2/魔術大学校 -終 俺が、俺だから

「──べ、ベディルスさん。い、い、いいです、……か?」

 話題が途切れたタイミングで、プルがベディルスに話し掛けた。

「ああ、無論だ」

 ベディルスが、プルに紙袋を手渡す。

 それを一度抱き締めて、プルが、俺へと向き直る。

「か、かたな。三十歳の誕生日、お、おめでとう!」

 そうして、俺に、紙袋を差し出した。

「おめでとう!」

「おめでとうございまし!」

「おめでとう、だ」

「ぴぃ!」

 口々に放たれる祝いの言葉に少々照れながら、俺は紙袋を受け取った。

 誕生日を祝われるのは何年ぶりだろう。

「……ありがとうな、みんな」

 紙袋の中身を取り出す。

 それは、革製の黒い指ぬきグローブだった。

 手の甲の部分に、月と同じ色の純輝石アンセルが埋め込まれている。

「これが、灰燼術の義術具……」

「着けてみたまえ」

「はい」

 ぎゅ、と。

 新鮮な革の音と共に、右手が義術具に包まれる。

「着け心地はどうだ?」

「違和感はないです」

「なら問題ない。革だから、使い込めば馴染んでいく」

 なるほど、それはいい。

「ウドウ君の要望通り、安全装置を組み込んである。神剣の柄にも術式を彫り込んで、神剣を握った状態でなければ灰燼術が発動しないようにした。利便性は下がるが暴発の危険はない」

「ええ、ありがとうございます。要望通りだ」

「試してみるかね」

「はい、もちろん」

「では、外へ出よう。屋内で実験すると、危ない。一度小火を起こしかけたものでな」

 イオタが心配そうに問う。

「大丈夫だった……?」

「問題はない。本の表紙が焦げた程度だ」

 義術具を試すため、ベディ術具店の外に出る。

「神剣を返そう。君のものだ」

「はい」

 神剣を受け取り、グローブを装着した右手で柄を握り込む。

 神剣の柄が、今まで以上に手に馴染んだ。

「ええと、ここからは?」

「柄を握ったまま、人差し指と小指を伸ばしてくれ」

 言われた通り、人差し指と小指を立てる。


 ──キュボッ!


 折れた神剣の先に、真っ白な炎が現れた。

 炎は一瞬で形を変え、剣身となる。

 白き神剣。

 俺の知る限り、最強の武器だ。

「ははっ」

 思わず笑みがこぼれる。

 嬉しかった。

 また強くなれたことも、皆の心配りも、すべて。

 白き神剣は、握っているだけで使用者の身を焦がす。

 6,000度──太陽と同じ温度の炎だ。

 直視し続けるだけで、網膜までをも焼いてしまう。

「あっつい! 眩しい! これが、あの白き神剣なんだ! すごい!」

「すッげーな、こりゃ……」

「カタナさん以外には扱いきれない武器ですよ……」

 白き神剣が、ほんの二十秒ほどで光を失う。

「剣の形に留めているから間近にあっても軽い火傷で済むが、触れれば石でも蒸発する。効果時間中に再度使えば、途切れることなく延長が可能だ。これ以上の義術具を作れる職人は、この街にはおらん。自惚れでなくな」

「ええ、とても気に入りました。ありがとうございます! プルも、純輝石アンセルのこと、本当にありがとう!」

 プルとベディルスに深々と頭を下げる。

「ふ、ふへへ、へへへへへ……」

「やめてくれ。これは、イオタの護衛への対価だったはずだ。君たちは、仕事以上にイオタに関わってくれた。感謝するのはこちらのほうだ」

 そう言って、右手の甲をこちらへ向けながら、深々と頭を下げた。

「……ありがとう」

 無意識に笑みがこぼれる。

「いいんですよ。イオタには、いろいろなことを教わった。ドズマと、シオニアにも。最高の学園生活でした。たった三週間で終えるのが、もったいないくらいには」

「──…………」

「──……」

 ぽん。

 ドズマとイオタが、シオニアの背中を押す。

「わ、と……」

「最後だ、言っちまえ」

 シオニアが、泣きそうな顔をした。

「言って、いいのかなあ。重荷に、ならないかなあ……」

 イオタが、力強く微笑んだ。

「いいんですよ。ぼくも、続きますから」

「──…………」

 シオニアが、頷く。

 そして、俺の前に立った。

 顔が強張っている。

 緊張しているのが、わかる。

 俺は、覚悟を決めた。

「……あのね、カタナさん」

「うん」

「アタシね、お兄ちゃんが欲しかったんだ。アタシはパピルス家の次女で、もう結婚相手も決まってる。相手はべつに嫌いじゃないけど──でも、そんな決まりきった人生から救い出してくれるような、頼もしいお兄ちゃんが欲しかった」

