2/魔術大学校 -16 智慧の丘
ノートカルド広場。
スヌズ=カランベ学士像。
北ネウロパニエ大農園。
ノトンボリーガラス植物園。
パニエスト橋下市場。
ア・ポロダクタの大時計。
そして──
「──はい、ここが智慧の丘! ネウロパニエが一望できるでしょ!」
時は既に夕刻を迎え、ネウロパニエのビル群の向こうに太陽が隠れつつある。
「わ、綺麗でしー……!」
「ああ、確かに。わざわざ登ってきた甲斐があるというものだ」
「はー……、ハァ……、で、ですね……」
イオタが膝に手をつき、息を整えながら頷く。
トレーニングを開始したからと言って、すぐさま体力がつくわけもない。
「しッかし、こう巡ってみると、案外名所あんなネウロパニエ」
ドズマの言葉に同意する。
「地元の観光名所なんざ、地元民はそうそう行かないもんな」
ベンチに腰掛けたヤーエルヘルが、弾む笑顔で口を開いた。
「シオニアさんに感謝、でしね!」
ハノンでも、遺物三都でも、ラーイウラでも、観光なんて余裕はなかった。
まともな観光地をのんびり巡るのは、
「でっしょー! でしょでしょ! アタシ、この街好きだから。みんなにも好きになってほしかったんだ!」
「ああ、なかなか良い街ではないか。平和で見応えがあるし、住みやすい。スラムなど治安の悪いところもあるが、皆たくましく生きていたしな」
シオニアが、笑顔で言う。
「みんなも卒業まで住むんだから、案内しておかないとね!」
「──…………」
思わず、プルたちと顔を見合わせる。
どうすべきか。
それは、もう、わかっていた。
「……シオニア」
「なにー?」
「俺が、全優科の査察に来たって話、誰にもしなかったよな」
少なくとも、噂になってはいなかった。
「だってカタナさん、秘密にしてって言ってたし」
「──…………」
心が痛む。
あの場面で正直に話す選択肢はなかったにしろ、シオニアを信用していなかったのは確かだ。
だから、俺は、正直に事情を話すことにした。
「……悪い。あれ、嘘だ」
「えー!」
シオニアが目をまるくする。
「カタナさん、ひどい! 嘘つき! 女たらし!」
「女たらしはどこから出てきたんだよ……」
「嘘をつくような男は五股するって銀組の教官が言ってた」
「その件は忘れような」
俺も思い出したくなかった。
「──ともあれ、今度こそ本当のことを言う」
「もう嘘つかない?」
「つかない」
「お願い権発動!」
「……ここで?」
「うん。ほんとのほんとーに、正直に言ってね」
その瞳の真剣さに、心打たれる。
「わかった」
深く、深く頷き、覚悟と共に口を開いた。
「俺たちは、イオタの護衛だ。イオタの父親であるツィゴニアさんが、暗殺者に狙われている。同じくイオタも標的になっていて、誘拐されかかっているところを助けた縁で校内での護衛を任されることになったんだ。護衛の期限は、ツィゴニアさんがカラスカへ戻る今月末まで。夏休みに入れば、俺たちは、全優科を離れることになる」
「え──」
シオニアが絶句する。
「……なるほどな、そういうわけか。道理で学生離れして強いわけだぜ。読み書きできねーのに銀組に入ってきたのも納得行くわな」
「黙ってて、悪い」
イオタがすかさずフォローを入れる。
「校内にも暗殺者が入り込んでいて、言うわけにも行かなかったんです。変に不安を煽ってしまうし、気付いていると知られれば標的にされかねないから。もっとも、暗殺者たちはもう引き上げたみたいですけど……」
「そらしゃーねーわ」
ドズマが、納得したように頷いた。
「お、お願い権発動! カタナさんたち、卒業まで全優科にいて! せっかく友達になったのに、三週間でお別れなんて、ヤダ!」
「──…………」
ラーイウラで別れたネルの姿が、シオニアに重なって見えた。
「それは、な。無理なんだ」
「なんでさ!」
ヘレジナが言葉を引き継ぐ。
「理由はいろいろとあるが、そもそも不可能なのだ」
「不可能って……?」
「まず、金がない。全優科の学費は聞いた。我々の手持ちでは、四人では一年も通えん。今は、伝手で一時的に通わせてもらっているだけだ」
「そんなあ……」
「それに、私は十四歳ではない」
ドズマが腕を組む。
「まあ、そんな気はしてたよ。プルかヤーエルヘルに合わせてンだろ、たぶん」
「そういうことだ」
イオタがヘレジナに尋ねた。
「ヘレジナさんって、何歳なんですか? ぼくも知らないや」
「ふふん、聞いて驚くな」
ヘレジナが薄い胸を張る。
