2/魔術大学校 -15 アンデムリカ大聖堂

 中央区から道をすこし外れると、縦長のビルが数を減じていく。

 空の広く見える落ち着いた街並みに、それでも無数の人々が行き交っていた。

 馬車や騎竜車の入れない区画であるため、人々はすこし窮屈そうに見えるが、それでも日本の繁華街と比べれば実に広々としたものだ。

 ある通りを左折したとき、

「──ヤダー!」

 甲高いシオニアの声が耳に届いた。

「ヤダヤダ、行くんだい!」

「馬ッ鹿お前、待ち合わせ! わかる? 言葉理解できる?」

「ドズマじゃあるまいし!」

「あァン!?」

 見れば、ドズマがシオニアの襟首を掴んでいた。

「ど、どうしたんですか!」

 言い争う二人を見たイオタが、慌てて駆け寄っていく。

「おお、イオタ! いいところに! このアホ止めてくれ!」

「えっ、えー……」

 戸惑うイオタの後ろから、俺たちは悠々と近付いていった。

「よう、ドズマ。シオニアも」

「こんにちは!」

「こ、こんにちはー……?」

「何を揉めておるのだ。周囲に迷惑であろう」

 ドズマが辟易した顔で答える。

「このアホが、どっかの歌劇俳優がそこの通りを歩いてただのなんだのって聞かなくてよ」

「握手してもらったらすぐ戻るってば!」

「その俳優の名前は?」

「覚えてない!」

「出てた歌劇の表題は?」

「見てない!」

「やめとけ、失礼だ」

「なんで!」

 ああ、シオニアは今日もシオニアだなあ。

 ヘレジナが呆れながら言う。

「その様子では、そもそも本物の歌劇俳優であるかすら疑わしいではないか」

「そのときはそのときさ!」

「一般人だったら、相手に迷惑だろうが……」

 すっかり常識人が板に付いたドズマが、そっと溜め息をついた。

「やめておきましょう。ほら、みんな揃いましたし……」

「あ、ほんとだ。イオタ君おーっす!」

「お、おーっす」

「カタナさんちーっす!」

「ちーっす」

「プルちゃん、ヘレジナちゃん、ヤーエルヘルちゃん、いえーい!」

「い、いえーい……。ふへ、へ」

「いえーい、でし!」

「挨拶くらいまともにせんか」

「今日はこのシオニア=パピルスが、ネウロパニエの名所を案内しちゃうぞ!」

「ああ、頼むわ」

 本当に楽しみにしていたのだ。

「謝礼は、カタナさんに一つお願いできる権ね!」

「またかよ」

 シオニアは、事あるごとにこの権利をねだり、そのたびくだらないことに使っている。

 先日など、高い場所の掲示物を剥がすから椅子を押さえててほしいという、わざわざ使わんでもそれくらい手伝う案件で消費していた。

 ちらりとプルを窺う。

「……?」

 俺の視線に気付き、プルが小首をかしげた。

 プル、なんかシオニアに対して思うところがありそうなんだよな。

 しかし、ヘレジナが深く尋ねても、困ったように笑うばかりで胸中を明かしてはくれないらしい。

 シオニア自身はこの通りの快活脳天気娘だし、俺に惚れているという誤解も既に解けている。

 また、何を抱え込んでいるのだろう。

「……まあ、そんくらいいいけどな。ただし、前から言ってる通り、ライン越えたら拒否権発動すっから」

「わーい! 現在、二権利保有!」

 喜ぶシオニアを横目に、ドズマが小声で俺に話し掛けてくる。

「……お前も大変だよな。シオニアに懐かれちまってよ」

「懐かれてんのか、これ……」

 こそこそとイオタも参加する。

「これで懐かれてなかったとしたら、懐いたときが怖すぎるでしょう……」

 当のシオニアは、ヤーエルヘルに抱っこされたシィに夢中だ。

「あいつ、面白そうなもんならなんでも食いつくからな。カタナのこと、たぶん、新しいおもちゃか何かだと思ってるぜ」

「ええ……」

