2/魔術大学校 -13 自分を卑下するということ

「──ふゥ……」

 息を吐く。

「パドロの言葉が事実なら、ひとまず危機は去ったってことになるな」

「わからんぞ。あれは食えない男だ。油断を誘おうとしているわけでは、恐らくないだろうが」

 パドロは俺たちの実力を評価している。

 油断を誘った程度でどうにかなる相手だとは、最初から思っていないだろう。

「ひ、……ひとまず、戻ろ。た、退学者が、出たかもしれない、……し」

「ああ、わかった。俺は冬華寮のほうで聞き込みしておく。何人か退学してりゃ、ある程度は信じていいだろ」

「でしね」

「──…………」

 イオタが、ぽつりと呟いた。

「……カタナさんは、本当にすごいですね。暗殺者が束になっても勝てないだなんて……」

「言ってやれ、言ってやれ。もっと褒めてやれ。変に自己評価が低いのだ、この男は」

 ヘレジナの言葉に苦笑する。

「……そういうわけじゃねえよ」

「──…………」

 顔を伏せたまま、イオタが問う。

「すごくないんですか? カタナさんは、自分のこと、すごくないって思うんですか?」

「実際、身に余る評価だと思ってる。本当の俺は、そこまで大した人間じゃないよ」

 自戒と自嘲を込めて、言う。

「……借り物の才能で、一足飛びに強くなった。なれちまった。俺は、ただそれだけの男なんだ」

 ヘレジナが呆れ顔をする。

「お前、またそんなこと──」

 イオタが顔を上げる。

 その表情は、くしゃくしゃに歪んでいた。

「ふざけないでください。あなたがすごくないのであれば、ぼくはなんなんですか。ゴミですか。塵ですか。竜の糞ですか。あなたが自分を卑下すればするだけ、ぼくはどんどん惨めになっていく。それを、わかって言ってるんですか」

「──…………」

 思わず、呆然とする。

「……すみません」

 最後にそう言って、イオタが駆け出した。

 寮とは反対の方向へ。

 危ない。

 まだ、デイコスが引き上げたわけではないのだ。

 だが──

 イオタを傷つけた俺に、追い掛ける権利はあるのだろうか。

 追いついて、何を話せばいい。

 言い訳をすればいいのか。

 どうすればいいのかわからなくなったとき、プルが俺の手を取った。

「……お、追い掛けてあげ、……て。きっと、か、かたなにしか言えないこと、あるから……」

「……プル」

「い、イオタくんの師匠なら、伝えてあげて」

 ああ、そうだな。

 わかってる。

 わかってても、背中を押してほしいときがある。

 俺は、いつだって、プルに励まされている。

「行ってこい」

「慰めてあげてくだし……」

「──ああ!」

 俺は、三人の言葉を背に受けて、駆け出した。

 夜が近い。

 イオタを見失わないように、必死に足を動かす。

 体操術を使うイオタの足は思いのほか速く、追いついたのは、あの第四グラウンドでのことだった。

「──はあッ、は……、はァ……」

 膝に手をつくイオタの背後から、声を掛ける。

「はあ、はァ、ふー……。やあッと、追いついた」

 イオタが、背を向けたまま、口を開いた。

「……ごめん、なさい。守ってもらって、教えてもらって、励ましてもらって。それなのに。それが、なんだか惨めで……」

「──…………」

「あの研究棟で、ぼくは、ヤーエルヘルさんに何も言えなかった。でも、カタナさんは、たったの数言で彼女を笑顔にしてあげた。……それが、悔しかった」

 あのとき、そんなことを考えていたのか。

「でも、カタナさんはぼくの師匠で、とてもすごい人だから。それはそれで、よかった。よかったんです。でも──」

「……俺が、自分を卑下したからか」

「──…………」

「だから、爆発しちまったんだな」

 自分の言うべきことが、伝えるべきことが、理解できた。

 足元の小石を幾つか拾い上げる。

「見ててくれ」

 イオタがこちらを振り返るのを待って、小石を適当に投げ上げる。

 そして、神眼を発動した。

 適当に投げた小石の軌道を完璧に読み、そのすべてを右の掌中に収める。

「……すごい」

「どうしてこんなことができると思う?」

「わかりません、けど……」

「ハィネスの神眼。そう呼ばれるものが、俺の目に宿っている」

「ハィネスの、神眼?」

「意識すれば、すべてのものがゆっくりに見える。一秒が十秒にも感じられる。だから、できるんだ」

「それ、とんでもないですよ……」

「ああ、とんでもない。天賦の才なら、まだよかったさ。俺は──」

 唇を湿らせ、言葉を継ぐ。

「俺は、別の世界から来た。恐らくは、カガヨウと同じ世界から」

「タナエルの者、ですか?」

「ああ」

「なんとなく、そうじゃないかと思ってました。でも、あのときはシオニアさんがいたから」

「……異世界から来た、なんて、さらに追加で乗せられないだろ?」

「あはは……」

 苦笑するイオタに、続ける。

「元の世界では、俺は、ただの会社員だった。……まあ、ただのって一言でくくれないくらいには忙しい会社ではあったけどな。自慢できるのなんて、朝から晩まで歩き続けで鍛え抜かれたこの両足くらいだ。剣術どころか、ステゴロのケンカすらしたこともなかった。でも、あるとき──」

