2/魔術大学校 -6 明るく愉快な脳天気娘

 四限目の座学をやり過ごし、夕礼を終える。

「──……んッ!」

 思いきり伸びをし、肩を回すと、関節がポキリと鳴った。

 腕時計に視線を落とす。

 午後五時、すこし前。

 朝礼が朝八時だったから、拘束時間は九時間だ。

 ああ、学生ってなんて気楽なんだろう。

 繁忙期には、ここからまた九時間働いて会社で仮眠、起きた直後に就業という日も少なくなかった身からすれば、天国以外の何物でもない。

「んじゃ、イオタ。行こう──」

 と、言い掛けたとき、銀組の扉の外に人だかりができていることに気が付いた。

「……? 何かあったんかな」

 イオタが、呆れたように言う。

「わからないんですか、カタナさん」

「えーと……」

 思案し、ある可能性に行き着く。

「……自惚れでなければ、俺を一目見に来たとか?」

「はい、そうだと思います。奇跡級の剣術士、それも本物なんて、そうそういるものじゃないですから」

「そんなに珍しいもんか」

 奇跡級の武術士にはわりと出会っているから、実感がない。

「珍しいなんてものじゃないですよ。お父さんの警護についていた人は、全員が師範級でした。要人警護ですよ。何故かわかりますか?」

「まあ、金の問題じゃないわな。アンパニエ・ホテルなんかに泊まってたわけだし」

「ええ」

「伝手がないから、とかか?」

「それも正解です。あとは、偽者が多いから。素人には、師範級と奇跡級の差なんてわかりませんからね。堅実に、師範級を標榜している人を選ぶことが多いんだそうです」

「へえー」

「本物の奇跡級っていうのは、それくらい馴染みの薄い存在なんですよ」

「なるほどなあ」

 うんうんと頷く。

「でも、どーすっかな。走って逃げるか」

「ぼくは、ちゃんと対応したほうがいいと思いますよ。カタナさんの実力を隠すことはない。ここまで目立ってしまったからには、そういうものと割り切ったほうがいいです」

「へえー……」

 改めてイオタを観察する。

「なんか、喋り方がしっかりしたよな。眉毛の角度も凜々しいし」

「はい」

 イオタが、自分の胸に右手を当てる。

「強くなると、決めたので……」

 良い傾向だ。

「──おう、どうした。ファンに投げキッスでもしてやんねえのか?」

 剣術の授業で模擬戦を行った男子生徒──ドズマが、気さくに声を掛けてきた。

「目立ちたくないだけで、評判落としたいとまでは思ってないからな」

「ま、頑張れや。有名税ってやつよ」

 ドズマの軽口に溜め息で返す。

「……三限から、まだ二時間だぜ。噂が回るの早くないか?」

「閉じた世界じゃそんなもんよ。ちょっとしたことでも、すーぐ伝わんの。カタナ、お前にどういう噂が立ってるのか、予想してやろうか」

「嫌な予感がするけど、いちおう頼む」

魔力マナを持たない謎のオッサン編入生は、実は奇跡級の剣術士だった。編入一日目から勝ちまくりのモテまくり、美少女たちを食いまくり──ってなもんよ」

「──…………」

 血の気が引いていくのを自覚する。

「……マジで言ってる?」

「ドズマさんの推測は妥当だと思いますよ。事実に尾ひれがついたら、こんなもんです。もっとひどいかも」

「怖すぎるんですけど……」

「いきなり刺されたりしてな!」

 そう言って、ドズマが愉快そうに笑う。


 ──ダンッ!


 物音に視線を向けると、明らかに苛ついた様子のエイザンが机を叩いて立ち上がるところだった。

「……この馬鹿騒ぎは、どういうわけかな」

「カタナのファンだぜ、エイザン。ま、しばらくはしゃーねーわ」

「ああ、奇跡級の剣術士だとかいう戯言か。くだらないね。魔力マナのない、体操術も使えない奇跡級の武術士なんて、聞いたこともない。騙されてるんだよ、みんな。ドズマ、君も含めてな」

「あ゛?」

 ドズマが眉間に皺を寄せる。

「オレは、実際にカタナと戦ってる。こいつが師範に勝つところも目の前で見てンだぞ」

「だから、それがあり得ないんだよ。師範には、どうせ金でも掴ませたんだろ。奇術の種は常にシンプルなものさ」

「カタナが奇跡級だって認めんのがいちばんシンプルじゃねえか!」

 二人のあいだに割って入る。

「まあ、まあ。落ち着けって」

「お前のことだろ! なんでオレだけ怒ってんだ!」

「どっちでもいいんだよ、べつに。誰が信じようと信じまいと。ドズマが信じてくれるんなら嬉しいし、エイザンが信じないならそれも勝手だ」

「お前なあ……」

 ドズマが、呆れ顔で言う。

「もっと、こう、誇示しろよ力を。もったいねえ」

「ほら、僕の言った通りだろう。誇示すればメッキが剥がれる。こいつはそれを恐れているだけだ」

「──違いますよ」

 エイザンに前に立ったのは、イオタだった。

 その双眸は、エイザンを鋭く射抜いている。

「強者ほど、力を誇示しないんです。だって、誇示しなくても、自分に力があることを知っているから。わざわざ誇示して、他の人たちからの賞賛を浴び、再確認をする必要がないから。力を誇示する人は、逆に言えば、自分に自信がないんです」

