2/魔術大学校 -7 タナエルの者
ウージスパイン大図書館閉架。
そこは、魔術大学校の関係者、及び許諾を得た学士にのみ開かれた区画である。
開架に置かれている書物は大量に出版されたものが多く、ほとんどの場合、汚損しても替えが利く。
閉架は価値の高い歴史的資料を保全する役割が強く、当然ながら閲覧にも制限がある。
開架と閉架は繋がっているが、常に番兵が常駐しており、許可なき者の出入りを決して許さぬという気概に満ち溢れていた。
「ねーねー何探すの? 何探せばいいのー?」
シオニアのしつこさに根負けし、ギャラリーに燕双閃・自在の型──ではなく燕返しを披露したのち、俺たちは閉架側から大図書館を訪れていた。
何故か、当のシオニアも一緒に。
「まず探しやすいものから言えば、パレ・ハラドナの歴史書であろう。特に、神人大戦直後の五祖に関する資料があればよい」
「五祖?」
俺の疑問に、シオニアが呆れる。
「カタナさんは剣術以外だめだめだな! 五祖なんて、初等部で習うじゃん」
「へえー」
知らんけど。
「五祖は、神人大戦の直後に北方大陸を治めた五名の賢者のことでしよ」
ヤーエルヘルが、丁寧に教えてくれる。
「パレ・ハラドナの祖、カガヨウ。ラーイウラの祖、ラライエ。ルルドカイオスの祖、ペイオラトス。トートアネマの祖、ダンイクハ。そして、ウージスパインの祖、トコタチ。千年前、北方大陸には五つの国しかありませんでした。それが徐々に分裂、独立を繰り返し、今の形になったんでし」
「──…………」
ラライエ、か。
歴史上の人物だったんだな。
「シオニアさんは、カガヨウが別の世界から来たって説をごぞんじでしか?」
「え、何それ何それ! 知らない!」
「イオタさんも、知りませんよね……」
「……ごめん、聞いたことないです。少なくとも座学では習わなかった」
「なるほど!」
ぽん、とシオニアが手を叩く。
「その説が書かれた資料を探せばいいんだね!」
「端的に言えば、そういうことだな」
「まっかせっなさーい! 必殺技を見せてもらったんだから、そのくらいはするよ!」
「──…………」
そこはかとない不安。
ちなみに、この場にドズマはいない。
普通に帰った。
「司書さん司書さーん! パレ・ハラドナの歴史書か、五祖についての資料をくださいな!」
「……しー! 図書館ではお静かにお願いします」
「す、すみませーん……!」
シオニアの声が、心なしか細められる。
だが、元の肺活量がとんでもないためか、それでも普通に会話するくらいの声量はあった。
「結局、司書に尋ねるのが手っ取り早いというわけか」
「だな……」
司書が案内してくれたのは、閉架にある歴史書のコーナーだった。
「……なんだかんだ、編入してよかったかもな」
「でしね」
閉架の資料も見られるのは、予想外のメリットだ。
「ね、ね、四人は元から知り合いなんでしょ。なんで? なんで編入してきたの?」
「あー……」
イオタの護衛に来ただなんて、言えるはずもない。
この子、風船にくくりつけたら空を飛ぶくらい口が軽いしな。
適当にでまかせを吹き込んでおくことにしよう。
「これ、誰にも言わないでほしいんだけどな──」
「言わない!」
かつて、これほどまでに信用の置けない言葉があっただろうか。
「簡単に言うと、全優科の査察に来たんだ。俺とヘレジナは武術のレベルを、プルとヤーエルヘルは座学のレベルを、それぞれ調査してる」
「へー!」
シオニアが、目をきらきらさせる。
教官にはすぐに真偽がわかるし、生徒はそれなりに納得する。
ちょうどいい塩梅の嘘だろう。
「どこから? 国から?」
「それは、さすがに秘密にさせてくれよ」
そう言って、人差し指を唇に当てる。
「そっか!」
シオニアもそれにならった。
「カタナ……」
ヘレジナの視線が痛い。
嘘をついたことを責めるのではなく、よくそんな嘘をぺらぺらとつけるものだなという複雑な視線だ。
「え、……と。ひ、ひとまず調べ、……よ?」
「そうだな。つっても、俺は何もできないけど……」
「カタナさんは肩でも揉めばいいと思うな!」
「はいはい、疲れたらお言いつけくださいな」
シオニアの言葉に適当に返し、皆に背を向ける。
「その前に、他にも司書の人に聞くことあるからさ。さっと行ってくるわ」
プルが頷く。
「い、いってら、……っしゃーい」
書物に没頭し始める五人から離れ、俺は、再び司書の元を訪れた。
「すみません」
「いかがなさいましたか?」
「少々お聞きしたいんですが、ヤーエルヘル、あるいは失われた名という言葉に心当たりはありませんか? 資料があれば、閲覧させていただきたいのですが」
「ヤーエルヘル……」
司書が、しばし沈思黙考する。
「すみません、心当たりはありません」
「そうですか……」
ならば仕方ない。
「あとは、そうですね。タナエルの者、異世界──そういう単語はどうでしょう。見覚えありませんか?」
「ふむ……」
再び黙考し、司書が答える。
「タナエルの者、という言葉については、先程御案内した歴史書のどれかで見掛けた気がします。私もすべての書物に目を通しているわけではないので、他にもどこかに記述はあると思いますが……」
