3/魔術研究棟 -2 ツィゴニアの失踪

 ドアを激しくノックする音に、薄く目を開いた。

「──おい、ウドウ君! 起きてくれ!」

 ベディルスの声に飛び起きる。

 プル、ヘレジナ、ヤーエルヘルも、既に目を覚ましていた。

 扉を開き、ベディルスを室内へと招く。

「どうしましたか?」

「端的に言う」

 ベディルスが、どこか引き攣った顔で続けた。

「息子が──ツィゴニアが、姿を消した」

「ツィゴニアさん、が……?」

 ヘレジナが、冷静に尋ねた。

「状況を詳しく教えてくれ」

「ああ」

 頷き、ベディルスが答える。

「私の知人を、アンパニエ・ホテルのロビーに張らせていた。ツィゴニアは今朝、このネウロパニエを発つ予定だった。私が聞いていた出立予定は、朝七時。だが、七時を過ぎてもツィゴニアは部屋から出て来なかった。ホテル側もモーニングコールを頼まれていたらしく、部屋を確認したところ──」

「誰の姿もなかった、と」

「しかも、部屋は荒らされていた。何かがあったのは間違いない」

 腕時計に視線を落とす。

 午前八時、過ぎ。

「探しましょう。間に合うかもしれない」

「頼めるか」

 ヘレジナが頷く。

「当然だ。ここで、はいそうですかと辞するほど薄情ではない。三手に分かれるぞ。プルさまは私と、カタナはヤーエルヘルと動いてくれ」

「了解。ひとまず、──そうだな。三時間後くらいに落ち合おう。午前十一時にベディ術具店で合流、のち状況報告。どうだ?」

「午前十一時にカタナやベディルスが戻って来られなかった場合はどうする」

「一時間、待つことにしよう。それでも戻らなかったら、手紙を残して自由行動だ。定期的に帰ってきて手紙の有無を確認、その後は合流を優先する」

 今日この時ほど、スマホがあればと思ったことはない。

 リアルタイムで遠距離通信ができる道具の、なんと便利なことか。

 ベディルスが、きびすを返す。

「了解した。私は北を担当する。人手はあるから気にするな。君たちは南方面を頼む」

「わかりました」

 ベディ術具店を急ぎ足で後にし、ヤーエルヘルと共にネウロパニエの街区へと躍り出る。

「どこから行きましか?」

「アンパニエ・ホテルはとっくに探してるだろうし、いつまでも近場にいるとは思えない。橋下市場あたりから外周へ向かって歩いてみよう」

「はい!」

 ネウロパニエ市街を早足で歩く。

 走って探すには、ネウロパニエという都市は広すぎる。

 三時間はあっと言う間に過ぎ、俺たちは何の収穫を得ることもできなかった。

 ベディ術具店へ戻ると、店内には、既にヘレジナとプルの姿があった。

「──か、かたな。何か、わ、わかった?」

 プルの言葉に、首を横に振る。

「人を運ぶなら、馬車か騎竜車だろ。荷物の積み下ろしに焦点を絞って聞き込みしてみたんだが、ネウロパニエにはざっくり数万台の数があるからな……」

「さすがに、手が足りなくて。何もわからなかったでし……」

「私たちも似たようなものだ。こちらはアンパニエ・ホテル周辺の聞き込みに注力した。既にベディルスの知人が行っているとは思ったのだが、抜けがあるかもしれんからな。だが、誘拐に繋がる情報を得ることはできなかった」

