4/最上拝謁の間 -5 起こすこと、それが奇跡
ラライエは本来、頭部だけの存在だ。
脳に損傷を受けてはさすがに再生できないのか、そのまま崩れ落ち、動かなくなる。
ヘレジナが、双剣を回収しながら、言った。
「いくら速かろうと体術は素人。次にどう動こうとしているのか、見ればわかる。動く前に避け、適当な場所に刃を置いておけば、勝手に自滅というわけだ」
「……ああ」
対処法はわかっていた。
だが、俺にはできなかった。
俺は、次撃を予測できるほどの眼力を持っていない。
「──…………」
アーラーヤに左腕を押し付けると、ネルの元へと足を向ける。
「ネル……」
「──……う」
ネルの死体の前で、プルが口元を押さえる。
「ネルさん……?」
ヤーエルヘルが、呆然と立ち尽くす。
「……なんで」
ヴェゼルが、叫んだ。
「なんで死んでるんだよ! 王になるんだろ! 奴隷制を廃止するんだろッ! 嘘つき! 根性なしッ!」
「ヴェゼル、落ち着け」
左腕を治癒したアーラーヤが、ヴェゼルの肩を掴む。
「これが落ち着いて──」
「……落ち着け。こいつらが悲しめない」
「あ──」
アーラーヤに、心の中で礼を言う。
「……俺のせいだ。俺の、せいなんだ。俺が[羅針盤]なんて当てにしたから、こうなった」
「──…………」
「守れなかった。ネルは、自分の命を犠牲にして、俺を助けようとしてくれたのに。それなのに──」
「……かたな」
プルは、何も言わなかった。
何も言えなかったのだと思う。
ただ、黙って、俺の手を握ってくれた。
眼前に二つの選択肢が現れる。
【ネルを助ける】
【ネルを見捨てる】
[星見台]。
俺の背中を押す、ただそれだけの能力。
俺は、[星見台]のことを、そう捉えていた。
──だが、本当にその通りなのか?
[羅針盤]が俺を裏切った今、[星見台]を信用するべきなのか。
俺には、もう、何もわからなかった。
「……ジグを、呼んでこなければな」
【ネルを助ける】
【ネルを見捨てる】
わからない。
【ネルを助ける】
【ネルを見捨てる】
所詮、俺はただの一般人に過ぎなかった。
俺には何も決められない。
俺には、何も、できない。
【ネルを助ける】
【ネルを見捨てる】
うるさい。
【ネルを助ける】
【ネルを見捨てる】
黙ってろ。
【ネルを助ける】
【ネルを見捨てる】
頼むから、そっとしておいてくれ。
「カタナさん」
気が付けば、ヤーエルヘルが俺の顔を覗き込んでいた。
翡翠色の、美しい瞳で。
しかし、その色が、普段より遥かに深みを帯びているように見えた。
「──助けますか? それとも、見捨てますか?」
そんなの、決まってる。
「助けられるのなら、助けたいに決まってる……」
「わかりました」
ヤーエルヘルが、盃へと向かう。
そして、盃の中から、いまだくすまぬ赤黒い臓器を拾い上げた。
「ヤーエルヘル、お前……!」
驚愕するヘレジナを横目に、その心臓を、ネルの背中の大穴へと押し込む。
「プルさん。アーラーヤさん。治癒術を」
「いや、お前。これ、もう完全に死んでるぞ。治すも何も──」
「アーラーヤ、さん」
プルが、深々と頭を下げる。
「い、一度だけで、いい。お願い、……します」
「──…………」
アーラーヤが、後頭部をぼりぼりと掻き、
「……失敗しても、俺のせいじゃねえからな」
そう言って、ネルの背中に手をかざした。
「一度失われた命は、治癒術で傷を塞いだとしても、戻ってはきません。でも──」
ヤーエルヘルが、盃から、サザスラーヤの血潮を注ぐ。
ネルの背中の穴へ、注ぎ込む。
「命そのものたる、サザスラーヤの血液があれば」
俺は、尋ねた。
「……可能性はある、のか?」
「はい。〈奇跡〉が起これば、ですが」
プルとアーラーヤ、奇跡級の治癒術による二重治癒によって、ネルの背中の大穴が塞がれていく。
しかし──
「……やっぱ、無理があったか」
アーラーヤが手を止めた。
傷は、既に治りきっていた。
「──…………」
プルは、無言で手をかざし続ける。
「手は尽くした。諦めよう。死者蘇生なんつーのは、人の手に余る所業なんだよ」
ヤーエルヘルが、俺を見上げる。
「カタナさん。もう一度だけ、選択していただけますか。あなたの意志で、しっかりと」
ヤーエルヘルの言動がおかしいことには、気が付いていた。
口調が違う。
雰囲気も違う。
何より、俺にしか見えないはずの[星見台]の選択肢を読み取ったかのような言動だ。
「選択してください。あなたの意志にお任せします」
【ネルを助ける】
【ネルを見捨てる】
「──…………」
ネルは死んだ。
もう、生き返らない。
俺は、ネルを見捨てた。
青の選択肢に目が眩んで、思考を停止した。
俺は──
同じ選択肢を突きつけられたにも関わらず、またネルを見捨てるのか?
