こせるとなれば、話は違ってくる。ヤーエルヘルが全力でやれば、人だって吹き飛ばせるんだ。ちょっとした集団くらいなら、一瞬で殺さずに無力化できる。これ、ちょっとすごいぜ」
「!」
ヤーエルヘルが目をまるくする。
「そんなこと、考えもしませんでした。あちし、
「欠点は、見方を変えれば長所にもなり得るんだとさ」
聞きかじりの言葉だが、その通りだと思う。
「で、でも、細かい制御は、すこしずつ覚えて、……いこう! や、ヤーエルヘルは、人より大きな力を持ってる、から。だからこそ、気を付けない、と」
「はい……」
話しながら、散乱した荷物を元の位置へ戻していく。
重いものもあれば、軽いが故に散らばったものもあり、それなりに重労働だ。
終わる頃には、俺たちは汗だくになっていた。
「や、宿についたら、お風呂、は、入ろうね……」
「そ、でしね……」
「──…………」
目を閉じ、下を向く。
まるで座禅を組むように。
「……?」
ヤーエルヘルが、俺の顔を覗き込む気配がした。
「カタナさん、どうしましたか……?」
「つ、……疲れ、ちゃった?」
二人とも、気付いていないらしい。
「……互いに互いの恰好を見て、何か思うところはないか?」
「──…………」
「──……」
二人の沈黙ののち、
「ご、ごめんなし!」
ヤーエルヘルが、ぱたぱたと俺から距離を取った。
だが、一つ気配が残っている。
「プル……」
シッシッ。
目を閉じたまま、向こうへ行けと手で示す。
「か、かたな」
「なんだよ」
「わ、……わたしたち、で、こうふん、す、……するの?」
「──…………」
何を言い出すんだ、この子は。
俺は、顔の前で手刀の素振りを始めた。
幾度も幾度も手刀が空を切る。
「セルフお仕置きだ。目ェ閉じてるから、ここに頭を設置するように」
「ふ」
「ふ?」
「ふへ、へへへ、ふふへへへへへ……」
プルが壊れた。
「ふふ、ふへへ、む、向こう、行ってる、……ね!」
プルの気配が離れて行く。
ようやく安心して目を開くと、二人は荷物の陰に隠れて俺の視線を切っていた。
ありがたい。
騎竜車の中を変な空気にしたくはないからな。
それにしても挙動不審な子だ。
まあ、今回は機嫌がよさそうだし、その点だけは良しとしておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます