2/魔術大学校 -5 剣術教室
「──一、二、三、四!」
俺の知る体操着とは異なるが動きやすそうな服装に着替えた生徒たちが、裂帛の気合いと共に素振りを行う。
俺はと言えば、体操着が間に合わなかったため、制服の上着を脱いでの参加だ。
「──五、六、七、八!」
体を動かすのは、楽しい。
リィンヤンでの日々で、すっかり運動に目覚めてしまった。
見知らぬ流派の、見知らぬ型。
あまり体に型を覚えさせたくはないのだが、これはこれで新鮮だ。
「編入生、握りが甘い! もっと内側に捻り込め!」
「はい!」
師範も、一人一人をよく見ている。
俺は、あらゆる攻撃に柔軟に対応したいので、柄の握りを柔らかくしている。
それに対し、今習っているテオ剛剣流は、一撃必殺を極意とする。
コンセプトがまったく異なるのだ。
「そうだ、初めてにしては筋がいいぞ。何か武術をやっていたのか?」
「ええと、別の流派の剣術を、すこし」
「なるほど。だが、それはいったん忘れておけ。半端に混ざるのがいちばんよくない」
「わかりました」
指導に筋が通っている。
さすが、全優科で剣術教室を任されるだけのことはある。
模範演技の際に見せた動きは流麗かつ剛猛、剽悍無比のものだったし、優秀な師範なのだろう。
「シャン! お前も、もっと握り込め! 力が足りないから左右に振れる!」
「は、はい!」
イオタは運動が苦手なのか、素振りの際も軸がぶれている。
師範の言う通り、力が足りないのもあるが、踏み込みと振り下ろしのタイミングが合っていないのだ。
すべてが合致し一直線にならなければ、威力は出ない。
「──よし、準備運動はここまで! 次は模擬戦とする! 各自、二人組を作れ!」
小さく息を整えて、イオタへ近付く。
そのとき、ふと背後に気配を感じた。
一歩前に軽く跳躍し、振り返る。
すると、銀組の教室でイオタの背中を叩き損ねた男子生徒が、俺の肩に置こうとした手で空を切り、軽く体勢を崩していた。
「あ、すまん」
「──…………」
びき。
男子生徒のこめかみに、血管が浮き上がった気がした。
彼は、顔を左右に振って気を取り直すと、にんまりと笑みを浮かべて言った。
「あー……、編入生。カタナさんだったかな。オレと組まないか?」
「俺、イオタと組むつもりだったんだけど」
「まあ、まあ、そう言わずにさ」
男子生徒がイオタを睨む。
「え、と……」
イオタが、戸惑うように口を開いた。
「……ぼ、ぼくは、大丈夫ですけど」
「よし、決まりだな!」
男子生徒が、木剣を両肩に乗せ、ストレッチをする。
「いやあ、オレ、この教室でいちばん強くてさァ。相手になるやつがいなくて。カタナさんって剣術やってたんだろう? 是非オレに指南してくれよ」
そう言って、にたりと笑う。
「えー……、と」
やはり、そういうことだろうか。
「もしかして、変な噂とか立ってる……?」
「……あ゛?」
男子生徒の顔が、歪む。
「直接見てンだよ、
ああ、言われてしまった。
とうとうオッサンと言われてしまった。
一度は絶対言われると覚悟はしていたが、いざ言われるとやはり切ない。
遠くに向きかけていた視線を戻す。
「いや、イオタもいたしな……」
「イオタはお前の次だ!」
「ひ」
イオタが、引き攣った声を漏らす。
「あー……」
それは、ちょっと困るな。
「なら、こうしようぜ」
「あン?」
「お前が俺から一本取れたら、組み合わせを変えよう。取れるまではこのままで」
「──…………」
憤怒の形相で、男子生徒が俺を睨む。
「──やってみさらせ、この野郎ッ!」
不意打ちのつもりなのか、男子生徒がいきなり木剣を振り上げた。
いや、挨拶とかさ。
すこし呆れながら、木剣の切っ先を男子生徒の手首の軌道に置く。
男子生徒が、そのまま木剣を振り下ろし──
「づあッ!」
手首を思いきり打ち付けた。
木剣が、からからと音を立てて足元に転がる。
「まだ開始してないだろ」
「──こら、そこ! 勝手に始めるんじゃあない!」
「ほら」
「──…………」
男子生徒が、無言で木剣を拾い上げる。
その表情に、先程までなかった真剣味が感じられた。
俺を、いたぶる対象ではなく、敵と認識したのだろう。
でもさ。
人は、怒りや覚悟の一つで強くなることはないんだよ。
師範が模擬戦の開始を宣言する。
「──らァッ!」
