1/ワンテール島 -2 友との別れ
預かり所で騎竜と再会し、おやつ代わりの飼い葉を与える。
人によく馴れた騎竜の鼻頭を掻いていると、ふとシィのことが脳裏をよぎった。
首元を掻いてやると、気持ち良さそうにしていたっけ。
そんなことを思い出しながら、旅程に必要なぶんの物資を搬入し、騎竜車へと乗り込む。
「騎竜車も久し振りだな……」
「そ、そうだ、……ね」
プルが、わくわくした様子で呟く。
「ま、……また、旅が、始まるんだ……」
「海洋国、アーウェン。どんな国なのでしょう。楽しみでし!」
「きっと、ま、また、いい出会いがある、……よ! いままで、ずっと、そうだったから」
「その出会いがナナさんだったら最高だな」
「はい!」
ヤーエルヘルの頭を、帽子の上から撫でる。
すると、ヤーエルヘルが目を閉じ、気持ち良さそうな顔をした。
「ははっ! シィみたいだな」
「シィちゃん、でしか……?」
「ちょうど、な。あの子のことを思い出してたんだ」
ヤーエルヘルが、遠い目をする。
戻れない過去を見据えるように。
「……きっと、悲しい別れもあるのでしょうね」
俺は、頷いた。
「あるかもしれないな。でも、それは、生きてりゃ絶対訪れることだ」
「──…………」
「それでも、進まなければならない。シィを失ってなお、顔を上げて歩き続けることを決めた、イオタみたいにな」
「……はい」
ヤーエルヘルが、俺を見て微笑んだ。
「イオタさんは、あちしの憧れ、でし!」
「それ、本人に言ってやれ。喜びすぎて発狂するかも」
「は、恥ずかしいので、次に取っておきまし……」
イオタ、喜べ。
意外と脈あるかもしれないぞ。
「──では、いったん魔術大学校へ向かうぞ」
御者台から顔を覗かせたヘレジナが、そう口にした。
「おう、わかった」
騎竜が歩き出す。
舗装の行き届いたネウロパニエでは、騎竜車も揺れず快適だ。
ほんの二十分ほどで、十二時の門の前へと辿り着く。
「おーい! こっちこっちー!」
ヘレジナが騎竜車を停めると、シオニアが駆け寄ってきた。
イオタ、ドズマ、そしてベディルスが、後ろから歩いてくる。
俺たちは騎竜車を降り、御者台から離れられないヘレジナの傍で四人を出迎えた。
ドズマが右手を上げる。
「よう、とうとう出立か」
「随分長居しちまったよ。離れがたくてな……」
「ははっ、そいつは光栄だな! お前らのおかげで濃密な日々を送らせてもらったわ」
「楽しかったぜ、ドズマ。来年こそは最優等クラス、もぎ取れよ」
「当然ッ!」
ドズマと拳をぶつけ合う。
ベディルスが、鉄面皮を崩さずに言った。
「ウドウ君たちには、世話になった。息子のことでも迷惑を掛けたな」
「気にしないでくだし。ベディルスさんのせいじゃありません」
「いや──」
その双眸は、後悔に満ちていた。
「やはり、私のせいだ。あの馬鹿の暴走を止められなかった。気付けなかった。本当は、私が引導を渡すべきだったのだ。パドロ=デイコスが、息子を殺す前に」
プルが、睫毛を伏せる。
「そ、……それは、か、悲しすぎ、……ます」
「……悲しい?」
「わ、……悪い子は、親に、殺されなければならない……。そ、そんなの、悲劇、……でっす。ツィゴニアさんは、ひ、ひとりの人間、……でした。その責任の一部は、……ベディルスさんにあった、……としても、ぜ、絶対に、すべてじゃない。子は、親の手から、は、離れていくものです、……から」
「──…………」
ヘレジナが、苦笑するように口を開く。
「ベディルス。その様子では、同じことをイオタにも言っているのだろう?」
イオタが呆れ顔で答えた。
「正解です。毎日のように言ってますから、ここらで懲らしめてあげてください」
「こ、こらしめは、しないけど……」
だが、ベディルスの気持ちは痛いほどわかる。
贖罪を果たしたいのだ。
赦してもらいたいのだ。
「──でも、そうだな。謝り続けるほうは心が楽でも、謝られ続けることがしんどいこともある。イオタはきっと、ベディルスさんと今まで通りに日々を過ごしたいと思ってますよ」
ベディルスが、イオタへと向き直る。
「……そう、なのか?」
イオタが苦笑する。
「そりゃそうでしょう。お爺ちゃんが責任を感じてるのはよくわかったけど、ぼくは、そんなこと、どうだっていいんだよ。お爺ちゃんは、ぼくの唯一の家族だ。悪いと思っているのなら、長生きして、孝行させてよね」
「……ああ」
ベディルスが、深く、深く、頷いた。
「まさか、別れの場でまで世話になるとはな。またネウロパニエを訪れたら、私の店に立ち寄ってほしい。義術具の調整をしたいのだ」
「ええ、お願いします。必ず寄りますよ」
会話が一段落つくのを見計らって、シオニアが前へ出る。
「──カタナさん。プルちゃん。ヤーエルヘルちゃん。ヘレジナちゃん」
