2/魔術大学校 -10 友達
「──よう、カタナ。イオタ」
ドズマが、ぽんとイオタの肩を叩く。
「ぎッ……!」
イオタの肩が、びくんと跳ねた。
「ど、どうした? オレ、べつに力込めてないよな」
「き、筋肉痛で……」
「あー」
ドズマが、納得したように頷く。
「カタナの弟子になる、とか息巻いてたもんな」
「うーす、ドズマ。今日は触らないでやってくれ」
「お前、どんだけやらせたんだよ……」
指折り数える。
「えーと、腕立てが二百回三セットと──」
「あ、もういい。もう聞きたくない。聞くだけで疲れる」
軽く後退りをしたドズマに、イオタが追い打ちをかける。
「それも、体操術なしでですよ……」
「うへえ」
ドズマが両手を上げ、降参してみせた。
「お前の師匠、案外スパルタなのな」
「仕方ないだろ。肉体を鍛えるのに、体操術はむしろ邪魔になるんだよ」
全身運動を行いたいのに電動自転車に乗るようなものだ。
電動自転車は便利な移動手段だが、体を鍛えるために楽をしては意味がない。
「そんなわけで、体操術の使用自体を禁じられてまして」
「使ったら罰として各トレーニングの回数が百回ずつ増えるぞ」
「……こっそり使ってもバレないんじゃね?」
「わかるぞ。イオタのレベルだと体操術の制御に意識が逸れるし、どう繕おうと動きに不自然さが出る」
「この通りなんです」
「こっわ、何その眼力……」
「俺の
「お前らにゃ世界がどう見えてんだよ」
ドズマが呆れ顔をした。
「はー……」
イオタが、大儀そうに自分の席に腰を下ろす。
その瞬間、俺は見た。
座面に置かれた画鋲の姿を。
「イオタ──」
「はい?」
押し退けようとするが、間に合わない。
「いたッ」
針の痛みにイオタが立ち上がり、
「──ンぎッ!」
直後、筋肉痛にのたうち回っていた。
「──…………」
エイザンを睨みつける。
「やあ、すまないな。僕の画鋲、そんなところに落ちていたんだね。でも、気付かなかったほうも悪いとは思わないかな」
にやにやと薄い笑みを貼り付けたエイザンが、こちらへ近付いてきた。
「まあ、治癒術くらいはかけてあげるよ。これでも得意──」
「あ、治癒術はいいです……」
イオタが、エイザンを制する。
「……どうして?」
「治癒術を使うと、筋肉の成長を阻害するらしくて。筋肉痛がひどすぎて大して気にもなりませんし、放っておいたら治るでしょう。これから気を付けてくれたらいいです」
「──…………」
ドズマが、無表情に言い放つ。
「滑稽だな、エイザン。お前の嫌がらせ、どうでもいいってよ」
「チッ……」
エイザンが、舌打ちと共に、自分の席へと戻っていく。
その様子を見たクラスメイトたちが、声をひそめて何かを話し始める。
銀組のパワーバランスが崩れ始めていた。
「……悪い、イオタ。気付くのが遅れた」
「いえ、ほんともう、それどころではないので……」
イオタの表情は必死だ。
自分がエイザンをやり込めたことなど、自覚していないのかもしれない。
「しッかし、いったん離れて見てみると、醜悪だな。オレもあんなことやってたのか」
ドズマが、小さく頭を下げる。
「イオタ、悪かった。今まで」
「あ、いえ。べつにいいですよ。ぼくが弱かったのも悪いんですから」
イオタがやさぐれた笑みを浮かべる。
「……と言うか、今までのいじめがどうでもよくなるくらいのトレーニングを、昨日課されたばかりなので……」
「──…………」
ドズマが、半眼で俺を見る。
「いや、隣で俺も同じトレーニングしてっからな」
「それもまた信じられないんですよ。あの地獄のメニュー、隣でひょいひょいこなしてるんですよ。本当に同じ人間か疑いましたもん……」
「そんなこと思ってたのか……」
「聞いたら、毎日やってるらしくて。そりゃ強いですよ」
だって、騎竜車の中って暇なんだもん。