「心当たり、ありませんか?」

「心当たりしかない」

「人気者はつらいねェ、おい」

「まあ、いいけどな。悪い気はしないし」

 シオニアの相手は疲れるが、決して嫌ではない。

 むしろ、楽しい子だと思っている。

「お願いできる権、急にドカンとヤバいのが来るかもしれませんよ」

「あり得るな。〈椅子を押さえててくれ〉と〈四つん這いで椅子になれ〉を同じレベルのお願い事として認識しててもおかしくない」

「いや、さすがにそれは──」

 ない、と言い切れるだろうか。

 不安になってきた。

「よく、女性は怖いと言いますが、シオニアさんはシオニアさんだから怖いとしか言いようがないですよね……」

「イオタ、お前も言うようになったな」

「ドズマさんほどでは」

 イオタとドズマが、不敵に笑い合う。

「友情を深めてるとこ悪いんだが、不安煽るだけ煽って放置はやめてくれ。フォロー入れろフォロー」

 マジで心配になってきたぞ。

「──おい、そこ。男ばかりで何をこそこそ話しておる。そろそろ行くぞ」

 ヘレジナの声に顔を上げれば、四人は既に歩き出していた。

「ああ、ごめんごめん」

「最初の観光名所はァ──……」

 先頭のシオニアが振り返り、右腕を天高く掲げる。

「アンデムリカ大聖堂! です!」

「なんだ、シオニアにしちゃ普通じゃねーか」

「なによう、その言い草!」

「まあ、まともなもんに文句はつけねえ。続けてよし」

「納得いかないぞ!」

「あ、アン、デムリカ……。も、もしかしたら、陪神デムリカの聖堂、……かも」

 プルの言葉にシオニアが答える。

「そうそう。ほら、デムリカは智慧を司るでしょ。学士なんかはデムリカを信仰してる人多いし、ここ学園都市だからね。そういうこと!」

「面白いでしねー」

「ああ、なるほどな。ラーイウラでサザスラーヤが信仰されてるようなもんか」

 イオタが目をまるくする。

「え、そうなんですか?」

「座学で習ったりしないのか?」

「ラーイウラって、隣国は隣国なんですが、本当に謎に満ちた国でして。正直、入るな危険ってくらいの認識しかなかったです」

「国交はあんだろーけど、一般人が行く場所じゃねえな」

 シオニアが小首をかしげる。

「じゃあ、カタナさんたちってラーイウラから来たの?」

 あっ。

「えっ! え、と、その……」

 プルがわたわたと説明をする。

「す、すす、すこし事情があって! と、通ったことがあった、……でっす」

「あー」

 イオタが頷いている。

 遺物三都から突っ切ったことを察したようだ。

「ね、ね、旅人狩りとか大丈夫だった?」

「まあ、うん。なんとかな」

 嘘です。

 抗魔の首輪をバッチリ嵌められました。

「まあ、それはよいではないか。そのアンデムリカ大聖堂とやらに案内してくれ」

「おっけー! では、シオニアお姉さんについてくるんだぞ!」

「はあい」

「ぴぃ!」

「楽しみでしねー、シィちゃん」

「あまり、お姉さんという風体ではないがな」

「おうおーう! 中等部の小娘ちゃんがよー!」

「はっはっは、言いおるわ」

 言いたい。

 その人、本当は二十八歳ですよって言いたい。

 ヘレジナとシオニアが火花を散らす横で、ドズマが右手を上げた。

「アンデムリカ大聖堂なら、こっちだ。行こうぜ」

「あー! アタシが案内するの!」

「すんなら、しろ」

「はーい。ではゴーゴー!」

 シオニアの先導で、ネウロパニエの街を行く。

 道端の露店から焼き貝の香りが漂っていた。

 歌いながら舞台のチラシを配っている男性に、シオニアが握手を求めていた。

 ネウロパニエの外周スラムから来たであろう物乞いの子供たちは、案外儲かっている様子で、割れた瓶の中の銀貨を数えては、にんまり笑っていたりした。