男子生徒が、テオ剛剣流の基本通りに、必殺の一撃を振るう。
なるほど、イオタに比べれば体捌きもスムーズだ。
踏み込みと振り下ろしのタイミングも一致しているし、拙いながらも体操術で加速しているため、まともに当たれば骨折くらいはするだろう。
当たれば、だが。
俺は、切っ先を相手の木剣の刃に添え、両手で支えつつ傾けた。
相手の木剣の軌道が、俺の木剣に沿って、滑る。
そのまま立っていれば体当たりを食らうので軽く避けると、男子生徒はたたらを踏んで前方に倒れ込んだ。
「ぶべッ」
徒弟級中位と上位の、ちょうど中間あたりだろうか。
強いのか弱いのか俺にはわからない。
だが、授業の一環としてとは言え、初等部から何年も訓練してこの水準であることを考えると、遺物三都の冒険者たちのレベルの高さを改めて窺い知ることができる。
周囲から、くすくすと失笑が漏れる。
俺と男子生徒の模擬戦は、注目を浴びていたらしい。
すこし、苛つく。
「──笑うな」
俺の言葉に、グラウンドが静まり返る。
「本気で打ち込んできた者を笑うな。頑張っているやつを、笑うな」
努力が正しいとは限らない。
努力が報われるとも限らない。
だが、努力自体を馬鹿にされるのは、虫酸が走る。
「おい、お前」
「──…………」
男子生徒が、立ち上がる。
「剛剣ってのは、無闇矢鱈に正面から斬り掛かることじゃねえ。俺のように避けるのが上手いやつに当たれば、それで終わりだ。なら、どうすればいいと思う?」
「──…………」
「隙を突くんだ。隙がなければ、それを作ればいい。どんな手段を使ってもな」
「ああ」
男子生徒が頷く。
「つまり──」
その左手が握り込まれているのが見えた。
「こういうことかあッ!」
男子生徒が、何かを投げつける。
それは、グラウンドの砂だった。
目潰しだ。
俺は、感心した。
その通りだ。
今、彼ができる最適解が、目潰しだった。
だが、当然、その手は読んでいる。
俺は、姿勢を極限まで低くすると、目潰しの砂の下をくぐり抜けた。
そして、弁慶の泣きどころを木剣で痛打する。
「ぎゃッ!」
男子生徒が、たまらず尻餅をついた。
「お、いいじゃんいいじゃん。よく目潰しに気付いたな」
「……~~ッ!」
「お前、ちゃんと頑張れば強くなれると思うぜ。大した保証もできないけどな」
男子生徒が、体操着が汚れるのも構わず転げ回る。
強く打ち過ぎたかな。
「師範、治癒術は使えますか?」
「……あ、ああ」
呆然としていた師範が、男子生徒のすねに触れる。
剣術の師範だけに治癒術はさほど上手くないのか、一分ほどの治療でようやく落ち着いたようだった。
「ほら、二本目」
そう言って、男子生徒に木剣を差し出す。
「ヒッ……」
「やらないのか?」
「──…………」
男子生徒が、木剣を受け取り、立ち上がる。
だが、その構えは萎縮してボロボロであり、最初の勢いは既にない。
しまったな、やり過ぎたか。
挫折を知らない生徒だったのかもしれない。
「……えーと、どうする?」
「あああああああッ!」
男子生徒が滅茶苦茶に打ち込んでくる。
速度はある。
しかし、そこに理はない。
相手がいる場所に木剣を振り回しているだけだから、すこしでも動けば避けられる。
しばらく避け続けていると、
「──はッ、……ぜひ、……はァ……、ハァ……」
体力が尽きたのか、男子生徒が膝をついた。
まあ、こんなところだろう。
「師範、組む相手を変えても──」
周囲を見渡す。
「──…………」
「──……」
男子も、女子も、全員が、呆然とした顔で俺を見つめていた。
「……あー」
やっちまった。
思いきり目立ってしまった。
「編入生──いや、カタナ=ウドウ君と言ったな」
「あ、はい」
師範が、木剣を手に俺の前に立つ。
「私と手合わせをしてもらえないか。私に勝てば、無条件で単位を与えよう」
「えー……、と」
どうしよう。
べつに単位はいらないんだけど。
「手加減は無用だ。私は、一人の剣術士として君に挑んでみたい」
「──…………」
そう言われると、弱い。
俺は、神眼という下駄を履いてここにいる。
一足飛びで、この高みにいる。
だからこそ、武術を志す人たちの努力を否定したくなかった。
相手を軽んじて手加減なんて、侮辱だ。
男子生徒に言ったことと、根本は同じである。
使える手段をすべて使って、勝つ。
それが敬意だと、俺は信じている。
