3/ラーイウラ王城 -16 そうしたいと願う限り
決勝戦の開始まで、一時間の休憩が与えられた。
正直、ありがたかった。
心の整理をする時間が必要だったからだ。
提供された軽食は、最後の晩餐とばかりに豪華なものだったが、手をつける気にはあまりなれなかった。
「正直言えば、カタナは甘い。甘々である」
「──…………」
「私は──私たちは、カタナのそんなところを好ましいと感じている。ラングマイアを殺さなかったことだって、否定はすまい。それがカタナの選択であれば、私たちはそれを受け入れる。だが──」
ヘレジナが、俺の頬を両手で包み込む。
「確固たる信念の元に選択した、という顔ではないな」
「……ああ」
俺は、力なく頷いた。
「あのとき、エリエが割り込まなければ、俺はきっと、ラングマイアを殺していた。殺し合いではなく、ただ一方的に。怒りにまかせてではなく、自らの利益のために。そうしなければ、大切なものが手からこぼれ落ちてしまうから」
右手を開き、視線を落とす。
固い、手のひら。
「そうしたら、俺は、きっと変わってしまっていた。大切なもの以外は容易に切り捨てる。葛藤もなく、ただ機械的に。ラングマイアを殺したことを免罪符に、何人だって同じだと──そんな人間に、なっていたと思う」
「──…………」
俯いていたヤーエルヘルが、顔を上げる。
「……あちしは、カタナさんが、ラングマイアさんを殺さずに済んで、よかったと思いまし。甘さは、優しさでし。あちしは、優しいカタナさんが好きだから……」
「……う、うん」
プルが、慈しむような目で、俺を見つめた。
「わ、……わたしは、どっちでも構わないよ。かんたんに人が殺せるかたなでも、い、今までどおりの優しいかたなでも」
ネルが、困ったように口を開く。
「……ごめん。あたしは、何も言えない」
皆、優しい。
そして、同時に厳しかった。
安易に答えを与えてはくれなかった。
自分で選択しろ。
そう、言っているように聞こえた。
「……俺は、さ。今思えば、平和な国に住んでいたんだと思う。小競り合いはあっても、ケンカはあっても、殺し合いなんてそうそうなくて。だから、相手を死に至らしめる理由が、なかった」
目を閉じる。
明かりを落としたように、視界が闇に染まる。
「でも、
本当は、もうわかっている。
俺は、殺すべきなのだ。
俺には、何物にも代えがたい大切なものがあって、この世界にはそれを害するものがあまりに多い。
失いたくないのであれば。
後悔したくないのであれば。
俺は、自らの選択の結果として、人を殺すべきだ。
怒りにまかせて刃を振るうのではなく、相手の人生を断つ覚悟で以て、殺すべきだ。
三人の命と、それを害する者の命。
その価値は、比べるべくもないのだから。
「俺は」
すがるように鞘を握り締めた左手が震えている。
命懸けのやり取りよりも、自分の意志で人を殺すことのほうが、怖い。
「俺、は──」
それでも、
いずれかの道を選ぼうと、
俺なりの覚悟を口にしようとしたとき──
「──やあ、やあ、ネル=エル=ラライエ一行。御機嫌は如何かな」
聞き覚えのある声が、それを阻んだ。
「……ダアド、何をしに来たの。敵情視察? それとも、嫌味でも吐き捨てに来た?」
「そう邪険にするなよ、ネル。血の繋がった親戚じゃあないか」
「貴族は全員血が繋がってると思うけど」
「ははは、違いない」
ダアドが、楽しそうに笑う。
「なに、私が話したいのは、ネルではない」
そして、こちらを向いた。
「カタナ君、君だよ」
「……俺に?」
意外な言葉だった。
「何、簡単な話だ。私の奴隷にならないか?」
「──ッ!」
ネルの顔が、怒りに染まる。
「何を──」
「ネル、君には関係がないだろう。これは、私とカタナ君との交渉であり、第三者である君は介入すべきではない」
「く……」
ネルが、押し黙る。
そして、すがるように俺を見た。
「……たしかに、いい話だ。俺があんたの傘下に入れば、ジグと戦う必要もなく、確実に首輪を外すことができる」
「その通りだ。さすが、話が早い。むろん、そちらのお嬢さん方も一緒で構わないよ。安全、確実、クレバーな選択だとは思わないか?」
「──…………」
ダアドの言う通りだ。
ここでネルを見捨てれば、目的は果たされる。
不確実なジグとの戦いなど、する必要がなくなる。
まさに最善手だった。
俺に[羅針盤]が残っていれば、青の選択肢が表示されていたことだろう。
けれど──
「ありがとう。でも、お断りだ」
「……参考までに、理由を聞いてもいいかな?」
「決まってる。ネルと、約束したからだ。母親に引き合わせると」
「カタナ……」
ダアドが、顔を歪ませる。
「──チッ、愚図が。わかった、好きにしろ。余程後悔したいらしいな」
──ガンッ!
