3/魔術研究棟 -7 炎竜計画

「──……は?」

 思わず間抜けな声が漏れる。

 イオタを操っているのが、ツィゴニアだと?

「どう──いう、こと、でしか?」

「すこし考えればわかると思うがね。思ったより頭の回転が鈍いようだ」

 手が震える。

「何故、誘拐はあれほどスムーズに成された? 何故、デイコスは全優科に潜入できた? そもそも、魔術研究科が現職の元老院議員を誘拐する必要はあるまい。彼らは私たちから予算を受け取っているのだ。顔色を窺って然るべきだろう」

 歯の根が合わない。

「まったく、余計なことをしてくれた。イオタと共に誘拐され、イオタを失って私のみが生還する。そうして、人々から同情を受け、私を支持する声は更に高まる。本来は、一石二鳥の計画だったのだよ」

 たしかに、改めて考えれば違和感だらけだ。

 だが、その違和感を無視させていたのは、ツィゴニアへの信頼だった。

 彼は、良き父親であるように見えた。

 イオタのために参観会を訪れ、誠実に接し、武術大会で優勝したときも心の底から喜んでいるように思えた。

 だが──

 そのすべては、虚飾にまみれていた。

 すべて、嘘だったのだ。

「──あ……」

 涙がこぼれる。

 心が折れる。

 イオタは、もう、知っているのだろう。

 自分が父親に利用されていたことを。

 愛されてなど、いなかったことを。

「かたな……」

 プルが、俺の背中を優しく撫でてくれる。

「どうして──どうして、そんなことが平気でできるんだ。どうして……」

「仕方がないだろう。私も、イオタを拾ったときは、真っ当に育てようと思った。愛情を持って接したつもりだとも。だが、身体検査によって、イオタが竜の血を継いでいることがわかった。わかってしまった。そして、思いついてしまったのだから仕方がない」

「何を、だ」

 ヘレジナが叫ぶ。

「──何を思いついたッ!」

 イオタの皮を被ったツィゴニアが、片頬を歪ませた。

「〈炎竜計画〉」

「炎竜、計画……?」

「人工的に造り出した災厄竜を操り、国益を掌中に収める計画だ。パラキストリの地竜と同じだよ。地竜と異なるのは、すべて私の意のままということだ。計画的な災害は利益となる。炎竜を国外へと派遣すれば、そのまま最強の兵器となる。他の北方十三国から、炎竜対策支援金をせしめることもできるだろう」

「そんな──そんな、くだらないことで……」

「くだらない? 私はウージスパインを愛しているだけだよ。私ほどこの国を愛している者もいない。本来は、イオタを私の後継者として育て上げ、自らの意志で炎竜を操ってほしかった。だが、どうにも頼りないのでね。竜を使役することに慣れさせようと与えたシィすら満足に操ることができない。会うたびに竜の血から精製した薬物を飲ませ、活性化を図っていたのだが……」

