1/ワンテール島 -3 アーウェンへの道行き(1/5) ヤーエルヘルのお仕事

 騎竜車での旅路は、有り余る時間をどう潰すかが問題となる。

 幸い、車内は広い。

 誰かと共に過ごすのも、なんとなく一人の時間を楽しむのも、自由だ。

「ふゥー……」

 俺は、一通りのトレーニングを済ませると、立ち上がった。

「は、……はい。かたな」

 プルが、竹筒を手渡してくれる。

「サンキュー」

 竹筒を開くと、中に蒸し手拭いが入っていた。

 ネルが教えてくれた、竹筒の便利な利用法だ。

 指でつまみ、手拭いを軽く冷ましたあと、裾から肌着の下に入れて上半身を拭う。

 気持ちがいい。

 吹き抜ける風が、体から熱を奪っていく。

「お、お疲れ、……さま。と、トレーニング、おしまい?」

「宿に着いたら、風呂入る前にもう1セットかな。ヤーエルヘル、また腕立てんとき頼むわ」

「はあい!」

 ヤーエルヘルが、鼻息荒く頷いた。

 自分の仕事に誇りを持っているらしい。

「え、……と。かたな」

 プルが、四つん這いでこちらへ近付いてくる。

「ふ、負荷が物足りなくなったら、わ、わたしとか、ヘレジナにする、……の?」

「あー」

 言われてみれば、確かにそうだ。

 このままトレーニングを続けていけば、いつか必ずヤーエルヘルを軽く感じる時が来る。

「だ、だめでしよー!」

 ヤーエルヘルが、わたわたと拒絶する。

「カタナさんのおもしは、あちしの仕事なんでしから……」

「そ、そっかー……」

「まあ、ヤーエルヘルからヘレジナやプルに乗り換えるとかって、字面だけ見ると最悪だからな。ヤーエルヘルがいいならヤーエルヘルに頼もう」

「が、がんばりまし! 負荷が必要なら、太りまし!」

「いや、金貨の袋でも抱えててくれ」

「その手が……!」

「や、……ヤーエルヘルは、重石の仕事、と、とっても大切に、思ってたんだ、……ね」

「……はい」

 ヤーエルヘルが、目を伏せて言う。

「あちし、ヘレジナさんみたいに模擬戦もできないし、プルさんみたいに怪我を癒せもしません。だから、せめて、それくらいはカタナさんのお役に立ちたいと思って……」

「わかる」

「わ、わかってくれましか……!」

「組織の中で自分の役割がないって、最悪なんだよ。俺も一度、でかいやらかしをしたあとで、社内で懲罰房って呼ばれてる部署に一ヶ月だけ移されてな。そこが最悪だった。原稿用紙百枚ぶんの反省文を毎日書かされて、終わったら五秒だけ読まれてシュレッダーに──書類を細切れにする機械に自分で入れなきゃならないんだ」

「──…………」

「──……」

 ヤーエルヘルとプルの顔が真っ青になった。

「それもまあ、賽の河原みたいできついんだけど、いちばんつらかったのは、その部署がオフィスの中央にあることでな。自分が今、なんの生産性もない行為を、給料もらってやってる無駄飯食らいだってのが丸わかりなんだよ。よくもまあ、そんな性格悪いこと思いつくよな……」

 こんなの、パワハラオブパワハラだ。

 よく労基に駆け込まなかったな、と思う。

 完全に洗脳されていたんだろうな。

「ぜ、……ぜったい、戻っちゃ、……だめ!」

「ひどすぎまし……」

「……話は逸れたけど、ヤーエルヘルの気持ちはわかったからさ。重石係と、あとマッサージ係はヤーエルヘルだけの仕事ってことにしようぜ。プルも、ヘレジナも、それでいいよな」

「も、もも、もちろん!」

 御者台のヘレジナが、名前を呼ばれて振り返った。

「──ん? 何か言ったか?」

 こちらのやり取りが聞こえていなかったらしい。

「ヤーエルヘルの仕事は取らないように、って話だよ」

 ヘレジナが小首をかしげる。

「そもそも、ヤーエルヘルの仕事とはなんだ。特に取り決めをした記憶はないが……」

「う、……腕立て伏せのときの、かたなの重石、と、み、みんなにマッサージをする、係……」

「ああ、なるほど。それは確かにヤーエルヘルの仕事であるな」

 納得したように頷くと、ヘレジナが半眼でこちらを見た。

「──それより、カタナ。体を拭くのはもちろん構わんが、面倒がらずに仕切りの中で拭け。だらしがない。女人と共に旅をしていることを忘れるでないぞ」

「あー……」

 会話の最中も拭いていたおかげで、注意されてしまった。

 騎竜車の中には、着替え、及び湯浴み用に、布で仕切った空間がある。

 そこでなら下半身を拭くこともできて一石二鳥なのだが、ヘレジナの指摘通り、ただ横着をしていただけだった。

「んじゃ、仕切りの中で体拭いてくる。終わったら勉強するから、教えてくれよ」

「う、うん……」

「はあい」

 魔術大学校の尋常科で実際に使われている子供向けの教材とノートをネウロパニエで購入してある。

 車酔いするまでの短い時間だが、コツコツ勉強を進めていこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る