「ありがとうございます」
今調べていることは、無駄ではない。
それがわかっただけでも収穫だ。
俺は、司書に丁寧に会釈をすると、五人の元へと戻った。
「カタナさーん。疲れた。肩」
「はや……」
「かーた! かーた!」
「はいはい」
シオニアの肩を軽く揉んでいると、ふとプルと目が合った。
「!」
だが、慌てて目を逸らされてしまう。
「……?」
さっきから、プルの様子がおかしい気がする。
言葉少なだし、挙動不審だ。
まさか、本当に、シオニアが俺に惚れていると勘違いしているわけではあるまいな。
「はー……、奇跡級の肩もみは効きますな」
「なんだよ、それ……」
しばし按摩に徹していると、
「──あ!」
ヤーエルヘルが、不意に声を上げた。
「ここ! このページを見てくだし!」
皆が、ヤーエルヘルの元へと集まる。
俺は、見ても読めないので、すこし離れて立っている。
疎外感。
「……なんて書いてあったんだ?」
俺の問いに、イオタが答える。
「はい。端的にまとめると、カガヨウは、月から来た〈タナエルの者〉であると」
「月から……」
なるほど。
月がエル=タナエルそのものであるなら、そこから来たとされる人間をタナエルの者と呼ぶのは道理が通る。
実際は地球からなのだろうが、そのほうが権威があると判断したのかもしれない。
「俺のせ──地元にも、似たような話があったな」
俺の世界と言い掛けて、慌てて軌道修正する。
特に隠しているわけでもないが、これ以上余計な噂を拡散させたくなかった。
「カタナさんの地元って、どこ?」
当たり障りのない答えを返しておこう。
「まあ、東のほうだ。言ってもわからないド田舎だよ」
「それで、どのような話なのだ?」
ヘレジナに頷き、言葉を返す。
「かぐや姫って昔話」
思い出し思い出し、あらすじを語る。
「竹を採る仕事をしていたお爺さんが、あるとき光る竹に出会う。竹を割ってみると、あら不思議。中には小さな女の子が座っていた。お爺さんとお婆さんは、その女の子をかぐや姫と名付け、大切に育てた。このかぐや姫が、実は月から来た存在だったって話で、物語の最後には月へ帰って行くんだよ」
プルが、興味深そうに頷く。
「な、……なんだか、ふしぎな話」
「実際、よーわからん話ではある。昔話ってたいていは訓話だろ。でも、この物語は違う。何を伝えたいのか、さっぱりなんだよな」
「そんなの簡単だよ!」
シオニアが、得意げに胸を張った。
「簡単、でしか?」
「それ、きっと、実際にあったことなんだよ。事実は小説よりも奇なりって言うでしょ。現実のほうが創作より、ずっと突拍子もないんだ。だから、そのかぐや姫って人は、本当に月から来たんだよ!」
〈な、なんだってー!〉と言いたい気持ちを抑えつつ、言葉を返す。
「さすがにそれは厳しいだろ。千年前の話だし、かなり歪められてる。いろんな説話が混じって成立したって説も聞いたことあるしな」
「千年前……」
プルが、ぱちぱちとまばたきをした。
「も、……もしかすると、し、し、シオニアさんが、正しい、……かも」
「ほらほら、プルちゃんも言ってるじゃん! カガヨウとカグヤもなんだか似てるし、きっと同一人物なんだよ!」
「──…………」
たしかに、と思ってしまった。
思ってしまった時点で、負けだ。
かぐや姫は、月へと帰った。
カガヨウは、月からやってきた。
今から、ちょうど千年前に。
筋が通る、イコール事実ではない。
どんな陰謀論だって、おおよそ筋は通っているものだ。
だが、
「……絶対ない、とは言い切れねえか」
「でしょ!」
かぐや姫は、月ではなく、
そう考えると、なんだかわくわくした。
「本当だとしたら、こりゃ大発見だな」
「ふふーん」
シオニアが、どやりと笑う。
「いや、見つけたのはヤーエルヘルじゃん……」
「アイディアはアタシでしょ! これで、カタナさんに一つお願いできる権、ゲット!」
「……必殺技を見せたお礼に手伝ってたんじゃ?」
「いーじゃんいーじゃん、ちゅ!」
投げキッスをされる。
「!」
──がたッ!
プルが、唐突に立ち上がった。
「ど、……どうした?」
「あ、……そ、その。な、なんでもない、……でっす」
「プル……?」
やはり、様子がおかしい。
「大丈夫か? 体調悪いとかなら、寮まで送っていくけど……」
「だ、だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
ヘレジナに視線を送る。
「──…………」
ヘレジナもまた、原因がわからないのか、小首をかしげてみせた。
地竜窟での神託の件でもわかる通り、プルは一人で抱え込むタイプだ。
心配だが、今はヘレジナとヤーエルヘルに任せるしかないだろう。
それからしばらく資料を漁っていたが、他に有益な情報は見つからなかった。
やがて、寮の食堂が開く時刻となり、俺たちは騒がしく帰途についた。
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