 中央区から郊外へ逸れることしばし、無数の建造物の向こうに先の尖った屋根が見えてくる。

「──お、あれか?」

「カタナさんめざとーい! そう、あれこそが、ネウロパニエが誇るアンデムリカ大聖堂! の、さきっちょ!」

「こ、ここから見えるなら、か、かなり大きそう、……かも」

 プルに、イオタが言葉を返す。

「大きいですよ。ネウロパニエでいちばん大きな建造物じゃないかな」

 ヤーエルヘルが、目をぱちくりさせる。

「あれだけビルがあるのに、でしか!」

「ビルはほら、高いだけだし」

「ビル建てた人に怒られろ」

 しばらく歩くと、アンデムリカ大聖堂の威容が白日の下に晒される。

「ほわー……!」

「お、大きい、……ね!」

「これは、なかなかのものだな……」

 三人娘が大聖堂を見上げる。

 高さ数十メートルに及ぶ巨大建築。

 直線と流線とが混じり合う独特な装飾の狭間を、見事な彫刻が彩っている。

 嵌め込まれたガラスはすべて、海のような澄んだ青色だった。

 プルが、感心したように口を開く。

「で、デムリカだから、青、……なんだ」

「入ったらねー、もっとびっくりするよ!」

 シオニアの言葉で、察する。

「ああ、そういうことか」

 ガラスが青いせいで、大聖堂の中は青く染まっているのだろう。

 ラーイウラで真っ赤な教会を見たから、わかる。

「ちょちょちょ、カタナさんなに察してるのさ! 察しちゃだめ!」

「ンなこと言われても……」

 わかってしまったものは仕方がない。

「な、なな、中はどうなってる、……かなー」

「楽しみでしねー」

「まったくであるな」

「でしょ!」

「気ィ遣われてるよ」

「ささ、ごあんなーい!」

 シオニアの後を追うようにアンデムリカ大聖堂へ入堂しようとしたとき、

「あっ」

 プルが、何もないところで足を引っ掛けた。

 即座に神眼を発動する。

 二メートルの距離を一瞬で詰め、俺はプルを抱き留めた。

 プルが転べばパンツが見える。

 プルのパンツを第三者に見られることに、自分でも驚くほど抵抗があった。

「大丈夫か?」

「あ、……う、ありがと。だ、だいじょうぶ、でっす」

「気ィつけろよー?」

 ぽん、ぽん。

 プルの頭を優しく撫で、身を離す。

「──カタナさーん! プルちゃーん! 置ーいてーくぞー!」

「ああ、今行く!」

「は、はー……、い」

 大聖堂の中は、やはり真っ青だった。

 青いガラスを刺し貫いた陽光が、白い壁を波のようなムラと共に染め上げている。

 その様子は、想像していたより遥かに荘厳で、美しかった。

「──これは、すごいな」

 思わず嘆息が漏れる。

「連れて来てくれてありがとうな、シオニア。こりゃ一見の価値あるわ」

「でっしょー! でしょでしょ! いろいろ迷ったけど、まずはここだって思ったんだ!」

「し、シオニアさん、声響いてますよ……!」

 イオタの言葉に周囲を見れば、他の観光客や礼拝者が、こちらに迷惑そうな視線を向けていた。

「!」

 シオニアは、自分の口で両手を押さえると、

「やっちゃったー……」

 と、小声で言った。

「シオニアお姉さん、一生の不覚です」

「お前の一生は何度あんだ、おい」

 ドズマのツッコミは的確だ。

「思ったよりは礼拝者少ないんだな。銀曜日だし、もっと混み合ってるもんだとばかり」

「銀曜日はあくまで個人の祈りの日ですから、礼拝者は逆に減るんです」

「そうなんか」

「それに、ウージスパインは北方大陸の西端である。大陸中央に位置する銀輪教の総本山、パレ・ハラドナから離れれば離れるほど、信仰は薄れていくと聞く。ほら、ドズマなど、見るからに礼拝に行かなそうではないか」