 思い出す。

 プラムジュース。

 赤い、赤い、あのジュース。

 イオタの竜の血が活性化したのは、ツィゴニアに会ったあとだった。

 すべてが一本の線で繋がっていく。

 不快だった。


 イオタは、

 何のために、

 頑張ってきたのだろう。


「──……ああ、う、ああああ……」

 嗚咽が漏れる。

 涙で前が見えなくなる。

 プルが、俺を抱き締めてくれるのがわかった。

 しばらくのあいだ、広間に、俺の嗚咽だけが響き続けていた。


「──ほう」

 無言で様子を窺っていたツィゴニアが、唐突に口を開いた。

「予定より早く調整が終わったようだ」

 視線を上方へ向け、満足げに微笑む。

「では、最後の仕上げだ。イオタと炎竜を繋げるため、あちらのリンクを切るとしよう。私としても、心が痛むのだが……」


 何かが、落ちてくる。


 高い高い広間の天井から、落ちてくる。


 とさり。


 床に叩き付けられ、

 動かなくなったそれは、


 ──首を掻き切られたシィの死体だった。


「嗚呼──」


 世の中に、こんなひどい話があるだろうか。

 少年は、父親に愛されてはいなかった。

 人格を否定され、半身を殺され、その人生すら奪われようとしている。


「──…………」

 涙を拭い、立ち上がる。

「させない。させてなるものか」

 イオタを──ツィゴニアを睨みつける。

「ツィゴニア=シャン。俺は、お前を認めない。俺のすべてで、お前の存在を否定する」

「随分と吠える。では、外へ出てごらん。君に絶望を教えてやる」

 三人を振り返る。

「行こう、皆」

 ヘレジナが、戸惑いながら問う。

「だが、イオタはどうする!」

「──…………」

 どうしようもない。

 気絶させることができればいいのだが、短剣の切っ先が首筋に食い込んでいる状態では、それも難しい。

 致命傷覚悟で短剣を弾き、即座に治癒術で回復するという手もあるが、刺さり方次第では脳に損傷が残る可能性がある。

 現状、俺たちの手持ちのカードに、イオタを安全に無力化する手段はなかった。

「イオタさん……」

 ヤーエルヘルが前に出る。

「すみません。あちし、残りまし」

 ヘレジナが、ヤーエルヘルの肩を掴んだ。

「危険だ! もしツィゴニアがお前を狙ってきたら、どうする!」

「でも、置いて行けません!」

 こちらを振り返り、ヤーエルヘルが微笑んだ。

「……カタナさん、お願い権を使いまし。あちしを置いて、行ってくだし」

 考える。

 考える。

 考える──

 思案の果てに、俺は頷いた。

「わかった」

「カタナ、しかし──」

「ヘレジナ、ヤーエルヘルを守ってあげてくれ。これは、ヘレジナにしか頼めないことだ」

 ヘレジナが、俺とヤーエルヘルを交互に見る。

「……無事でなければ、許さんからな」

 ヘレジナを安心させるように、俺は、明るく笑ってみせた。

「当然だ。プル、行こう」

「うん!」

 プルを抱え、神剣に白き衣を纏わせる。

 そして、白き神剣の火勢を最大にし、十メートルの高さにある階段まで壁を駆け上がった。

