3/魔術研究棟 -8 決着

 ──眼下。

 白く輝く剣を持った男が、女と共に赤葉寮の外周を回っている。

 ただ、ぐるぐると。

 炎竜から姿を隠すように。

 炎竜──ツィゴニア=シャンは、何を考えただろうか。

 恐らく、逃走であると。

 自らの勝利は程近いと。

 そう考えたに違いない。

 逃げ出したのであれば、生徒たちを攻撃する理由はもはやない。

 彼が仕留めるべきはカタナ=ウドウとプル=ウドウであり、子供の百人や千人、死のうが生きようがどうだっていいのだから。

 すべてを知る者から、消す。

 単純でわかりやすい思考だ。

 炎竜が、男女を追うのをやめる。

 そして、宙空で翻った。

 わざわざ人間に合わせ、寮の周囲を追いかけっこする必要はない。

 彼の者は、竜。

 重力から解き放たれた存在なのだから。

 炎竜は、寮の屋上すれすれを飛行し、反対側へ降り立とうとする。

 つまり──


 それこそが、プルの狙いだった。


 木剣に灯術を纏わせたドズマと、白い寝間着で黒髪を隠したシオニアが、俺たちのふりをして寮の外周を逃げ回る。

 空を飛ぶことのできる炎竜が、わざわざ後ろから追い掛けるはずもない。

 必ず、反対側へと回り込もうとするはずだ。


 ──屋上で待つ俺の、白き刃の届き得る高度で。


 俺の身長を優に超える炎竜の頭部が、真正面から迫り来る。

 炎竜の双眸が、俺を捉える。

 だが、止まらない。

 空を舞うが故に、ブレーキが利かないのだ。

 炎竜の口の端からかすかに炎が溢れ出る。

 直後、大きく開かれた炎竜の口から、豪炎が放たれた。

 だが──


「それは、もう、通じねえよ」


 俺の背後には、誰もいない。

 火勢を散らす必要はない。

 意識する。

 ただそれだけで、神剣から白き炎が溢れ出る。

 俺は、白き神剣を大上段に構え、そのまま振り下ろした。


「──らああああああアアアアアッ!」


 白く揺らめく炎の軌跡が、

 豪炎を斬り、

 頭部を斬り、

 その巨体までをも両断する。


 炎竜を包んでいた炎が弾け、その肉体が見る間に炭化する。

 そして、二つに分かれた巨体が、赤葉寮の屋根を破壊しながらずるりと地面に墜落した。

「……お前は何も悪くないのにな。ただ生まれて、人の言うことを聞いていただけだ」

 思えば哀れだ。

 自らの意志を持つこともなく、ツィゴニアに操られ、そして死んだ。

「バイバイ、炎竜」

 そう呟き、そのまま仰向けに倒れる。

 豪炎と白き炎とが俺の身を焦がし、寒気すら感じ始めていた。

 三階と屋上とを繋ぐ梯子から、プルが顔を出す。

「か、かたなッ!」

 そして、俺の元へと慌てて駆け寄った。

「ひどい火傷……!」

「……なーに、大丈夫だ。プルが、治してくれるって、知ってるから」

「う、うん! すぐ治す!」

 プルの治癒術が、俺の全身を温かく包み込む。

 ピリピリした痺れがくすぐったい、治癒術独特の感覚。

 もう慣れたものだ。

「おい、カタナッ!」

「カタナさあ──んッ!」

 ドズマとシオニアが屋上へと上がってくる。

「はははッ、お前……、あの竜殺したのかよ! 信じらんねェ!」

「す──────、ッごい! すごいすごいすごい! ありがとーッ!」

 シオニアが、俺の首根っこに抱き着いた。

「ちょ、離れ、い゙……ッ!」

「あ、ごめん」

「ち、ちち、治療中、……でっす!」

 珍しいプルの怒声が、屋上に響いた。




 やがて、全優科の生徒たちが集まってくる。

 竜の死体に呆然とする者。

 無事でいる事実に涙を流す者。

 そして、俺を讃える者。

「──カタナ=ウドウ! 竜殺しのカタナ=ウドウだ!」

「す……ッ、げー! こんなの、もう一生見られないって!」

「ありがとう、ウドウ君! ……本当に、ありがとう!」

「えー……、と」

 どーすっかな。

「あんま大事にしないでほしいんだが……」

「いや、無理だろ」

 ドズマが突っ込む。

「無理無理! アタシたちだけなら秘密にできるけど……」

「はは、だよな……」

 ツィゴニアめ。

