3/魔術研究棟 -4 逆襲

 俺たちは、無力感に苛まれながら、ベディ術具店へと帰り着いた。

 懐中時計を視線を落とす。

 既に日付が変わっていた。

「──…………」

 俺の背中で、ヤーエルヘルが寝息を立てている。

 無理もない。

「……さ、さすがに、疲れた、……ね」

 ふらりと上体を揺らすプルを、ヘレジナがそっと支える。

「プルさま、大丈夫ですか。ずっと歩き通しでしたから……」

「う、うん。大丈夫。す、すこし、休めば……」

 ベディルスが、小さく頭を下げる。

「連れ回してしまって、すまない」

「い、いえ。ツィゴニアさんを、み、見つけてあげない、……と」

 プルが、力なく微笑んだ。

「──…………」

 ベディ術具店へと伸びる路地で、ベディルスが足を止める。

「私は、もう、ツィゴニアの生存は絶望的であると考えている」

「ベディルスさん……?」

「姿を消してから、一日が経とうとしている。彼奴らがツィゴニアを誘拐した目的は不明だが、声明のたぐいは一切届いていない。これで生きていると考えるほうが無理な話だ。だから、明日は──」

「諦めるな、ベディルス=シャン!」

 ベディルスの両肩を掴む。

「あんたの孫は、強い! この程度じゃあ諦めない! 孫に胸を張れる祖父であれよ!」

「──…………」

 ベディルスは、見開いた目をゆっくりと細めた。

「……すまん。年を取ると、弱気の虫が疼くものだな。わかった、君たちが良ければ明日も捜索を続けよう」

「ええ、もちろん」

 懐から取り出した鍵を、ベディルスが玄関扉に差し込む。

「──…………」

 その動きが、ぴたりと止まった。

「開いている」

「──!」

 場に緊張が走る。

「私は、魔術の矢をいつでも放てるようにしておく。ウドウ君、扉を開けてもらっていいだろうか」

「はい」

 ヤーエルヘルを下ろし、立たせる。

「……んに?」

「悪い、ヤーエルヘル。ヘレジナの後ろに隠れててくれ」

「は、はい……」

 プルとヤーエルヘルの安全を確保したあと、俺は神眼を発動した。

 扉を開く。

 灯術の明かりが煌々と店内を照らし出している。

 奥のカウンターに、誰かが座っていた。

 新聞を広げている。

「──元老院議員ツィゴニア=シャン、誘拐される。三日後には、首都カラスカにこの記事が届くでしょうね」

 それは、聞き覚えのある声だった。

 男が新聞を畳む。

「パドロ=デイコス……ッ!」

「こんばんは、カタナ=ウドウ。随分待ちましたよ」

「デイコス──だと」

 ベディルスが、唸るような低い声でその名を呼んだ。

「おっと」

 パドロが、おどけたように言う。

「ベディルス=シャン。その矢は、お互いに、放たないほうがいい。まず、こちらを見ていただきましょうか」

 パドロが、カウンターに置かれていた細長い布をつまみ上げた。

 俺は、そのリボンに見覚えがあった。

「シオ……、ニア……?」

 それは、シオニアが髪をまとめるのに使っていたリボンのように見えた。

「──シオニアをどうした」

 平静を失いかけているのが、わかる。

 返答によっては、俺はこの男を殺すだろう。

「君の御学友の言葉を借りましょうか」

 パドロが、両の目尻を引き、狐目を作る。

「〈もし僕が犯人だったとしたら、自分を攻撃すれば彼女を殺すよう監視させておくけどね〉」

「……見ていたのか」

「将来有望なお坊ちゃんですね。もっとも、彼は、全優科を除籍になるそうだけれど」

 神眼を再発動し、気配を探る。

 誰もいない。

 だが、魔術か何かで店内を監視されている可能性は否めない。

「それで、俺の急所を握ったつもりか。だったら、同時に、俺に急所を握られていることを忘れんな」

 神剣の柄に手を掛ける。

「──シオニアに何かあれば、デイコスは皆殺しにする」

「ははは、怖い怖い。そうですね、あなたはそれを成すでしょう。生き延びることができれば、ね」

 ヘレジナが問う。

「どういう意味だ」

