1/ネウロパニエ -8 ネウロパニエの眠れない夜

「ふー……」

 繊維の柔らかなタオルで髪を拭きながら、リビングルームへと戻る。

「ただいまー。いい湯だったわ」

「お、お風呂、広かった、……よね!」

「王城の客室ではネルと四人で入ったものだが、それに負けず劣らぬ豪奢な浴室であったな」

「え、何そのイベント……」

「お前は寝こけておったぞ」

 そうだった。

 美女四人のマッサージを受けて、極楽へ行っていたのだった。

「しかし、一泊一万シーグルってのも多少は納得行くもてなしだよな」

 運ばれてきた夕食も、この世のものとは思えないほど豪華だった。

 海に面した国だけあって海産物が多かったのだが、驚いたのは、タコが普通に食材として提供されていたことだ。

 タコと言えば日本人しか食べないイメージがあったのだが、ことサンストプラに関してはそうとも限らないらしい。

「そう言や、風呂場の壁に半輝石セルが埋め込まれてたんだけど、あれ何?」

「ああ、あれか。私たちも試してみたのだが、面白いぞ。どれ、見せてやろう」

「お、頼むわ」

 四人で浴室へと移動する。

「じゃ、じゃあ、まず、左上、……から」

 プルが、一列目の左の半輝石セルに指を触れ、魔力マナを込める。

 すると、

「おー……」

 天井自体が、ぼんやりと白く輝きだした。

「ま、魔力マナを灯術に、へ、変換する術式、みたい」

「こっちだと色が変わりましよ!」

 ヤーエルヘルが、隣の半輝石セルに触れる。

 すると、天井が緑色に光り始めた。

「てことは、この列は全部照明の色か」

「白、緑、青、黄色、桃色の五色だな。色が変わると気分も変わるものだ。先程、私たちも随分遊んだ」

「だから遅かったのか……」

 悶々として、思わず素振りを二千回ほどこなしてしまった。

「んじゃ、二列目は?」

「込めましよー」

 ヤーエルヘルが、二列目のいちばん左の半輝石セルに触れる。

 すると、どこからかオルゴールに似た音色が聞こえてきた。

「へえー、気が利いてるじゃん」

「どうやら輪転式の自鳴琴が仕込まれているようでな。リラックスできるように、という配慮だろう」

「さすが一万シーグル……」

「どれだけ引っ張っておるのだ、お前は……」

「つい」

 根が貧乏性なのだから仕方がない。

「てことは、二列目は曲が違うだけか」

「う、うん。……わ、わたしが知ってる曲も、あった。子守歌……」

「……湯船で寝たら危ないぞ」

「き、気を付けないと……」

「そんで、このでかいのは?」

 二列の半輝石セルの隣にあった、大きめの半輝石セルを指差す。

「これは、魔力マナを込めると真上からシャワーが降ってくるんでしよ。雨みたいに!」

「ほーほー」

 天井を見上げると、確かに、ズラリと小さな穴が並んでいた。

 ここからお湯が出てくるのだろう。

「俺の世界にもあったな、シャワー」

「どんなのでしか?」

「こう、柔らかいホースの先にシャワーヘッドがついてて、そこからお湯を出すんだよ。埋め込み型じゃないから、自分で好きな場所にお湯を当てられるわけだ」

「ほう、それは便利そうだ。シャワーと言えば、壁か天井に埋め込まれているもの、というのが常識だからな」

「作ったら馬鹿売れするかもな」

「す、……するかも!」

「稼いでどうする。路銀を減らしたい、と言っておるのに」

「そうだったわ……」

 などと、皆で笑い合う。

 ひとしきり浴室を調べたあと、俺たちはリビングルームのソファに深々と腰掛けた。

「そんで、明日はどうする?」

「えと、ユーダイさんのお師匠さんのお店へ行くのと、魔術大学校に行って話を聞くのと、あと大図書館で調べもの──でしよね」

「ちゅ、注文は、早く済ませたい、……かも。お誕生日に間に合わせたいから……」

「そうですね。プルさまの言う通り、魔術大学校へ行くのは午後からでも構わないでしょう」

「大図書館って、魔術大学校の敷地内にあるんだよな」

「そのはずだ」

 調べるべきことは多い。

 カガヨウ=エル=ハラドナのこと。

 元の世界へ帰る方法。

 それと、ヤーエルヘルの名前について。

「ら、ラライエの言ってた、〈失われた名〉って、な、なんのこと、……なんだろ」

 プルの疑問に、ヤーエルヘルが首を横に振る。

「心当たり、まったくなくて……」

「ヤーエルヘルにその名を付けた御両親は、なんと言っていたのだ?」

「──…………」

 ヤーエルヘルが、目を伏せる。

「……わかりません。あちし、物心ついたときからひとりで。両親の顔も名前も知らないんでし」

「そう、か……」

 ヘレジナが、気まずそうに視線を外す。

「気にしないでください。あちしには、みんながいましから!」

「──…………」

 プルが、慈愛の笑みを浮かべ、ヤーエルヘルをそっと抱き締める。