「二十八歳だ!」
「──…………」
「──……」
「──…………」
しばしの沈黙ののち、
──驚愕の声が、智慧の丘に響き渡った。
他の観光客たちが、一斉にこちらを振り向く。
すみません。
「聞いて驚くなと言ったろう!」
「いや、驚くだろ……」
気持ちはわかる。
「プルは十五歳だし、ヤーエルヘルは十二歳。俺は二十九で、もうすぐ三十歳になる」
「さ!」
「こっちもマジかよ……」
「な、通えないだろ?」
「──…………」
シオニアが、そっと目を伏せる。
理解、してしまったのだろう。
俺たちとの別れが近いことを。
「……?」
ヤーエルヘルが、何故か、不思議そうに小首をかしげた。
「ど、……どうしたの? ヤーエルヘル……」
プルがヤーエルヘルの肩に両手を置く。
「あ、いえ。なんでもないでし」
「ヤーエルヘルさん、大丈夫ですか? 具合が悪ければすぐに言ってくださいね」
「はい、大丈夫でしよ」
二人のやり取りを横目に、話を締める。
「──と、そんなわけだ。一時的な編入だから無茶が通ってるだけで、本格的に通うのは難しい」
「うー……」
シオニアの様子に、心がちくちくと痛む。
「ごめんな、シオニア。ドズマも」
「いや、俺はいいけどよ」
ドズマが、シオニアを、心配そうに見つめる。
「……カタナさんの誕生日って、いつ」
「今月末かな」
「ホントにもうすぐじゃん!」
シオニアが、ベンチから立ち上がった。
「じゃあ、じゃあ、こうしよ! 参観会のあと、お別れ会兼カタナさんの誕生会をするの!」
プルが、微笑んで同意する。
「そ、それ! と、とってもいいと、……思いまっす!」
「おお、よいアイディアではないか」
「でしね。お別れ、ちゃんとしたいでしから……」
「──…………」
ヤーエルヘルの言葉に、イオタが俯く。
別れは近い。
「……ぼくも、聞きたいことがあります」
「どうした、イオタ」
イオタが、意を決したように顔を上げた。
「ラーイウラで、何があったのか。今なら、はぐらかさず、正直に答えてくれるんですよね」
「──…………」
夕日を目に焼き付ける。
シオニアは、隠し事をするなとは言わなかった。
口にしなくとも、約束を違えたことにはならないはずだ。
だが──
「すこし、血生臭い話になるぞ」
俺は、話すことにした。
この三人であれば、きっと、軽蔑せずに聞いてくれると思ったから。
「はい」
イオタが頷く。
ドズマとシオニアも、真剣な表情で俺の言葉に耳を傾けている。
「遺物三都を離れたあと、俺たちは──」
──話す。
旅人狩りのことを。
抗魔の首輪のことを。
俺が、十七人を鏖殺したことを。
ネルとジグのことを。
御前試合のことを。
そして、ラライエのことを。
話し終えたとき、周囲はすっかり闇に包まれていた。
「──まあ、こんな感じだ」
「──…………」
途中から呆然としていたドズマが、小さく口を開く。
「……お前、こんな体験してきたのかよ。大ボラ吹いてるわけじゃねーよな」
「嘘じゃないよ」
シオニアが断言した。
「カタナさん、嘘つかないって約束したもん」
「……そう簡単に言えないわけですよね。こんな話、カタナさんたちが言うのでなければ、とても信じられないもの」
「信じてくれて、ありがとうな」
俺は、人差し指を唇の前に立てた。
「秘密だぞ」
シオニアも、それにならう。
「うん、秘密ね!」
「そんなわけで、近々ラーイウラは国交を開くと思う。豆醤って調味料が美味いから、楽しみにしとけよ。俺の故郷の味に似てるんだ」
「はーい!」
シオニアが右手を上げるのを合図にして、イオタが立ち上がる。
「──では、そろそろ行きましょうか。すっかり遅くなっちゃった」
「ぴぃ」
長話のあいだ眠そうにしていたシィが、イオタに答えるように鳴いた。
「そうでしね。門限もありましし……」
「まあ、門限越えても怒られるだけで、入れはするんだけどな。締め出して困るの学校側だし」
「確かに」
俺たちは、雑談を交わしながら、智慧の丘を下っていく。
とても楽しい一日だった。
別れの日が近付くのを憂うと同時に、俺の誕生会に期待を馳せる。
友人に誕生日を祝ってもらうなんて、本当に久し振りだ。
さあ、寮に帰ってイオタを鍛えなければ。
残る日々は僅かだ。
あと十日間で、出来る限りのことを伝えておきたいと思った。
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