1/ネウロパニエ -5 世界で唯一、最高の

 宿の女将さんに無理を言って朝風呂を借りたあと、俺たちは宿を出た。

 爽やかな朝の空に、薄く月が翳っている。

「あの月も、もうだいぶ見慣れたな」

 プルが、俺と同じように空を見上げる。

「か、かたなの世界では、つ、月も、昇ったり、沈んだりするん、……だっけ」

「そうそう。だから、最初は違和感すごかったぞ。サンストプラの月って、満ち欠けはすれど、でんと構えて動かないんだもんな」

「あの月は、エル=タナエルそのものだからな。そのように忙しなく動いていては、私たちを見守ることなどできるはずもない」

「だから、銀輪教の信者は月に祈るんだったな。特に、銀曜日の夜は」

「う、うん。そのとおり、……でっす」

 プルが、優しく笑顔を浮かべる。

「きょ、教会でする礼拝と違って、ぎ、銀曜日の祈り、は、プライベートなもの、……なの。みんな、ひ、ひとりで祈るの。エル=タナエルとの対話、……だから」

「カタナさんは、あまり祈らないのでしか?」

「そうだな……」

 祈り、か。

「初詣のときか、めっちゃ腹痛いときくらいしか祈ることはないかな」

「……何故腹痛のときに神に祈るのだ」

「わからん」

「わ、わからんの……」

「わからんけど、なんか大きなものに祈ったり、謝ったりしたくなるんだよ。腹痛いときは」

 ヤーエルヘルが、可愛らしく小首をかしげる。

「はつもうで、ってなんでしか?」

「ああ、そうだな。年が明けるときに、近くの神社──教会みたいなとこで祈るって感じだ。手を合わせて、おみくじ引いて、甘酒飲んで帰る」

「お、おみく、じ……?」

「その年の吉兆を占うもんだ。結果が良ければ素直に嬉しいし、結果が悪けりゃ今年は頑張ろうってだけのもんなんだけど、行けば行ったでなんか引いちゃうやつ」

「ちょ、ちょっと、面白そう……」

「元の世界に戻ったら案内してやるよ。おみくじだけなら初詣じゃなくても引けるしな」

「わ、わあい! ふへ、へ……」

「私は、甘酒とやらが気になるな。甘い酒とは、いかにも美味そうではないか」

「ヘレジナが想像してるのとは、たぶん違うな。アルコール飛ばしてあるから」

「なんだ、つまらん」

「でも、これはこれで美味いんだよ。めちゃくちゃ甘くてな。冬場に熱いのを飲むと、体がぽかぽかあったまる。ちなみに米から作るんだけど」

「おこめ!」

 米農家志望のプルが、嬉しそうに声を上げた。

「お、おこめ、そんな使い方もあるんだー……」

「日本の主食だからな」

「た、楽しみ……でっす!」

 そんな会話を交わしながら、ニャサの村を歩く。

 人の流れは、そう多くない。

 目に映る風景こそ異なるものの、素朴な印象が、どこかリィンヤンと重なって見えた。

「──あ、牧羊竜でし!」

 飛竜の群れが、ばさりと飛んでいく。

「お仕事がんばってー!」

 ヤーエルヘルが、大きく手を振る。

 のどかなものだ。

 俺たちは、のんびりと仕事をする村人たちに道を尋ねながら、ニャサで唯一義術具を扱っているという工房を訪れた。

 ガラス製のおしゃれな扉を恐る恐る押し開くと、雑然とした店内が目に入る。

「すんません、やってますかー?」

「お」

 奥で何やらいじっていた大柄な男性が、こちらを見て立ち上がる。

「おう、やってるやってる! ユーダイ=プネマの工房へようこそ!」

 安心し、工房内へと入ると、男性──ユーダイが豪快に笑った。

「なんだなんだ、べっぴんさん三人も引き連れて! 茶飲むか、茶」

「べ、べっぴんさん、……ふへ」

「ああ、お願いする」

 ユーダイが店内を見回して、言う。

「ま、てきとーに掛けてくれや」

「いや、適当ったって……」

 椅子がない。

「ほら、あんだろ箪笥とか壺とかよ。そのあたりのもん全部がらくただから、気にしなくていいぜ」

 ヤーエルヘルが、戸惑いながら言う。

「箪笥は椅子ではないと思いましけど……」

「腰掛けられるもんは、たいてい椅子よ。はっはっは!」

 豪快な人だ。

 仕方がないので、横倒しになっていた大時計に四人並んで腰掛ける。

「そんで、うちに何か用かい旅人さん。何でも屋みてーなモンだからな。たいていのブツは修理できるぜ」

「えーと、あんたは輝石士なんだよな?」

「ああ、そうだぜ」

 輝石士。

 半輝石セルを使用した魔術装置を製作する技士のことだ。

