1/ネウロパニエ -2 義術具

 共和国であるウージスパインには、元首はいても君主はいない。

 元首、元老院、平民会によって行われる行政は、形式上は貴族共和制であるものの民主的な色合いが強く、国民の意見が反映されやすい下地がある。

 しかし、貧する貴族と富める平民との発言力が逆転する資本主義社会の側面もあり、貧富の差が激しいことが社会問題になっているらしかった。

 もっとも、そういった情勢も、牧羊の村であるニャサにはあまり関係がないのだが。

「──しかし、面白いものを見たな。牧羊竜などと」

 牧羊竜。

 ニャサの村で飼育されている小型の飛竜だ。

 忠実で賢く、羊の群れの誘導や見張り、捕食動物からの護衛など、牧羊に関するあらゆる訓練を受けている。

「ウージスパインの牧羊竜。聞いたことはあったんでしが、初めて見ました!」

 ヤーエルヘルは興奮気味だ。

「な、撫でさせてもらえて、……よかった。ざらざらしてた」

 羊の乳と肉で作られたシチューを操術で掻き混ぜながら、プルが微笑む。

「牧羊犬ってのは、こっちの世界にもいたんだけどな。シェパードだっけ」

「か、賢い犬なら、同じことできそう、……かも」

「こう、シュッとしてて、いかにも頭が良さそうな顔はしてたな」

「かしこさんでしねー」

 かしこさん。

 言い方が可愛いな。

「あ、カタナさん。飲み物もうありませんね。頼みましか?」

「そうだな。んじゃ、またシリジンワインで」

 ヘレジナが愉快そうに笑う。

「カタナも随分とシリジンワインに慣れたものだな。最初は酸っぱい酸っぱいと文句を垂れておったのに」

「そら、一ヶ月以上も水代わりにしてたらな……」

 下戸の血筋でなくて、本当によかった。

 両親の遺伝子に感謝する日が来るとは思わなかったが。

「では、私はエールを」

「お、お水……」

「はあい」

 ヤーエルヘルが立ち上がり、店員を呼ぶ。

「しみませーん」

「あ、少々お待ちを!」

 カウンターの奥から、先程注文を受けた人とは別の店員が顔を出す。

「えと、シリジンワインと──」

 ふと気付く。

 その男性店員の首には、抗魔の首輪が嵌まっていた。

「あれ、その首輪……」

「……はい、恥ずかしながら」

 店員の表情が曇る。

「あの国から逃げ出してきたばかりで、路銀もなく、ここで働かせてもらっているんです」

「それは、災難だったな」

 ヘレジナの言葉に、店員が頷く。

「ニャサで宿を取っているということは、ラーイウラから来たか、ラーイウラへ行くかのどちらかですよね」

「ああ、うん。ラーイウラから来たんだ」

 そう答えると、

「それは、運が良かった。実に良かった。羨ましいです……」

「はは……」

 思わず苦笑が漏れる。

 バッチリ首輪を嵌められたとは言えまい。

「聞きかじりになりますが、この首輪って、神代の技術を使っているらしくて。現代の魔術、技術では、決して外せないんだそうです。本当、つらくって……」

 店員が、両手を握り締め、悔しそうに俯く。

「……あー」

 言っても構わないだろう。

「その首輪、近いうちに外せるようになるかもよ。いつとは断言できないけど」

「えっ!」

「ラーイウラ、王が代替わりしたんだ。その新しい王様が優しくて、いずれは奴隷制を撤廃させるつもりだって」

「──ほ、本当ですか!」

 プルが、俺の言葉を引き継ぐ。

「は、はい! ほんと、……です! き、貴族と奴隷のあいだに生まれたひとで、もともと奴隷制に否定的で……。す、すぐじゃ、ないですけど、……きっと!」

「そっ、……かー!」

 店員が、半泣きで満面の笑みを浮かべた。

「よかった。高い金払って義術具を買わずに済みそうです」

「義術具?」

 聞き覚えのない単語だ。

「あ、聞いたことありまし。何らかの理由で魔法、魔術を使えないひとのために、半輝石セルに込めた魔力マナで魔術を行使する魔術具の一種でし。ウージスパインの高い技術力を用い、熟練の輝石士がオーダーメイドで作る特注品。とってもお高いんだとか」

「めちゃくちゃ高いですよ……。特注もそうなんですけど、質の良い半輝石セルがそもそも高価なんです。トータルで二万シーグルは飛んでくらしくて、目の前が暗くなりましたもん」

「へえー」

 頷きながら、ふと思う。

「それ着ければ、俺でも魔術が使えるのかな」

 それは、単なる思いつきだった。

「……お客さん、もしかして」

「ああ。生まれつき魔力マナがなくてさ」

「──わかる! わかりますよ、そのつらさ!」

「うお!」

「抗魔の首輪を嵌められて、初めてわかりました。この世界は魔術の使えない人に対してあまりに無頓着だ! 御存知だと思いますが、包丁がなければ食材も切れない。火が起こせなければ調理もできない。部屋の明かりをつけるのだって、いちいち人に頭を下げなきゃいけないんです。幸い、ここの女将さんはいい人だから助かってますけど……」