「──…………」

 黙って、シオニアの話を聞く。

「最初にカタナさんを見たとき、すごいと思った。この人がアタシを救い出してくれたらって、すこし思った。お願い権をねだってたのも、そう。たくさん集めたら、アタシを助けてくれるかもしれない。そんなね、子供みたいなことを、思っていたんだ」

「……そっか」

「でも──カタナさんが人を殺した話をつらそうにするのを聞いて、思ったの。ああ、この人はとても苦しんできたんだ。アタシの都合のいい〈お兄ちゃん〉ではないんだって。そしたらね。今まで架空のお兄ちゃんに向けていた好意が、……溢れたの」

「──…………」

「わかってる。さっきの歌劇のような話を聞いて、よくわかった。アタシはただの普通の女の子で、プルちゃんみたいなヒロインじゃない。ヘレジナちゃんみたいに、互いを信頼して背中を預け合えるような力はない。アタシは妹であることを捨てたから、ヤーエルヘルちゃんみたいに愛されることもない。それでも──」

 シオニアの頬を、涙が伝う。

「あなたのことが好きだった普通の女の子がいることを、覚えておいてほしい。それだけで、いいから……」

 ──嗚呼。

 俺は、ゆっくりと目を閉じ、そっと口を開いた。

「俺は、シオニアの隣にいることはできない。たとえお金があったとしても、全優科に通い続けることはできない。ごめん。答えは最初から決まってる。でも──」

 目蓋を開き、シオニアを真正面から見つめて、言った。

「俺は、シオニアが好きだよ」

「……!」

 シオニアの呼吸が、驚きに乱れた。

「恥ずかしながら、この年まで恋愛をする機会がなくてだな。この好意が、俺の中でどんな意味を持ってるのか、わからない。だけど、俺は行く。プルたちと一緒に、元の世界へ帰る。それが、俺の選択だから」

