3/ラーイウラ王城 -9 本戦開幕
「──リィンヤンの領主、ネル=エル=ラライエ様。並びにその奴隷、カタナ=ウドウ様。間もなく本戦開始の時刻となります」
「ああ、わかった」
素振りの手を止め、神剣を鞘に戻す。
「頼んでた武器は?」
「はい、こちらに」
兵士が、簡素な鞘に収められた長剣を、恭しく差し出した。
受け取り、鞘から抜き放つ。
「──お、いいじゃん」
それは、薄刃の長剣だった。
歴戦の勇が集う本戦でまで、長槍の柄で戦うわけにはいかない。
長さと軽さ、その両方を兼ね備えた武器を探してもらっていたのだ。
「そちらの長剣は特殊な合金で造られております。靱性が高く、非常に粘り強い材質ですが、薄さが薄さですので受ければ容易に折れるでしょう。十分にお気を付け下さい」
「サンキュー」
「それでは、こちらへ」
兵士が、扉の前できびすを返す。
「んじゃ、行くか」
「ああ」
「う、うん」
「はい……」
「ええ、行きましょ」
四者四様の返答を受けて、俺たちは一夜の宿を後にした。
王城の廊下を歩く。
心拍数が上がっている。
緊張が自覚できた。
自らの双肩に、運命と、あらゆるものが覆い被さっている。
命のやり取りは怖くない。
ただ、期待を裏切るのが怖かった。
皆の信頼が、重かった。
「──…………」
──スパン!
「あだッ!」
尻に痛みが走る。
ヘレジナに蹴られたことを理解するのに、数秒が必要だった。
「蹴るな蹴るな、いちいち! 口で言え口で」
「一発の蹴りは時折、百の言葉に勝る。気負い過ぎだ」
「……そうか?」
「う、……うん。不安そう、だった」
隠していたつもりだったが、顔にまで出てしまっていたらしい。
「……悪い。緊張してるみたいだ」
「仕方あるまい。皆の期待を一身に背負い、命懸けの戦いに挑むのだ。それで何も感じないとなれば、感情が欠落している。それが、当たり前なのだ」
ヘレジナが、腰に手を当てる。
「緊張は、して構わない。だが、抱え込むな。己で完結するな。私たちに言え。私たちは、そのためにここにいるのだ」
「──…………」
情けないと叱咤されるのだと思っていた。
お前ならできると激励されるのだと思っていた。
だが、違った。
「……正直、怖いよ。ジグに、アーラーヤに勝てなければ、そこでおしまいだ。俺個人のことなら、まだよかった。でも、皆の人生もかかってる。命を失うかもしれないことより、期待を裏切ることのほうが、怖い」
俯いた俺の手を、小さな手のひらが包んだ。
ヤーエルヘルだった。
「なら、棄権しましょう」
「ヤーエルヘル……」
「あちしも、怖いんでし。カタナさんが傷つくことが。カタナさんが死ぬくらいなら、あちしはここで旅が終わっても構わない。ネルさんのところで、一生を奴隷として暮らしても、いい」
「──…………」
プルが、俺の顔を覗き込む。
「……わ、わたし、かたなの重荷にはなりたくない、……な。でも、そう思ってくれるのは、飛び跳ねたくなるくらい、嬉しい。か、かたなが、わたしたちのこと、それだけ大切に思って、くれてるって、こと、……だから」
「……ああ」
「でも。どうか、……どうか、今だけは、自分のことだけ考えて。かたなが出した結果なら、わ、わたしたちは、なんだって構わない、から……」
「──…………」
そうだな。
たしかに、気負い過ぎていた。
純粋に勝利だけを目指さなければ、あの二人を超えることは叶わないだろう。
皆の人生のこと、ネルの両親のこと、今だけはすべて忘れて、ただ勝つことだけを考えるべきだ。
ヘレジナが、俺の背中を優しく叩く。
「後先など考えるな。私たちのことも忘れていい。お前はただ、目の前の勝利のみを見据えていろ」
「──わかった」
荷の重さが変わったわけではない。
やることが変わったわけでもない。
でも、いつしか緊張は解けていた。
「──そうだ。神剣、誰か預かっててくれないか」
そう言って、ベルトに差していた神剣の鞘を取り外す。
「わ、わかった。預かって、……おくね?」
プルに神剣ごと鞘を手渡し、代わりに薄刃の長剣を差す。
「よし、違和感ないな」
差し心地も、さして変わらない。
居合を使うわけではないので鞘を差す必要もないのだが、なんとなく、巌流島の決闘での宮本武蔵の言葉が脳裏に残っていた。
勝つつもりであれば、何故鞘を捨てた。
燕返しを使わせてもらっている手前、同じ轍は踏まないようにしなければ。
先程と同じ道を辿り、玉座の間へ通ずる大扉の前へと再び辿り着く。
