4/最上拝謁の間 -4 そいつ、俺より強いから
「──…………」
俺は。
俺は。
俺は。
「……いや」
俺は──
「なんでも、ない……」
賭けてみることにした。
俺は[羅針盤]を好まない。
だが、[羅針盤]が嘘をついたことは、一度もなかった。
「そうか、そうか。では盃を持て」
「……盃を?」
「サザスラーヤの血潮で満たした盃である。はよう持て」
「──…………」
ひとまず、ラライエの言う通りにしよう。
俺は、サザスラーヤの腕の真下まで赴くと、一抱えもある盃を手に取った。
満たされた血潮をこぼさないよう気を付けているふりをして、なんとか時間を稼ぐ。
だが、それにも限度がある。
やがて、俺は辿り着く。
ラライエと、ネルの、すぐ傍まで。
「では──」
何かが起こるとすれば、今だ。
俺は、待った。
事態が好転するのを、辛抱強く待ち続けた。
ラライエの手が、ネルの背中に触れる。
つぷ。
「あっ」
ネルの体が、ぴくりと震えた。
それだけだった。
「朕の慈悲に感謝せよ」
──ぽちゃ。
盃に、何かが投げ入れられる。
赤黒い、肉。
引き千切られた管から、サザスラーヤの血潮よりなお赤いものを溢れさせている。
いまだかすかに動くそれは、
ネルの、心臓だった。
「あ──」
ああ
あああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った間違った
どうして。
どうしてだ、エル=タナエル。
どうして嘘をついた。
どうしてネルを殺した。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして俺は、[羅針盤]なんて信じてしまった。
青枠なんて、信じてしまったんだ。
涙が溢れる。
視界がぐにゃりと歪む。
「──……ああ」
俺は、無力だ。
「ごめん、……ごめんよお、ネル……、ごめん……」
「泣くことはない。ネル=エル=ラライエは、朕の礎となる」
ラライエの言葉なんて、耳に届いてはいなかった。
ただ、
ただ、
ネルの死体に謝り続けていた。
「──…………」
涙も涸れ果てた頃、俺はその場に盃を置いた。
ネルのひとしずくも、こぼさないように。
袖で涙を拭く。
そのとき、ネルが腕に結んでくれた緑色のリボンが、はらりと落ちた。
──ごめん、みんな。
鵜堂形無の旅路は、ここで終わる。
仕掛ければ、俺は死ぬだろう。
だが、道連れだ。
首を刎ねられても。
腕を飛ばされても。
心臓を、くり抜かれても。
必ず、相討ちにしてみせる。
「ラライエ、あんたは何年生きた」
「千年、である」
「そうか」
折れた神剣を抜き放つ。
「あんたの旅路も、ここで終わりだ」
「ほう」
俺の意図を理解したラライエが、そっと構える。
「楽しい時間であった」
ラライエがそう口にした、次の瞬間──
闖入者があった。
「──カタナ、何があった!」
「ね、ね、ね、ネル! ど、どうしたの!」
愛しい声がした。
「──プル! ヘレジナ!」
二人だけではなかった。
「おいおい、まーた血生臭いことになってんのかよ」
「あ、アーラーヤ、ボクを守れよ!」
「わかってるって、小娘ちゃん」
「誰が小娘だ!」
アーラーヤに、ヴェゼルもいる。
不味い。
「──皆、目を閉じろ!」
「無駄である」
ラライエが、両手を掲げる。
「──平伏せよ。陪神サザスラーヤの御前である」
まるで、それが呪文であるかのように、
「ぐあッ!」
「な──」
「は、ぐ……!」
「ぬあ!」
四人が、その場に膝をつき、最服従を行った。
ラライエの形相が怒りに満ちる。
「王たる者、その従者たる者以外が、神聖なる最上拝謁の間へと立ち入るとは。許されぬ。許されぬ。全員、死を以て贖え」
「く……ッ」
皆を守るように、ラライエの前へと立ちはだかる。
「退け。罪人が先である」
「嫌だね」
「退け」
ラライエの双眸が、ゆっくりと細められる。
そのとき、王の間の方から、そっと姿を現した者があった。
「えと、みなさん……?」
ヤーエルヘルだった。
叫ぶ。
「──逃げろおッ!」
「ぴ!」
ラライエが口を開く。
「平伏せよ。陪神サザスラーヤの御前である」
「えっ!」
ヤーエルヘルが、目を白黒させる。
「サザスラーヤ、でしか……?」
そして、周囲を見渡した。
