2/魔術大学校 -12 純粋魔術

 夕刻、すべての授業を終えた俺たちは、魔術研究科の研究棟へと向かっていた。

「──ふと思った」

「?」

 プルがこちらを振り返る。

「魔術の研究って、そもそもしていいもんなのか?」

「し、……したら、だめなの?」

「ああ、ほら。どっかで聞いたんだよ。神代から学び、純粋魔術を禁忌とした──とかなんとか」

「ふむ、なるほどな」

 ヘレジナが頷く。

「神人大戦の折にエル=サンストプラを作り上げた純粋魔術。人々はそれを禁忌とし、その成果を排斥した。そのことを言っておるのだな」

「そうだ、それそれ。純粋魔術が駄目なら、そもそも魔術の研究自体が禁忌なんじゃないのか?」

「いえ、それは違いまし。純粋魔術と魔術研究は、根本的に異なるものでし」

 俺の質問に、ヤーエルヘルが流暢に答える。

「たとえば、サンストプラで盛んに研究されているテーマの一つに冷却魔術がありまし。温度を上げる火法、炎術はあるのに、温度を下げる冷却魔術はない。これは魔術研究における大きな障害の一つでし。でしが、この研究には目的がありまし。冷却魔術を作り出すことで、食料の長期保存が可能になる。大陸の端から端まで新鮮な果物を届けることもできる。酷暑だって、涼しく過ごすことができる。これは悪いことではありませんよね?」

「ああ、そう思う」

 文明とは発展するものだ。

 より便利に、より快適に。

 人が人として生きる限り、歩みを止めることはできない。

「でしが、純粋魔術は違いまし。純粋魔術とは、魔術ありきの考え方でし。まず研究して、できそうだから、やる。手段が目的になってしまっているのでし。そして、純粋魔術を志す人間には、自らが作り出した術式を証明する義務がありまし。最後に到達したのが、人工的に神を作り出す方法であったから、まだよかった。もしこれが、世界を滅ぼす術式であったなら──」