「おっきいでしー……!」
「ふふふ、中はもっと広いぞ」
玉座の間は、ちょっとした体育館の倍以上の広さを誇る。
祭儀などでも使用されているのかもしれない。
兵士が、無言で大扉を押し開く。
そこに広がっていたのは、先程よりも物々しい光景だった。
玉座の間の周囲をぐるりと囲む二階通路に王立弓軍兵士がずらりと並び、左右両端にはそれぞれ参加者のための待機場所が八ヶ所ずつ設置されている。
玉座は血のように赤いカーテンで隠されており、その先を見通すことはできなかった。
兵士に案内されるがまま第十三組の待機場所へ向かうと、一人の男性が俺たちに一礼した。
「ネル=エル=ラライエ様。カタナ=ウドウ様。お目通り叶うこと、至上の喜びでございます。私はカタナ=ウドウ様を担当させていただく治癒術士でございます。名は──」
「ごめーん、あたし治癒術できるんだわ。あんまり頼まないと思う」
「えっ」
治癒術士が当惑する。
「し、しかし、私は師範級第三位の治癒術士でして、実力的には──」
「あたし、二位」
「──…………」
「大怪我のときは、一緒に頼むね」
「はい……」
すこし可哀想だったが、こればかりは仕方ない。
周囲を見渡す。
第一組から順に案内されているらしく、第五組の待機場所にはジグとダアドの姿があった。
ダアドは既に勝利を確信しているようで、優雅に足を組みながら紅茶を楽しんでいる。
ジグは、石柱に背を預け、静かに目を閉じていた。
「ジグ=インヤトヮ。当たるとすれば決勝か。奇跡級上位でもいれば話は別だが、第一組から第八組までにジグ以外の奇跡級はおらんようだ。余程の番狂わせがない限り、ジグが勝ち残るのは間違いない」
「ああ」
これは、体操術による実力の底上げを加味しても、という意味だ。
ヘレジナやアーラーヤ級の体操術の使い手であれば話は別だが、その場合でも奇跡級中位には届かないだろう。
「強者が多いのは、こちらのブロックだな。八名中六名が奇跡級と来たものだ。もうすこしバラけてくれればよいものを」
「こういうのって、案外偏るんだよな。シャッフルとかしない?」
「しないと思うよ。十年前もしなかったもん」
「そうか……」
望み薄のようだ。
しばらくして、第十四組──ヴェゼルとアーラーヤの一行が玉座の間へとやってくる。
ヴェゼルはこちらに一瞥もくれない。
対してアーラーヤは、三本の爪痕が刻まれた厳めしい顔に笑顔を乗せて、こちらへと手を振ってみせた。
こちらも会釈を返す。
「あ、い、いいひと、……かも」
プルの言葉に、ネルが答える。
「強い人は、往々にして余裕があるものだわ。余程、自分の腕に自信があるのね」
「俺なんて緊張でガチガチなのに」
「自分で口にできるだけ、ましになったではないか。先刻など、ひどいものだったぞ」
「今はもう、いつものカタナさんでし」
「そう見えるなら、みんなのおかげだな」
自分の右手に視線を落とす。
剣ダコだらけの手のひらは、一ヶ月前よりも遥かに皮膚が厚くなっている。
俺は、強くなった。
その証拠が、掌中にある。
もう大丈夫だ。
あとは、俺のすべてをぶつけるだけでいい。
十六組全員が玉座の間へと集った頃、重苦しい太鼓の音が張り詰めた空気を震わせた。
拡声術によって増幅された澄んだ女性の声が、冷たく響く。
「──その名を口にすることすら憚られる尊き王の御前である。一同、平伏せよ」
その場にいる全員が──貴族までもが頭を垂れ、最服従を行う。
俺たちも、それにならった。
威圧感が質量を伴ったかのような無音の中、カーテンのさざめく音が耳に届く。
そこに、王がいる。
ネルの母親が、いる。
「慈悲深き王は、面を上げよと仰った。皆の者、王の慈愛に感謝せよ」
顔を、ゆっくりと上げていく。
ラライエ四十二世が玉座に腰掛けていた。
その顔は、御簾に隠れていて、確認することができない。
だが、レイバルの言う通り、袖から覗くその手には皺が寄っているように見えた。
「──…………」
ネルが、無言で、ラライエ四十二世を見つめている。
その心中を察し、俺はいたたまれなくなった。
ラライエ四十二世が、側近の耳元に顔を寄せる。
しばしして、側近が拡声術を用い、その御言を皆に届けた。
「最も偉大な王は、仰った。皆、命を懸けて戦い、その火花をサザスラーヤに捧げよ、と」
側近が、高らかに右手を挙げる。
「──御前試合の開幕である」
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