 ラーイウラ王城の客室で見た魔力マナを込めると頭側が持ち上がるベッドなどは、わかりやすく輝石士の仕事である。

 他にも、魔力マナで作動する井戸用のポンプや、ロウ・カーナンの遺跡で使用した簡易昇降機、半輝石セルを動力とした時計なんかも彼らが作り上げたものらしい。

「義術具ってのがあるって聞いてきたんだけど。ほら、魔力マナがなくても魔術が使えるってやつ」

「あー……」

 水出しのお茶を操術で注いでいた男性が、渋い顔をする。

「ま、簡単なモンならな。ほらよ、お茶」

「どうも」

「ありがとうございまし!」

 グラスを受け取り、ヘレジナが言う。

「気乗りしないようだが、何か問題でもあるのか?」

「ンなこたねえが、あんまり夢見んなよ。たぶん想像と違うぜ。ちょい待ってろ、奥から引っ張り出してくらあ」

 そう言って、ユーダイが工房の奥へと消えていく。

「ど、どんなの、出てくるかなあ……!」

 プルが、目をきらきらさせながら言った。

「夢見るなって言ってたけどな……」

 それでも、多少の期待はしてしまう。

 しばしして、

「──いよッ、と!」

 ユーダイが持ってきたのは、板金鎧の籠手より遥かに厳ついガントレットだった。

 小指の先ほどの無数の半輝石セルで装飾が施されており、少々派手に見える。

「ほら、こいつだ」

 ヘレジナが目をまるくする。

「……思ったより、また、大きいものだな。腕輪や指輪くらいのイメージだったのだが」

「義術具を求めてくるやつは、たいていそうだな。ほら、兄ちゃんか? 着けてみ」

「お、試着可能?」

 勧められるまま、左腕にガントレットを嵌める。

「──おッ、も!」

 十キロくらいあるぞ、これ。

 いくら鍛えていると言っても、この重量はさすがにきつい。

「まず、そうだな。親指と小指を立ててみろ」

「あ、ああ。わかった」

 言われた通り、左手の親指と小指を伸ばす。

 すると、

 手のひらの上に、

 灯術の明かりがぷかりと浮き上がった。

「あ、出た」

「わ、わ、すごい……! か、かたな、魔術使えて、……る!」

「へえー!」

 思わず感心する。

「イメージとは違うけど、これはこれでいいじゃん。楽しい」

 ユーダイが、俺の出した灯術の明かりに触れる。

 明かりはあっさりと掻き消えた。

「次は、人差し指と小指だ」

 言われた通りにすると、今度は炎が揺らめき立った。

「おおー!」

 火だ。

 俺は、火の魔術を使っているのだ。

 心の中の男子中学生が、片目を隠してニヤリと笑う。

 しばし炎に見惚れていると、

「あっ」

 十秒ほどで、あっさりと消えてしまった。

「あー、魔力マナ切れだな」

「……早くはないか?」

 ヘレジナの言葉に、ユーダイが肩をすくめた。

「これが現実ってやつよ。ま、半分くらいしか魔力マナが残ってなかったのもあるがな」

 ユーダイが、茶を啜りながら続ける。

「灯術、炎術、操術すべての術式を彫り込むんならガントレット型にするしかねえし、木っ端半輝石セルをそんだけ埋め込んでも使用は数度が限界。実用レベルの義術具を作るんなら、相当金が必要だぜ」

「ああ、金なら気にするな」

 ヘレジナが薄い胸を張る。

「気にすんなって言われてもな。このガントレットだって、原価だけで千シーグルはすんぜ?」

「とりあえず、予算は二万シーグルとしよう。それだけあれば作れよう?」

「にま──」

 ユーダイが絶句する。

「マジか、あんたら」

「ちっと一山当てたもんでね」

「ほら、前金だ」

 ヘレジナが、エルロンド金貨を一枚、指で弾く。

「──おッ、と!」

 ユーダイがそれを受け取り、

「マジじゃねーか、おい」

 と、瞠目して呟いた。

「実を言えば、灯術と操術の機能はいらないんだ。ある程度の炎術を何度も使えれば、それでいい」

「ある程度ってな、どんくらいよ」

「だいたい、焚き火くらいの火勢があればってとこだな。さっきくらいの炎だと、さすがにショボい」

「焚き火──って、おい」

 ユーダイが眉間に皺を寄せる。

「そいつは、さすがに無理があるな」

「難しいんでしか……?」

「義術具──と言うより、魔術具と半輝石セルについて軽く説明してやる。まず、人間には魔力マナがある。ない人もいるけど、たいていはある。人間の持つ魔力マナの平均値を、まあ、わかりやすく百としようや。このガントレットの木っ端半輝石セルは、だいたい五くらいのもんだな」