 ヤーエルヘルが、目を伏せる。

「彼らは、それを、躊躇いなく実行したでしょう」

「──…………」

 なるほど。

 目的があれば、文明は、その方向へと舵を取る。

 だが、盲目的に自分のできることを増やし続ければ、人間は容易に自滅する。

 核ミサイルは兵器として作り上げられたものだ。

 脅威ではあるが、管理されている。

 しかし、純粋魔術を志すどこかの誰かが、たまたま核ミサイル相当の威力の術式を作り上げたとしたら、〈可能だから〉という理由だけでそれを使用してしまうのだ。

 サンストプラの人々が純粋魔術を禁忌とするのは、当然のことだった。

「サンキュー、概ね理解」

「どういたしまして!」

 イオタが目を見張る。

「ヤーエルヘルさん、本当に博識なんですね。ぼくには、そこまで噛み砕いてまとめられないと思う……」

「えへへ」

「や、……ヤーエルヘル、は、ワンダラスト・テイルの頭脳担当、……だから」

 プルの言葉に、イオタが数度まばたきをした。

放浪の物語ワンダラスト・テイル、ですか?」

「ああ。遺物三都でのパーティ名だな。私たちがヤーエルヘルと出会ったのは、遺物三都なのだ」

「遺物三都って、冒険者の街──でしたっけ。たしか、地下迷宮に、無数の財宝と魔獣が眠っているという」

「財宝、見つけたんでしよ」

「──……えっ」

 イオタの目が点になる。

「ああ。エルロンド金貨を千枚ほどな」

「……は? え? ……えっ?」

「ま、まあ、ほとんど使っちゃった、……けど」

「え、エルロンド金貨千枚を、……ですか?」

「いろいろあってな」

「いろいろあり過ぎですよ!」

 俺もそう思う。

「人生が濃すぎる、この人たち……」

 俺もそう思う。

「い、いい、イオタ、……くん。研究棟って、あれ……?」

 プルが指差した先には、木々に隠れるように建てられた無骨な建造物があった。

「あ、はい。そうです。ぼくも子供の頃に何度か入ったきりなんですが……」

「ほう、入ったことはあるのか」

「全優科に入る前なので記憶が曖昧なんですけど、身体検査を受けた記憶があって」

「そういうこともしてるんだな」

「そんなわけで、中までは案内できませんけど……」

「いや、構わん。ここまで連れて来てもらっただけで十分だ。当てもなくふらふらとしていたら、日が暮れるところであった」

「ありがとうございまし!」

「い、いえ、ぼくにできることなら」

 イオタがはにかんだように笑う。

 この一日で、随分と笑顔を見るようになった。

 我が事のように、嬉しい。

 ヘレジナが、研究棟の扉に埋め込まれた半輝石セルに触れ、魔力マナを込める。

 すると、開けゴマオープンセサミとばかりに扉が左右にスライドした。

 広々としたホールに行き交う職員たちが、一瞬、こちらを見て固まった。

「?」

 ヤーエルヘルが小首をかしげる。

「どうしたのでしょう……」

 互いに顔を見合わせていると、白衣を着た研究員らしき一人の男性が、恐る恐るといった様子でこちらへと近付いてきた。

「えー……、と。君たちは全優科の生徒かな」

「はい」

「何か用があって、ここへ?」

「ええ。すこし調べたいことがありまして」

 見る間に人がいなくなる。

 まるで、波が引くように。

「魔術研究科は関係者以外立入禁止だ。今すぐ帰ったほうがいい」

 聞いていた雰囲気と、まったく違う。

 ここまで露骨に拒絶の意志を示されるとは思ってもみなかった。

 妙だ。

「あの──」

 ヤーエルヘルが前に出る。

「ナナイロ=ゼンネンブルク。この名前を聞いたことはありませんか?」

「ナナイロ……」

 研究員が、片眉を上げる。

「ナナイロ=ゼンネンブルクって、あの?」

「ごぞんじでしか!」

 ヤーエルヘルの表情が、ぱっと華やぐ。

「ああ、知っている。今から三十年ほど前、純粋魔術の研究を行って永久追放となった教授の名だろう」

「──……え」

 一瞬、たしかに華やいだその表情が、みるみるうちに萎れていった。

「純粋、……魔術……?」

「用がそれだけなら、帰ってくれ。ここは君たちの来る場所じゃあない」

 研究員は、それだけ言い残すと、二の句も継がせぬとばかりにきびすを返した。

 そして、ホールには、俺たちだけが残される。

「ナナ、さん……。そんな」

「や、ヤーエル、ヘル……」

 プルが、ヤーエルヘルを背後から抱き締める。

「……だ、大丈夫。大丈夫、……だから」

 サンストプラの人々にとって純粋魔術がどれほどの禁忌であるか、俺にはわからない。

 だが、この反応を見るに、相当根の深い問題であると感じられた。

「そうか」

 ヘレジナが、ヤーエルヘルの前に立つ。

「ヤーエルヘル。お前の師は、禁忌を犯した。そうだな」

「……は、い」

「ならば──」

 慣れないウインクと共に、ヘレジナが言った。

「見つけて、とっちめてやらねばな。尻叩き百回だぞ。よいな!」

「ありがとう、ございまし。ヘレジナさん……」

 そして、

 ヤーエルヘルが俺を見上げた。

 不安そうに。

 救いを求めるように。

 赦しを乞うように。

「──……あ」

 イオタが、何かを言い掛けて、言葉を止める。

 それを横目に、俺は口を開いた。

「純粋魔術がどれほどの禁忌なのか、正直言って俺にはわからん。でも、ヤーエルヘルの口から語られるお師匠さんは、優しくて、頼りになって、物知りで、世話焼きの人だ。たとえ禁忌を犯していたとしても、それだけは事実として変えられない」