「あ、腕が! こわい!」
「……?」
理由はわからない。
だが、ヤーエルヘルは最服従を行わなかった。
「ほう」
平伏しないヤーエルヘルに興味が湧いたのか、ラライエが視線の高さを合わせ、問う。
「其方、名を申せ」
「え、と……」
ヤーエルヘルが、ちらりと俺を見たあと、怯えながら答えた。
「……ヤーエルヘル=ヤガタニ、でし」
その名を聞いた瞬間、
「ヤー……、エル、ヘル……?」
ラライエの両目が、大きく見開かれた。
「……そんな、まさか。ヤーエルヘル、だと……!」
ラライエが、何故か驚愕に打ち震える。
今だ。
今をおいて他にない。
俺は、神剣の柄を握り直すと、最速でラライエの首を掻き切った。
「がッ!」
致命傷だ。
だが、致命傷が致命傷にならない相手だ。
すぐに治癒するだろう。
であれば、これ以外に方法はない。
「ヤーエルヘル、あの腕を消し去ってくれッ!」
「は、はい……!」
ヤーエルヘルが、右手の人差し指と中指とを揃える。
そして、それをサザスラーヤへと向けた。
パチッ。
火花が走る。
ヤーエルヘルもまた、漫然と一ヶ月を過ごしていたわけではない。
魔術を行使せずともできる訓練を繰り返し行うことにより、開孔術の精度は以前に比して確実に上がっていた。
火花が、まっすぐにサザスラーヤの腕へと向かい、そのまま消える。
──時が止まる。
世界から音が消え、
世界から色が抜け、
世界から──
サザスラーヤの腕を中心として、半径十数メートルの範囲の空間が消失した。
「──…………」
首の傷を癒したラライエが、荒れ狂う暴風の中、呆然とした顔でそれを見つめていた。
「──皆、顔を上げろ! サザスラーヤはもういない!」
「な、なんなの……」
「今のは……?」
「わ、わけがわからん!」
状況が把握できていない四人に向けて、叫ぶ。
「こいつは敵だ! ネルを殺した!」
「な──」
プルとヘレジナ、ヴェゼルが、俺の言葉に愕然とする。
「……へえ」
アーラーヤが、首を鳴らしながら立ち上がった。
その双眸に、義憤を湛えて。
「次代の王を殺したとなれば、反逆者でいいんだよな」
二本の長剣を抜き、さらに二本の短剣を放り投げる。
「──四刀流。絶技に散れ」
アーラーヤが一瞬で距離を詰め、不可避の十六連撃をラライエに叩き込む。
ラライエが、大量の血液をぶちまけながら、最上拝謁の間の壁に叩き付けられた。
「……なん、と、いうことだ……。サザスラーヤが……、サザスラーヤが失われた……」
「おいおい、寝惚けたこと言ってんな。お前も今から死ぬんだよ」
「アーラーヤ、気を付けろ! そいつは──」
ラライエの姿が掻き消える。
「ぐアッ!」
上体を捻ったアーラーヤの左腕が吹き飛ぶ。
「──……郎党、鏖殺である」
「そいつ、音速で殴ってくる!」
「はよ……、言えッ! 腕取ってこい馬鹿!」
「悪いッ!」
俺とアーラーヤを無視し、ラライエがヤーエルヘルへと歩を進める。
「ヤーエルヘル。ヤーエルヘル。失われしその名をどこで知った」
「えっ、そのう……」
「ヤーエルヘル。其方が名の通りのヤーエルヘルであるか、食んで確かめることとしよう」
ラライエが、口を開ける。
顎を外し、人間としてあり得ぬほどの大口を。
「ひ──」
「──…………」
ヘレジナが、ヤーエルヘルの前に立ちはだかる。
「退け」
「カタナ、一つ確認するぞ」
「ああ」
「──殺していいのだな?」
「頼んだ」
ラライエが、大口を開けたまま呵々大笑する。
「はは、ははははは! 大層吠えおる」
「ヤーエルヘル、下がれ」
「は、はい……」
心配そうにヘレジナを見つめながら、ヤーエルヘルが二人から距離を取った。
「はー……」
アーラーヤの腕を拾い上げながら、安堵の溜め息をつく。
青枠。
たしかに、全体としては好転だ。
「カタナ=ウドウやジグ=インヤトヮ、アーラーヤ=ハルクマータであればともかく、仔鼠が一匹何するものぞ」
「──…………」
「疾く去ね」
ラライエの姿が掻き消え、
一瞬ののちに、
ヘレジナの後方へと姿を現す。
「ぱふぉ」
双剣を、その両眼に根元まで刺し込まれて。
「──言い忘れてたけど、そいつ、俺より強いから」
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