2/魔術大学校 -9 受け継がれる筋肉痛

 翌朝──

「う、ぐ、……あッ」

 二段ベッドの上のほうから、うめき声が聞こえてきた。

「ぴィ……」

 シィが、心配そうに鳴く。

「おはよう、イオタ。生きてるかー」

「か、カタナ、さん。動けません……!」

「大丈夫、大丈夫。筋肉痛で死んだやつはいないらしいから」

 俺は、ベッドの梯子に足を掛けると、イオタの細い体をひょいと抱え上げた。

 筋肉が炎症を起こし、体が火照っている。

「んギッ……!」

 イオタの肉体が、痛みに弾む。

「冬華寮の調理士さんに羊肉のステーキを頼んである。とにかく肉食うぞ、肉」

「ぐえ。あ、朝から重くないですか……」

「筋肉を作るのに、タンパク質が必要なんだよ。食うのも訓練の一貫だと思え」

「は、はひ……」

 わかるわかる。

 まるで、一ヶ月半前の自分を見ているかのようだ。

 もっとも、俺だって、肉体改造を始めてまだ僅かだ。

 ジグのような鋭く引き締まった肉体には程遠い。

「いちばん辛いのは今だ。最初さえ乗り越えれば、あとはどんどん楽になっていく」

「そ、それならいいんですが……」

「ほら、着替えて食堂行くぞ」

「はい……!」

「ぴぃ!」

 食堂で羊肉のステーキを胃袋に詰め込んで、冬華寮を出る。

 そこには、男子生徒たちに話し掛けられて愛想笑いを浮かべている三人の姿があった。

「よっ、三人とも」

 プルが顔を綻ばせる。

「おっ、……おはよう、かたな。イオタくんも」

「ああ、おはようだ。ほれほれ散らんか」

 ヘレジナが、冬華寮の男子生徒たちを痛くない程度に蹴る。

 男子生徒たちは心なしか嬉しそうだ。

「ん、ぎぎ……、お、おはようございます……」

「はれ、イオタさん。顔色が……」

 ヤーエルヘルが、イオタの顔を覗き込む。

「……だ、大丈夫です。あはは……」

 イオタが、全身を引きずりながら、なんとか笑顔を浮かべた。

「……ああ」

 ヘレジナの顔に理解の色が灯る。

「カタナ、あれをやったな?」

「まあな。まさか水瓶背負って山に登らせるわけにもいかないから、筋トレだけに留めたけど」

「み、水瓶を背負って、山……?」

「そういうのをやらされたんだよ、前に」

 イオタが、信じられないものを見るような視線を俺に送る。

「……まあ、今考えれば、ちっと無茶だったと思う」

 足を滑らせたら即死しかねないし。

「ジグめ、雨の日までやらせおってからに。よく生きてると自分でも思うぞ」

「まあ、雨の日のぬかるんだ下り道って、挙動さえ制御できれば楽だったけどな。すいすい滑り降りられたし」

「逆に、登りがいかんだろう登りが。行きは水が入っていないとは言え、それでも子供くらいの重さはあるのだぞ」

「たしかに。何度死を覚悟したか……」

 イオタが小さく呟く。

「……ぼく、とんでもない人に師事してしまったのでは?」

「いや、とんでもないのは俺たちの師匠せんせいだからな。ンな無茶、さすがにやらせられん」

 暗殺者からの護衛以前に、俺が殺しかねない。

「か、カタナさんがやれと言うのであれば、やります!」

「言わんて」

「ほう、軟弱な坊やかと思えば、なかなか気骨があるではないか」

「カッコいいでし!」

「かっ──」

 イオタの頬が、真っ赤に染まる。

「……そ、そんな、カッコいいだなんて」

 もじもじ。

「? どうかしましたか?」

「……?」

 ヤーエルヘルが、プルと共に小首をかしげる。

「ほほーう」

 ヘレジナは気が付いたらしい。

「ちッ、……ちが、違いますよ!」

「俺たち何も言ってないぞ」

「そうそう、邪推ではないか?」

「ううう……」

 頬どころか首まで真っ赤にしたイオタが、真っ先に歩き出す。

「い、行きましょう! いつまでも寮の出入口にいたら、迷惑です!」

 威勢の良い言葉を吐くイオタだったが、その動きは鈍重でなめくじのようだ。

「イオタ、重心だ」

「重心、ですか?」

 俺は、イオタの隣で、ジグから習った無駄のない歩法を披露してみせた。

「重心を前に移動させて、倒れる足を前へと突き出す。〈横に落ちるように歩く〉って感じだな。この歩き方だと疲れないし、痛みもさほどはないはずだ」

「や、やってみます」

 イオタが、俺の言った通りに足を踏み出す。

「──あ、歩ける!」

「早足になりがちだから、適宜自分で調整していく必要はあるけどな」

「はい!」

 イオタに先導されるように、皆で各課程の母屋へと歩き始める。

 周囲に生徒がいないことを確認し、俺は切り出した。

「──冬華寮にいる三ヶ月以内に編入してきた生徒は、三名だ。このうちの誰かがデイコスかもしれないし、違うかもしれない」

 ヘレジナが頷く。

「私たちも、引き続き、三ヶ月以内の全優科への出入りを調べてみる。生徒、教官、師範を含めてな」

「気になるのは、イオタが誘拐されかかってたことだ。暗殺じゃなくて、誘拐。ツィゴニアへの脅迫材料のつもりだったのかもしれないけど」

「そんな回りくどいこと、するでしょうか」

 ヤーエルヘルが、小首をかしげる。

