3/魔術研究棟 -1 年を取る

 イオタとシオニア、ドズマを全優科へと送り届け、俺たちはベディ術具店へと戻ってきた。

 時刻も既に深夜に近く、宿を取ることができなかったためだ。

 今は、ベディ術具店の客室を借り、就寝の準備をしているところだった。

「プルさまとヤーエルヘルは、共にベッドをお使いください。少々暑いかもしれませんが……」

「だ、……だいじょうぶ。このベッド、広めだし……」

「しみません、あちしたちだけ……」

「よいのだ、気にするな。逆に、床のほうが涼しくていいかもしれんぞ」

 ヘレジナが笑って言ったあと、半眼でこちらを振り向いた。

「カタナ。お前は店内のソファだぞ」

「わかっとるわい。眠気が来るまで暇だから遊びに来てるだけだ」

 からかうように、ヘレジナが言う。

「なんだ。あの三人と別れて、人恋しくなったのか?」

「──…………」

 すこし沈黙し、答えた。

「……そうかもな。思えば、夢を見ていた気分だ。二度と戻れないはずだった、遠い夏の日の夢。まるで、十数年前に戻ったような気分だったから」

 プルが、優しい声音で言った。

「……か、かたなも、この部屋で寝る?」

「プルさま」

「き、騎竜車で寝るのと、変わらないし。ちょっと狭い、……けど」

「それはそうなのですが……」

「や、ヤーエルヘルは、どう思う?」

「あちしも、みんなと一緒がいいでし……」

「ほ、……ほら。ね?」

「むう……」

 渋い顔をしていたヘレジナが、諦めたように溜め息をついた。

「……まあ、いいだろう。今さらであるしな」

「ありがとうな」

 店内に一人だと、きっと、余計なことを考えてしまっていた。

 プルは、そんな俺の様子を見抜いたのだろう。

「では、せめて端の端で寝るがいい。私の領土を侵犯してはならんぞ」

「領土って、どこからどこまでだよ」

「ここから──」

 ヘレジナが、足で線を引いていく。

「ここまでだ」

「……体育座りで眠れって?」

「猫のように丸まって寝ても構わんぞ」

「はーい、無視無視」

 ヘレジナの描いた国境線を跨ぐように横になる。

「こら!」

「ふ、ふへへ、へ……」

「ふふー」

 俺とヘレジナのやり取りに、プルとヤーエルヘルが笑い声を漏らす。

「──あ、そうでした。カタナさんの誕生日は、えと、七月……の? 三十一日で、三十歳になったのでしよね」

「ああ、そうだよ」

「ヘレジナさんとプルさんの誕生日は、いつなんでしか?」

「うむ。私は、冬の後節十七日である。次で二十九になるな」

「わ、わたしは、冬の前節、……一日。い、一年の最初の日、でっす」

「へえー、特別感あるな」

「ふへへ……」

「えと、十六歳になるのでしか?」

「う、……うん。今が十五歳、だから。や、ヤーエルヘル、は……?」

「あちしは、誕生日がわからないのでし……」

 ああ、そうか。

 両親もわからないんだものな。

「そう、だったか……」

 ヘレジナが、気まずそうに視線を逸らす。

「──なら、勝手に決めちまおう」

「えっ」

 ヤーエルヘルが、目をまるくした。

「俺の国では、むかーしむかし、誕生日とは関係なしに、一月──冬の前節の一日に年を重ねる決まりだったんだよ。プルとお揃いだし、一緒に祝おうぜ」

 プルが、胸の前で、ぽんと両手を合わせる。

「そ、それ、とってもいいと思い、……まっす! や、ヤーエルヘル、どう……?」

 ヤーエルヘルが、戸惑うように、許可を求めるように、俺たちを見上げた。

「……いい、の、でしか?」

「いいだろ、べつに」

「よいに決まっているではないか。むしろ、勝手に決めてしまって、ヤーエルヘルは構わないのか?」

「とても──とっても、嬉しいでし!」

 満面の笑顔で、ヤーエルヘルが言う。


「あちしも、みんなみたいに、年を取れるのでしね!」


「──…………」

 一瞬、場が静まる。

 違和感があった。

 その違和感を確かめるように、俺は口を開いた。

「……年を、取れる?」

「?」

「ヤーエルヘルは──十二歳、だよな」

「はい、そうでしよ。あちし、誕生日が来たら年を取るって知らなくて。でも、これで、十三歳になれましね!」