 いろいろな意味で、全優科の生徒たちを巻き込まないでほしかった。

「──ドズマ。シオニア。一緒に来てくれないか。たぶん、二人の力が要る」

「アタシたちの……?」

「そりゃ、いいけどよ。説明はしろよな」

「ああ」

 寮の皆に手を振って、魔術研究棟へときびすを返す。

 直線水路カナールを遡りながら、ドズマとシオニアに経緯を説明した。

 二人の表情が、どんどん険しくなっていく。

「──クソがッ!」

 ドズマが、道端の石を思いきり蹴り飛ばした。

「そんなのって──そんなのって、ない……」

 プルが、真剣な瞳で二人に頭を下げる。

「……わ、わたしたちは、ずっとここにはいられない、……から。だから、イオタくんを、さ、支えてあげてほしい……」

「当然だッ!」

「うん。友達、だもん……」

「嗚呼──」

 俺は、頬を緩めた。

「……なら、安心だ」

 きっと、二人がいれば、イオタは大丈夫だ。

 そう思えた。

 やがて、俺たちは、業火が燃え広がり完全に倒壊した魔術研究棟へと戻ってきた。


 ──ツィゴニアが、いた。


 研究員らに羽交い締めにされ、顔をボコボコに腫らしながら。


 ──イオタが、いた。


 ツィゴニアの正面で、彼を無表情に睨みつけながら。


「──カタナさん! プルさん!」

「やりおったな、竜殺しめ!」

 ヤーエルヘルとヘレジナが、俺たちの元へと駆け寄ってくる。

 ヤーエルヘルの腕の中には、シィの死体があった。

「──…………」

 竜殺し。

 なんて嬉しくない二つ名なのだろう。

 俺は、イオタの隣に並んだ。

「……や、やあ……」

 ツィゴニアが、誤魔化すように右手を上げてみせる。

「気分はどうだ」

「──…………」

「イオタは、もっとつらかったはずだ」

「……す、すまな──」

 イオタが、ぽつりと言う。

「喋るな」

「──…………」

 ツィゴニアが、口を閉ざした。

 イオタが続ける。

「本音を言えば、今すぐお前を殺したい。シィの受けた苦痛を、お前に知らしめたい」

「ひ……」

「でも、そんなことをしても、シィは帰ってこない。幸い、証言者は無数にいる。ここまで明るみに出れば、お前の失脚も、一生涯の拘留も免れない。お前の人生は終わりだよ、〈お父さん〉」

「そ、それだけは……! わ、私がいなくなれば、ウージスパインはどうなる! 私こそがこの国を最も愛しているのだ! それがわからないのか!」

「──…………」

 イオタが、ゴミを見るような目で、ツィゴニアを睨む。

 そして、ドズマに右手を差し出した。

「ドズマ、その木剣貸して」

「ああ」

 ドズマがイオタに木剣を渡す。

「不快だ。気絶させておく」

「な──」

 ツィゴニアの頭部に、頸部に、鳩尾に、容赦のない剣撃が放たれる。

 その三撃は、体操術を使っていないにも関わらず、恐ろしく鋭くツィゴニアの肉体を穿った。

「ぐべッ」

 ツィゴニアが、研究員の手を離れ、その場に倒れ伏した。

「フー……」

 構えを解いて、イオタが呟く。

「……シィさえ殺さなければ、許してあげてもよかったのに」

 俺は、イオタの肩に手を置いた。

「大丈夫か?」

 イオタが微笑む。

「大丈夫、ですよ。このくらい。ぼくは、強くなったから」

「──…………」

 ドズマが、イオタの頭頂部に肘を落とす。

「て」

「馬鹿野郎。それは、強さじゃねェ。強がりって言うんだ」

「強、がり……?」

「──イオタ君」

 シオニアが、イオタを抱き締める。

「いいんだよ。泣いて、いいんだ。強さって、そういうことじゃないんだと思う。何度転んでも、負けない強さ。起き上がれる強さ。きっと、イオタ君は持ってるから……」

「──…………」

 イオタの目から、雫が溢れる。

「……あ、あああ……、うあ、あ──ああああああああ……っ」

 イオタは、泣いた。

 シオニアの腕の中で、涸れ果てるまで泣いた。

 それは、絶望ではない。

 彼が、また起き上がるための涙に違いなかった。

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