「わかりました」
木剣を正眼に構える。
「──燕双閃・自在の型」
「燕双閃……?」
「俺の持つ、唯一の技です。師範が手加減をするなと言うのであれば、俺はこの技を使う」
「……ああ」
師範が、木剣を右肩の上で構える。
テオ剛剣流の構えだ。
「──いつでも打ってこい」
「はい」
俺は、高々と構えた木剣を、師範の頭上へと振り下ろした。
師範が、右足を下げる。
ギリギリで避けるつもりだと理解する。
燕双閃・自在の型は、初撃に対する反応を見てから、その反応が作り出した隙に対し即座に二撃目を叩き込む技だ。
神眼を利用した究極の後出しジャンケンとも言える。
体操術を使えない俺の身体能力は、低い。
ならば、遅くとも絶対に避けられない攻撃を繰り出せばいい。
俺は、木剣を胸の前まで振り下ろすと、勢いを減じずそのまま斬り上げた。
師範の首筋に、木剣の刃が触れる。
「な──」
師範の額から、一筋の汗が流れ落ちた。
「模擬戦だから、ここまでです」
木剣を下ろす。
「単位、いただけますか?」
「──…………」
師範が、木剣の切っ先をグラウンドの土に預けた。
「……参り、ました」
その瞬間、
「す……ッ、げー!」
「師範に勝っちゃった!」
「これ、絶対奇跡級だろ! うわー、初めて見た!」
周囲の生徒たちが、わっと沸いた。
艶めく黒髪をサイドでまとめた一人の女生徒が、きらきらとした目で俺に尋ねる。
「ね、ね、カタナさん! 何流なの?」
「あー」
何流なんだろう。
「……まあ、我流ってことで」
「何それ、カッコいい!」
やべ。
これは不味い。
ちゃんとフォローしておこう。
「──でも、師範はマジで強かった。教え方も上手いし、指導者として一流だと思う。今回はたまたま初見殺しの技で勝てたけど、あれを避けられてたらわからなかったな。師範の元でしっかり学んだら、皆も強くなれるぞ」
師範を、テオ剛剣流を、馬鹿にしてほしくなかった。
積み重ねてきた努力。
積み重ねてきた歴史。
そこには理と価値がある。
ぽっと出の我流と比較してはいけないのだ。
俺の言葉に、皆が、そういうものかと顔を見合わせる。
「……ありがとう」
俺の意図を理解してか、師範が微笑んで礼を言った。
「さあ、見物は終わりだ! ウドウ君のように強くなりたければ、皆もしっかりと修練に励むことだ!」
生徒たちが、快活に返事をする。
その様子に胸を撫で下ろしていると、あの大柄な男子生徒が俺に近付いてきた。
「……あの、さ」
「うん?」
「……悪かったよ。イオタのことも」
「いいって。正直、目立つようなことをした俺も悪かった」
「その」
男子生徒が、言いにくそうに口を開く。
「オレが、強くなれるって、本当か?」
俺は、素直に頷いた。
「ああ、なれると思う。実戦では生き残れば勝ちだ。その場にあるものすべてを使って相手を退ける。だから、お前が目潰しを選択したとき、けっこう感心してたんだぜ。もちろん試合でやったら一発アウトだけどな」
「それは、……まあ、な」
「頑張れ、応援してっから」
「──ああ!」
男子生徒が晴れ晴れとした顔で別の相手と組むのを見送り、俺はイオタへと向き直った。
「……悪い、また目立っちゃった」
「──…………」
イオタは、真面目な顔で俺を見上げている。
「も、もしかして、怒ってらっしゃいます……?」
「カタナさん」
イオタが、深々と頭を下げる。
「ぼくに、剣術を教えてもらえませんか。ぼくも、あなたのように強くなりたい」
意外だった。
イオタがこんなことを言い出すなんて、思わなかった。
だが、その目には意志の光が宿っている。
思いつきではない。
彼は、真剣に、強くなろうとしている。
「……俺、教えるの上手くないぞ。たぶん、ヘレジナに習ったほうがいい」
「ぼくが──」
イオタが顔を上げて、俺の目を見つめる。
「ぼくが憧れたのは、あなたです」
「──…………」
後頭部を、ぼりぼりと掻く。
困った。
だが、同時に、嬉しくもあった。
溜め息一つ、そして答える。
「……強くなれるか、保証はしないからな」
俺の消極的な許可に、イオタが満面の笑みで答えた。
「──はい!」
ジグが見れば、なんと言うだろうか。
こうして、俺に、初めての弟子ができたのだった。
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