1/ネウロパニエ -4 暗殺者の懇願

 ──時刻は深夜。

 足音を忍ばせながら宿を出て、裏手へと向かう。

 プルとヤーエルヘルの灯術が、深井戸の周辺を真昼のように照らし出した。

「──…………」

 ヘレジナと背中合わせに立ち、全方位を警戒する。

 しばしして、前方から不用意な足音が聞こえてきた。

 意図的なものだろう。

 現れたのは、神経質そうな、眼鏡を掛けた男性だった。

 たしか、ラーイウラ王城の玉座の間で見掛けた気がする。

「──こんばんは、良い夜ですね。月が僕たちを見守っているかのようだ」

「お前が、パドロ=デイコスか」

「はい」

 パドロが、両腕を開く。

「警戒しなくとも構いません。ここにいるのは僕一人だ。と言っても、到底信じられはしないと思いますが」

「当然だ。暗殺者の話など、誰が信じる」

 ヘレジナの言葉にパドロが苦笑する。

「こればかりは仕方がない。もうすこし社会的信用のある人間になりたいものです」

「──…………」

「そう、睨まないでいただきたい。僕に敵意はありません。恐らく、あなたたちはこう疑っている。〈この男は、ルアン=デイコスの復讐に来たのではないか〉──と」

「よくわかってるじゃねえか」

「たしかに、ルアンは僕の弟です。悲しくないと言えば嘘になりますが、愚かな弟に呆れる気持ちのほうが強いですね。一回戦でアーラーヤ=ハルクマータが射殺されかかったのを見ているにも関わらず、あの体たらく。あなたに魔術を使うよう誘導されたとしても、いささか間抜けに過ぎる」

 ヘレジナが、眉間に皺を寄せる。

「して、何の用だ。自分の弟は愚かですと、わざわざ言いに来たわけではあるまい」

「ええ、もちろん。あなた方にお願いがあるのです」

「言ってみろ。聞くだけは聞いてやろう」

「はい」

 パドロが、慇懃に頭を下げる。

「──ネウロパニエに、来ないでいただきたい」

 意図をはかりかねて、尋ねる。

「理由は?」

「僕なりに、誠意を持って、正直に申し上げます」

 自分の胸に手を当て、パドロが言葉を継ぐ。

「ネウロパニエにて、近々大きな仕事がございます。万が一にも、その仕事の邪魔をしないで欲しいのです」

「──…………」

「カタナ=ウドウ。あなたのいる街で仕事をしたくないのです。暗殺者というのは、元来さして武に長けた存在ではありません。戦闘になった時点で、仕事としては下の下ですから。そんな中で、ルアンは数少ない武闘派の一人でした。そのルアンを、赤子の手を捻るように一蹴してみせたあなたを見て、僕は思ったのです。ああ、関わりたくないな、と」

 ヤーエルヘルが、困ったように言う。

「でも、ネウロパニエは目的地でしし……」

「御安心を。仕事の期限は、夏の前節が終わるまでです。遠回りをして四週間ほど観光していくとよろしい。なんなら、ウージスパインの観光名所を幾つかお教えしますよ」

「いらん」

「残念です」

 ヘレジナの言葉に肩をすくめる。

「あなたたちも、暗殺者の跋扈する街はお嫌でしょう。僕たちも、こちらの用意した盤面を気まぐれに引っ繰り返しかねない相手のいる場所で仕事はしたくない。相互に利益のある提案かと思いますが」

「で、でも、かたなのお誕生日……」

 パドロが、プルに答える。

「ああ、聞こえておりました。申し訳ありませんが、少々立ち聞きを。義術具を製作している輝石士であれば、他の街にもおられますよ。なんなら、このニャサにも一人」

「──…………」

「……カタナ、どう見る?」

 ヘレジナが、横目で俺に視線を向ける。

「勘だが、嘘はついてない。俺たちにネウロパニエに来られるのが、本当に嫌なんだろう。こうして姿を晒して頼んでいるのは、他に手段がないから。俺たちを脅威に思っているから──だと思う。危険を避けるって意味では、この提案を呑むのも悪くはない」

