2/魔術大学校 -4 制服姿の三人娘

「手、いってえ……」

 右手を軽く振りながら、彫刻術の教室を出る。

 直方体の石膏塊の上部を丸くするだけで九十分が終わってしまった。

 と言うか、彫刻刀一本でする作業ではない。

 ノミ持ってこい、ノミ。

「だ、大丈夫、ですか?」

「……彫刻術って、手は疲れないのか?」

「は、はい。魔術ですから」

「いいなあ……」

 マジで羨ましい。

「──さすがに腹減ったな。昼食ってどこで食べられるんだ?」

「はい。食堂が三ヶ所あって、それぞれ──」

 ふとイオタが視線を向けた先に、人だかりがあった。

「……?」

「移動販売でもしてるのか?」

「い、いえ、見たことないですけど……」

「なんだべ」

 積極的に近付く気にもなれず、人だかりを横目に食堂へ向かう。

 そのとき、

「カタナさぁーんっ!」

 人だかりの中心から、ヤーエルヘルが飛び出してきた。

「ほいっ、と」

 軽く抱き留め、くるりと回ってヤーエルヘルを下ろす。

「よかった、会えました! ここ敷地広いでしから……」

「や、ヤーエルヘルさん! ご、御機嫌いかがですか!」

 イオタが、ピンと背筋を伸ばしてヤーエルヘルに挨拶する。

「イオタさんも、こんにちは! ごきげんはとってもいいでしよ。二人に会えましたから!」

「そ、そそ、それはよかったです!」

 イオタ、なんだか様子がおかしいな。

 ヤーエルヘルが相手であるにも関わらず、妙に緊張しているように見える。

「──か、かたな! イオタくん!」

「探したぞ……」

 人だかりを抜け、プルとヘレジナもこちらへ小走りで駆けてくる。

「ああ、ちょうどよかった。俺たちこれから昼メシ──」

 ふと、視線の圧に気付き、振り返る。

 人だかりのほとんどは男子生徒だった。

 戸惑いと羨望の入り混じったなんとも言えない表情で、こちらの様子を窺っている。

「まったく。いくらプルさまの器量が素晴らしいとは言え、こう集まられては身動きが取れん。二人が通り掛かってくれて助かった」

 ヘレジナが、ほっと安堵の息を吐く。

「──…………」

 プルとヘレジナ、ヤーエルヘルを、改めて見つめる。

「……ど、どど、どうしたの? かたな……」

 プルが小首をかしげた。

「いや、まあ。……そのだな」

 この学園で多くの男女を目にし、改めて気付く。

 見慣れて何も思わなくなっていたが、三人ともすこぶる顔立ちがいい。

 全優科という箱庭に三人まとめて投げ込まれれば、男子生徒たちが浮き足立つのも無理からぬことだろう。

「ほう」

 俺の胸中を察したのか、ヘレジナがにまりと口の端を上げる。

「カタナ。ようやく自らの恵まれた立場に気が付いたようだな」

「ぐ」

 言い返せない。

「ね、ね、制服どうでしか?」

 ヤーエルヘルが、その場でくるりと回ってみせる。

 白一色に赤のラインが入った制服は可憐で、三人によく似合っていた。

「あ、ああ。すごく可愛いぞ! なあ、イオタ」

「……は、はい! す、すごく、似合ってます」

「やったあ!」

 ヤーエルヘルが、ぴょんぴょんと跳ねる。

「──…………」

 よし。

 ヘレジナの視線が痛いが、どうにか有耶無耶にできたな。

「け、……今朝、食材譲ってもらえた、……から、お、お弁当作ってきました! へ、壁泉のとこで、食べ、……よう!」

 プルが、ヘレジナの手元に視線を向ける。

 ヘレジナが手にしていた大きなバスケットには、五人分の昼食が入っていたらしい。

「さあ行くぞ、カタナ! イオタ!」

「おう!」

 壁泉を目指し歩きながらプルに昼食の礼を言っていると、イオタが戸惑いながら口を開いた。

「……ぼ、ぼくも、その。いいんでしょうか……」