シオニアの言葉を、無言で待つ。
「とっても、とーっても、楽しかった! 学校での日々も、参観会での思い出も、炎竜を退治したことも、ぜんぶ!」
「ああ、俺もだ。俺も楽しかった。シオニアがいてくれたからな」
「うん。わ、わたしも……」
「楽しかったでし……!」
御者台のヘレジナが、腕を組む。
「まったく。貴様は、人好きのするというか人懐こいというか、共にいて飽きない人柄であるな。出会いこそ悪かったが、今は紛れもなく私たちの友人だ。次に会うのを、本当に楽しみにしておる」
「えへへー!」
最後に、イオタが口を開く。
「──師匠」
「ああ」
「あなたと初めて出会ったときのぼくは、弱虫で、シィしか拠り所のない、情けない子供でした。あなたに出会わなければ、あなたのように強くありたいと願わなければ、きっと、ぼくの心は砕けていた。耐えられなかった。でも──」
イオタが、両隣に視線を向ける。
「ぼくには、友達がいます。家族がいます。心配しなくったって、大丈夫ですよ。ぼくは、まだまだ強くなる。残してくれた練習メニューは、ちゃんと毎日こなしてます。このあいだ、ドズマさんからだって、一本取ったんですよ」
「十七回挑んで、ようやくな」
「一本は一本!」
「そりゃそうだ」
「カタナ=ウドウの一番弟子として、立派にやっていきますから。だから、あなたは、自分のすべきことをしてください。ただでさえ過保護なんだから」
「ははは……」
ついに本人にまで言われてしまった。
「わかった、わかった。次に来るときまでに腕上げとけよ。師範級くらいに」
「ええ、もちろん。奇跡級にまで」
思わず目を見張る。
「大きく出たな……」
「こういうのは、勢いで言ったほうがいいんですよ。現実は後からついてくる」
たしかに、そういうものかもしれない。
有言実行の中には、言った手前、後には引けなくなったが故の成果も混じっているはずだ。
「それと、ヤーエルヘルさん」
「はい」
「身長も伸ばしてカッコよくなっておきますので、その時はまた御一考のほどを!」
「はい!」
ヤーエルヘルが、元気よく頷く。
「可愛い彼女を作る件はどうなった?」
「それはそれ、これはこれです」
「がんばってくだし! 応援してましね」
「……あ、つらい。今すごく脈のなさを実感してつらい」
実際にはそうでもないのだが、あえて言わないでおく。
すべては、次に会ったときだ。
「──さて、各人別れは済ませたな」
「もう、行っちゃうの?」
「今生の別れでもあるまい。このままだと、いつまでも話し続けてしまうだろう」
「だな」
ヘレジナの言葉に頷くと、俺は、プルとヤーエルヘルの背中をぽんと叩いた。
ステップに足を掛け、騎竜車へと乗り込む。
「また来る。そのときまで、元気で」
イオタとドズマが、微笑みながら手を上げる。
ベディルスが、右手の甲をこちらへ向け、一礼した。
シオニアが、大きく手を振る。
「また、……ねッ!」
俺たちも、手を振り返す。
騎竜車が出発しても、その姿が小さくなっても、シオニアは、いつまでも手を振り続けていた──
騎竜車の中で、ウージスパインの地図を広げる。
「ウージスパインの東端、ラーイウラのすぐ隣が、ニャサ」
ニャサと書かれた丸の上に指を乗せ、そのまま左上へとずらしていく。
「北西にしばらく行くと、ネウロパニエ」
「でし」
「ぐ──ッと西へ進んで、果てが港町リンシャ。そこから海を挟んで、ようやくアーウェンか」
「す、すーごく、遠い……」
「ニャサからネウロパニエまでが、だいたい一日半だったろ」
ニャサの上に親指を、ネウロパニエの上に人差し指の先を置いて、距離を測る。
そして、ネウロパニエからリンシャまでを数えていくと──
「……うーわ、軽く十日はかかりそうだぞ」
「ウージスパイン、ほんとに広いでしもんね……」
広大な地図を見渡しながら、リンシャまでの道筋をなぞる。
「でも、街や村はいい感じに点在してるな。上手く繋げて行けば、野宿は一日二日で済みそうだ」
「よ、よかったー……。物資は、も、問題ない、……けど、夏場の野宿は、うん」
「でしね。夏だと虫が……」
「でも、あれあるじゃん。離れたところに灯術の明かりを浮かべて、誘蛾灯にするやつ。あれ便利だよなあ」
「旅の知恵、というやつでし。あちしもナナさんから教わったんでしよ!」
「さ、さすが、筋金入りの旅人……」
「だいぶ旅慣れて来たとは言え、俺たちはまだまだ駆け出しだからな。ヤーエルヘル先生、ご教授お願いします!」
「えへへ、おまかせくだし!」
ヤーエルヘルが、自分の平らな胸をぽんと叩いてみせた。
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