 そして、微笑む。

「また来るよ。そのときは、また、友達として、一緒に遊んでほしい。振ったくせに都合がいいかもしれないけどさ」

「……ううん」

 シオニアが、指で目元を拭いながら、笑みをこぼす。

「ありがとう、カタナさん。こんなアタシでも、可能性、あったんだね。それを知れただけでも、すっごく嬉しい……!」

 その笑顔に心が痛む。

 ネルのときも、そうだった。

 どうして、こんな俺のことを、好きになってくれるのだろう。

 イオタのおかげで、前を向くことができた。

 自分のことを、認めることができた。

 それでも、俺は、本質的にはただの一般人だ。

 普通に生まれ、普通に育ち、ブラック企業に勤めて自殺まがいのことをしただけの、一般人なのだ。


 そこで、はたと気が付いた。

 シオニアは、自分のことを、普通の女の子だと言った。

 だけど、俺はそうとは思わない。

 すごく楽しくて、一緒にいると自然と笑顔になれる、そんな特別な子だと思っている。

 俺とシオニアは、同じなのだ。

 他人から見れば特別なのに、自分を特別だと思っていないだけ。


 ネルは、

 シオニアは、

 鵜堂 形無おれが、鵜堂 形無おれだから、好きになってくれたのだ。


「──こちらこそ、ありがとうな。皆には教えられてばかりだ」

「?」

 シオニアが小首をかしげる。

「こっちの話」

「えー! ここまで来たら、教えてよ!」

 そっと微笑む。

「シオニアが俺のことを好きになってくれたから、自信がついた。それだけだ」

 イオタが呆れたように言う。

「まーた自分のこと卑下してたんですか?」

「してない。してません。俺は頑張ってるよ。よくやってる。でも、どうにも一般人感覚が抜けなくてな。この世界へ来るまでは、正真正銘、ただの一般会社員だったから」

「お前のような一般人がいるか、アホ」

「まあ、なあ……」

 実際、ドズマの言う通りなんだろう。

 どうして自分がここまでやれているのか、自分でもよくわからない。

「ささ、次はイオタ君だぞ!」

 シオニアが、イオタの背中を押す。

「はい」

 イオタが、覚悟を決めた目で、ヤーエルヘルの前に立った。

「……?」

「ヤーエルヘルさん」

「はい」

「あなたは、ぼくの恩人です。ぼくにいちばん影響を与えてくれたのは、カタナさんだ。でも、それに負けないくらい、あなたはぼくの原動力になってくれた」

「そう──なんでしか? あちし、何もしてないでしけど……」

「ヤーエルヘルさんは何もしていないつもりでも、それでも、そこにいて微笑んでくれるだけでよかった。それは──」

 イオタが、ヤーエルヘルの顔をまっすぐに見つめて、言った。

「それは、あなたのことが好きだからだ」

「──…………」

「だから、頑張れた。あなたに頑張っていると思われたくて、頑張った。ただ、それだけで、ぼくはここまで来られたんです」

「え、と……」

 ヤーエルヘルが戸惑っているのがわかる。

 当然だ。

 ヤーエルヘルは、気が付いていなかった。

 自分が大きな感情を向けられていたことを、知らなかった。

 しかし、その当惑の中で、確かなことがある。

「あちしも──あちしも、イオタさんのこと、好きでしよ。あんなにすぐ折れてしまいそうだったのに、がんばって、がんばって、こんなに頼もしくなって……」

 ヤーエルヘルが、慈しむように微笑んだ。

「イオタさんを見ているの、楽しかった。成長していくのが、嬉しかった。ずっと、ずっと、応援していました」

 だが、イオタは気付いてしまうだろう。

 ヤーエルヘルが持つ好意は、決して、恋愛感情ではない。

「……ありがとう、ございます。とても嬉しい、です」

 イオタが、吹っ切れたように笑顔で言った。

「ちなみに、カタナさんのことは、どれくらい好きですか?」

 ヤーエルヘルが、満面の笑みで答える。

「だーいすき、でし!」

「──…………」

 イオタの笑顔がやさぐれる。

「担任教官呼んでこようかな」

「やめて?」

「冗談です」

「洒落にならないから」

「でも、これですっきりしました。さっすがぼくの師匠ですね! まだまだ敵わないや。次来るときには超可愛い彼女、紹介してやるからな!」

 イオタの様子に安心して、頬を緩めた。

「イオタなら、できるさ。今のお前、カッコいいもん」

「男に言われてもなあ……」

 ドズマが突っ込む。

「今の台詞はクソ男だからな?」

「何故!」

 からからと笑い合う。

 楽しかった。

 この三人と友達になれたことを、心の底から誇りに思う。

「ちなみにだけどな」

「なーに?」

「全優科にはいられないけど、ネウロパニエにはまだ滞在するつもりだぞ」

 シオニアの顔が喜色に染まる。

「え、え、そうなんだ! やったー!」

「図書館の資料、まだほとんど調べられてないしな……」

 全優科にいるあいだ、イオタに付きっきりだった。

 調べものは、ほとんど進んでいないのだ。

「オレたちもちょうど夏休みだし、実家帰る前にまた集まるか。なんなら、資料探すの手伝ってもいいぜ」

「おお、そいつは助かる」

「ぼく、ずっと寮にいて暇ですし。シオニアさんは帰るんですか?」

「カタナさんたちがいるなら、今年は帰らない!」

 思わずシオニアが心配になる。

「いいのか、それ……」

「家族には、冬休みも会えるもん」

「そうかもしれないけどさ」

 ふと、シオニアの視線が横に動く。

「……プルちゃん?」

「──…………」

 プルが、長い睫毛を伏せていた。

「プル、どうした?」

「!」

 俺の声に慌てて顔を上げ、わたわたと両腕を振る。

「な、なな、なんでもない、なんでもない。ふへ、へへへ……」

「プル……?」

 す、とヘレジナが近付いてくる。

「女たらしめ……」

「ぐ」

「メルダヌア、ネルに続いて、シオニアまで。行く先々で現地妻を作るつもりか、お前は」

「たまたまだろ!」

「たまたまで好かれるものか、馬鹿者め」

 ベディルスが、顎を撫でて言う。

「私も若い頃は、ベディちゃんベディちゃんと持て囃されたものだ。だが、あちらこちらに目移りしていると、女性は離れていく。見限られることのないようにな」

「心に留めておきます……」

「次会うときに一人増えてたりしたら、他人のふりしますからね」

「増えない増えない。お前、俺をなんだと思ってるんだ……」

「下半身も奇跡級、ハーレム男でしょう?」

「身に覚えがないんですけど」

「冗談ですよ、師匠」

 イオタが、楽しそうに笑う。

 その笑顔は年相応のもので、もう幼くは感じられなかった。

 きっと、何があっても、この笑顔が失われることはない。

 イオタは強いから。

 強くなったから。

 ふと、月を見上げる。

 夏の前節三十日の満ちた月が、俺たちを優しく見下ろしていた。

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