「えー、っと」

 ガントレットの半輝石セルを軽く数える。

「数えても意味ねえぞ。全部合わせて、五だ」

「少ねえ!」

「はっは、思った以上に少ねえだろ。でも、木っ端半輝石セルなんてそんなもんなんだよ。ほら、井戸用のポンプを使うときは、ずっと半輝石セル魔力マナ込め続けないといけないだろ。あれ、半輝石セルに溜められる魔力マナが微小だからなんだ。入れた傍から使っちまうの。懐中時計なんかは、そもそも使う魔力マナが少ないから、いちいち込めなくても数日は持つんだけどな」

「なるほど……」

 このあたりの理論は、初めて聞いた。

「で、次の問題は術式だ。普通の人が魔力マナを使って炎術を使用する。このときの魔力マナ変換効率は、余程上手ければ九十パーセントだ。下手でも、まあ、五十パーセントくらいにはなる。高等魔術になるにつれ、この変換効率はガクンと落ちていくけどな。でも、魔術具に彫り込まれた術式では、どうしてもロスが大きくなる。このガントレットの魔力マナ変換効率は、せいぜい十パーセント程度だ」

「はー……」

「つまり、元より五しかない魔力マナのうち、さらにその十分の一しか使えないわけよ。普通の魔術具は、変換効率が低くても魔力マナを潤沢に使える。でも、魔力マナのない人が使う義術具となると、こうなっちまうわけだ。焚き火くらいの炎を出すとなると、その予算があっても一度がいいとこだろうな」

 ユーダイが、エルロンド金貨をヘレジナに弾いて返す。

「悪い、うちでは無理だ」

「そう、でしか……」

「なかなか上手くいかないもんだな」

魔力マナを百くらい入れられるようなクソでけえ半輝石セルでもありゃ、それ背負って使えるんだけどな。そこまで来ると、十万、二十万じゃ到底足りねえよ」

「……ま、しゃーないか」

 元より魔術に頼らずここまで来たのだ。

 一度は魔術体験ができたのだし、それでよしとしよう。

「ありがとうな。冷やかしになっちまったけど、勉強になったよ」

「いいってことよ! 滞在中に何かあれば、このプネマ工房をよろしくな!」

 ガントレットを外し、皆を振り返る。

「んじゃ、いったん宿に帰るか」

「──…………」

 見れば、隣のプルがごそごそと鞄を探っている。

「プル?」

「ゆ、ゆゆ、ユーダイさん。こ、これ、使えません、……か?」

 そう言ってプルが鞄から取り出したのは、ロウ・カーナンの遺跡で俺とヘレジナを救ってくれた、飴玉サイズの純輝石アンセルだった。

「……なんだ?」

 ユーダイがそれを受け取り、しげしげと眺める。

 その表情が、徐々に驚愕へと変わって行った。

「──こいつ、純輝石アンセルじゃねえか。こんな貴重なもん、どっから!」

「ふへ、へへへ……」

「うおー、初めて見た……」

 ユーダイの手が震えている。

 この世界サンストプラの人々にとってみれば、百カラットのダイヤモンドにも近しいものなのかもしれない。

「これなら三千──いや、五千は入る。桁違いだな……」

「ま、……魔力マナの問題、か、かいけつ」

「プル……」

 ありがたい。

 だが、素直に受け取るわけにも行くまい。

「それ、お婆さんの形見なんだろ。そんな貴重なもん、俺のために使うなよ。大事に仕舞っときな」

「──…………」

 プルの太めの眉尻が下がり、今にも泣きそうな表情になる。

「……おい、カタナ」

 ヘレジナの鋭い視線が俺に刺さる。

「い、いや、でもだな……」

 今にも涙がこぼれ落ちそうなプルと、俺に殺気を放つヘレジナに挟まれて困惑していると、ユーダイが口を開いた。

「──おい、兄ちゃん。その気遣いは間違ってるぜ」

「間違って、る……?」

 実際、言葉選びを間違えた気はしている。

 プルを傷つけ、ヘレジナを怒らせ、ヤーエルヘルに心配をかけているのだから。

 だが、どう間違えたかがわからない。

「兄ちゃんには、その子が軽々しく純輝石アンセルを差し出したように見えたかもしれねえ。でも、違うんだよ。女の子が大切なものを差し出すのは、とっくに覚悟が決まってるときだ」