「──…………」

「ヤーエルヘルは、お師匠さんのこと、好きか?」

「……はい」

「なら、俺にとってはそれが事実だよ。ヤーエルヘルには見る目があるからな。そうでなきゃ、俺たちと旅なんてしてないだろ?」

「……ふふっ」

 くすりと笑い声を上げるヤーエルヘルの頭を、帽子の上からぽんと撫でる。

「追放、か。てことは、ここには二度と戻らないだろうな。手掛かりなくなっちまった」

「……さ、三十年も前のこと、だし、け、研究成果も……」

 プルの言葉に追従する。

「たとえ研究成果が残ってたところで、見せる気ゼロだぜ。このざまだ」

 誰もいないホールを見渡す。

 勝手に調べて回りたい衝動に駆られるが、それはそれで警備員を呼ばれかねない。

「仕方があるまい。一度帰るとするか」

「そうしよう」

 ヘレジナの言葉に頷き、きびすを返す。

「……?」

 研究棟を出ようとしたとき、ふと違和感を覚えて振り返った。

 イオタが立ち尽くしていた。

「どうした、イオタ」

 はっとした表情を浮かべ、イオタがこちらへ駆け寄る。

「あ、いえ。あはは……。筋肉痛が」

 どうしたのだろう。

「イオタ、お前──」

 そう、言い掛けたときだった。

「──カタナ=ウドウ」

 ホールの奥から、聞き覚えのある声が響いた。

「パドロ──」

「デイコス!」

 イオタを背にかばい、ヘレジナと共に臨戦態勢に入る。

 武器はないが、無力なわけでもない。

「本当に、本当に、本当に、忌々しい。こちらの考える最悪を悠々と越えて行きましたね。あなた方がネウロパニエに来るまでは想定の範囲内でした。それが、イオタ=シャンの護衛をしているだなんて。これだから関わり合いになりたくなかったんだ」

 姿を現したパドロが、大きく溜め息をつく。

「そいつは悪かった」

「本当、反省してください。大きな力を持つということは、大きな影響力を持つことと同義だ。あなたが動くだけで、さまざまな事柄が狂っていく。良きにつけ悪しきにつけ、何かが大きく変わるのです」

「暗殺なんぞを止めて、何が悪い! 元より気に食わなかったのだ。不躾に現れて、ネウロパニエに来るな、などと。お前たちの都合など知るものか!」

 ヘレジナの怒号に、パドロが肩をすくめる。

「ええ、ええ、そうでしょうとも。これでイオタ=シャンの暗殺は事実上不可能となった。カタナ=ウドウ。あなたがその少年を守る限り、我々の持つすべての手札を注ぎ込んだとしても目的は果たせない。依頼失敗、です」

「そうか」

 パドロが、お手上げとばかりに両手を上げる。

「冬華寮と赤葉寮に潜ませていたデイコスは、引き上げさせましょう。あとは御自由に学園生活とやらをお楽しみください」

 そう言って、パドロが俺たちに背を向ける。

「待て」

「何か?」

「どうして研究棟にいる?」

「潜入していたからですよ、僕も。それもここまでですがね。さっさと荷物をまとめて帰ることにします」

「──…………」

 違和感がある。

 だが、それが何かわからない。

「何か隠してるだろ」

「何を?」

 パドロが苦笑する。

「まあ、よくあることです。暗殺者などをやっていれば、常に含意を疑われる。心の底で何を考えているか、わからないと。言ってしまえば、今回は苛立ちですよ。仕事を遂行できなかった苛立ち。あなたたちへの苛立ち。そして、復讐すら成せない矮小な自分への苛立ち。僕たちの影を気にしながら、せいぜい無意味な護衛とやらを続けてください。では失礼」

 そう吐き捨て、パドロは今度こそ研究棟の奥へと姿を消した。

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