「──見捨てない。絶対に」
そう口にした瞬間、脳裏で鳳仙花が弾けた。
そうだ。
まだ試していないことがある。
諦めるのは、すべての手を尽くしてからでいい。
俺は、王の間へと駆け出した。
「おい、カタナ!」
ヘレジナの声を背に浴びながら王の間へと戻り、テーブルに置いてあった美酒の瓶を掴み取る。
足りなかったのかもしれない。
あるいは、摂取の方法が間違っていたのかもしれない。
俺は、最上拝謁の間へと取って返し、ネルの上体を抱きかかえた。
「カタナ、何を……?」
「サザスラーヤの血潮を飲ませる」
「……血潮は、もう、傷口に注いだではないか」
「ラライエは、サザスラーヤの肉を食らい、その血潮を飲んでいた。サザスラーヤは命を司る陪神であり、そして──」
瓶を傾け、ネルの口に中身を注ぐ。
「ラライエは、千年を生きた」
「!」
「頼む、手伝ってくれ。このままじゃ喉の奥まで届かない」
「わ、わわ、わかった!」
プルが、ネルの首の角度を固定する。
俺は、口の端から溢れた血潮を指で拭うと、もう一度ネルの口に瓶を傾けた。
「──ネル、聞こえてるか。見捨てて、ごめん。助けられなくて、ごめん。言い訳なんてしない。起きて、俺のことを怒ってくれ。俺のことを、殴ってくれ」
涙が溢れる。
ネルの頬に、しずくが落ちる。
「起きてくれ、ネル……ッ!」
そのとき、ネルの首筋がかすかに動いた。
血潮を飲み下したのだ。
「ネル!」
そして、
「──まッ、ずーい!」
ネルが、飛び起きた。
「うお!」
「生き、返った……?」
目をまるくするアーラーヤとヴェゼルを横目に、俺は、ネルに微笑みかけた。
頬をくすぐる涙を、快く感じながら。
「……地獄の交響曲みたいな味だろ」
「不味さで生き返ったわよ!」
「ネル……!」
プルが、ネルに抱き着く。
ネルは、そんなプルの背中を、優しく撫でた。
「はいはい、プル。ちゃんと生きてるからだいじょーぶ」
「……寝坊だぞ、ネル」
「ヘレジナも、泣かない泣かない」
ヘレジナが、目元を擦りながら怒鳴る。
「泣いとらんわ!」
そして、ネルが俺を見た。
「──カタナ。あなたの声、ちゃんと聞こえてたよ」
「そっか」
「でも、王子さま的には口移しで飲ませてくれてもよかったんじゃない? 減点よ、減点」
「ははっ」
目元を拭いながら、軽口を叩く。
「そりゃ、こんな不味いもの、……なあ?」
「そーゆー理由かい!」
「冗談冗談」
「本当かな……」
ネルが、俺に不信の目を向ける。
仕方ないだろ。
口移しじゃ、喉の奥まで届かないもの。
「──よかった」
ヤーエルヘルが、ぽつりと呟く。
「そうだ。ヤーエルヘル、気分は大丈夫か?」
そう尋ねた瞬間、
「──…………」
ふらり、と。
ヤーエルヘルが、倒れた。
「おわ!」
ヴェゼルが慌ててヤーエルヘルを受け止める。
「ヤーエルヘル!」
アーラーヤが、冷静に言う。
「ひとまず王の間へ運ぶぞ。臭そうだが、ベッドもある」
「シーツくらいはちゃんと交換してると思うけど……」
「加齢臭ってのがな、あるのよ」
実感の篭もった言葉だった。
「では、ヤーエルヘルは私が背負おう。ヴェゼル、乗せてくれんか」
「はいはい。貸し──は、いいか。これくらい」
ヴェゼルが、ヤーエルヘルをヘレジナの背中に乗せる。
俺たちは、ラライエと側近の死体を片付ける間もなく、いったんその場を引き上げた。
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