「見た目は関係ねーだろ、見た目は。まあ、礼拝しねえのはそうだけどな。銀曜の夜だって、寝る前にちょいと祈って終わりだ」

 プルが、遠慮がちに言う。

「……せ、せっかくだから、すこしお祈りしたい、……でっす。ぎ、銀曜日の祈りも、さぼってたし……」

 銀曜日の祈りは、個人の祈り。

 誰もいない場所で一人、月と語らうものだ。

 ネルの屋敷であればともかく、騎竜車の旅路では、一人の時間を確保するのも難しい。

「そうですね、せっかくだし。ぼくも、大聖堂へ来たのは数ヶ月ぶりですから」

「あちしたちは初めてでし! 霊験あらたかーな感じでしね」

「ぴぃ!」

「ええと……」

 事情を知らないドズマとシオニアを横目で気にしながら、尋ねる。

「……礼拝って、どうするんだ?」

 教会付きのネルの屋敷に一ヶ月も住んでおいてなんだが、俺は一度も礼拝を行ったことがない。

 その暇と余裕がなかったのだ。

「カタナ、お前マジか」

 さすがのドズマも呆れ顔だ。

「しゃーない、しゃーない。カタナさん、東のド田舎出身なんだもんね!」

「あ、うん」

 その設定、ちゃんと覚えててくれたのか。

 嘘をついていることに、軽く罪悪感を覚える。

「てことは、東端から西端まで、大陸横断してンだな。すげーわ。出身は、ルルドカイオスとか、トートアネマとか、あのあたりか」

「だいたいそんなもん」

 ルルドカイオス、トートアネマは、いずれも北方大陸東端に位置する国だ。

 地図を見たことがあるくらいで、どんな国かはさっぱりわからないのだが。

「本来は聖書を手に聖句を読み上げるのだが、今回は簡易礼拝で構うまい。まあ、まずは座れ」

 聖堂の長椅子に、七人で腰掛ける。

 右隣のシオニアが、両手の指で輪を作ってみせた。

「まず、こうするんだよ。この輪は銀の糸車を表すの」

「銀輪教の紋章って、たしか糸車だったよな」

「そうそう。そして、この輪を胸の中央、心臓の真上に重ねるんだ」

「ふんふん」

「あとは、目を閉じて、心の中で好きな聖句を唱えるだけ。簡単でしょ?」

「聖句って言うのは、聖書の一節とか?」

 左隣のプルが、頷く。

「う、……うん。せ、聖書も荷物に入ってる、けど、か、かたなは読めないからわからない、……よね。……で、でも、この言葉は知ってる、はず」

 プルが、目を閉じて諳んじる。

「〈運命の銀の輪は、あなたの隣人が回す〉」

「ああ、さすがに覚えてる。プルが何度も言ってたからな」

「こ、この言葉は、聖句。わたしがいちばん好きな一節、……なんだ」

 そうだったのか。

 道理で耳に馴染むわけだ。

「さあさ、祈ってみましょ! お祈りの時間だ!」

「わかった」

 胸の前で輪を作り、目を閉じる。

 運命の銀の輪は、あなたの隣人が回す。

 この聖句がなければ、俺は、あの流転の森で行き倒れていたかもしれない。

 そう考えると、なんだか敬虔な気持ちになれた。

 ラーイウラでは、この言葉のおかげでひどい目にも遭ったけれど、結局は素晴らしい出会いが俺たちを待っていた。

 良くも悪くも俺の銀の輪を回した隣人たちの顔が、次々と脳裏をよぎる。


 ルインライン。

 ナクル。

 メルダヌア。

 ウガルデ。

 ハイゼル。

 ヴィルデ。

 アイヴィル。

 ゼルセン。

 ダアド。

 レイバル。

 ラングマイア。

 エリエ。

 ヴェゼル。

 アーラーヤ。

 ジグ。

 そして、ネル。


 祈る。

 それは、あるいは初めての行為だったかもしれない。

 数分ほど没頭して、目を開く。

 周囲を見渡すと、既に祈り終わっていたヤーエルヘル、イオタ、ドズマと目が合った。

 パレ・ハラドナ出身のプルとヘレジナはともかく、シオニアの祈りが長いのは意外だった。

 やがて、全員の祈りが終わり、俺は小さく伸びをした。

「礼拝は、これで終わりか?」

「うん、終わり! 次へ行きましょゴーゴーゴー!」

「次もまともだといいんだがな」

「全部まともじゃい!」

 イオタが尋ねる。

「次はどこへ行くんですか?」

「次はねー……」

 心のドラムロールと共に、シオニアが宣言する。

「ノートカルド広場!」

「まともだったわ」

「前から思ってたんだけど、ドズマってアタシのことなんだと思ってるんだい?」

「言ったら怒るから言わねえ」

「怒っていい?」

「まあまあまあ」

 漫才を行う三人を見て皆でくすくす笑いつつ、俺たちは、次の目的地であるノートカルド広場へと向かうのだった。

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