「ツィゴニアさんを暗殺するだけなら、いくらだって方法があるはずでし。それをわざわざイオタさんを誘拐して脅迫するだなんて、一手遠回りをするだけでしよ」

「そ、……そうだよ、ね。あ、暗殺するだけなら、あの血操術で事足りる、……し」

 プルの言葉に、イオタが反応する。

「血操術、ですか?」

「知らないほうがいいぞ、手の内バレたら全員殺すようなやつらだ。知ってるだけで狙われる」

「いえ、既に狙われてますし……」

 それはそうだ。

「まあ、よかろう。彼奴らは一族秘伝の魔術を会得している。それが血操術だ。自らの血を操り、棘と化す。仕事のあとに残るのは、死体と血液のみ。血が出るのは当然のことであるからして、証拠も何も残らない。私は秘伝魔術とやらに詳しくはないが、操るものを自らの血液と定めることにより、より精緻かつ精密な制御を可能にしているのだろうな。以前、宿にて鍵を破られたのだが、恐らくはそれも血操術によるものだ。血で物理的に鍵を作り上げれば、抗魔術式には引っ掛からんからな」

「──…………」

 ふと、思う。

「たとえば切断術なんかで人を殺したとしても、凶器も証拠も残らないんじゃないのか?」

 ヤーエルヘルが答える。

「はい。でしが、魔力痕が残りまし。魔術による殺人であることはすぐに判明しましから、それを元に捜査を進めていくのだと聞きました」

「へえー」

 魔力痕なんてものがあるのか。

「血操術による暗殺では、魔力痕が残らないか、あるいは判別できないほど微弱なのだと思いまし。もともと、そう長く残るものでもないでしし……」

「そうなれば、憲兵や警邏官は凶器を探す。そのあいだに悠々と逃げおおせるわけか。さすが──っつーのもなんだけど、マジで暗殺者って感じだな」

 パドロ=デイコスの言う通りだ。

 戦闘になった時点で、仕事としては下の下。

 御前試合で戦ったルアンは、デイコス家の最終兵器のようなものだったのだろう。

 下の下であっても遂行しなければならない仕事は、やはりあるはずだ。

「そ、そうなる、と、……あの誘拐は、やっぱりおかしい、かも。本当に、で、デイコス、……だったのかな?」

 小首をかしげるプルに、答える。

「その点は間違いない。デイコスの名前を出した瞬間、顔色を変えた。俺の名前を出したら、怯えた。カタナ=ウドウの名が伝わってるんだよ」

 イオタが、いっそ呆れたような表情を浮かべ、呟いた。

「……カタナさん、暗殺者に怯えられてるんですか?」

「あー、いや。はは……」

 苦笑で返す他なかった。

 ネルにジグ、ヴェゼルにアーラーヤ。

 ラーイウラ王国での出来事は、出会いは、俺にとって本当に大切なものだ。

 だが、武勇伝以前に、俺が人を殺した記憶でもある。

 俺が殺人者であることを、あまり吹聴したくはなかった。

「ともあれ、俺がイオタを護衛している時点で状況は大きく変わってるはずだ。パドロ=デイコスの言葉に嘘がなければ、やつらはこう考える。カタナ=ウドウがいる限り、イオタの暗殺及び誘拐は不可能であるってな」

「不可能、ですか……?」

 イオタが不可解そうな表情を浮かべる。

「でも、数を頼みにとか、そういうこともあり得ます。五人で駄目でも、十人、二十人でかかればと考えるんじゃないでしょうか」

「いや、考えない」

 ヘレジナが断言する。

「暗殺はわからんが、誘拐に関しては事実として不可能だ。お前は、お前の師匠の強さを甘く見ている」

「そ、……そんなに、強いんですか?」

「……まあ、相手によるな」

 ルアンが二十人出てきたら、さすがに苦戦は必至だろう。

「はー……」

 イオタの視線に、これまで以上の憧れが含まれている。

 くすぐったいな。

 俺は、そこまで大した人間でもないのに。

「ふふん。その強い強い師匠より、さらに強い剣術士がいるのだぞ」

「えっ、誰ですか?」

「目の前にいるであろう」

「──…………」

 目を白黒させたのち、答える。

「へ、ヘレジナさん、ですか?」

「ああ。ヘレジナは俺より強いぞ、マジで」

「ちょ、ちょっと、よくわからない世界の話になってきました」

 だろうなあ。

「……そっか」

 イオタが、右手を握り締める。

「ぼくも、強くなるんだ」

 ヤーエルヘルが微笑む。

「イオタさんなら、きっとなれましよ。頑張ってるの、わかりましから……」

「ありがとう、ヤーエルヘルさん」

 イオタの武は、まだ始まったばかりだ。

 ウージスパインに生きる上で、武は必ずしも必要なものではないのかもしれない。

 だが、いざというとき、より多くのものを守れる力は持っておいたほうがいい。

 俺が、三人を守る力を求めたように、イオタにもいつか守りたいものができるはずだ。

 ヤーエルヘルは、そう簡単にはやれないけれど。

 こそこそと会話を交わしていると、高等部の母屋が近付いてきた。

「んじゃ、また昼に」

「はあい」

「ま、またあとで、……ね」

「居眠りするでないぞ」

「はい、あとで」

 皆と別れ、俺たちは、二年銀組の教室へと向かうのだった。

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