「何を言っておる。私たちは、お前の──」

 護衛、と言い掛けたのだろう。

 だが、自分たちが学園内でどれほど注目されているかを思い出したのか、直前で言葉を変えた。

「友達、だろう?」

「──!」

 イオタが目を見張る。

 そして、

「は、……はい!」

 そう、満面の笑みで頷いた。

 長大な直線水路カナールで鴨が水浴びしているのを横目で見ながら、散歩気分で壁泉を目指す。

 そして、壁泉を囲むように張られた広々とした芝生に、そっと腰を下ろした。

 人気のスポットであるらしく、他にも数名のグループが同様に昼食を囲んでいたが、距離があるため盗み聞きをされる心配はなさそうだ。

「プル、今日の昼メシは?」

「きょ、今日は、ね。……フルーツサンド!」

 じゃーん、とバスケットを開く。

「り、リロットバターが、あ、あったから、タルベリーと、び、瓶詰めのプラムと、スライスロロントと一緒に、ぱ、パンに挟んで、……まっす」

「おお、美味そうじゃん! 俺、リロットバター好きなんだよな」

 リロットバターとは、リロットナッツという油脂分の多い木の実から作られたスプレッドだ。

 ピーナツバターに近いが、どこか柿のような風味がある。

「美味しそうでしねー」

「か、……かたな。どれ食べたい……?」

「タルベリーので」

「は、はい!」

 プルが、タルベリーサンドを操術で渡してくれる。

「い、イオタくんは……」

「あ、その。ロロントのを……」

 リロットバターのベージュのあいだに、青黒いタルベリーが幾つも挟み込まれている。

 口へ運ぶと、まず甘酸っぱい。

 タルベリーの甘ったるい香りと、リロットバターの柿の香りが混ざり合い、鼻の奥へと抜けていく。

「へえー、めっちゃ合う。タルベリーってリロットバターと合うんだな。意外」

「ふふー……」

 プルが、満足げに笑う。

「しかし──」

 ヘレジナが、口を尖らせて言った。

「この私が中等部とは、どういうことなのだ!」

「いや、自分から言い出したんだろ。プルとヤーエルヘルはこの手で守る! とか言って」

「たしかに言ったが、まんまと通るとは思わないであろう……」

 俺は二十三歳、三人は十四歳という設定で編入している。

 まとまって行動するための措置だが、当然ヘレジナは不満だろう。

 実年齢は二十八歳なのだし。

「さすがに納得いかん。抗議したい……」

「誰に」

 イオタが、ロロントサンドを上品に口へと運びながら、ヘレジナに同意する。

「わ、わかります……。ぼくも、年相応に見られること、まずないから」

「イオタもか。まったく、世間には見る目のない者ばかりだ!」

 憤慨するヘレジナを宥めるように言う。

「でも、童顔のおかげでプルたちを無理なく守れてるじゃん。あながち捨てたもんでもないだろ」

「それは、そうなのだが……」

「ところで、授業どうだった?」

「ざ、座学は、全員問題、……なし。や、ヤーエルヘルなんて、さ、最優等生徒も、目指せるって!」

 目をきらめかせながら、プルがヤーエルヘルの自慢をする。

「えへへ……」

 本人は照れくさそうだ。

「私たちは、一限目が座学。二限目が体操術の教室であった」

「派手にするなよ?」

「するわけなかろう。上の下程度で留めておいた。それでも人目は引いたがな」

 しかし、そうか。

 才色兼備、博学才穎の美少女が三名、同時に編入してきたんだものな。

 どう足掻いても話題になるに決まっている。

「カタナさんはどうだったんでしか?」

「こっちは悪目立ちしちまったな。明らかに二十歳越えた大人が急に入ってきて、読み書きできない、魔力マナもない、だもん。そりゃ、お前何しにここに来たんだって視線もビシバシ来るわ」