「……わ、わたし、ヤーエルヘルのこと、だ、……大好き、だよ」

「え──」

 目をまるくしたまま、ヤーエルヘルがしばし固まる。

 そして、

「……ぶえ」

 その双眸から涙が溢れ出した。

 もしかすると、両親という単語は急所だったのかもしれない。

「プル、さあん……!」

「うん……」

「うむ、私も同じ気持ちだ」

「ヘレジナ、……さん……!」

「──…………」

「──……」

 チラッ。

 プルとヘレジナが、〈空気読めよ〉という視線を送ってくる。

「ぐ」

 仕方がない。

「……俺も、ヤーエルヘルのことは、家族みたいに思ってるよ」

 二人が、こちらを見ながら満足そうに頷く。

 合格だったようだ。

「カタナ……さん、も」

 ヤーエルヘルが鼻をすすり、言う。

「あちしも、みんなのこと、大好きでし。大好き、でし……」

 目元を手の甲でくしくしと擦る姿が、いじらしい。

 ヤーエルヘルを背後から抱き直し、プルが言った。

「……ね、ねえ。今日は、み、みんなで一緒に、寝よう!」

「へ?」

 ヘレジナが間抜けな声を漏らす。

「ぷ、プルさま、それはさすがに……」

「や、ヤーエルヘルに、……家族のぬくもりを、お、教えて、あげたいな、……って」

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

 ヘレジナが何故か煩悶する。

「いいんじゃないか? 今まで、寝るときはさすがに別々だったし」

「カタナ!?」

「え、な、なんだよ……」

「か、かたなも、賛成!」

「──…………」

 目蓋を閉じ、しばし瞑想じみた呼吸を行ったのち、ヘレジナが言った。

「……何か妙な真似をしたら、叩き斬るぞ」

「なんでだよ……」

「なんで、とは。お前……」

「同じ空間で寝るのなんて、今さらだろ。騎竜車で雑魚寝だってしてるんだし」

「いや、それとこれとはレベルが違うであろう……」

「え?」

「ん?」

 何か、話がすれ違っている気がする。

「……同じベッドで寝る、のではないのか?」

「ああ。三人がだろ?」

「──…………」

 ヘレジナが、プルの顔を見る。

「え、……よ、四人で、……だよ?」

「は!?」

 あまりのことに、思わず立ち上がる。

「いやいやいや、さすがに俺は別だろ! そもそも四人で寝られるサイズじゃねえし……」

「み、……密着すれば、なんとか!」

「無理だって!」

 ヘレジナが慌てていた理由がようやくわかった。

 倫理的な理由を幾つか述べようとしたとき、ヤーエルヘルがか細く言った。

「……、だめ、……でしか?」

 それは、あまりにも小さく、寂しげな声音だった。

「──…………」

 あ、これ逆らえないわ。

「わか──、……った」

「か、かたな!」

「ただ、一つ条件がある」

「条件、とはなんだ?」

「男女ってことをあえて度外視しても、さすがに狭すぎるって。ベッドの隣にソファをくっつけて、一人はそこで寝よう」

「ああ、なるほど。それはいいな!」

「だろ?」

 そして、俺がソファで寝れば、距離こそ近いが同衾っぽさは目減りする。

 一石二鳥というわけだ。

「じゃ、じゃあ、わたしがソファで寝る、……ね?」

「待て」

「?」

 プルが小首をかしげる。

「ソファで寝るのは俺に決まってるだろ」

「だ、……だって、ソファ、寝にくいよ? わ、わたし、言い出しっぺだし……」

「出会ったときのお前はどこへ行ってしまったんだ……」

 最近のプルは、男女の倫理観に欠けている気がしてならない。

 俺を異性として認識していない、と言うか。

 ラーイウラを出てから、その傾向が顕著になり始めた気がする。

「カタナがソファ。その隣がヤーエルヘルで、その隣がプルさま。反対側の端が私だ。その並びがいちばん自然であろう」

「だな」

「……えへへ。楽しみ、でし。みんなで寝るの」

「楽しみなのは結構だが、季節的に少々暑苦しいやもしれんぞ?」

「まあ、そんときは朝風呂入ればいいだろ。いつでも入れるんだし」

「ま、窓、すこし開けとこ。夜風、入れて、涼しくしよう!」

「はい!」

 ベランダへ続く大きな窓を開ける。

 アンパニエ・ホテル二十一階から臨むネウロパニエの夜は美しかった。

 灯術の白い光ばかりが無数に並ぶ夜景は、素朴な地上の星といった風情だ。

 きらびやかな百万ドルの夜景も美しいが、これはこれで悪くない。

 視線を屋内へと戻す。

 いちばん大きなベッドの上で、三人が戯れているのが見えた。

 思わず溜め息を漏らす。

 意識しているのは、俺とヘレジナばかりか。

 距離は確かに縮まっているのに、何故だかすこし寂しかった。

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