ダアドが、軽食の載った丸テーブルに蹴りを入れて去っていく。
豪華な軽食が、食器ごと床にバラ撒かれた。
「もったいないでし……!」
「最低の男め」
慌てて割れた食器を片付けに来た下女を手伝いながら、ネルが微笑んだ。
「……ありがとう、カタナ」
「あんなの、選ぶまでもない。元よりジグとは戦うことになってたんだ。ダアドの言うことなんて聞いてたら、それこそジグに本気で殺される」
「ふふ、それはそーかも」
ネルが、くすぐったそうに笑う。
「──でも、これで決まったね」
「何が?」
「カタナ。あなたは、最善手を選ばなかった。プルたちを最優先し、確実に首輪を外す選択をしなかった。それは、どうして?」
「それは──」
しばし思案し、答える。
「……ネルのことも、大切だったから、かな」
「そうだね。そういうことなんだと思う。嬉しいけど、本質はそこじゃない。三人を守るために、人を殺すべきか。三人を守るために、あたしを切り捨てるべきか。この二つは、構造が同じなの」
「──…………」
「カタナ、あなたは迷わなかった。それは、あたしのことも大切に想ってくれているから。あなたは、もう、選んでいるんだよ。必ずしも人を殺さなくてもいい。あたしを切り捨てなかったように、相手の命を尊重できる人だから。無理をして、人を殺すことなんて、ないんだ」
「……ネル」
「でも、ラングマイアのときみたいに、理不尽な選択を迫られた場合は──」
ネルの双眸が、俺を射抜く。
心の底まで見透かすように。
「そのときは、心の赴くまま、いちばん大切なものを選びなさい」
ネルの言葉が、すとんと腑に落ちた。
三人と、その他のすべて。
どちらかを選ぶという二択ではない。
三人以外にだって大切なものはあって、彼女たちを守り切る覚悟があるのなら、そちらに手を伸ばしたっていいんだ。
俺が、そうしたいと願う限り。
「──ありがとう、ネル」
「うん。すっきりした顔してるね。男前だ」
照れくさくて、思わず目を逸らす。
「……ダアドにも、すこしは感謝しないといけないかもな」
プルが、くすりと笑う。
「ふへ、へ。だ、ダアドは、きょとんって、しそうだけど……」
「でも、食べものを粗末にするのはよくないと思いまし」
「まったくだわ、ダアドのやつ」
ぷんぷんと怒るネルを横目に、ヘレジナが言う。
「しかし、また、甘いというか──カタナらしい選択であるな」
「駄目だったか?」
「そんなわけがなかろう。私は、お前が信念を持って選ぶのであれば、どのような考えであっても尊重するつもりだ。自らの選択を誇れ、カタナ。お前が正しいと思うものを、貫き通せ」
「──ああ!」
迷いは晴れた。
俺は、無事な軽食を口に詰めて、それを紅茶で流し込んだ。
あとは、ジグに打ち勝つだけだ。
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