 今度こそ、沈黙の帳が下りた。

 明らかにおかしかった。

 常識にそぐわないことが、起きていた。

「え、え、どうしましたか……?」

 空気の変化に、ヤーエルヘルが戸惑う。

「あの、さ。ヤーエルヘルが十二歳だってのは、誰が言ったんだ?」

「ナナさん、でし。たぶん十二歳くらいだろうって……」

「……ナナさんと出会ったのは何年前か、覚えてるか?」

「えと──」

 思案し、答える。

「二十年、くらい前──でしょうか」

「──…………」

 思えば、おかしいところはあった。

 ヤーエルヘルは、世界のことを知り過ぎている。

 一度も教室へ通ったことがないにも関わらず、最優等生徒を狙えるほどに。

 俺はそれを、単純に、ヤーエルヘルの頭が良いからだと思っていた。

 だが、どれほど頭が良くとも、入力には限度がある。

 いくらナナさんが優秀な教授だったとしても、教科書も自習もなしに、短期間で世界すべての情報を詰め込めるはずがないのだ。

「……ヤーエルヘル」

「そ、……その……」

 二人が口籠もる。

 そうだよな。

 なんて言えばいいのかなんて、わからないよな。

 俺だって、わからない。

 だから──

「ヤーエルヘル、おいで」

 俺は、両腕を広げた。

「カタナさん……?」

「いいから」

「──はい」

 ぎゅ、と。

 ヤーエルヘルが、俺に抱き着く。

 俺は、その矮躯を、優しく抱き締めた。

「……今から、すこし、ショックなことを伝えなきゃならない」

「ショックなこと、でしか……?」

「ああ。でも、忘れないでほしいことがある」

 ヤーエルヘルの体温を感じながら、言う。

「俺たちは、ヤーエルヘルのことが大好きだ。それだけは、世界が引っ繰り返ったって変わらない。それを踏まえて、聞いてくれ」

「ああ。その点だけは安心しておけ。私たちは、皆、お前のことが大好きだとも」

「う、……うん! わ、わたしたちは、ヤーエルヘルの味方、……だから!」

「……はい」

 安心したように、そっと微笑むのがわかった。

「こわい、でしけど。みんなが、そう、言ってくれるのなら……」

 そう言って、俺を見上げる。

「カタナさん、教えてくだし」

 俺は、小さく頷いた。

「……年齢って言うのは、その人が生きた年数のことだ。誕生日がなくたって、一年経てば年を取る。俺は三十年。ヘレジナは二十八年。プルは十五年しか生きていない」

「……!」

 ヤーエルヘルの目が、驚愕に見開かれた。

「じゃあ──じゃあ、あちしは、十二歳じゃ……ない、のでしか?」

「そうなる」

 プルが尋ねる。

「や、ヤーエルヘルは、いままで、ど、……どのくらい、生きてきた、……の?」

「え、と……」

 数秒ほど思案し、

「ベイアナットに半年、いて。ナナさんとは、二十年、一緒に旅をして。トレロ・マ・レボロでは──ずっと、ずっと、もう、覚えていないくらい」

 呼吸を挟み、言葉を継ぐ。

「……ずっと、一人で過ごしていました」

「──…………」

 ヤーエルヘルの体を、強く掻き抱く。

「……寂しかったか?」

 胸の中で、息を呑むのがわかった。

「寂し、かった……。ずっと、寂しかった、でし。ずっと一人で。お世話係の子と仲良くなっても、いつの間にかいなくなっていて。だから──」

 ヤーエルヘルの語気が、荒くなっていく。

「だから、ナナさんがいなくなったときも、あちしのこと、嫌いになったんだと思って。とても、とても、悲しくて。……もう、あちしのこと、好きになってくれる人なんかいないと思って。つらくて……」

 その言葉は支離滅裂だ。

 だからこそ、胸が痛む。

「でも、みんなが。みんなが、あちしのこと、受け入れてくれて。でも、でもお……! あちしは、人と違って……! あちしは──あちしは、なんなんでしか? ……こわい。こわい、でし。嫌われるのが、こわい……」

「怖くない」

 断言する。

「怖がらなくていいんだ、ヤーエルヘル。いつでも、何度だって言ってやる。俺たちは、ヤーエルヘルのことが大好きだ。お前が何者だとしても。ちょっと人より長く生きてるくらい、なんだ。大したことじゃないだろ」