「そうか……」

 闇雲に捜索しても仕方がなさそうだ。

「いったん、ベディルスさんを待つか。情報を共有して、どう動くかを改めて考える」

「つぃ、ツィゴニアさん、ぶ、無事でいて……」

 こんな時は、時計の針が遅く感じる。

 落ち着かない。

 ベディルスが戻ってきたのは、午前十一時を四十分ほど回った頃のことだった。

「──すまん、遅れた」

「こちらは収穫なしです。ベディルスさんのほうは?」

「こちらも大差はない。だが、アンパニエ・スイートを調査できることになった。既に憲兵隊が調べ尽くしたあとだが、何かわかるかもしれん。来てくれるか。意見が欲しい」

「わかりました」

 素人に意見を出せるとも思えないが、他に当てはない。

 乗合騎竜車を利用する距離でもないため、徒歩でアンパニエ・ホテルへと向かう。

 ホテルのロビーは騒然としていた。

 当然だろう。

 よりにもよって、最上階のアンパニエ・スイートから要人が一人姿を消したのだから。

「──シャンさん!」

 憲兵の一人が、ベディルスに話し掛ける。

「今なら大丈夫です。上が来るまで、まだ一時間ほどありますから」

 ベディルスが憲兵に右手を上げて応じる。

「わかった、礼を言う」

「後ろの方たちは?」

「私の護衛だ」

「こんにちは」

 憲兵に会釈をする。

「しかし、ほとんど子供──、ん?」

 言い掛けて、憲兵が俺の顔をまじまじと見つめた。

「……あなた、もしかして、参観会の武術大会に出てた、カタナ=ウドウ!?」

「まあ、はい」

「いやー、見てたよ! あの圧倒的強さ! 久し振りに痺れたね!」

「どうも……」

 やりにくいな。

 困っていると、ベディルスが憲兵の尻を蹴り上げた。

「だッ!」

「今は、それどころではない」

「す、すみません。今、最上階へ案内します……!」

 以前と同じように、昇降機を使って最上階へと赴く。

 アンパニエ・スイートの扉は、既に開かれていた。

「では、見て見ぬふりができるのは三十分ほどです。お急ぎください」

「魔力痕は確認できたのか」

「いえ、確認できませんでした。血痕も同様です」

 アンパニエ・スイートを見渡す。

 書類は散乱し、生花は倒れて土を撒き散らし、ソファの座面は切り裂かれ綿が覗いている。

「──…………」

 妙だ、と思った。

「憲兵さん、血痕もなかったんですよね」

「ああ、ないよ。綺麗なものだ」

「これだけ争った形跡があるのに、誰一人として怪我をしてない……?」

 ヤーエルヘルが続く。

「ツィゴニアさんの護衛、三人以上はいましたよね。そこにデイコスがやってきたとして、どうしてこの状況になるのでしょう……」

「──…………」

 ヘレジナが、思案して口を開いた。

「デイコスは、武に長けた連中ではない。真正面から斬り合うことなどするはずもない。やつらがツィゴニアを誘拐するとなれば、まず護衛を暗殺したはず。だが、その痕跡がない」

 プルがヘレジナに尋ねた。

「で、デイコスの仕業じゃない、……って、こ、こと?」

「断定はできませんが……」

「──…………」

 ソファの座面に触れる。

「……違和感があるんだよ。たとえば、俺やヘレジナが、単独でツィゴニアさんを誘拐しに来たとする。護衛を殺さずに無力化することは可能だ。ただ、その場合、室内はここまで荒れない。護衛を無力化したのが奇跡級ならこの荒れようがおかしいし、師範級が数人であれば血痕がないのがおかしい。まるで、わざと荒らしたみたいに見える」

 考えろ。

 考えろ。

 この不自然な状況を考えろ。

「──…………」

 ある一つの可能性が浮上する。

「……護衛が、犯人?」

「な──」

 ヘレジナが目をまるくする。

「護衛が犯人なら、この違和感の説明はつく。血痕がないのは争わなかったから。争った形跡があるのは、護衛が犯人であることを隠すため、か」

 ベディルスが頷く。

「なるほど、あり得ない話ではない。おい、ツィゴニアの護衛の身許はわかるか」

 憲兵が、メモ帳を確認しながら答えた。

「は、はい。要人警護専門の企業でして。かなり実績のある会社なんですが……」

「憲兵は向かっているのか」

「ええ。今回の場合、護衛たちも被害者である可能性が高かったものですから」

「そいつらが犯人かもしれん。社名と住所を教えろ」

「は、はい! しばしお待ちを」

 憲兵が、慌てて階下へと降りていく。

「……ベディルスさんって、何者なんです? 憲兵をあごで使って」

「ただ貸しがあるだけだ、気にするな。次は警護会社へ向かおう。細い繋がりだが、追う価値はある」

 俺たちは、憲兵から会社名と住所を聞くと、アンパニエ・ホテルを後にした。

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