1/ネウロパニエ -6 仕える理由

 御者台に腰掛け、二本のツノの生えた騎竜の後頭部をぼんやりと眺める。

 楽しそうに会話をする三人の声が、断片的に聞こえてくる。

 陽光は強いがひさしがあるし、意外と速度もあるから風が心地いい。

 騎竜は、道をまっすぐ走るよう訓練されているため、一本道ではやることがなかった。

 御者って、こんな気分なんだな。

 街中ではまた印象も変わるのだろうけど。

「──……あふ」

 生あくびを噛み殺していると、

「寝るなよ?」

 ヘレジナが、客車へ通じる扉から顔を出した。

「寝てません!」

「本当に寝ていたような反応をするでない」

 客車から身を乗り出し、俺の隣に腰掛ける。

 そして、一つ伸びをした。

「ウージスパインは、本当に広いな。街と街とのあいだに、ここまで何もないとは思わなんだ」

「ラーイウラはまだ、ちょくちょく景色変わったもんな。合間に田園があったり、集落があったり」

「国土が広すぎるというのも考えものだ。単純に移動の手間がかかるし、情報が伝わるのも遅い」

「情報、か」

 そう言えば、その点について尋ねたことはなかったな。

「サンストプラに電話みたいなものはないのか? 半輝石セルを使った通信機、とかさ」

 ヘレジナが小首をかしげる。

「デンワ?」

「ほら、最初に会ったとき写真撮ってみせただろ」

「──ああ、あの薄い板か。遠くの人と会話ができるという」

 完全に放電し使えなくなったスマホは、俺の荷物の奥底に仕舞われている。

 使えなければ、それこそただの板だ。

「ああ。遠隔地と会話ができる道具は、この世界には存在しないのかなってさ」

「私は知らんが、あるにはあるだろう。現存しているかどうかはわからんが」

「神代の魔術具ってやつな」

「純粋魔術。できないことは何もないとまで謳われるからには、我々が思いつく程度のことはすべて可能であったはずだ」

「すげえな……」

 千年前の時点で、現代科学と同等か、あるいは凌ぐ文明が存在していたのだ。

 興味深い。

「結局、サンストプラで最速の通信方法は、鳩ってことか」

「まあ、一般的にはな」

「一般的でない方法もあると」

「ある。鳩による手紙のやり取りでは、信頼性が低かろう。幾度も人の手に渡るからには手紙が盗まれる可能性があるし、そもそも鳩が猛禽に襲われることも少なくはない」

「まあな……」

 最悪、届かないのはいい。

 だが、送った事実すら相手に伝わらないのでは、通信としての質が低すぎる。

「そんなときに使われるのが、飛竜便だ。飛竜に騎乗した配達人が、直接相手に届ける。鳩と同程度には速度が出るし、配達人の人柄が直接信頼度に繋がる。ほぼ確実に届くしいいこと尽くめだ」

「へえー、いいじゃん。便利だ」

「まあ、高いがな。一通で千シーグルは持って行く」

 日本円に換算して、二、三十万円か。

「ぼったくり──って一瞬思ったけど、そんなこともないか。高いは高いけどな」

「ああ。直線で移動できるから、山を越えることもある。雨でも雪でもお構いなしだ。過酷な仕事と聞く」

「なるほどな……」

 騎竜を眺めながら、思う。

「しかし、竜種ってのは随分大人しいんだな。人の言うこともよく聞くし」

 飛竜然り、騎竜然り、牧羊竜然り、人によく馴れている印象が強い。

 その見た目以外、こちらの世界に伝わるドラゴンのイメージとは掛け離れている。

「純粋魔術によって作られた人造の生物だ。元より人間の言葉に従うよう作られているのかもしれん」

 なるほど。

 もともと人間の道具として造り出された生物であると仮定すれば、得心が行く。

「……そう考えると、あの地竜窟に住んでた地竜も、単にルインラインの一族の言うことを聞いてただけなのかもしれないな」

「確かに、あり得る」

「リンドロンド遺跡にいたっていう天竜も、たぶん、銀琴を守るよう命令されてたんだろ。すこし気の毒な生き物のような気もしてきた」

「──…………」

 ヘレジナが、そっと微笑む。

「そう、言うな。誰かに仕えるのも、悪くないものだぞ」

 あ。

「いやいやいや、ヘレジナっつーか、人間のことを言ったわけじゃなくてだな」

「わかっておる。……ただ、そうだな。自分と重ねたことは確かだ」

 余計なこと言っちまったな。

 今朝からこんなことばかりだ。

「私は、プルさまに仕えている。私の命より、プルさまの幸福のほうが大切だと思っている。何故かわかるか?」

「──…………」

 しばし、思案する。

 自分をないがしろにしてまで、誰かに仕える理由。

「……すまん、わからない」

 俺は、七年間も会社に仕えてきた。

 だが、俺とヘレジナには決定的な違いがある。

 それは、自らの意志で、納得して、自分を差し出しているかどうかだ。

 俺は、ただ流されるままに働いていたし、辞めていいと言われたらすぐさま辞職していただろう。

 ただ、上手いこと絡め取られていただけなのだ。

「お前なら、わかると思うがな」

「……俺なら?」

 言葉の意味を測りかねて、思わず幾度かまばたきをした。

「それはな。仕えている相手のことが、好きだからだ」

「──…………」

「お前は、私たちのことを好いてくれている。つらくとも、傷つこうとも、私たちを守ってくれている。それと同じように、私も、プルさまのことが好きなのだ」

 思わず視線を逸らす。

 ああ、照れているのが丸わかりだ。

「ふふ、どうしたカタナ。何故目を逸らす」

「……向こうに羊がいたんだよ」

「ほう、どこだ?」

「気のせいだったわ」

 ヘレジナが、愉快そうにくすくすと笑い声をこぼす。

 今日のヘレジナは意地が悪い。

「しかし、無理はするなよ。私はお前より強い。お前ばかりが無理をすることは、もう、ないのだ。ネウロパニエでは、あるいはデイコスの一件に巻き込まれるやもしれん。だがな」

 ヘレジナが、俺の手を取った。

「──私を頼れ、カタナ。ラーイウラではお前に助けられっぱなしだった。夜にベッドの中で歯噛みもしたものだ。だから、私に、お前を助けさせてくれ」

「──…………」

 視線を戻す。

 ヘレジナの瞳は、これ以上ないほど真剣だった。

 茶化し返そうとしていた自分が、急に情けなくなる。

 だから、俺の本心を、偽りなく口にした。

「ああ。ヘレジナより頼もしい人なんて、俺は知らないよ」

 俺より強いから、ではない。

 世界で唯一、安心して背中を預けられる相手だからだ。

「それでよい」

 ヘレジナが、満足げに頷いた。

 会話がそこで途切れる。

 ヘレジナが、無言で隣にいる。

 会話で隙間を埋めなくても、気まずくはなかった。

 一緒にいるだけで、心地良い。

 ヘレジナ=エーデルマンは、俺にとって、そういう存在になっていた。

 ネウロパニエには、あと一日もあれば着くだろう。

 旅は、思いのほか楽しいものだ。

 しかし、それは、彼女たちと共にいるからなのだ。

 そんなことを、ぼんやりと確信するのだった。

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