「誘っているんですよ、あなたたちを。あなたたちは邪魔だ。だから、まとめて始末しようかと思いまして」

 ヘレジナが、鼻で笑った。

「できると思うか?」

「思います。我々を舐めないでいただきたい。ですが、あなたたちにとって悪い話ではないと思いますよ」

「──…………」

「ツィゴニア=シャン。及び、イオタ=シャン。彼らの居場所を教えましょう」

 背筋に悪寒が走る。

「イオタ……?」

 ベディルスが、目を見開いた。

「……お前、今、なんと言った」

「おや、気付いておられなかったのですか。元より、イオタ=シャンは我々の標的だった。ツィゴニア=シャンと共に誘拐するのは当然でしょう。カタナ=ウドウ。あなたの護衛が外れた、その瞬間にね」

「──……ッ」

 やられた。

 完全に油断していた。

「簡単な仕事でしたよ。参観会の際に、全優科の敷地内にデイコスを潜ませる。深夜、眠りについたイオタ=シャンを誘拐する。この計画を確実に成功させるために、あなた方の警戒を解いたわけです」

 すべてが繋がっていく。

 寮内からデイコスを引き上げさせた理由も。

 以来その動向がぴたりと止んだ理由も。

 最初から、この結末へと、誘導されていたのだ。

「……イオタは、どこにいる」

「ウージスパイン魔術大学校、魔術研究棟。彼らはそこに囚われている」

「そうか」

 プルが尋ねる。

「ど、ど、どうして、そんなところに……」

「そこまでお伝えする義理はありません。さあ、お行きなさい。彼らを助けたいのなら、ね」

 罠だった。

 俺たちを陥れるための、罠だ。

 だが、行かないという選択肢は、俺にはない。

「──プル」

「う、……うん」

「ヘレジナ」

「ああ」

「ヤーエルヘル」

「はい」

「いちおう聞くけど──」

 振り返り、尋ねた。

「……俺一人で行ったら?」

「だめ……」

「駄目だ」

「だめでし」

「ですよね……」

 皆なら、そう言うとわかっていた。

「ベディルスさん。魔術研究棟へは、俺たちだけで行きます」

「いや、しかし──」

「端的に言って、足手まといです」

「──…………」

 ベディルスが面食らう。

 しばし思案し、そしてゆっくりと頷いた。

「……そうか。わかった。君たちに、頼む」

「はい」

 パドロへと向き直る。

「──パドロ=デイコス。一つ聞かせろ」

「なんでしょうか」

「シオニアはどこにいる」

「彼女は保険です。あなたたちが魔術研究棟へ行く素振りを見せなかった場合の。そして、僕自身の命の保険だ。事が済めばお返ししますよ」

「保険のつもりなら、あの子に傷一つ負わせるな」

「ええ、もちろん」

 パドロが、のそりと立ち上がる。

「では、僕はこれで失礼します。僕がいては、ベディルスさんも落ち着けないでしょう」

 そう嘯いて、パドロがベディ術具店を後にする。

 俺たちの横を悠々と通り過ぎ、そのまま闇へと消えていく。

 俺は、それを見送ると、明るく言った。

「これで、明日も足を棒にする必要がなくなったな。ちょいと寄って、かるーく助けてきますよ」

「……すまない。君たちにすべてを託すような真似は、したくなかったのだが」

「構いません。俺は、イオタの師匠ですから」

「ああ。その義術具を、思いきり活用してやってくれ」

「ええ」

 右手を開き、グローブ型の義術具に左拳を叩き付ける。

「この右手に宿ってるものを、あいつらに教えてやる」

 プルたちの想いとベディルスの技術が作り出した、灰燼術の義術具。

 何が襲ってきたとしても、負ける気はしなかった。

 ヘレジナが俺たちを激励する。

「──行くぞ、皆! イオタを、ツィゴニアを、シオニアを、救い出すのだ!」

「応!」

「う、うん!」

「はいっ!」

 俺たちは駆け出した。

 目指すは魔術研究棟。

 皆を救い、デイコスと決着をつけるために。

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