「プル、階段を戻してくれ。皆が上がれない」

「わ、わかった!」

 プルが壁に埋め込まれた半輝石セルに触れる。

 格納されていた階段が迫り出すのを確認し、駆け上がる。

 息を弾ませながら地上へと戻った俺たちの耳に、悲鳴が届いた。

「──ツィゴニア様! ツィゴニア様、どうして……!」

「た、助けてくれッ!」

「やめて──ッ!」

「ひィ……!」

「どけろ! 俺が先だッ!」

 夜空が見えた。

 天井が破壊され、魔術研究棟が赤々と燃え上がっていた。

 人の焼け焦げる臭いが鼻をつく。

 破壊音が響く。

 まさに地獄の様相だった。

 考えてみれば当然だ。

 ツィゴニアは、自らの不利益になるからと、デイコスを人工亜人の材料にした。

 すべてを知っている研究員は、邪魔なのだ。

 恐らく、人工亜人、人工陪神、その他のあらゆる研究成果は、既に持ち出しているだろう。

 魔術研究科は、既に用済みなのだった。

「プル、気を付けろ!」

「はい!」

 燃え盛る研究棟の内部を、プルの手を引いて駆け抜ける。

 玄関に開けた丸穴には研究員たちが殺到しており、出ることは叶わない。

 俺は、白き神剣を喚び出すと、再び壁を斬った。

 円の中心を蹴り抜き、そのまま外へと躍り出る。


 そこで、見た。


 すべての生物の頂点に立つ威容。

 神代の魔術によって生み出された、哀れな被造物。

 炎を纏いて空を舞う、歪な怪物。


 ──炎竜を。


「……かたな」

 プルが問う。

「あれを、倒す、……の?」

「ああ」

「ち、地竜の遺骸より、もっと、……もっと、大きい」

「ああ」

「ひとの、成せる業じゃ、ないよ」

「ああ」

「それでも──」

 プルが、優しく微笑んだ。

「それでも、挑むんだね」

 頷く。

「俺は、イオタの師匠として、あれを止めなきゃならない」

「……わ、わかった。かたな」

 プルが、俺の頬にそっと手を触れた。

「お、お願い権。す、す、すこしだけ、屈んで……」

「……?」

 膝を曲げ、プルの顔を覗き込む。

 その瞬間──

 プルが、俺の頬に、自らの唇を押し当てた。

「ほ、ほっぺに、キス。遅くなったけど……」

「──…………」

 俺は、プルをそっと抱き締めた。

 今なら、何にだって勝てる気がした。

 背中をポンと叩き、身を離す。

「治癒は頼んだ」

「ま、まかせて!」

 炎竜は、遥か上空を旋回し、時折降下しては魔術研究棟を破壊している。

 だが、あれを操っているのはツィゴニアだ。

 まず、俺を狙わせる必要があった。

「──ツィゴニア=シャン!」

 聴覚を共有していてくれよ。

「俺は、お前の秘密をすべて握っている! まず壊すべきがその建物か、よく考えろ!」


 その瞬間、

 炎竜が、

 こちらへ向けて急降下してきた。


 神眼を発動する。

 神剣に白きヴェールを纏わせ応戦しようとするが、その瞬間、炎竜がひらりと真上に舞い上がった。

 そして、宙空でくるりと一回転し、俺たちの頭上から豪炎を放つ!