「──……う」

 ヤーエルヘルが、俺の胸に顔を押し付ける。

「うあ、あああああ……!」

 涙が染みて、胸元が熱かった。

 プルとヘレジナが、ヤーエルヘルを包むように、そっと寄り添う。

 それは、覚悟の形だ。

 ヤーエルヘルが何者であれ、俺たちは、それを背負って生きていく。

 そう、無言のうちに決めたのだ。

 しばらくして、ヤーエルヘルが泣き止む。

「ご、ごめんなし。涙と、はなみず……」

「いいって。洗えばいいだけだし」

 ヤーエルヘルを離し、その頭を優しく撫でたあと、プルとヘレジナに尋ねた。

「この世界に、長命の種族なんているのか? ほら、エルフとか」

 ヘレジナが小首をかしげる。

「……エルフ?」

「ご、ごめん、……なさい。その種族は、聞いたことがない、……かも」

 プルが、顎に指を当てる。

「こ、この世界に生きる人間は、純人間と、亜人、だけ……。で、でも、亜人だって、そんなに長く生きるとは聞いたことない、……でっす。と、トレロ・マ・レボロは、閉鎖的だけど、ラーイウラよりは国交がある、から。じゅ、寿命が違うなんて話があれば、さすがに伝わっている、……はず」

「そっか……」

 しばし思案し、口を開く。

「大図書館を調べ終わったら、トレロ・マ・レボロへ行ってみないか? ヤーエルヘルのルーツが知りたい」

「あ! そ、それ、いいかも……」

「よい考えだ。ここまで来ればパレ・ハラドナの追っ手からは逃げおおせたろうし、ウージスパインを一通り見て回ったら北上しようではないか」

「え──」

 ヤーエルヘルが、目をまるくする。

「……その、カタナさんの世界へ行く方法、探さなくていいのでしか?」

「まだ大図書館を調べ終えたわけじゃないが、個人的に見込みは薄いと思ってる。そもそも、俺以外で唯一〈タナエルの者〉だと判明してるカガヨウは、この世界に骨を埋めてるしな。だから、現状は手当たり次第。決まったルートはないんだよ」

「……わ、わたしたちも、ヤーエルヘルの、こと、知りたい、……な。ヤーエルヘルのこと、大好き、だから」

「むろん、お前が嫌であれば断ってくれて構わん。追放された故郷だ。抵抗もあるだろう」

「──…………」

 すこしのあいだ考え込んでいたヤーエルヘルが、顔を上げる。

「あちしも、知りたいでし。自分が何者なのか。追い出された場所だから、すこし怖いでしけど……。でも、みんながいれば、きっと大丈夫だと思いまし!」

 思わず頬が緩む。

「ああ、そうしよう」

「それに、あながち見当違いの行動でもないのだぞ。〈タナエルの者〉という言葉は、ラライエが漏らしたものだ。彼奴は、ヤーエルヘルの名に反応を見せていた。繋がりが皆無とは言い切れん。ヤーエルヘルの出自こそが、我々の目的である異世界への渡航に関する手掛かりとなるやもしれん」

「たしかに……」

「決まりだな」

 床に腰を下ろし、あぐらをかく。

「次の目的地は、トレロ・マ・レボロだ」

「──はい!」

 ヤーエルヘルが、笑顔で頷いた。

 北方十三国最北の地、亜人国家トレロ・マ・レボロ──果たして、どのような国なのだろうか。

「では、今夜はそろそろ眠るとしよう。カタナは私と床であるぞ。端へ退け退け」

「はいはい」

「あ──」

 ヤーエルヘルが、俺の隣に座る。

「あちしも、床で寝たいでし」

「な、なら、わたしも……」

 プルも同様に、床に腰を下ろした。

「んじゃ、俺はベッドで──」

 立ち上がろうとして、立ち上がれなかった。

 俺の上着を三人がしっかり掴んでいた。

「カタナよ。ここに至れば一蓮托生。お前も床で寝るのだ」

「同じベッドで寝る寝ないって話になったときは、あんだけ抵抗してたのに……」

「広さが違うであろう、広さが!」

「か、か、かたな……」

「カタナさん……」

 プルとヤーエルヘルの切なげな視線が、ぐさぐさと刺さる。

「──わかった。わかりましたよ。一緒に寝ればいいんだろ……」

 多少距離が近いものの、こんなのは騎竜車で雑魚寝するのと変わらない。

 頭ではわかっているのだが、何故だか落ち着かなかった。

 四人並んで眠りにつく。

 暗闇の中、いつまでも言葉を交わした。

 全優科でのこと、イオタたちのこと、これまでのこと、これからのこと──

 話すことは、いつまでも尽きなかった。

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