下手すればその倍はやっている。
「カタナ、ちょっと上着脱いでみ」
「……? まあ、いいけど」
制服の上着を脱ぎ、肌着姿になる。
「ちょっと失礼」
ドズマが、俺の肌着の裾を持ち上げた。
「──腹筋バッキバキじゃねえか! 見た目細いくせに、お前!」
「毎日筋トレしてりゃ、このくらいにはなるって」
「え、なになに? カタナさんの腹筋がどうしたの?」
甲高い声に視線を向けると、シオニアが銀組の扉から顔を覗かせていた。
「おう、シオニア。見ろ見ろ。カタナの腹筋、えらいことになってんぞ」
「ちょ!」
慌てて肌着を下ろす。
十代女子に間近で腹筋を見せつける行為に、事案という単語が脳裏をよぎる。
「えー! 見せて見せて!」
「嫌です」
「見せて!」
「嫌じゃ!」
「むむむ! カタナ君に一つお願いできる権、ここで発動!」
それでいいのか。
いいならいいけど。
早めに消費してくれるのなら、助かるし。
「……しゃーない、わかったよ」
恐る恐る、肌着を持ち上げていく。
「え、え、なんかえっちいんだけど……」
「人聞きの悪い!」
大胆に肌着を持ち上げる。
「わ、すっご! なにこれ! かった!」
思わず身をよじる。
「触っていいとは言ってねえ!」
シオニアから一歩距離を取り、肌着の裾を下ろす。
「ほら、もういいだろ。おしまいおしまい!」
「えー、これじゃ半回分くらいかな」
「何を分割しようとしてるんだよ。一回は一回!」
「ちぇ」
この子の相手は、疲れる。
「あはは、カタナさん困ってますね」
「距離感バグってんだよ、この子……」
「褒められた」
「今の言葉のどこで褒められたと思った?」
ドズマの突っ込みが入る。
「雰囲気?」
「いや、雰囲気も褒めてなかったろ」
「え、褒められてなかったの? どうして?」
「お前の行動のどこに褒める要素があったんだよ……」
教室の時計を確認し、シオニアに告げる。
「ほら、そろそろ教官来る時間だぞ。森へお帰り」
「ヤダー! 銀組になる!」
「その成績でよく言えたもんだな」
「ドズマに言われたくないんですけどー!」
「オレ、いちおう座学で五位以内キープし続けてんだけど」
「その見た目で?」
「見た目は関係ねーだろ!」
「……ふふっ」
イオタが吹き出す。
「ご、ごめ、ちょっと二人の掛け合いが面白くて……」
三人で顔を見合わせる。
「笑っとけ笑っとけ。お前が笑ってるとこ、初めて見たよ」
「いっつもハの字眉毛だったもんね!」
イオタが、嬉しそうに苦笑する。
「そう、だったかな。だったら、変われてきてるのかも」
「──…………」
イオタは、自分を変えるために一歩を踏み出した。
その一歩は尊く、どこまでも眩しい。
「がんばれイオタ君! まいふれーんど!」
シオニアが、イオタの肩を叩いた。
「ンぎゃッ!」
イオタの肩が、びくんと弾んだ。
「ご、ごめん、今はちょっと……」
「何これ! 面白い!」
ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。
「ギッ、がッ、ンッ、とおッ!」
ギガント?
「やめたれ」
ドズマがシオニアを羽交い締めにする。
「なんだこらー! やんのかー!」
「さっさと白組戻れ、アホ。マジで教官来んぞ」
「はーい」
シオニアが不満げに銀組の教室を出て行く。
憔悴したイオタに、問う。
「大丈夫か?」
「な、なんとか……」
「オレも席戻るわ。またな」
「うん、またあとで」
「ああ、また」
騒がしい。
だが、楽しかった。
運命の銀の輪は、あなたの隣人が回す。
イオタの銀の輪は回り始めた。
銀輪教の教えは、まさにその通りなのかもしれなかった。
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