「う。そ、それは、つらそう」

「根が図太いから、ぜんぜん平気だ。余裕」

 ぶいぶい、とダブルピースを作ってみせる。

「す、すごい……」

「ふむ。イオタ、午後からの授業はなんだ?」

 ヘレジナの質問に、イオタが答える。

「えと、さ、三限が剣術で、四限が座学です」

「……剣術かあ」

「派手にするなよ?」

 先程の意趣返しなのか、ヘレジナが一言一句同じ言葉で俺を戒めた。

「そりゃ、できればしたくはないけどな……」

 ただ、どうなるだろうか。

 イオタが絡まれたら、助ける。

 相手が一般生徒であろうと、暗殺者であろうと、護衛を務めるからにはそこは徹底すべきだ。

 可能な限り目立たないように対処するしかないだろう。

「……わ、わたしは、か、かたなが、好きなようにしたらって、思う、な。へ、へんに遠慮しないで」

「……ありがとうな」

 自分の行動を肯定してくれる人がいる。

 ただそれだけで、いざと言うときに躊躇せずに済む。

 それが、ありがたかった。

「──ああ、カタナ。ここ、ここだ」

 ヘレジナが、不意に、自分の下唇を指差した。

「ん?」

 言われるがまま、自分の唇に触れる。

「ああ、違う。そこではない。反対だ」

「え、どこだよ」

 もたもたしていると、ヘレジナが痺れを切らしたのか、

「ええい、ここだ!」

 俺の口元に指を這わせ、その指先をぺろりと舐めた。

「リロットバターがついていた。まだまだあるのだから、落ち着いて食べんか」

「──…………」

 さっ、と周囲を確認する。

 数名の生徒が、途端に目を逸らした。

 見られていたらしい。

「……今の、不味いかもしれないぞ」

 小っ恥ずかしさより、そちらの懸念のほうが勝った。

「何がだ?」

「……いや、なんでもない」

 恐らくは自然に取った行動だから、指摘するとヘレジナも意識してしまうだろう。

「イオタさん。プラムも美味しいでしよ」

「あ、ありがとう、ヤーエルヘルさん……」

「シィちゃん、お元気でしか?」

「うん。い、今頃は、寂しがってると思うけど……」

「また連れて来てくださいね」

「ふふ、わかった」

 子供にしか見えない二人のやり取りは、すこしままごとじみていて、なんだか微笑ましい。

 竜好き同士、気が合うようだった。

「しかし、飛竜がペットとは珍しいな。いつから飼っているのだ?」

「……じゅ、十年くらい前に、お父さんに買ってもらったんです。ずっと、一緒です」

「十歳──のわりに、小さいよな。成長が遅いのか、あれで成竜なのか」

「ぼ、牧羊竜も大きくなかった、し、そういう種、……なのかも」

「すみません。ぼくも、よく知らなくて……」

「まあ、可愛いからなんでもいいわな」

「でしね!」

 談笑しながら昼食を囲む。

 最初は固かったイオタの表情も、食事が進むにつれて徐々に砕けていった。

 懐中時計で時刻を確認する。

「──さって、そろそろ移動しないとな。三人とも、午後からも頑張れよ。これは豆知識だが、居眠りすると怒られるらしいぞ」

「私からすれば、お前のほうが心配だがな」

「ま、……また、放課後……!」

「またあとでー、でし!」

 三人と別れ、剣術教室の開かれる第四グラウンドへと足を向ける。

 その途中、さまざまな生徒から冷ややかな視線を浴びた。

 噂が千里を走ったらしい。

「……嫌な予感、当たったかもな」

 やはり、ヘレジナとのあれを見られていたのが痛かった。

 義理の妹という設定で押し通れないだろうか。

 無理か。

 義理の兄妹だからこそ羨ましい、とか言い出す派閥が現れそうだ。

「あのさ、イオタ」

「はい?」

「あの三人って、イオタ目線だとどのくらい可愛いんだ?」

「えっ」

 イオタの顔が、一瞬で真っ赤になる。

「……え、その……、えー……」

「俺、ずっと一緒にいるからさ。麻痺しちゃってて」

「──…………」

 すう、はあ。

 深呼吸ののち、イオタが口を開いた。

「──まず、プルさんには男女問わず庇護欲を掻き立てる魅力があります。整った造作、美しい白髪、すらりと伸びる両手足。そういった外見的要素だけでも図抜けていますが、そこに吃音癖という一見欠点にも思えるものが合わさることによって近付きがたさが失われ、むしろ親しみやすさが生まれている。どこか上流階級を思わせる気品も随所に感じられ、それがプルさんにしかない独特な魅力を構築しています。ヘレジナさんもプルさんに負けず劣らずの美形ですが、彼女の魅力はその快活さ、さっぱりとした性格です。正しいことは正しい、間違っていることは間違っている。素直に笑い、素直に怒り、裏表が一切ない。竹を割ったようなその性格に親しみを感じる人は多いでしょう。女友達から恋人にランクアップしたい女生徒ナンバーワンも夢ではありません」

「お、おう……」

 思わず圧倒される。

 いつもの吃音はどうした。

「じゃあ、ヤーエルヘルは?」

「や、ヤーエルヘルさんは、その……」

 イオタが、小さく頬を染める。

「か、か、可愛い、ですよね。その。訛りとか……」

「──…………」

 俺の口角が、にやりと上がる。

「そっかー、イオタ君そっかあ」

「な、なんですか……」

「男の子だな、と思って」

「ぼぼぼぼぼくは、同じ竜好きの仲間として!」

「わかってる、わかってる」

 イオタの肩に腕を回す。

「……でも、変な真似はするなよ? あの子はまだ十二歳なんだから」

「しませんよ!」

「冗談冗談」

 年相応の男子らしい部分が見えて、すこし安心した。

 イオタを軽くからかいながら、第四グラウンドへと向かう。

 男友達との空気感が、なんだか懐かしかった。

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