 うんうんと相槌を打ちながら、店員の話を聞く、

 余程鬱憤が溜まっていたらしい。

「ほんと、いいことを聞きました。希望があるだけで生きていけます」

「頑張ってくだし! きっと、すぐでしよ」

「はい!」

「……あ、注文いいっすか?」

 店員が、俺の手を離す。

「……すみません、興奮してしまって」

「あー、いや。気持ちわかるんで」

「シリジンワインとエール、お水を二つお願いしまし」

「はい、承りました。ごゆっくりどうぞ!」

 店員が、何度も頭を下げながら、バックヤードへ消えてゆく。

「……か、かたな」

 プルが、真剣な目で俺を見つめた。

「ん?」

「ぎ、ぎぎ、義術具、買おう!」

「……え、マジで?」

 思いも寄らぬ提案だった。

「でも、俺、魔術使えなくて困ったことないぞ。まあ、三人が手伝ってくれるからだけどさ。エルロンド金貨はまだあるけど、二万シーグルなんて──」

「いや、プルさまは正しい」

 ヘレジナが、腕を組んで言った。

「考えてみるがいい。義術具があれば、神剣に自在に着火できるのだぞ」

「あ」

 盲点だった。

「……やべえ、急に欲しくなってきた」

 炎の神剣が必要になったとき、常に誰かに着火を頼める状況であるとは限らない。

 現状、炎の神剣は使えて二十秒。

 この縛りを緩和できるのであれば、二万シーグルの価値はある。

「そ、それに、かたな。も、もうすぐ、お誕生日……」

「そう言えば」

 俺の誕生日は、七月三十一日だ。

 一週間が五日であるこの世界サンストプラの暦で、四週間後に迫っている。

 もっとも、この世界サンストプラの一ヶ月は三十日なので、三十一日はそもそも存在しないのだけど。

「に、二万シーグルくらいなら、ま、まだ平気で出せるし、作ってもらお! お、お誕生日の、プレゼント。ふへへ」

「──…………」

 二万シーグル。

 日本円に換算すると、およそ四、五百万円となる。

 余裕で新車が買えてしまうほど高価なもの、誕生日にもらっていいものか?

 さすがに躊躇していると、ヤーエルヘルも背中を押してくれた。

「あちしは賛成でし! もともと路銀としては持ち過ぎでしし、カタナさんがいつでも炎の神剣を使えるようになれば、鬼に金棒でし」

〈鬼に金棒〉って慣用句、共用語ではどう表現してるんだろう。

 まあ、それは置いておくとして、だ。

「……そんなに言うなら、マジでもらっちゃうぞ?」

「ああ、もらっておけもらっておけ。炎の神剣があれば、私とも渡り合えるやもしれんぞ」

「さすがに使わんて」

 俺の見立てが正しければ、ヘレジナは、あのアイヴィル=アクスヴィルロードの技量を既に超えている。

 俺の知り得る奇跡級上位は、皆、一芸に秀でている。

 ジグは灰燼拳を、アーラーヤは四刀流を、アイヴィルは遠当てを、それぞれ武器としていた。

 俺を含めるのであれば、神眼が該当するだろう。

 だが、ヘレジナにはそれがない。

 ただ当たり前に強いのだ。

 理で以て刃を振るう──それを体現するだけで、こんなにも圧倒的な強さを誇る。

 ジグの眼力は正しかった。

 やはり、ルインラインが弟子に取り立てただけのことはあるのだ。

「──義術具、か」

 じわじわと喜びが湧き上がってくる。

 たったの四百万円で魔術が使えるようになるのなら、むしろ安いのではないだろうか。

 そんなことまで考えてしまうあたり、金銭感覚麻痺してきたよなあ。

「体操術を扱える義術具があればよいのだが、さすがに難しかろうな」

「はい、原理的に不可能だと思いまし。体操術は、瞬間瞬間で術式を変えて肉体の制御を続ける必要のある魔術でし。あらかじめ術式を彫り込んでおく魔術具のたぐいとは相性が悪い。だから、あちしは苦手なんでしが……」

 ヤーエルヘル、足とかあんまり速くないもんな。

 魔力マナのない俺に負けるくらいだ。

「となると、三大魔術をある程度扱える──くらいのもんか」

「そうだと思いまし」

「十分十分!」

 俺の心の男子中学生がうずうずしている。

 男たるもの、一生に一度は魔術を使ってみたいものだ。

「では、ネウロパニエで義術具の店を探してみることとしよう。魔術大学校のある街だ、何店舗かはあるだろう」

 ネウロパニエはウージスパイン最東端の都市で、魔術大学校、大図書館のある、俺たちの今回の目的地だ。

 首都の次に栄える学園都市であり、サンストプラの知の粋が結集していると言われている。

「ネウロパニエまで、あと一日半くらいだったか」

「ああ」

「なら、明日は俺が御者をしていいか? 一本道だし、道幅も広い。練習には最適だろ」

「ほう、よい心掛けだ。カタナもだいぶ慣れたようだし、明日は任せてみるか」

「ヘレジナにずーっと負担を押しつけるのもなんだしな。基本的には勝手に走ってくれるんだし、なんかあったらすぐに呼べばいいだろ」

「ああ、そうしろ。交代はいつでもできるのだからな」

「おうよ」

 自分にできることが増えていくのは、楽しい。

 世界に馴染んでいく気がする。

「シリジンワイン、エールにお水、お待たせしましたー」

 宿の食堂でしばらく時間を潰したあと、ほろ酔い気分で部屋へと引き上げた。

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