「おお、さすがです。賢明だ」

 パドロが、その顔に喜色を湛える。

「この世すべての悪行を憎むわけでも、この世に存在するすべての不幸な人物に手を差し伸べるわけでもないでしょう。行ったことのない街で見知らぬ他人が殺されるとして、罪悪感を覚える必要はありません。その責任を、あなたが負うことはないのですよ」

 ふと、思った。

「一つ聞く」

「はい」

「ここであんたを殺したら、その〈大きな仕事〉とやらは止まるのか?」

「──…………」

 調子よく言葉を弾ませていたパドロの表情が、一瞬で凍りついた。

「そ、れは──」

 言葉を詰まらせながら、答える。

「……止まりません。僕は、後から合流する組ですから、本隊は既にネウロパニエに陣取っています」

「──ああ、悪い。本気で殺すつもりはねえよ。聞いてみただけだ」

「そ、そうですか。少々取り乱しました」

 ヘレジナが、呆れたように言う。

「暗殺者のくせに、いざ自分の身に危険が迫ると怯えるのだな」

「──…………」

 パドロが、ヘレジナを睨みつけた。

「……僕が今、どれほどの覚悟でこの場に立っているか、あなた方にはわかるまい」

「……?」

「あなた方は自覚すべきだ。自分が他人にとって、どれほどの脅威であるのか。奇跡級上位とは、何者であるのか。今、あなたは、アリを指先でつまんでいる。気分次第で、いつでも潰せる。良心の問題じゃない。実際に潰すか潰さないかは関係ない。あなたには、それができる。それだけで恐怖の対象たり得るんですよ」

「──…………」

 言いたいことは、わかる。

 どれほど大人しくとも、ライオンの前に立つのは恐ろしい。

 自分がライオン側にカテゴライズされているのは、どうにも違和感が拭えないけれど。

「……しゃーないな。確約はできないけど、ネウロパニエに行くのを遅らせる方向で考えてはみる」

 プルが、目をまるくした。

「い、……いい、の?」

「そりゃ、気分はよくないけどな。でも、敵対しなくてもいい暗殺者とわざわざ敵対する必要はない。ウージスパインは広いらしいし、適当な街に立ち寄るだけで一ヶ月くらいすぐ過ぎるさ。海とか見たいだろ?」

「見たいでし!」

 ヘレジナが、不満げに頷く。

「……カタナがそれでいいのなら、構わんが」

 パドロが、明らかにほっとした表情を浮かべ、胸元に手を置いた。

「ありがとうございます。これで、心置きなく仕事に集中できる」

「……あんま集中してほしくねえなあ」

「こちらにも生活がありますので」

 苦笑し、パドロが背を向ける。

「──では、失礼致します。二度とお目に掛からないことを祈って」

 そう言って、パドロの姿は闇に溶けていった。

 彼が消えた方向をしばしのあいだ見つめ、呟く。

「……自分が、他人にとって、どれほどの脅威であるのか。考えたこともなかったな」

「陪神級の武術士は、世界に四名。特位の数はわからんが、奇跡級上位は十数名ほどと言われている。級位詐欺やら何やらで実態は掴めないが、本物はそれほど少ないのだ。あのパドロという男が怯えるのも、無理からぬ話やもしれんな」

「不思議な感覚だな。人から怖がられるなんて、従兄弟の子供に嫌われたとき以来だし」

「仕方あるまい。いかにも優男といった風体だ」

「な、なんで、嫌われた、……の?」

「そのとき着てたシャツの柄がリアルめな犬のイラストで、それが怖かったらしい……」

「……あー」

「まあ、一つ言えるのは──」

 空を見上げる。

「……そんなに嬉しくはないってことか」

 中天に座す沈まぬ月が、夜空を細く彩っていた。

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