「プル!」

 俺は、プルを小脇に抱え、

 一歩、

 二歩、

 三歩──

 間に合わないと判断し、プルを押し倒すように地面に伏せた。

 炎竜の吹き出す豪炎が地面に触れて範囲を広げ、俺の背中を焼き焦がす。

「づ──」

 熱い。

 しかし、それだけだ。

 本来ならば、消し炭になるほどの火力なのだろう。

 だが──

「──……っ!」

 燃える傍から、プルが治癒してくれている。

 ただ、痛いだけだ。

 ただ、熱いだけだ。

 あの子イオタのことを考えれば、これくらい、いくらだって我慢できる。

 やがて豪炎が止み、炎竜は再び宙へと翻った。

「か、かたな! ここじゃだめ! 地の利を活かせるところへ!」

「わかった!」

 駆ける。

 駆ける。

 当てはあった。

 俺たちは、炎竜から逃げるように敷地を駆け抜け、長大な直線水路カナールへと飛び込んだ。

 炎竜が、轟音と共に豪炎を吐きかける。

「プル!」

「う、うんっ!」

 息を吸い、全身を水に浸す。

 いくら火力があったとしても、直線水路カナールの水量を一気に蒸発させることはできない。

 蒸発させても蒸発させても後から水が流れ込み、俺たちを焼くことはない。

 少々熱いくらいのものだ。

 豪炎は効かない。

 故に、炎竜は、俺たちに直接攻撃を仕掛けるしかない。

 炎竜が翻り、赤く燃える後ろ脚で以て、俺たちへと襲い掛かる。

 神眼を発動する。

 白き神剣を即座に喚び出し、俺は、炎竜の巨大な後ろ脚を半ばほど斬り裂いた。

 炎竜が、啼く。

 可聴範囲を超えた音域で、痛みに悲鳴を上げる。

 だが、こちらも無傷とはいかない。

 炎纏いし彼の炎竜は、近付くだけで、こちらを焼き焦がしていくのだから。

「かたな、さ、三秒動かないで!」

 プルが俺に手を触れる。

 一、

 二、

 三──

 きっかり三秒で、全身の火傷が完治する。

「ありがとう。これを続ければ──」


 だが、俺は、ツィゴニア=シャンという悪意を、まだ理解しきっていなかった。


 炎竜が翻る。

 そして、全優科の寮の方向へと羽ばたいた。

「な──!」


 あの男は、

 俺を水から出すためだけに、

 全優科に通う全生徒を危険に晒そうと言うのだ。


「く……ッ!」

 水路から出ざるを得ない。

 俺のことを、よくわかっている。

「プル、追うぞ!」

「うんっ!」

 走る。

 走る。

 今日だけで、どのくらい走っただろう。

 わからない。

 懐かしの寮区。

 イオタと修練を重ねた冬華寮が見えてくる。

 炎竜は、八つの寮へ向けて、広範囲に豪炎を吐き出した。


「やめろォ──────ッ!」


 声も虚しく、寮は炎に包まれる。

 だが、範囲を広げ過ぎたためか、寮が即座に燃え上がることはなかった。

 チリチリと、建造物の一部が小火を起こしているだけだ。


 俺は体操術が使えない。

 人間の枠を超えることはできない。

 だが、人の体で可能なことであれば、なんだってやってやる。

 俺は、炎竜の真下にあった街路樹を一気に駆け上がり、空中へと躍り出た。


 ──白刃一閃。


 火勢を強め、限界まで伸ばした白炎で、炎竜を焼き焦がす。

 炎竜は炎に包まれているが、それは単に、約1,500度の環境に適応しているだけだ。

 それ以上の極高温──約6,000度の白い炎に晒されれば、当然ただでは済まない。

 炎竜が、今度は可聴域ギリギリの高い悲鳴を上げた。

 その声で、寮の各部屋に灯術の明かりが灯り始める。

 不味い。

「──出てくるな! 竜が出たッ!」

 だが、その言葉は逆効果だった。

「は──?」

「お、おい竜だ! 炎の竜がいるぞ!」

「うわァ──ッ!」

 混乱が始まる。

 深夜、唐突に竜が現れて、統率の取れた動きのできる人間なんていない。

 生徒たちが、ただただ炎竜とは反対方向へ、流れるように逃げて行く。

 炎竜が、炎の翼を翻し、生徒たちの逃げ道を塞ぐように豪炎を放とうと──

「させるかあッ!」

 俺は、神眼を用いて生徒の群れを掻い潜ると、その先頭で白炎の火勢を最大まで上げた。

 豪炎を、斬る。

 一度では足りない。

 白炎の起こす熱風で、豪炎を押し返す必要がある。

 何度も、

 何度も、

 何度も、

 何度も、

 燕返しまで駆使し、炎を斬り続ける。

 やがて白炎が赤炎を塗り潰し、炎竜はたまらず上空へと逃げた。

 背後を振り返る。

 生徒たちは、軽い火傷こそあるものの、誰一人として焼け死んではいなかった。

 ただ、呆然と、俺と炎竜とを見つめていた。

 白き刃が掻き消える。

「よかった……」

 そう、心の底から呟いた瞬間、

「──カタナさーんッ!」

 寝間着姿のシオニアが、タックルの如く俺に抱き着いた。

「ぐえッ」

「な、な、な、何あれ何あれ何あれ!」

「シオニア……! よかった、無事だったのか」

 あのリボンは、よく似た偽物。

 パドロ=デイコスの方便だったのだろう。

「説明してる暇はない! みんな、今のうちに逃げろ!」

 俺の言葉に従い、多くの生徒がその場から駆け出す。

 だが、一人だけ、逃げない生徒がいた。

「──おい、カタナ」

「ドズマ!」

「なんでもいい、手伝えることねーか」

「いや、とにかく──」

「か、……かたなっ!」

 追いついてきたプルが、息を切らしながら言う。

「こういうの、どうかな」

 そう前置きしてプルが口にした作戦は、恐ろしく危険で、しかし、試す価値のあるものだった。

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