「──…………」

「そして、贈り物ってのは怖いもんだ。相手のことを考えれば考えるほど、不安があとから溢れ出してくる。喜んでくれるだろうか。がっかりされないだろうか。そして、そもそも──」

 ユーダイが、厳しい表情を作って、言った。

「そもそも、受け取ってくれないんじゃないか」

「あ──」

 俺は、何をしていたのだろう。

 お婆さんの形見の純輝石アンセルが大切なものだなんて、俺より、ヘレジナより、ヤーエルヘルより、世界中の誰よりも、プルがいちばん理解している。

 それを使えと、俺に言ってくれた。

 そこに、どれほどの勇気と、俺への想いが込められていたのだろう。

 俺は、

 それを、

 拒絶したのだ。

「──……プル」

 間に合うだろうか。

 赦してくれるだろうか。

 こんな、考えなしの馬鹿野郎でも。

「……かた、……な」

「……ごめん。俺、なんか勘違いしてたみたいだ。プルの気持ち、わかってなかった。プルは、すべてわかってて、義術具に純輝石アンセルを使っていいって言ってくれたのに」

 深々と頭を下げる。

「──今度は、こっちから頼むよ。俺のために、純輝石アンセルを貸してほしい」

「──…………」

 ぺし。

 後頭部に、優しい刺激が与えられる。

「こ、……これで、ゆる、し、……まっす」

「……今のは?」

「手刀、でしね」

 たぶん、世界一優しい手刀だろう。

 俺は顔を上げ、プルに微笑みかけた。

「ありがとう。絶対、大切に使うから」

「……うん!」

「んじゃ、ユーダイさん。これ──」

 話がまとまりかけたとき、ユーダイが慌てて言った。

「ま、待て待て! 引き受けるとは言ってねえぞ。こんな貴重なモン、俺の腕じゃもったいねえよ」

「作れない、でしか……?」

「いや、作れる。注文通りには作れるさ。でもよ、見たくないか?」

 ユーダイが、不器用にウインクをする。

「最高の素材で作る、最高の義術具」

「最高の、義術具……」

 それは、魅力的にも程がある言葉だった。

「これだけの器だ。炎術だけじゃもったいねえ。爆砕術だって、いっそのこと灰燼術だって扱えるぜ」

「──!」

 灰燼術。

 ジグの灰燼拳によって作り上げられた白き神剣を思い出す。

 あれを自在に使えるとしたら──

「それだ! 灰燼術の義術具!」

「お、食いついたな」

 ユーダイが腕を組み、自分の顎を撫でる。

「よーし、うちの師匠を紹介してやる。最ッ高の術具士だぜ。俺は輝石士であって術具士ではねえからな。手に持てるもんは術具士の領分だ。餅は餅屋って言うだろ」

「悪いな、冷やかしみたいなもんなのに」

「なーに、純輝石アンセルなんて見せてくれた礼よ。待ってろ、今紹介状書いてやる」

 工房の奥へ向かおうとするユーダイに、ヘレジナが尋ねる。

「ところで、その師匠とやらはどこに住んでいるのだ?」

「ああ、ネウロパニエだよ」

 思わず、皆と顔を見合わせる。

「ネウロパニエ、でしか……」

「うん? なんだ、問題でもあったか?」

「あ、い、いえ!」

「……そうか、ネウロパニエか」

 パドロとの約束を思い出す。

 確約こそしなかったものの、さすがに気が引ける。

 迷っていると、プルが俺の手を取った。

「い、いい、行こう! ネウロパニエ!」

「でもなあ……」

「わ、わたし、お、お誕生日の贈り物、と、とと、当日にあげたい……!」

「義術具だって、依頼してすぐに完成するわけではないでしもんね。早め早めに行動しないと」

「危険ならば、気にするな。今の私たちを傷つけられる状況など、そうあるものか」

 ユーダイが満足そうに笑う。

「事情は知らねえが、決まりなんじゃねえか?」

「……まあ、うん。そういうことに」

 なってしまった。

 三人の気遣いが嬉しくて、照れくさくて、なんとか視線を逸らす。

 三人の視線が俺に集まっているのが、なんとなくわかった。

「最高の純輝石アンセルで、最高の義術具を。世界で唯一の灰燼術の義術具を、うちの師匠に作ってもらってこい!」

「ああ!」

 俺は、まだ強くなれる。

 ヘレジナの背中はいまだ遠い。

 だが、いつかきっと追いついてみせる。

 借り物の能力に、すがってでも。

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