 目を閉じ、記憶を掘り起こす。

 最初の記憶を。

「……溺れてた女の子を、助けたんだ。助けて、たぶん、死んだ」

「死んだ……?」

「不思議だよな。気付けばこの世界に来てたんだ。一瞬、死後の世界かと思ったけど、違うことはすぐにわかった。そして、この世界に転移した俺には、[羅針盤]って能力が宿ってた。ふとしたときに選択肢が見えるんだ。枠の色で、その選択肢を選んだ先の未来がなんとなくわかる。そんな能力」

「すごいじゃないですか」

「すごいさ。マジですごいと思う。この能力で、ハノンソル・カジノで大勝ちした。とんでもない強敵にも勝てた。プルを助けることだって、できた。でもさ。それって、俺がすごいんじゃないだろ。能力がすごいだけだ」

「──…………」

「それから、この[羅針盤]は一時的に失われた。そのとき代わりに手に入れたのが、ハィネスの神眼だ。選択肢が出るとき、それを吟味するためなのか、時の流れが緩やかに感じられていた。その部分だけが半端に残ったんじゃないかって勝手に思ってる。だからさ」

 そっと、自分の目を指差す。

「この神眼だって、俺のものじゃない。誰かから与えられた、借り物なんだよ」

「でも、それは──」

 イオタの言葉を遮る。

「それから、さ。いろいろあったよ。そんで、ラーイウラで師匠せんせいと出会った。ヘレジナと一緒に修行もした。この努力は、俺のものだ。この努力は誇れるものだ。俺はそう思ってた。でも、常にうっすらとした罪悪感があったんだ。俺の努力は、俺の強さは、借り物の上に成り立ってる。それを失えば容易に引っ繰り返る程度のもんだってな。だから、強いって褒められたり、すごいって囃し立てられても、どこかピンと来なかった。師匠せんせいにもくだらんって言われたんだけど、どうしても頭から抜けなくてな……」

「──…………」

「……自分を非才と呼んで、何十年も修練を重ねた人がいた。手に持つ二刀と、操術で操る二刀。四刀流の使い手で、同時に奇跡級の治癒術士だ。傷つけても傷つけてもいくらでも立ち上がる、不死身のような人がいた」

 アーラーヤ=ハルクマータ。

 彼の顔と、その強さを思い出す。

「俺は、その人に勝ったよ。でも、言われたんだ。お前は天才だ。だが、お前が努力だと思ってるものは、甘えくさったお遊びだって」

「……ああ」

「効いたよ。後からボディブローみたいに響いた。アーラーヤには、そんな意図はなかったんだろう。でも、俺はその言葉に呪われちまった。なにせ、反論の一つも思いつかないくらいにその通りだったから。しかも俺は、天才ですらないんだ。ハリボテなんだよ。神眼で飛び級しただけの、ただの一般人。──それが、鵜堂 形無の正体だ」

「──…………」

 グラウンドに、しばし無音が響く。

 そして、

「はあー……」

 イオタが、大きく溜め息をついた。

「……わかりました。カタナさんが自分に自信を持てない理由は、わかりましたよ。でも、言わせてください」

 俺の胸ぐらを掴んで、断言する。

「──あんたは、馬鹿だ」

「イオタ……」

「ドズマさんに言ってたじゃないですか。どんな手段を使ってもいい。その場にあるものすべてを使って、相手を退けるんだって。あなたはそれを忠実に実行してきただけだ。[羅針盤]があったから、[羅針盤]を利用した。神眼があったから、神眼を利用した。だったら聞かせてください。[羅針盤]も神眼も失われたとき、何も力を持たないからと、あなたはヤーエルヘルさんたちを見捨てるんですか?」

「──…………」

 そんなの、考えるまでもない。

「……助ける。絶対に」

「ぼくにはわかる。あなたは、それを成し遂げる。それは、[羅針盤]がすごいのでも、神眼がすごいのでもない。あなたが、すごいからだ」

 イオタの言葉が、胸に迫る。

「ぼくが憧れたのは、能力じゃない。あなた自身なんです。だから──」

 イオタが、そっと微笑んだ。

「自分を、認めてあげてください。あなたは僕の師匠なんですから」

「──…………」

 手の甲で、目元を拭う。

 浮かびかけていた涙を、拭う。

 ああ、そうか。

 俺は。

 自分を認めて、よかったんだ。

「……はは。弟子を取った翌日に、もう弟子から教わるなんてな」

「ほんと、情けない師匠ですよ。次に同じことを言ったら、ここで泣いてたことプルさんたちに教えますからね」

「そ、それは勘弁してくれ。あの子の前ではカッコいい俺でいたいんだから……」

「なに、言わなければいいだけですよ」

「……大丈夫」

 右手を、固く握り締める。

「もう、言わねえよ。[羅針盤]じゃない。神眼じゃない。俺自身をすごいって言ってくれる弟子がいるから」

「はい。忘れそうになったら、言ってください。いつだって思い出させてあげます」

「はは、そいつはありがたいな。でも──」

「……でも?」

「さっき体操術使ったから、今日は技術トレーニングの前に百回ずつ筋トレだな」

「げ!」

「約束は約束だ」

「……はい」

「さ、戻るべ。三人とも、きっと心配してる」

「はい!」

 俺は、俺を認めていい。

 鵜堂 形無を認めてもいいんだ。

 借り物の能力であろうと、俺が成したことは変わらないから。

 これからは、もうすこしだけ、胸を張って歩くことができると思う。

 この恩は、イオタを強くすることで返そう。

 師匠として弟子にできる最高のことは、きっと、それだから。


 なあ、ジグ。

 ジグもきっと、こんな気持ちだったんだろう?

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