「……ハッ」

 エイザンが、イオタを鼻で笑う。

「強そうな者の陰に隠れて、自分も強くなった気分でいるのかい。まったく、恥ずかしいな」

「──…………」

 握り込まれた拳は、震えている。

 イオタは恐怖と戦っている。

 自分をいじめてきた相手に、言葉だけでも立ち向かおうとしている。

「……は、恥ずかしいのは、今までのぼくの生き方だ。傷つくのに怯えて、傷つけるのに怯えて、怯えて、怯えて、怯えて──そして、何もしなかった」

 ああ、そうだ。

 口に出すだけで、世界は変わり始める。

 それが第一歩だ。

「──でも、ぼくは、今日から変わる。決めたんだ」

 エイザンが、小馬鹿にするように肩をすくめる。

「はいはい、虎の威を借る狐君。威を借りている相手が本当に虎であることを祈るよ。では、失礼。君たちの相手をしている暇はないんでね」

 皮肉げにそう告げて、扉を開いたときだった。


「カタナさーんッ!」


「ぐはッ!」

 剣術教室の際に話した覚えのある女生徒が俺に駆け寄り、その途中でエイザンを跳ね飛ばす。

「あ、ごめんごめん」

「……~~ッ!」

 エイザンが、顔を真っ赤にしながら、大股で教室を後にする。

 その様子を一瞥すらせず、女生徒がまくし立てた。

「カタナさん、カタナさん! あれもっかい見せてよ! みんな見たいって! えーと、燕なんとかの型!」

「え、嫌だ……」

「えー! なんでさ!」

「普通に嫌だ。見世物じゃねえし」

「授業では見せたじゃん!」

「……あれは、師範が手加減するなって言うから使ったんだよ。指導する身でもなければ、自分の技なんて人に見せるもんじゃない。種がわかれば対応されるかもしれないだろ」

「そこをなんとか!」

「嫌ですー」

「友達に言っちゃったの! 見せるって! だから、ね!」

 待った。

「……おい。その友達になんつった?」

「奇跡級のチョー強い編入生が、師範も生徒も必殺技でバッタバッタと薙ぎ倒したって、三十人くらいに!」

「──…………」

 思わず頭を抱える。

「シオニア。お前、まーたあることないこと……」

「今回はあることあることでしょ! ドズマだってボッコボコにされてたじゃん!」

「ぐ」 

 痛いところを突かれたのか、ドズマが言葉を詰まらせる。

「ほら来て! いいから早く来て! みんなが待ってますよー!」

 シオニアと呼ばれた少女が、俺の腕を引く。

「だから嫌だって」

 だが、動かない。

「んにーッ!」

「行きません」

「ぜ、ぜんぜん動かない……!」

「これでも鍛えてるんで」

 女の子の細腕に学生レベルの体操術を乗せたところで、負けはしないし負けられない。

「さ、さすが奇跡級……」

「……マジ、どーっすっかな。イオタの言う通り事情を説明しようかと思ってたけど、これじゃ見世物にされるだけだ」

「それは、たしかに……」

 シオニアに腕を引っ張られながら思案していると、


「──おい、貴様」


 怒気を孕んだその声に危機感を覚え、神眼を発動する。

 刹那、眉間に、とんでもない速度でペンが飛んできた。

 眉間に刺さるギリギリで、慌てて掴み取る。

「あッ……、ぶ!」

 人混みを掻き分け姿を現したのは、

 眉根に深々と皺を寄せたヘレジナと、

 目をまるくしてこちらを見ているプルと、

 そして、困り顔のヤーエルヘルだった。

「性懲りもなく、また女をたらし込んでおるのか!」

「おま」

 よりにもよって、オーディエンスの前で、誤解がさらに加速しそうな台詞を!

 だが、理由は明白だった。

 シオニアが絡みついている左腕だ。

「し、シオニア! いったん離れろいったん! えらいことになる!」

 慌てて引き剥がそうとする。

「む、抵抗する気か! 負けないぞー!」

 が、これが存外しぶとい。

 タコのように吸い付いて離れない。

「離れッ、て、くれえ……ッ!」

「か、……かたな」

 プルが、悲しげに微笑む。

「お、……お幸せに、ね?」

「違う違う違う! へ、ヘレジナ! こいつ剥がすの手伝ってくれ!」

「……む」

 誤解に気付いたのか、ヘレジナがシオニアを引き剥がしにかかる。

「そこな女人! いったんカタナから離れんか!」

「ヤダー! 絶対連れてくんだい!」

 喧々囂々。

「……なあ、イオタ」

「どうしたの、ドズマくん」

「明日、噂がどんくらいひどくなるか賭けねえ?」

「ぼくは、〈下半身も奇跡級の編入生、初日で二十人斬り達成!〉にしておこうかな」

「じゃ、オレは三十人で」

「そこ、聞こえてるからな!」

 結局、この騒動が鎮火したのは、それから五分後のことだった。

 つまり、この五分間の痴話喧嘩じみたやり取りが、多くの人々に目撃されたことになる。

 イオタとドズマの言うことも、あながち間違いではないかもしれない。

 正直、明日が来るのが怖いのだった。

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